第六話
リリィは学園の中にあって、やはりひときわ目立つ存在だ。
マナーの授業から一日も経たないうちに、私はその名を再び耳にすることになった。
その日の夕方には既に、学園は彼女の噂で溢れていたのだ。
『魔力計測器が壊れただなんて、前代未聞』
興奮気味であったり、懐疑的であったり。表情は様々ながら、この伝え聞いたリリィの逸話に興味が無いものはいないようだ。
時折彼女と同年の生徒がそこに目撃者としての新情報を加え、それがまるで伝言ゲームのように曲がったり欠けたり膨れ上がったり。
『本当だとしたら、恐ろしいことね』
聞こえてきた呟きに、私は眉をひそめた。
問題はそこだ。
この世界においての魔法は、精霊やら神様やら、そういう存在に願い出て奇跡を起こすというものではない。それは使用者の体内を循環する不可視の能力だ。
なんでもできる万能の力ではなく、発現のしかた、各々の適正というものがその力を大きく制限する。
例えばシェイドは魅了の魔法をはじめ、精神に作用する魔法に強い適正を示す。
ヴォルフは肉体強化や攻撃型の魔法を得意としている。彼の進路希望は父ラナンクラ公の後を継ぐことなので、実現すればものすごく武闘派の宰相誕生である。
私はというと、大きく分類するならシェイドと同じ精神作用系。ただし私の最も得意とする魔法は自身の記憶力強化である。つまり、その魔法を使えば暗記系の学科試験で怖いものはない。便利といえば便利だが、地味といえば地味だ。
とにかく各々得意な魔法は千差万別だが、共通点がある。それは、『協会の予想を超えるほど強い魔力を持っていない』ということである。
協会はもともと魔法研究を行う集団であり、今もその色が強い。長い歴史の中で多種多様な魔法は体系付けられ、その魔法の限界がおおよそ分かっているそうだ。
例えばシェイドの魅了魔法。精神に作用する魔法であるから危険度は第一級。しかし、それに抗うすべもまた研究しつくされている。
対して、リリィは協会の想定を越えた能力を有している。つまり彼女は、『魔法でできることはここまで』という常識を越えた存在なのだ。
稀有なる例外。彼女は存在自体が危険度超級と言っても過言ではない。
実際、リリィの魔力について話を聞いた生徒のうち、下級生ほどそれをはやし立てる傾向があるようだ。上級生になると、その意味――つまり彼女の危険性にどうしても考えが及ぶのだろう。
私はそれに加えて、彼女がこの生徒たちの反応をどう受け取るだろうということが気になっていた。はやし立てられたら誇らしく思うだろうか。恐ろしいと思われたら、やはり傷つくだろう。
私は実のところ、彼女の内面など何もわかっていない。
ゲームの中の『リリィ』は、庶民の出で、出自からはありえないほどの魔力の才を秘めた少女だ。
十二才の時に入学して六年間メンバーが変わらないはずの魔法学園に、特例として途中編入してきた彼女は、この学園の決まりきった日常に大きな波紋を描いていく。
出自や能力値などは彼女の強い個性ではあるが、『リリィ』はプレイヤーの分身だ。彼女の発する言葉を私は知らない。
選択肢の中にかいま見える彼女の個性は、どの選択肢を選ぶかによって大きく揺らいでしまう。どれが彼女の本質なのか、それともどれも彼女の本質ではないのか。
私は彼女について、この学園にやってきたリリアム・バレーについて知りたいと思い始めていた。
そんな事を考えながらとった夕食の後。
私は寮の図書室で一人自由時間を過ごしていた。
この場所はなかなかの穴場なのである。本を探す必要があれば生徒はだいたい図書館に向かう。この女子寮付き図書室は蔵書も少なく限られているので、利用者はほとんどいないといっていい。
この場所をもう少し賑やかにしたければ、例えば蔵書を娯楽に偏らせることだろう。ここにあるのは大人が生徒に読ませたい本ばかりで、生徒が積極的に読みたい本ではない。教科書の復習になるような歴史や文学の本が大半を占めているのだ。魔法関連の本は図書館できっちり管理されているので、ここにはない。
十歩も歩けば一周できてしまうような部屋で、椅子も二つしか置かれていないので友だちと騒ぐのにも向かない。ぼっちの本好きには心やすまる場所なので、私はよくここに来る。
