第8話 身近な世界の話
旅はつつがなく進んだ。特筆すべきことといえばラウールとルナが非常に優秀かつ気の良い従者であること、また悠はルナと仲良くなったことだった。
ルナは料理洗濯繕いものまですべて完璧であるうえ、腕っぷしもそこらの男より強く魔物を相手に慌てることなく対処できる度胸も持ち合わせていた。
途中グリズリーに出くわしたが、ラウールがおとりになって獣の気をそらしている間にルナの斧が獣の脳天をかち割っていた。
獲物に対しては鬼のような形相を見せていたが普段は気のいいおしゃべりなどこにでもいるような娘だった。
「あたしのこの斧は父さんから譲り受けたんだよねぇ。父さんひょろひょろで弱っちかったから私の小さいころ魔物に襲われておっちんじまって。斧も近所の男どもに持ってかれそうになったんだけど、父さんの形見だからって何とか残してもらって。これをふるうことができるぐらい腕が太くなるころには男どもは誰も何も言わなくなった!あはは!」
あっけらかんと話すルナであった。細い体に似合わず筋肉のついた腕や足はたくましかった。
大所帯になったため、夜はルナと悠で食事の支度を、その代わり見張りは男たちの交代となった。悠は簡単な調理や食材についてルナによく習い、熱心にメモを書き留めた。
その様子をルナは感心したように眺める。
「ユー、食材も調味料も調理方も、なーんにも知らない割には文字の読み書きは自由自在なのね。みせて、あはは読めない!これは西方の文字とも東方の文字とも違うのね。」
ルナは、名前と、簡単ないくつかの単語しか読めないし、書けないそうだ。
「そうね。私は何もしらないから、なんでも新鮮。小さなことでも何もかも覚えておきたいの。」
と言って悠は舌を出す。この世界についてから何もかも珍しく、興味をそそるものばかりで、書き物をする量が大幅に増えた。
「でもさ。でもさ。ユーって、お貴族様…じゃあないよねぇ?そんな感じしないけどなんか品があるっていうか、いろんなこと一発で覚えちゃうし平民って感じもしなくて不思議な感じなんだよね。何者?」
といぶかしがるルナに、悠は
「何者…。でもないただの一般市民。ただ、料理も旅も、魔物に出くわしたことすら、向こうではなくて、何もかも新鮮だよ。」
「料理しなくていいってどんな世界よー!!!うらやましすぎる!手もきれいだし日にも焼けてない。でも実際、お貴族様!って感じの作法もない!あはは!食事手づかみも野原でのおトイレも、全然ひるまないし!」
「う…るさーい!どうせ野蛮人ですからねっ。それはともかくさ、さっきのしょっぱい調味料とか教えてくれる?原材料は…豆?どうやって作るんだろ。」
悠が尋ねるとルナはめんどくさそうに吐き捨てた。
「ええぇ。またそれぇ。もういいじゃんどうでも。作り方なんか知らんわ。」
ずいずいっっと悠のそばに這いずってくる。
「それよりさ。恋バナしようよぅ!
「え。ええ?」
戸惑う悠を置いてけぼりにルナは夢見るように手を合わせた。
「素晴らしい殿方が二人もいるこの状況万歳よだって。ノワティエ公のお屋敷はね。案外訪問者が多くて、私何度も道案内差し上げたけど!!こんな素敵な方のご案内をしたのは初めて!」
「す・・・ステキナカタ。」
「バリュバル様!男らしくて優しい方っ。グリズリーのときに実はちょっと腕を痛めたんだけど、さりげなく重い方の荷物持ってくださったの!気づいてくださってたなんて。」
もはや悠が聞いていようがいまいがどうでもいいのだろう。夢の世界で祈るように目をキラキラさせて語るルナ。
「でもね。あの方はダメ。所詮行きずりの旅人だし、魔の国の方は困るわ私。」
「そ…そう。」
何が困るのかさっぱりわからないが口を挟める雰囲気ではなかった。
「私はエルフィール様がもんのすごっく気になるわ。あの銀と青のさらっさらの御髪!手入れを欠かしたことなんてなさそう!お優しそうな微笑み。お付きの方もスラッとして美しいわぁ。」
「お付きの人ね。リィンさん、時々いなくなってどこからもなく出てきて謎よね。」
「そうねでも。従者はどうでもいいわ。」
