第43話 とまどい
部屋の外から少しだけ、針一本分くらいの隙間を開けて、悠とバリュバルの様子をうかがったものがいる。
隣の部屋から声がしたので食べ物でも差し入れようかと、盆を持ってやってきたエルフィールである。
しばらく様子をうかがっていたが、そのままふらっと、元いた部屋へ戻る。
盆を抱えたまま。
そのまま1階ほど降りて、自分の部屋へ戻る。
眠くない、と訴える身体を無理やり眠りにつかせようとするが、上手くいかない。
安眠作用のあるお茶を入れて飲むが、どうにも、砂のような味が混じっている気がして、気分が良くない。
翌日、何事もなかったように食堂に赴くと、リィンザエルと、バリュバルの従者のルイがボードゲームに興じていた。
この二人は意外にも仲がよい。リィンが複雑なボードゲームのルールを教えながら進めているようで、ルイはふむふむ、と応答しながら時々的確な質問をしてリィンをうならせていた。
世情にも政情にも疎いリィンが、魔の民に接しても平静としているのに対して、ルイもなかなかのものである。リィンは見た目穏やか、中身悪魔、の典型ような男なので、時折、「それは、愚かな手」とか、「なぁんでそうなるだ。お前の頭は麦わら帽子か」とかわけわからない罵倒をしている。
女性には絶対にしないが、素が出ると、そうなるのである。
自分なんて小さいときから何度メタクソに言われたか…。
しかし、ルイは「なんでそんなこと言うんですかあ」とか「ひどい、リィンさん」とか素直に言い返して喧嘩している。
やりあいながらも、なんだか楽しそうだ。
そんな二人を後目にオーツミルクのコーヒーを飲み終わったエルフィールは、ぼうっと窓の外を見る。
「なんだ、ぼーっとして」
リィンザエルが呆れたように言うが、エルフィールは一瞥もせず「ほっといてくれ」とひたすら窓の外を見つめる。
雨が降っている。
何も考えたくなかったエルフィールだが、ふとリィンとルイの会話に気になる単語が出たような気がして、思考機能が戻ってくる。
「悠さん、昨日倒れたって。大丈夫ですかね」
いつの間にかリィンの隣に男が一人座っている。
銀縁の眼鏡をかけた黒髪の男である。年は25,6くらいだろうか。目を向けると、男は席を立ち、エルフィールの方に一直線にやってくると、優雅な礼を取った。
「エルフィール様ですね。甥御様、サナニエル様とジャイルーン様の、お子の洗礼式のためにやってまいりました。レヴィル・メールロです。レヴィルとお呼びください」
脇に分厚い紙の束を持っている。聖章が首にかかっているのを見てエルフィールは鼻を鳴らす。国教になるとはいえ、あまりに急でよい印象は無い。
「ふん、古新教の神官か。どうして調査書を持っているんだい」
レヴィルは、ああ、と照れたように笑う。
「洗礼式ともう一つ、王都より任務を仰せつかってきました。この魔の森周辺の調査です。このあたりは王都から遠い。こんな機会でもないと中々危険な魔物の調査など行き届きませんので」
ニコニコとレヴィルは言うが、エルフィールは冷めた目だ。
なにが魔物の調査、だ。
新王朝で税徴収のために諮問官を派遣して実体調査を行っていることは知れ渡っている。
洗礼式など名ばかり。実際は税調査だ。
そんなことを思いながら、エルフィールは冷めた口調で問いかける。
「悠が、倒れた?」
「はい。ダナン様のご使用になられていた夏離宮に飾ってあった絵に触れた途端、気分が悪くなったようで」
昨日のやり取りに合点がいった。
しばらく考え込むエルフィール。
リィンザエルに尋ねる。
「リィン、水晶持ってるか?」
「小さいのなら…。なんで占い師なのに持ってこないんだよ…。どうした?」
「占いだよ。悠の目の力を…みる」
リィンの取り出した水晶で早速エルフィールは水晶に力を籠める。
悠の力を見ようとした。水晶が小さいので、軽い占いだ。正か邪か。その二択しかないような。
しかし、力を込めたその途端。
ぱんっと音を立てて、水晶は割れた。
異様な音に周囲の視線が集まる。
――同じだ。私の力を見たときと…。
エルフィールはひそかにため息をつく。
「バリュバルさん、あなたに悠を守れますか……」
耳ざとく聞きつけたルイが不思議そうに問う。
「主がどうかしましたか?」
「……いえ、なんでも」
「 最近の主様はいつにもまして変で、心配になります。エルフィール様にご迷惑をおかけしてないです?」
「……何も。彼は大切な友人だし、学ぶ事が多いよ。
……そうだ。どうしてあんなに博識なのかな、彼は。是非聞かせてほしい」
「はぁ。どうでしょう。私も数カ月ほど前にお会いして、その力に、ほれ込んで金魚の糞してるだけなんです。実は。あはは」
ルイの明るい笑い声が食堂に響く。
「でも、最近ちょっとほんとに変なんだよなぁ。主様」
独り言のようにつぶやき、ため息を付くルイに、思わず首をかしげるエルフィール。
「なぁんか、あんなに女の尻ばっかり追いかけてたのに。さっぱりやらなくなって。遠くを見つめてため息ばっかり」
エルフィールは一瞬、息を詰めたものの、すぐに明るい顔を作って笑う。
「あはは。彼。女性が大好きだよね。
……どんな子がタイプなんだろう。
……例えば友人の悠みたいな可愛らしい女性かな?」
「まさかまさか。主様の好みは真逆ですね。
頭軽そうな、バストと尻に全部栄養入ったような、そんな女性が好みです。
顔と体が激烈にいいから、そういう女性がめちゃくちゃ寄ってくる、ってのもありますけど……」
ぶっ、と吹き出すエルフィール。
「へぇ。で、最近はさっぱりなんだ」
どうしてだろう。あまり愉快な気持ちになれない。
エルフィールは、つい、レヴィルにこう聞きそうになった。
――王都の記録院に、バリュバルという名の男の記録があるなら持ってきて。
しかし、すんでのところで我に返る。
友の秘密を暴いて何をしようと…?
どうしてこんなことを考えてしまったのか、自分でもよくわからないエルフィールだった。




