第37話 ダナンの回想ー1
悠は記憶の中で一人の男の回想の追憶に巻き込まれていた。
ダナン領の前領主ダナン・ノワティエ公は、敬虔な古神教の信者であった。彼の中には、はるか昔東の大陸から渡ってきた精霊の民、オリアルラの血が流れている。オリアルラの民を祭る古新教に傾倒するのは当然の流れだった。
それと同時に神学者でもあった。彼は学を愛し、記録や歴史を見つめなおし、今の生活に生かす、いわゆる実践科学のような考えをとても大事にしていた。今も、長く続く魔の民と精霊の民の争いがようやく終わりの兆しを見せた今年、領地の作物改革を目指すべく作物の取れ高の記録を見返している。
ー今年は取れ高が少ない。
領地の穀物蔵を見てダナンは驚く。去年の3分の1も埋まっていないからである。
原因の一つは寒冷・長雨である。長く続いた雨、それによる冷夏はこの地方の作物に、静かにだが確実に影響を与えつつあった。
「兄上、少し、散歩をしてきます。」
ずっと穀物蔵と記録を手元でにらめっこしていた彼は兄にそう告げると、供の、銃の腕の立つ少年を一人伴って屋敷を出た。
屋敷を出て西へ小さな小川をたどってずんずんと進んでいくと途中切り立った崖に阻まれた離れ地、そしてそこを超えたところには彼のお気に入りのポイントがあった。
歩きながらも彼は思考を止めない。
寒冷・長雨とは言ったものの、それまぁ、まだいい。そんなものはここ近年ずっとだ。問題は長く続いた魔の民との抗争の余波で領地の東に広がる畑が踏み荒らされ、略奪に合うことが多くなってきたことである。
この南の地は争いの本陣ではないが、北にオリアルラの大領地を持つため、北からの戦民が、街道を経由してよくこちらに流れてくる。彼ら戦民というよりは落ち武者のような有様で、乱暴で粗野で、たいてい村人に狼藉の限りを尽くし畑を踏み荒らし作物を奪っていく。
つい先日も朝になるとマイン婆の畑が踏み荒らされ作物は綺麗さっぱり消えていた。そのときの婆の悲しそうな顔。思い出すとはらわたが煮えくりかえるほどの怒りで、ダナンは思わず草を乱暴に音を立てて踏みしめ急ぎ足で崖の向こうへ向かった。
いつも気持ちの良い風が吹いている海岸。このあたりは魔物も少なく、思考をクリアにするには絶好のポイントである。波の音を聞きながら新しい建設的なアイディアを考えるのである。
しかし、今日はその海辺の様子が違っていた。
海岸にはあたり一面様々なものが散乱していた。木片、割れたガラス片、そして人間…。
「どうしたことだ…これは…。」
ダナンは思わずつぶやいてあたりを見回す。
それは船の残骸であった。
そうか、先日もまた、ひどい嵐であった。どこぞの航海船が難破して打ち上げられたのか。
大変なことになった。さすがに救助せねばなるまい。ただ、嵐は2日前である。
ひとまず手近に転がっていた人間から確認しようと思いうつぶせになった体を回転させ、ダナンは息をのんだ。
人形の様に美しい顔をした少女であった。桜色であっただろう唇は今は青ざめ色をしているが、頬はふっくらし固く閉じられて目には長いまつげが見える。
しかし、同時に気づく。漆黒をさらに炭で塗りつぶしたような黒い直毛の髪の毛、濃い眉、抜けるような白い肌。すべての特徴が彼女が魔の民であることを示していた。
改めて周りを見回すと倒れ伏している者たちはほとんど特徴的な例の黒髪。魔の民の乗った船の難破であったか。
一瞬だけ、彼の心に苦い思いが行き交うが、ダナンは首を振る。
目の前の助かるかもしれない命を見捨てることなど、神がお許しになるはずがない。
従者と二人で確認を行い、半数の20名ほどはまだ息があることを確かめ、従者には人を呼びに行かせる。残りの半分はもうだめだった。人手が、いるだろう。
彼は古新教の祈りの言葉をつぶやきながら死者たちに冥福を祈り、生者の命がこれ以上鬼籍に入らないように、保護する作業に取り掛かった。
※※
驚くことに、難破した者たちはまだほんの子供たちだった。
「奴隷船か。」
ダナンの兄のダワール・ノワティエがため息を吐きながら言う。
「はい。兄上。大半がまだ12歳程度の子供です。言葉が話せるのは一番年長のテロメアという少女だけでしたので事情を聴いておりますが、はっきりしません。それでも15歳程度です。」
「困ったものだな。魔の大陸の下種どもは。子供の売買など本当にあきれる。」
ダナンは敬愛する、しかし少し頑固な質のある兄上の困った表情を見ながら、いうかどうか迷ったが、結局最後には口にする。
