第七話
「さっき、私に魔法をかけようとしたのよね?」
私の詰問に、シェイドは素知らぬ顔で答えた。
「何のことでしょう?」
シェイドは後手に縛られたまま、目元には目隠しがされている。
もちろんやったのは私だ。
ヴォルフの一撃はお腹にだったので服の上からは跡は見えないが、私がグーパンをかましたせいで切れた唇は痛々しい。だからといって同情はしない。
私としては頬だって腫れ上がってしまえとばかりに渾身の力で殴ったつもりなのに、そこまで至らなったのが悔しいくらいだ。
シェイドが口を割る気配はなかったが、代わりに私からの説明を受けたあと考え込んだ様子だったヴォルフが口を開いた。
「話を聞く限りでは、彼は『封じ逃れ』の魔法資質もちだな」
「封じ逃れ?」
「君も五歳くらいの時に魔法協会から『封じ』を受けただろう」
「ええ。魔法を暴走させないように、というあれでしょう?」
ヴォルフの説明によるとこうだ。
魔法の資質を持つ貴族の子供はすべて、幼少期に協会から魔法の『封じ』を受ける。そして魔法能力がはっきりと顕現する第二次性徴期を魔法が使えない状態で過ごし、十二歳で魔法学園に入学。そこで魔法の制御を学びながら徐々に封じを解いていくのだ。
つまり『封じ』とは、制御の甘い状態で魔法能力が覚醒して暴走、という事態を防ぐための処置なのだという。
ちなみに『貴族の』子供と限定されるのは、現在ほとんどの魔法資質保持者は貴族の血をひいた者だから。貴族に発現した特別な力を囲い込もうとしたのか、力を持ったものが貴族としてのし上がって今に至るのか、その辺りは諸説あるとのこと。
「魔力を持って生まれても、封じを受けない例外が大別して二つ。一つは婚外子。もう一つは突然変異的に魔力を持って貴族以外の家系から生まれた場合だ。つまりどちらも、協会がその存在を把握しきれないせいで生じる例外だな」
私はぽか~んと間抜けに口を開けてヴォルフの説明に聞き入っていたが、やっと我に返ることが出来た。
「ね、ねぇ、何だかヴォルフ詳しくない? 魔法に関わる知識は、通り一遍の事以外子供に与えてはいけないんでしょう? 学園に入るまで、自主学習は座学も含めて一切禁止と言われたわ。実際、家庭教師は全然そのあたりのことを教えてくれなかった。しかも魔法関連の書物には、子供や、大人でも学園出身者以外が読めないよう憎たらしい細工がされているじゃない」
「ああ、そうなんだが……。実は、抜け道がある。大人たちの会話からある程度の知識は得られるし、実は王都に行けば、少々の金銭で一時的にだが本からその細工を除去してもらえたり……」
私は大いにムッとしてヴォルフを睨んだ。
かつて好奇心を刺激されてこっそり父の書斎から魔法の原理に関する本を拝借して隠し見たら、とたんに気分が悪くなって半日ベッドから出られなくなった苦い思い出が蘇る。
「男って、そうよね。女は家にいるのが当たり前みたいな不文律を作って行動を制限して、自分たちは外で好き放題するんでしょう?」
「い、いや……そんな話ではなかっただろう……。今は、彼のことだ」
あからさまに話題をそらされて、私はシェイドに向き直った。もちろんごまかされてやろうなんて思ったわけじゃない。事がすんだら絶対にいろいろ問い詰めてやろうと心に誓っていた。
先ほどのヴォルフの説明のうち、突然変異的に魔力を持って生まれたというのは例えばゲームヒロインのことだ。
そして婚外子――つまり結婚によって結ばれた夫婦以外の間に生まれた子供の場合、協会の目を逃れる可能性がある。それがシェイドの事なのだろう。
「『封じ逃れ』か。……でも、貴族の血をひいているとわかったら、協会だって何か言ってきたりしないの?」
「もちろん、言ってきたはずだ。しかし、その子供が既に能力の制御に長けていた場合、協会側の封じが完全でない可能性がある」
「なるほど。……それで、例えば魔力がある子がそれを協会に申告せずに使用していたことがバレたらどうなるのかしら?」
「それが犯罪行為でない限りどうにもならない。協会に知られれば新たに強固な封じが施されるだけだ」
「犯罪行為だったら?」
「裁判にかけられる以外に、魔力を半永久的に封じられる」
私はバッとシェイドを見たが、シェイドが顔色を変えたような様子はない。
「精神を支配するような魔法ってある?」
「魅了の魔法だな。異性に対して効果が強く、相手が精神的に弱っているなどの条件があえば更に強く効く。言ってみれば自分をより魅力的に見せるというだけの魔法だが、魔力の高さと使いようによっては厄介だ」
それを私は、下手をすれば身を持って知るところだったわけである。
「シェイド、あなたその魔法をクリナムに使ったの?」
「いえ、本当に俺には何のことか……」
シェイドは殊勝げな顔をしてみせる。
ああ、もう、面倒くさい。
「拷問にでもかけるしかないな」
「真面目な顔で冗談を言わないでよ。……冗談よね?」
「さあ」
あれ? ヴォルフもちょっと面倒くさい?
