第三話
叔父に続いて入ってきたのは、従姉妹のクリナム。なぜか彼女だけだった。
「カフィル……実は、妻が部屋から出てこない。君がなだめてやってくれないか」
叔父がなかなかに情けないことを言って、父を連れて行く。
残された私たちは互いに顔を見合わせて苦笑した。
「こんにちはクリナム。お久しぶり」
「ええ、リコリス。いつもお手紙をありがとう」
にこやかに挨拶をしながら、私は彼女の変化に驚いていた。
背が伸びて、体つきが女性らしく丸くなった。けれど太ったというわけではなくて、ウエストや手足は相変わらずきゅっと細い。肌が非常に白いせいで濃かったそばかすは随分と薄くなって、おそらくもう数年も経たずに消えてしまうだろう。髪につけている香油が、甘く香った。
叔父は共に暮らしているせいで分からないのだろうが、以前に会った時と比較すれば、私よりもずっと彼女のほうが大人びた。多分そういう年齢なのだ。
「クリナム、しばらく会わないうちにすごく綺麗になったわ」
「えっ?」
「もとから美少女だったけど、美女に近づいた感じというか」
「褒めすぎだわ、リコリス。あなただって随分大人びた。あなたは昔からつり目を気にしていたけれど、輪郭が子供らしく丸かったから目立ったのね。あなたはすごい美人になると思う」
クリナムこそが、明らかに言いすぎだった。多分、私の顔は赤い。
そうこうしているうちに、父にエスコートされて叔母がやってきた。流石の父の手腕というか、ずいぶん素早い。
クリナムと叔母は、並ぶと本当にそっくりだ。
「こんにちはリコリス。今日はクリナムを心配して来てくださってありがとう」
少し弱々しく微笑んだ叔母に、私は内心申し訳なく思いながら「いいえそんな」とか返しておく。
『クリナムを心配して~』というのは父がそう説明したのだろう。確かにクリナムのことは心配だったが、実際の所私がここに来た理由の大半は『シェイド』に会ってみたいという思いのためだ。
こうやって一つのことに向けて猛進する時、人は他者への思いやりの心を忘れるのかもしれない。反省しよう。
さて、その『シェイド』はどうしたかというと。
彼はこの時も、その後晩餐の席にも顔を出さなかった。
彼が晩餐に出てこない理由は、叔母曰く。
「礼儀がなっていませんから。こういう席には出たがらないのです」
これはまあ、大いに有り得ることだと思う。食事に礼儀を求めるのは上流階級だけのことで、かく言う私も幼い頃から当然のように叩きこまれたのでなければ、ややこしい食事どきの所作を会得できたかどうか怪しいものだ。
それにしても叔母の言葉には、やはり切り捨てるような冷たさがある。叔母が私たちの前に出たがらなかったことを考えても、義理の息子への思いは複雑そうだ。当たり前のことだが。
対して叔父の言。
「そうだ、リコリス。良かったらあの子にマナーを教えてやってくれないか? 少し人見知りをする子だが、同年代の君には心を許すだろう」
叔父様、『人見知りな子』がいきなり現れた親類の女に気を許すと信じるのは、相当なポジティブシンキングだと思うの。子供同士なら全て上手くいくなんてことはないのよ。言わないけど。
クリナムは、晩餐の間中とても静かだった。正直な所、私はクリナムが弟のことをどう思っているのかとても気になっていたのだが、さすがに直接尋ねることはできない。
そして晩餐の後。
やっと私と父は叔父に連れられた『シェイド』と対面することになった。
シェイドは、天使のように愛らしい子供だった。
くせのある金褐色の髪が柔らかく頬をふちどり、瞳の色はもっと濃い茶色……と思ったのだが、よく見ると茶というより赤みがかっている。
肌は透けるように白くて、頬は薔薇色。男の子に本気でこんな描写をする日がくるとは思わなかった。
ただ、身体つきが随分と華奢で痩せていた。
同年代の男というと私はどうしてもヴォルフを思い浮かべてしまう。最近とみにたくましくなっている彼はあまり比較対象には適さないだろう。でも、それにしても細い。幼少期の栄養状態が悪かったとかだろうか。
「この子がシェイドだよ。シェイド・ランクラーツ」
叔父の言葉に呼応するように、例によって、私の頭に情報が溢れた。
シェイド。ゲームの中ではヒロインと同じ魔法学校の五年。つまり十六歳。今の彼とは似ても似つかないくらい大人びて、男性的な容姿が脳裏に浮かぶ。ゲームスチルの中で彼は、快活に、もしくはどこか蠱惑的に笑っている。
ヴォルフガングの女嫌いと相反するように、シェイドは女好きのキャラクターだ。ただし、彼の女好きにはちょっと問題がある。積極的に女を誘って、甘い言葉をかけることを楽しんで、――そして突き放す。じゃあ女が嫌いなんじゃないかとも思うのだが、嫌いなだけなら近づかないだろう。つまり愛憎を抱えているわけである。
明るく社交的で、上手に嘘をつく。頭のいいキャラクターだ。
彼の母親は娼婦。父親はさる貴族。母親から引き離されてすぐに、義母からネグレクトを受け、なんとか抜けだして母親のいるはずの夜街にたどり着いてみれば母はすでに新しい男と逃げていた。そんなつらい過去が――って、ちょっと、ちょっと待って。
この場合の父親はナーシサス叔父のことであるはずで。つまりこの子は叔母様から虐待を受けている?
「シェイド、彼女が君のいとこ。リコリスだ。隣はリーリア公で、私の義兄。よく見てくれ二人共。この子の目には赤い色が入っているんだよ」
この、のんきな叔父が家を開けている間。ああ、多分園芸品種の物色だか買取りだかに行っている間に?
ひどいことは、もう既に起きている。
それも、思った以上に私に近い所で。
「公爵様。リコリス様。どうぞよろしくお願いします」
彼は――シェイドは細く小さな手で不安そうに胸元を握りしめながら、それでも精一杯笑顔を作ってこちらに頭を下げた。相手の身分に恐縮し、それでも精一杯の礼を尽くそうとしている少年。そんなふうに見えた。
本当の心の内は、外から見ても分からない。




