第46話 記録とレヴィル
悠は夢から覚めた後、とある人物を探していた。
「あれ、悠……さんでしたっけ?もう大丈夫です?」
王都の諮問官、レヴィル・メールロである。
王都で編纂されたダナン領の記録を見たい。
それをレヴィルに伝えると、レヴィルの、それまでのニコニコした表情が一変した。
「記録を、みたい?……ただの留学生のあなたごときが?王都の機密情報を?思い上がらないでくださいよ。」
ほほ笑んでいるのに、目は笑っていない。
悠は、一瞬怯んだ。
「……申し訳ありません。一介の留学生ごときが、というのは分かります。事実、私はただの留学生です。でも、ジャイルーン様にも関係するような気がするんです……。このままだと……。
誰にも漏らさないし、漏れたら罰していただいてもいいです。お願いします」
沈黙が部屋を支配する。
「……いいでしょう。そこまで覚悟があるなら」
ホッとする悠。
もうレヴィルに先ほどの冷たい笑みは無かった。それどころか右斜め上に目をやって動きを停止させている。後頭部がかゆいかのようにぽりと頭の後ろを掻いてむしろ困ったような表情で静かに戸口の方に振り返った。
「あの……そこの戸口の影で殺気だすのやめてもらえません……?エルフィール様」
結構するどいなとエルフィールは思ったが口にはしない。
「悠に危害を加えるなら容赦しないけど」
「こわ……」
大袈裟に肩をすくめるレヴィル。その様子を横目で見ていたエルフィールはため息をつく。
「……レヴィル、お前、試したな。」
「当然でしょう。記録は神聖なものです。生半可な覚悟で見たいとか言われても困りますよぉ」
レヴィルはにこりと笑う。
「ただし、これはただの忠告ですが。 記録をみることにそれなりの代償がともなうかもしれないことだけは、知っておいた方がいい。
いえ、何かをよこせというのではありません。
記録はときに血より重い。読んだ者は、責任の重さで潰れることだってある。 知ったものの責任。
……まぁ不思議な目を持つ、あなたは、それを誰よりも分かっているでしょうが?」
※※
自室に戻った後、レヴィルは一人考える。
はてさて。あの女は何者だ?
妙に強い目をする。
迷い、覚悟。彼女にとっては一領地の他人事にすぎない。
なのに、まるで何かの使命を果たそうとするかのような考えをする。
そしてあの目。
彼の魔力は倒れた悠の力を正しく感じ取っていた。
レヴィルは1年ほど前に王都で預言された言葉を思い出す。
その者、真実の目を持ち、断罪の時を刻み多くの人間を混乱にいざなう、と。
王の代がかわるときはいくつかの予言が出るものだ。
まぁ正直、当たるものもあれば当たらないものもある。
しかし。
「混乱……」
そもそも、留学生だと?王都への留学生の名簿は一通り見た。レヴィルは王都で編集される全ての記録に一通り目を通す癖がある。
しかし、「ユー」という名に、覚えがない。
ユーディア?ユーフィア?いずれも記録にない。
レヴィルは彼女のことを王に報告すべきか迷う。
報告、するかしないか。
するとするなら、時期は慎重に選んだ方がよさそうだ。
「エルフィール様。六家の長のいとし子様。あなた、なんて「もの」に惹かれたのでしょうね」
クックック、と思わず笑いが漏れる。
楽しい。
あの女の不気味さの秘密も。あの坊やの弱みも。
レヴィルは先ほど悠に渡した資料からこっそり抜き出した一枚を手に取る。
内容には何の関係もないただの表紙だ。しかし、記録を申請し取得したものの名前が記載されているのだ。それを見られるのは大変都合がわるい。
申請者:エル・セラヴィ。
そう、彼の本当の名前はレヴィル・メールロではない。
厳密に言えばエル・セラヴィでもない。
王都の諮問官:レヴィル・メールロ。
古神教の大神官:エル・セラヴィ。
彼はいくつもの名前を使い分けていた。
本当の名前は誰もしらない。
記録院に住まう悪魔。そうささやかれる存在。
もしかすると王すらその名前を知らないのかもしれない。
彼は記録を愛する。長年ひそかに活動してきて、ようやく王都にもまともな記録の必要性を認識させることができた。にもかかわらず一向に記録院の業務ははかどらないのだ。
この世界には何でもかんでも闇に葬りたがる魑魅魍魎が多すぎる。
今回のダナン領への訪問も、洗礼は表向きだ。
この地の記録は曖昧過ぎる。
これこそが、レヴィルが記録院の長でありながら自らこの地へ赴いた理由だった。
その使命に対して、あの目は使える。
記録院の業務を一気に10年分ほども躍進させることができるかもしれない。
加えて、エルフィールのあの様子。風来坊のようにふらふらとしながら占い師として上流階級への伝手も六家への影響力も捨ててないあの坊やを動かせそうな弱み。
新しい政権に対してとても良い切り札を持ったような気がする。
自分の周りには今、二重によい風が吹いている。
この瞬間、神に愛されているのだと確信したかのように、笑いが止まらないのだった。
※※
悠は記録を読む。
もうすべての文字が滑るような速さで頭に入ってくる。
自分の才能が怖い。向うの世界でこの才能が有れば……。と苦笑するぐらいに。
「何この記録……何も書いてない」
腹立ただしいことに、魔の民に関することは1つも書いてない。
飢饉が起きたこと。餓死者が多かったこと。
テロメアの出自も地方豪商ダリルの娘としか記載はない。
テロメアの子供についての記録も、ない。
ただ1点、テロメアはクツ王歴(悠にはよくわからない年号だ)125年、王都に出向く途中、山賊に襲われて死去。侍女のアンナは行方不明。
アンナ。テロメアの夢に出てきた元気な女性。そしてテロメアの娘ジャイルナ。
ジャイルーンの思い出話。母のアンナは――。
アンナ。
ジャイルナ、ジャイルーン。
そんな偶然の類似は無いではないか。
もう夜半、静かに冷え込んできた。寒くて寒くて、足が震えている。
悠はベッドで毛布をかぶった。
そうすると。
ジャイルナがダナンとテロメアの娘のジャイルーンだとして、サナニエルとは……。
「従兄弟じゃない……?」
加えてジャイルーンは魔の民のテロメアの娘なのだ。
ダナンとテロメアは天の民の子孫でテロメアは魔の民なのだ。
それじゃサナニエルとジャイルーンは?
あれ?
ほどけた組みひもが結いなおされるような感覚。
親子二代にわたって同じにしか見えない。
そうか、ジャイルーンは髪と肌の色が魔の民のものではないから気づかれないのだ。
ダナンが最後にかけた魔術。
見事に成されている。ただ、なされている故に自分の子供にすら気づかれていない。
二人とも気づいていない?
少なくとも夢で見たあの中では。
では今は?彼女のお腹に宿った子供は……。
そういえば以前の、サナニエルの、ジャイルーンを異常に気遣う様子。あれは必死な目だった。夢でサナニエルの視点を覗いた今、悠はほとんどサナニエルとの距離感を失っていた。ジャイルーンを守らなければいけない。何が彼をそんなに駆り立てたのだろう。
悠は、冷たい風がどこかから吹き込んできているのに気づいて窓をみた。
上部の天窓が1つ空いている。
それを垂れた紐を使って上手に閉めると、ため息をつく。
冷えてきたのは体か、それとも……。