「敬愛する兄上。ごもっともでしょうとも。しかし、精霊の民の大陸である本大陸にも…奴隷は存在します。子供の奴隷も。」
ダワールはふん、と鼻白んだ。弟のダナンは生真面目な男だ。それどころか魔の民の生活様式や宗教などまでも研究対象として難しい歴史書や怪しげな魔術書にまで目を通して彼らの生活を知ろうとする。
「ふん。ダナンよ。それはごもっともだ。しかし、為政者たるもの外部のものに隙を見せてはならぬよ。中立と言えば聞こえがいいが、そんな日和った考えで足元をすくわれることがあるかもしれないぞ。」
「はい。ご忠告、痛み入ります。」
ダナンは殊勝に頷いて見せるが理解しているかどうか。
「ときに、ダナン。あのものたちをどうするつもりだね。気味の悪い髪の毛、赤い瞳。あの魔の民たちを。」
「は?どう、とは。い、一応夏離宮にしばらく滞在させますが、その後職なりと探してやり放逐しようとは思っておりますが。」
「そんな世話を焼いてやる余裕などないぞうちの領地に。」
そこまで聞かされて、一つ報告をし忘れていたことにダナンは気づく。
「そうでした。兄上、一つご報告が。」
「なんだね。弟よ。」
「あの難破船の積載物のことです。人間以外ものたんまり積んでおりまして。塩にやられてダメになったものもありますが、ガラス箱や保護魔法に守られて無事だった品々も多数ありました。特に宝石類、真鍮、鉄製品。それらを北公の承認に売り出したところ、かなりの値になったのです。」
ダワールは目を剥く。
「なに?!すばらしい。それを早く言わんかね。そなたがあの魔の民どもに物資や衣類などを供給している様子。この苦しい時に何を馬鹿なことをと思ってみていたが、そういうことならまぁ目こぼししてやってもよいだろう。」
「ふふ。兄上。あれはお古のもので今回の売り上げの10分の一にも満たない価格ですよ。」
「そういうことか。いやとにかくでかした!ほかにも拾い残しがないか使いにやろう。この調子で戦争で失った財貨を取り戻せるとよいが。」
※※
屋敷の東に位置する小さな村に少女はやってきていた。村に入ると行き交う村人たちが一瞬、ぎょっとしたような視線を向けてくる。その後、自然な動作で彼女から距離を取り、遠巻きに、ひそ、ひそ、と話始める。何を話しているのだろう。気になるが、そちらの方向を向くだけの勇気もない彼女にとっては、怯えを悟られまいと速足で村はずれの教えてもらった家を訪ねるので精いっぱいである。
「あの。農具を貸していただけますか。」
村の外れに位置する鍛冶屋も営んでいるハンスは、あ?と鼻白んで答えた。
「あんたが屋敷から来るって言ってた女か。あいにくそこにある壊れたクワぐらいしか貸せねぇよ。こっちだったいっぱいいっぱいなんだ。気味の悪い悪魔の黒みたいな髪の毛だなぁ。早く帰ってくんな。災いが降りかかりそうだ。」
こちらにたどり着いてからよく聞く別称だ。悪魔。言葉がよくわからないが、いい意味はないのだろう。少女は震えそうになる声をなんとかこらえ、机の上に小さな金属のかけらをおいた。
「あの…これでなんとかなりませんでしょうか。」
おかれた金属を胡散臭そうにのぞき込んだ男は、はっとして奥から虫眼鏡を思って出てくる。
「こいつは…。金か。」
金は価値がある。小さくても装飾品の素材として売りに出せばクワの1本どころか数十本新品を買えるくらいの値にはなる。
男は考える。ふーむ。いい取引だ。
さらにじっくり見る。そして気づいた。
「おい…これは。歯の詰め物じゃないか。」
魔の大陸では金は比較的算出されやすい素材で、腐食耐性から、歯の詰め物として利用されることが多い。
「はい。」
よく見たら彼女の口まわりには真新しい血の跡がついているではないか。
男は先ほどからの高揚から一転、さび付いた銅をかみ砕いたような苦い思いが胸に広がるのを感じた。
金はほしい、が、しかし…。
「…クワね。そこの奥に3本ほどある。もっていきな。こいつはいらねぇ。嬢ちゃん。自分の体はもう少し大切にするんだ。いいか、困ったことがあったら領主様の屋敷のダナン様を頼ることだ。兄のダワール様は少々お気が荒いが、弟のダナン様はお優しい方だ。力になってくれるだろう。」
さすがに、子供の歯からはぎ取った金で儲けたくはない。男は後ろを向いて、用が済んだら早く出ていくように促した。
ってダナンって誰だよってなりますよね。
ダナンはサナニエル公の父(実はホントの父ではなく、サナニエル公はダナンのお兄ちゃんのダワールのお子さんだけど)です。家系図ほしい…。




