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第五話

 翌朝。

 私はシェイドに特攻をかけた。


「おはようございます」

「は……? え……?」

「おはようございます」

「……おはよう、ございます」


 朝といっても、一応失礼にならない時間まで待ったつもりだ。

 シェイドは朝に弱いらしい。眠たげな眼差しで、招かれざる客を前に困惑している。


「突然ごめんなさい。でも私の中で、色々なことがこんがらがってしまって、私はもう何を――というか、誰の気持ちを優先すればいいのか分からなくなってきたの。だから、とりあえずあなたの気持ちを聞かせて貰いたいのよ。あなた、この家で叔母様から部屋に閉じ込められたり、食事を抜かれたりしたわね」


 私のマシンガントークに、一瞬呆けたシェイドは次にはっきりと胡乱げな、意図を探るような眼差しで私の顔を見た。


「それを……あなたは誰に聞いたんですか?」

「クリナムよ。それに実はちょっと、その可能性を疑っていたの」

「…………」


「あなたに私を信用しろとは言わないし、私や父が叔母と手を組んで、あなたを陥れようとしてるとか邪推されてもその疑いを晴らす手段がないわ。でもどうしても一つだけ答えて欲しいの。あなたが叔母からひどい仕打ちを受けても叔父にそれを話さないのはなぜ? 例えば私や父が、あなたをこの家から出して他に信頼の置ける引き取り手を探したとする。それはあなたにとって迷惑?」


()は……」

 第一声に私が驚いたので、シェイドはすぐに謝罪してきた。

「失礼。育ちが悪いもので少し気を抜くとこうなります」

「いいえ。別に、話ができるならどんな言葉遣いでもいいわ。丁寧な言葉づかいにあなたが慣れたいというなら付き合うけれど」

「では、お耳汚しの言葉が混じっても許していただきたい。俺は、あなたを信用できるひとだと思っています」

「……昨日会ったばかりなのに? あなたを疎んじている叔母の親類でもあるわ」

「でも、俺の親類でもある。いとこでしょう?」

「それは、そうだけど」

「少なくとも、この家には俺に『おやすみ』だの『おはよう』だの当たり前の挨拶をしてくる人間はいない。あなたのように俺と腹を割って話そうと考える人間も」

「じゃあ、聞かせてくれるの? どうして叔父に話さないのか」


「そんな、大した理由があるわけじゃありません。単に言っても無駄だというだけで」

 シェイドはどこか冷めたような声で淡々と言った。


「あの人が興味があるのは花のことの他には、俺の目の色のこと。それだけだ」

「目の色? 確かにあなたの目は変わった色をしているけど、お母様からの遺伝なの?」

「『お母様』なんて言われると、誰のことかと思いますね。……母は普通の、茶色の目をしてました。父いわく、これは父にとっての祖母。つまり俺にとっての曾祖母からの遺伝だそうですよ」

「曾祖母……? ああ、あの(・・)

「御存知ですか」

「あなたにとっての父方の曾祖母は、私にとってもそうだから。私が物心つくまえに亡くなったので、直接は存じ上げないけど。でも、すごく逸話の多い方なの。当時の国王陛下に求婚されて袖にしたとか。そういえば、変わった目の色をしていたと聞いた気がするわ」

「リーリア公爵家には、かつては髪か目に赤い色を持つ人間がたくさんいたそうです」

 なるほど。私のクローゼットを埋め尽くす臙脂色の謎がとけた。文字通り一族のイメージカラーみたいなものなのだろう。

 朝日の中で見るシェイドの瞳の濃い赤色は、確かに臙脂に近い発色だ。

「叔父様はそれにこだわっているのね。貴族にはたまに『先祖代々』が死ぬほど好きな人がいるようだけど、叔父様もその類なのかしら」

「あれはほとんど病気ですね」

「たとえ病的にしても、自分の家庭の中で問題が起こっているのを看過する理由にはならないと思うけど。とりあえず話してみたらどう? 叔母様を刺激することにはなってしまうでしょうけど……」

