第一話
新入生への歓迎会を兼ねた御前試合の控え室は、熱気にあふれていた。
特に騎士を志願する生徒などが、試合の結果に一喜一憂している。
そのくせピリピリとした緊張感がどこか薄いようなのは、結局のところこれが学校行事であるためか。それとも、優勝と準優勝はほとんど決まっているのだから気楽にやろうという思いのあらわれかもしれない。
「ヴォルフ、シェイド」
奥まった所にいた二人に声をかけると、まず我が婚約者殿が振り返った。
「リコリス」
青紫の瞳が、柔らかくほころぶ。
ここ数年で格段に大人びたヴォルフは、身長が高くなっただけでなく全体的にがっしりとして、比較的体格の良い生徒が集まるこの場にあっても他との差が顕著だ。
女子としてはかなり背が高い私からしても見上げて話すような長身からは、出会ったころの、彼をほんの少しとは言え見下ろしていた時期の貴重さが分かる。
かなり整った顔立ちなのに、長じてからは眼光鋭いイメージをよく取り沙汰されている。髪も服も黒い中でヴォルフの切れ長の瞳は非常に鮮やかで印象的な色なので、それによって起こった誤解だと思う。加えて人前に立つときなど表情を消すことが多いので、端正な顔は怜悧な印象を与えてしまう。
「姉上。こんなところまで、可愛い弟の尻を叩きにいらしたんですか?」
ニコッと快活に笑いながら可愛くないことを言う弟は、不思議なことに最近は父によく似てきたように思う。顔立ちがと言うより、雰囲気がだ。いや、実父ではないにしても血のつながりはあるのだからおかしいことではないのだが。
それにしてもこの笑顔。父を若くして少し目を細くしたらまさしくこんな感じかな、という表情なのだ。(父はちょっと童顔だ)
子供の頃よりもずいぶんと落ち着いた髪の色はもはや金髪と呼ぶような色合いではないが、クセのある髪の光の当たる部分はキラキラと輝く。肌の白さと相まって華やかな印象の中、濃い赤褐色の瞳の色が際立った暗色で、「覗きこんでみたくなる」「どことなく神秘的で素敵」と可愛らしいお嬢さんたちに大好評である。
ヴォルフと並ぶと細身の感はあるが、シェイドもまたがっちりと男らしい体格になってしまった。可愛くないことだ。
「決勝は多分観戦できないから、今のうちに激励をと思って」
私の席は目立つ位置なので、どうせバレるならあらかじめ言っておこうとここまで来たのだ。
「何かあったのか?」
すぐにもヴォルフが心配そうな声を出したので、首を振って否定する。
「少し確認したいことがあって。ヴォルフとシェイドの試合は見慣れているし、その間に用事を済ませてしまうわ」
「戦いを前に高揚している男に、冷水をぶっかけるようなお言葉ですね。姉上」
「そのせいで油断してそもそも決勝戦に参加出来ませんでした、なんて言い訳をしたら指をさして笑うわよ。シェイド」
ジロッと故意に睨んでみせると、シェイドは大げさに怯えたふりをした。
「ごめんなさいね、ヴォルフ。特等席であなたがシェイドを叩きのめして優勝する所を観戦したかったとも思うのだけど……」
俺の扱いが酷いんですが、とシェイドが口を挟んでくるが無視した。
別に、昨年度末に卒業生の一部女生徒たちがシェイドと離れたくないと駄々をこねた挙句、学期開始直前まで騒動が続いたことを怒っているわけではない。ええ、けっして。
「それはいいが。本当に問題はないのか?」
「ええ。下級生の様子を見てくるだけ」
「だが、少し……顔色が悪くないか?」
「……ええ。あの観覧席、やっぱり疲れるわ。王族の方が近すぎるわよ。学園長達がお相手をされているからこちらに話しかけてきたりはなさらないのだけど、なんだか変に緊張してしまって」
用意していた言い訳を淀みなく伝えれば、ヴォルフがやっと納得したように頷いた。
「そう恐ろしい方々ではないさ」
「それは、貴方はずっと小さい頃から王宮に出入りしていたからそう思うのでしょうけど……。あ、もうあまり時間がないから、行くわ」
「ああ。何かあれば声を上げてくれ」
私たちのやりとりに、シェイドが茶々を入れてくる。
「あーあーこれですよ。騎士殿の心配性はもはや病的だと思いますね。王族ご来席の警備厳重な御前試合の最中に、いったいなにが起こると言うんです?」
シェイドが絡んで、ヴォルフが苦笑した。シェイドは時折意図的にヴォルフのことを『騎士』と呼んでからかうのだ。
「それではね、私の黒い騎士様。悪い弟をきっと叩きのめしてやってね。シェイドも、怪我をしないように、それだけは気をつけて。顔に傷でも作ったら、相手の方が貴方の信奉者に恨まれることになるのよ」
私はことさら軽い口を叩いて、控え室を後にした。
そうして試合は進み、親善試合最後の試合のカードは、ごく順当に本命ヴォルフvs対抗馬シェイドに決まった。
その辺りで私は、そっと席を立つ。
……といっても途中、「どちらにいかれるのですか?」「もう少しで一番大切な試合が始まってしまいますわ」と、やたら周囲に心配されながらだが。
「残念だけれど、先生から頼まれごとをしているので少し席を空けます。良かったら試合の様子を後で教えてくださいな」と殊勝気な顔で告げると、彼女たちは大いなる同情を込めた眼差しと「解りましたわ」「お仕事ご苦労さまです」という労りの言葉で送り出してくれた。
同輩・後輩の彼女たちは基本的に育ちがよくおっとりしていて、人の言葉を疑うということをしない。……少し将来が心配である。正直者の配偶者に恵まれると良いのだが。
移動する時に少し注目を浴びてしまったが、いざヴォルフとシェイドが現れると観衆の眼差しは試合場の一点に絞られた。
私は人目を避けながら移動し、新入生達の席に近づいた。
試合開始を告げる笛の音が、青空に高く響き渡る。
それとほぼ同時にシェイドが目くらましに魔法を放つ。現れたのが花びらというところがシェイドらしい遊び心だ。ヴォルフは動じることなく、続くシェイドの攻撃を見事に流してみせる。
少々ふざけた始まり方をした試合だが、その後の攻防はまるで火花が散るようだった。
ヴォルフが踏み込んで、目にも留まらぬ一閃。シェイドはそれを後方に飛ぶように避ける。ヴォルフは追わない。次の瞬間にはシェイドが相手の懐に入ろうと踏み込んでくる。それをまたヴォルフが綺麗に受け流して距離をとる。
シェイドが手数多く攻めるのに対し、ヴォルフはここぞという時に動く。長引けばヴォルフに軍配が上がるであろう試合展開だが、一瞬でも気を抜けば負けるのはどちらも同じだ。
時折睨み合った二人の間に訪れる静寂、均衡の時。
観客は固唾を飲んでそれを見守る。
その中に、金の髪の少女がいた。
鮮やかなエメラルドグリーンの瞳を輝かせて試合に見入っている。
興奮に火照る頬は薔薇色。小さな唇は桃色。
白と空色を基調にした比較的質素なドレスを着て、けれどその愛らしさは隠しようがない。
それはまさしく、ゲームのオープニング。その一場面を切り取った光景だった。




