第30話 夜のしじま
その後、バリュバル、リィンザエルも悠の助力となるべく部屋の整理を手伝ってくれる。ジャイルーンも、給湯等の些事を行う部屋の1つを、自由に使って構わないと、椅子やテーブルも貸してくれたので、あっという間に悠専用の解呪部屋ができた。
ただ、解呪の進捗は思わしくない。
判別自体は容易にできた。
例えば燭台。じっと見つめていると炎も灯されていないのに青白い光がチラチラと揺れる。更に見つめると黒い煙のような靄がその炎に縞模様のように差し込んで燻るように揺れる。例えば宝石。美しい常緑のような緑をじっと見つめているとだんだんと暗く暗緑色になっていく。
「そうか、色が変わるのか。」
右目で見ると普通の色、左目で見ると暗く濁った色になる。その逆のこともあった。ともかくも、異常がこもっているものは右目と左目で交互に見ると色が少しずつ変わっていき、最終的にはみな黒ずんだ靄がそのものにうねうねと影のように絡んだ色合いで固定される。
「こういったものは人によって、術師によっても見え方が違うそうで、教えるのが難しい分野なの。」とジャイルーンは申し訳なさそうに悠に謝るが、これが悠の見え方なのだとわかっただけでもありがたい。
結局、燭台1台、ティーセット2セット、書物3冊、宝石20個程度がこういった症状となっていたため、別室に運び込む。宝石、とくくったものの、単なる石かもしれないものも多数ある。
結論としてはとにかく、呪われた石が多い。もともと原石含め宝石のようなものや、採石場で拾った鉱物にしか見えない石が多かったが、呪われていると思しきものも、石類が圧倒的に多かった。
バリュバルから借り受けた赤い石も全てこの部屋に持ち込み、以前解呪ができたものを手に取り、思い出しながら最後目を向けてみるのだが、あまりうまくいかない。
ジッと見つめると靄がぴく、と動くのだが、抵抗するようにうねうねと時折動くが、それ以上何分も見つめてもあの時のように空気に溶けて消えるように消えてくれない。
そのうち、左目が熱く頭がぼうっとしてきて休憩せざるを得ない、というお決まりのパターンだった。
お手上げだ。
ある日、悠は自室に戻る際に、最初ころに見つけた暗緑色のエメラルドを手に取って自室に持ち込んだ。場所を変えてみると何か反応があるかと考えた。服を着替えて窓辺でじっと石を見つめていると、石に夜の影が映ってますます暗く、なんだか不安にさせるようなまがまがしい色合いになる。
だが、案の定何も起こらない。そのうちにつまらなくなって、あくびをかみ殺すようになる。
肘をついて机に置いた石をじぃっと眺めていたが、気づけば悠は机に突っ伏してすぅすぅと眠りこんでしまった。
※※
夜が明ける。差し込む光でかろうじて昼夜の別は判別するが、もう2日も箱の中に収められているせいで、だんだんと感覚もあいまいになってきている。
狭い木箱をどんどんとたたけば、男がお手洗いと食事の際は出してくれるが、それ以外はずっと人間が2人ほど入ればみっちりといっぱいになるような木箱だ。
狭い船室はとにかく揺れる。折しも大洋は大しけ、強い雨が甲板にたたきつけられ、小さな船は波に揺られた。船室の中の箱の悲惨な揺れなど推して知るべしである。
悠はまだ15になったばかりだった。
数日前まで日の中で野山を駆け巡っていたのに。これからはどんな悲惨な運命が待ち受けているのだろう。
考えたくない。
どうして。あんなに外には出るなと言われたのに。
船は小さな船体に似つかわしくないほどの雑多な品々を詰め込んで、悠も詰め込まれ道中の島々に
「もうだめだ。くそ。荷を詰め込みすぎたんだ。」
船室で、大声でがなる、なじみとなった声。
それからのひと時は地獄だった。
箱は巨人にシェイカーの中でシェイクされた果物のように右も左も、上も下もわからないほど振り回され、海に投げ出されたころには箱としての原型をとどめていなかった。
悠は必死に割れた木にしがみついたが、泳ぎの経験などない、あっという間に大きな波にのまれた。
悠は小さな砂浜に投げ出されていた。着ていたドレスはからからに乾きさらりとした直毛が自慢だった黒い髪の毛にか海藻がからまりひどい有様になっている。
見れば自分と同じように連れ来られた人間たちが、悠と全く同じような顔をして呆然と座り込んでいる。みんな子供たちだ。子供をさらった悪党の大人どもは、みんな、助けに来た2つめの船に乗って引き上げてしまった。商品は救出には邪魔だったのだろう。
帰りたい。暖かい両親や身内の顔を思い浮かべてしまうと涙がこぼれて止まらなくなってしまう。悠は彼等の顔を思い出すのをやめた。
神の恵みのように偶然やってきた救いの手に助けられ、屋敷の一角に保護され後、やっと彼等の顔を思い出す気持ちがよみがえり、悠はまた激しく泣いた。夜のしじまの中に両親の顔が見える気がしていても経ってもいられず浜の方へ駆け出してしまう。
悠は自分が悠ではなく、これは夢だ、とようやく気付いていた。
でも、足は止まらない。
心が軋むほどの悲鳴をあげて、容赦なく次々襲い掛かる苦難に、いても経ってもいられず駆け出してしまう足を止めることができない。
彼女の悲鳴は、突然訳も分からず別の世界に来てしまった悠の心の悲鳴とすっかり重なってしまっているのだから。