「話しました。そして、言われました『少しの間耐えてくれ』」

「……え?」

「『いまは妻も周りが見えなくなっている。でも、すぐにお前の価値に気がつくはずだ。それまで少しだけ耐えてくれ』」

「そう、言ったの? 耐えろ? それが、妻に虐待をされている子供を前に父親が言う台詞?」

「少なくとも、ナーシサス・ランクラーツの場合は」


 私は頭を抱えた。

 昨日久方ぶりに再会した叔父への私の好感度グラフは、右肩下がりに急降下を続けてとどまるところを知らない。


「もう、いいわ。叔父を頼るのはやめましょう。私が父にこの話をしても、あなたは困らないのね? では、すぐにも父に話してくるわ」


 私のこの行動は、クリナムにとっては裏切りだろう。彼女が私への友情故に胸の内を打ち明けてくれたのだと思えば、心苦しい。とはいえ、虐待の被害者がいる以上、黙って見ているというわけにはいかないではないか。

 私は脳裏に浮かぶ昨夜のクリナムを振り切るように、意気盛んに父のもとへ向かった。

 しかしこれを運命のいたずらと呼ぶべきか、そう簡単に事は運ばなかったのだ。


「え? 今朝のうちにここを発った?」


「はい。まだ朝日が登る前でした。王都から使者がいらして、急なお仕事が入ったとかで。お嬢様のことをご心配されていましたが、起こすのは忍びないとお一人で出立されました」

 恐縮した様子の執事さんに説明されて、私はしまったと額に手を当てた。

 父が急な用事で王都に向かうことはまったく珍しくない。しかしそれがよりにもよって今朝もだなんて、ずいぶんと運が悪い。


 私はすごすごとシェイドの部屋にとってかえすことになった。


「ごめんなさい……。仕事が終わり次第またこちらに来ると言っていたそうなのだけど……。とにかく私、叔母様があなたに何かしようとしたら全力で阻止させてもらうわ。だからもう少し待ってくれる?」


『もう少し待て』だなんて、叔父が言ったような言葉を繰り返すのは嫌だったたが、シェイドがこちらを元気づけるように頷いてくれたのが救いだ。

 私はそれだけシェイドに告げると、逃げるように部屋を後にした。もちろん、迂闊にシェイドの部屋に出入りしているところをクリナムに見つかったりしたら目も当てられないからである。

 幸い、メイドさん曰く彼女はまだ部屋にいるようだ。


 朝食の席でクリナムに会うのも気まずいので、お腹がすいたと訴えてさっさと一人で朝食をいただくことにした。

 人様の家でこんなわがままもどうかと思うが、背に腹は変えられない。


 しかし運命はまたも私に優しくしてくれなかった。

 朝から花の世話をするのが日課だというナーシサス叔父と朝食の席を共にすることになってしまったのだ。


 焼きたてのパンが並ぶ食卓は魅力的で、自分の家とは違う味付けのスープも悪い味ではなかった。

 これで目の前に座るのがお父様かヴォルフ&ラナンクラ公とかなら最高なのに、と、考えてしまう私に罪はないはずだ。

 叔父はどこかごきげんな様子でしきりと話しかけてくるのだが、私の返事はついついおざなりになってしまう。

 ここで私が叔父に探りを入れてみるというのも手だが、もはや私は完全に叔父を頼る気をなくしていたのである。お父様に頼むほうが絶対いい。そう感じていた。


「リコリスはいつもこんなに朝が早いのか」

「いいえ、昨夜は少し早く寝たので。……叔父様こそ早いのね」

「花の水やりはどうしても早朝のほうがいいからね。軽く朝食を食べてしばらくしたら仮眠をとるよ」

 本当に、叔父の生活は花を中心にすえて回っているようだ。

 私はしばらく叔父の園芸談義に耳を傾けた。

 心は踊らないもののそれなりに平和な時間が過ぎて、私がデザートに手を伸ばした時のことだ。叔父が特大級の爆弾をこちらに投げつけてきたのは。



「ところでリコリス。君、うちの子と――シェイドと結婚する気はないかい?」



 ここにきて叔父は、どうやら宇宙語を話し始めたようだ。



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