そう。エルフィールは大変に美丈夫だ。旅をして分かったが、出会った時の激昂した様子はちらとも見られることはなく、穏やかで理性的な風貌で世情や地理に知識豊富だった。ただ、日常生活では水汲みに行ってほとんどこぼして帰ってきたり野菜の皮がうまくむけず野菜が可食部半分くらいの大きさになるハプニングはあったが、頼めば嫌がることなくさわやかに引き受けてくれる。
「ユー、ユーってば、聞いてる?何かの折に、エルフィール様に奥さんがいらっしゃるか聞きましょ?!私の予想ではおっとりしてらっしゃるからきっと捕まえ損ねてるわ!」
ぼんやりした悠の腕をつかんでぶんぶんと振り回すルナは真剣そのものという表情で、悠にはまぶしかった。
「私はそこまで興味は・・・。そんなことよりお仕事とかを探したい・・」
「はぁ。何言ってんの??!お仕事探しながらでも恋はできるでしょう?!」
「そうですかね。」
「人は恋をするものよ。」
「ソウデスネ。人は恋もするものデスネ・・・」
※※※
「妻?いませんよ。」
エルフィールの代わりにリィンザエルと水桶に水を汲みに悠と川へ行く道すがら、悠は尋ねてみたら、あっさりと返された。
「奥方なんていたら1週間と持たずに四角に折りたたんでぺいっと放りだされてたでしょうね。あのお坊ちゃまは。よく言えば興味の幅が広いので熱狂したらしばらく一途なんですがあきっぽいし金遣い荒いし自分のことも面倒みれなくなっちゃうし。生活がクズなんですよね。あのボンクラ王子は。」
「あ…ああ。なかなかの言われようですけど、わからないでもないような気もします。」
あの調子だと生活はなかなか大変そうだ。
「普段は数日に一遍お掃除に来てくれる使用人もいるし問題はないですが。」
ふぅ、とため息をつくリィンザエルだったが、思い出したように身体ごと悠に向き、「失礼」と断ってから、悠の左腕に軽く触れる。
「ゆう殿。心から忠告させていただきます。」
一旦言葉を切って悠の目をまっすぐ見ていった。
「あの男はやめておき…「あ。そういうんじゃないです大丈夫。」」
最後まで言い切る前にかぶせるように強く言われた言葉にリィンザエルはえっ、とぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
静かな森のなかにはほぅ~、ほぅ~と鳥の鳴き声がかすかに響いていた。
「…よかったです。」
道の先に絡むつたを手袋をした手でやすやすと引きちぎり道を開けながらリィンザエルは遠い目をした。何かを言いよどむように口を開いては閉じるがしばらくしてやはりいうことにした。
「あの方が生まれる年に、西方戦争が終結しました。しかし軍部で指揮を執ってらした御父上が帰ってくることはついになく、お母上もあの方を産むと同時に亡くなられました。幸い年の離れた兄上がお育てした、と言っても過言ではないくらいしっかりとご教育あそばされたので裕福なお家だったこともあり不自由はなかったと思います。ただ、兄上はあまりにも素晴らしいお人柄で人間出来てらっしゃるのに対し、エルフィール殿は小さいころからぼんやり…というかおっとり、というか浮世離れした子供だったような思います。そのうち気の向くままふらふらといくつかの学園に入学しては退学しを繰り返されてたと思ったら「占い師になる。」と家を出ておしまいになりました。まったくもって考えなし…いや自由な思想の方で…。」
「占い師…というのは職業として成り立つんですか?」
「どうでしょう。占い師と言ってもピンキリです。協会に所属すれば能力は保証されているのでそれなりには、ですが彼は協会に所属したくなかったんでしょうね。ずっと前からごねてましたが自由がなくなるのが嫌だったのだと思います。最近観念したみたいですが。そもそも協会に所属できたのが驚きです。私からすれば、力はあると思うのですが能力の発現にムラがありすぎます。女性のように月のものに左右されるわけでもないでしょうに。」
その後も覚えはいいのにすぐ飽きて学ばない、とか依頼をえり好みしすぎてどうせ儲かってないに違いないとか愚痴がとめどなかった。
先日のエルフィールから歴史について学んでいた際の意味深な表情の意味を聞きたかったのだが、どうやらそんな空気にはならなそうだった。
永遠に続きそうな愚痴を聞き流し、悠は水桶に水をためリィンザエルに手渡した。