いや、まあとりあえずヴォルフのことは置いておいて、今はシェイドだ。
彼は、まず間違いなく『封じ逃れ』だ。
しかしそうすると、私は一つシェイドに固定観念をひっくり返されることになるのだ。
ゲームのシェイドは、よりによってゲームヒロインにまで嘘をついている。
いや、嘘というか、実際には意図的な申告漏れというか。それって結構違うけど、後者なら許されるかというと余計あくどいような気がする。
とにかくシェイドがヒロインに語った過去の中に、『封じ逃れ』である自身のことなど影も形もなかったのだ。
そういえば、クリナムについての言及もなかった。
確かにこの『シェイド過去を語る』のイベント、結構初期のイベントだったとは思う。ゲームの中でシェイドは、ヒロインの気を引くために自分にとって都合の悪い部分を巧妙に隠した過去を語ったということだろうか。
つまり実際のところは。
「姉を味方につけようと魔法を使ったら、効き過ぎちゃったってことなの?」
ピクリ、とシェイドの身体が動いた。
正解か。
少し間が抜けているものの、これってやっぱりちょっと病的だ。
クリナムを味方につけようとするなら、多分健気に振る舞うだけで良かったのではないか。クリナムはもともとが優しい子なのだ。
多分、シェイドに水や食料を持っていったという行動はシェイドの魔法に関わらない、本来の彼女の行動だと私は思う。
なのにシェイドは、そんなクリナムを自分の魔法で支配しようとした。信じなかったというか、信じることができなかったというか。
女性不信――いや、別に同性なら心を許せるというわけでもないから人間不信か。人を信じない、信じられないというのはゲームのシェイドというキャラクターを構成する重要なポイントだ。
というか、彼のバッドエンドは基本的に、ヒロインを信じられないがための強い嫉妬や彼女を失うのではないかという恐怖心から起こる。ヤンデレのテンプレ行動かもしれないが。
「ヴォルフ、魅了の魔法を解く方法は?」
「永続的なものではないから、かけ直さない限りそのうち解けるだろう」
「じゃあ、クリナムが正気に戻ればシェイドの魔法についての生き証人ね」
「それは少しあやしいな。魅了の魔法の難しいところは、それが魔法の効果なのか使用者生来の魅力の効果なのか分かりにくいところだろう」
「ヴォルフ! 何でそれをシェイドの前で言ってしまうのよ!」
「いや。彼は自分の能力について多分一番良く分かっている。だから確実な方法というなら、少々暴力的な脅しをかけて彼に自白を促すことだと思うが……」
「却下!」
「では、あとは大人に任せよう。幸い、リーリア公は明日の朝にはこちらに来られる予定だ」
すごく嬉しい知らせだった。
執事を引き連れた叔父が部屋に入ってきたので、私たちは簡潔にシェイドの魔法について説明すると部屋を出た。
できるだけ叔父とヴォルフを同席させたくなかったし、私も叔父とはできるだけ顔をあわせていたくない。
そのあとは、私は一日中ヴォルフにひっついて離れなかった。いや、もちろん比喩だけど。
一人ではなく二人だということが、こんなにも心強いものなのかと感動した。
夕食の席にはついにランクラーツ家からはただの一人も出席がなかったが、それはそれで気が楽だ。
叔父がヴォルフに用意した部屋が私が使っている客間とは遠い場所なのが、なんだか遠回しな嫌がらせを受けているようで釈然としなかったが。まあ、何かあればすぐに走っていける距離だ。いや、何かあればなんて不穏なことを言うのはやめておこう。
とにかく私は、今日起こった嫌な出来事を思えば思いがけないほど心安らかに寝台に横たわった。
シェイドの力が判明したせいで、クリナムの豹変が本人のせいではない(と、言い切っていいのかどうかは分からないが、少なくとも彼女のせいだけではない)と分かったのが大きかった。大事ないとこと、時間をかければ和解できるかもしれないという希望が胸を満たしていたのだ。
何より、明日の朝になれば父がやってきて全てのことを解決してくれるというのも心強い。
全てのこと。
ただし、一つだけ私が行動しなければ解決しないこともある。
結局ヴォルフにも、叔父に言われた母の評については話せなかった。
ヴォルフは多分、父に聞いてみれば真相が分かると言うだろう。私が反対の立場だったらそう助言したはずだ。
けれど私は、はっきりとそれを先延ばしにしたいと考えていた。
言い訳がいくつも浮かぶ。
そもそも亡くなった人のことだ。結果的に亡くなった人の悪口を言うようなことになれば、父だって嫌な思いをするに違いない。
父は話好きな人だが、それでも母のことをあまり話題に出さないのは、やはり話したくないからではないだろうか。
「お母様の事を愛していた?」と私が聞いたら、父はどう答えるのだろう。
過去のこと。
ただ、私が気にしなければそれでいいだけのこと。
幸い、目をつぶると睡魔が押し寄せてきた。心だけでなく、やたらと歩きまわった身体も疲れていたのが幸いだ。
目をつぶったら、そのまま朝まで。
……というわけには、いかなかったのだが。