他の生徒が現れることはたまにはあるのだが、何故か皆慌てたように出て行ってしまう。しかも私に『邪魔してすみません』と謝りながらである。残って私と話をしてとは言わないが、そんなにビビらなくてもいいじゃないと思う。
寮長がこの部屋を占拠しているなんて思われるのも悲しいので、この場所に来るのも控えるべきかもしれない。
と、ため息を付いた私の耳にノックの音が響いた。明かりを付けているので既に利用者がいると分かったのだろう。
「はい、どうぞ」
居るのが私だとバレたら逃げられるかもと思いながら入室を促すと、入ってきたのはなんとリリィだった。
非常に驚いたが、彼女が一人になりたくてこの場所に行き着いたのではないかと思い至る。今女子寮は彼女自身の噂で溢れているし、悪くすると好奇心に突き動かされた集団によって自室へ特攻をかけられかねない。
こんなところで一人のんびり過ごしている場合ではなかったかもしれない。寮長として対策を取らねば。
「……わたくしは出て行きますから、自由にここを使ってちょうだい。本を借りたかったらそこのノートに必要事項を記入して――」
「いえ、あの」
彼女は私の言葉を遮って言った。
「私、あなたを探していたんです。リコリス先輩。お話したいことがあって」
なん……だと……。
私がいると分かって逃げて行かないどころか、むしろ私を探してわざわざこの場所に……?
「いま、お時間は大丈夫でしょうか」
「……ええ。就寝時間までなら」
私が言うと、彼女は嬉しそうに笑って私の側に寄ってきた。
改めて思うが、本当に可愛い子である。顔立ちが可愛らしいというのもあるのだが、屈託のない感じが非常に好印象だ。特に年上には可愛がられそうな感じ。
椅子を勧めると、恐縮したりせずに「ありがとうございます」とだけ言って私のすぐ隣に腰を下ろした。
「話というのは、マナーの授業の時のことで、あの、助けていいただいて、本当にありがとうございました!」
ペコッと勢い良く頭を下げる。
「いいえ、大したことではないわ」
「でも、私マナーとか全然わかっていなくて、色々と変なんです。なのに先輩は指導役も快く受け入れてくださって……」
まあ、大いに動揺はしたけどね。
それはともかく、彼女の言葉が少し気になる。
「色々変だというのは自分の考え? それとも誰かにそう言われるの?」
『変』だなんて、ずいぶんと嫌な言葉である。
リリィが黙り込んだところを見ると後者なのだろう。ゲームの中でも、リリィは初め学園に慣れるのにかなり難儀する。それはそうだ。いきなり生活水準の違う集団の中に放り込まれたのだから。
「マナーの指導はさせてもらうけれど、一番大切なことを忘れないでほしいわ」
「一番大切なこと、ですか?」
「先生もおっしゃっていたでしょう? 大事なのは心を配ること。例えばあなたは今わざわざわたくしに感謝を伝えに来た。あなたは一番大事なものを、真心を備えているのだから、あまり萎縮せずに堂々としていらしていいのよ」
先輩ぶった言葉だが、彼女は素直に受け止めてくれたようだ。何度もありがとうございますと、こちらが照れるくらいに繰り返し言われた。
そして去り際、彼女は言ったのだ。
「あの、またここに来てもいいですか?」
「え? ええ。ここは寮生ならだれでも……」
「そうではないんです。ここに来たら、あなたとお話ができますか?」
私は、動揺のあまり何度も頷いてしまった。
彼女は挙動不審な私をいぶかることなく嬉しそうに笑って、部屋を出て行った。
こ、これは……!!
友達に、なれてしまうかも!?
(いいの!? こんなにスムーズに次も会う約束とかしてしまっていいの!? さっきの言葉は、私と話がしたいと受け取ってもOK!? 好意を持ってもらっているという把握で合っている!? 流石ゲームヒロイン! なんてフレンドリーでいい子なんだろう! 色々お話とかしていたら、仲良くなってしまうと思うけど! し、親友とかになってしまうかもしれないけれど!)
私の心は湧きに湧いていた。
次に彼女と会える時が楽しみで仕方ない。
これではなんだか、私がリリィに攻略されているみたいだ。
なんてね。
ライバルキャラな寮長がものすごくチョロい件




