第25話 ラルスとニンフー2
針の蛇、誰も知らない魔物のようだ。
「あなたたち。お屋敷のお使い。あなた、同じ匂いする。」
ヴィキはエルフィールを指差して言う。
「はい。その通りです。私は屋敷の主の親類の者です。人を探しに来たのですが、背の高い白い髪の男を見ませんでした?」
ヴィキはしばらく考えていたが、首を振る。
「人間ここ、来ない。ラルス以外は見ない。」
「…そう、ですか。ありがとうございました。」
「うーん。どこ行っちゃったんでしょうね。」
エルフィールはしばらく顎に手を当てて考え込んでいた。ここに来た可能性が高いと考えていただけに、手がかりがなくなってしまった。
「…あなたの、お仲間はどうでしょう。誰か白い髪の男をみたものがいないでしょうか?」
「ナカマ…。いるけど…」
ヴィキは湖へ目を向ける。気が進まないようだと悠は思った。つられて湖の方へ目を向ける。静かな湖面にはきらきらしい光が乱反射している。
「お仲間の方を呼んでいただけないでしょうか?」
「…いいけど、来るかは分からない。」
ヴィキが小さな口をすぼめて口笛のような短い音を発すると、湖にさざ波の様な小さな揺らめきが起こる。程なくして水辺にばしゃばしゃと大きな波が起こり、大きなニンフ達が数体やってきた。ヴィキよりは一回りも大きいように見える。
ヴィキは水辺から這い出るとモジモジを手を交差させて身を縮めていた。
「あら、あらあらあら。すてき匂いがすると思って来てみれば。なりそこないのちびヴィッキーがすてきな方々とお話してるわぁ。ねぇあなた。その瞳すてきなヘテロアイね。さっき私達のほうみたでしょおぅ?水衣がピリピリしたわぁ。」
「そうなの?…痛い思いをしてたらごめんなさい。あなたたちもとってもきれいな髪の毛ね。水にキラキラ輝いてる。ねぇ、人を探しているの。白い髪の男の人。迷子になってて。知らないかな。」
「知らないわ。あなたたち以外は、あのおかしな様子の目つきの悪い男しか見ないわぁ。あの男、食べちゃおうかなと思ったけど、おマヌケヴィッキーがずっとひっついてるから邪魔だわぁ。」
深い藍色のドレスを身にまとった女が舌なめずりしながら意地悪そうにヴィキの方を見る。ヴィキは先ほどまでの、落ち着かない様な、おどおどしたような様子から一転してうぅ、と唸ると女を睨みつける。
「…ラルス、傷つけたら許さない。」
その、勇気を振り絞って発した一言が、女達の気に触ったらしい。
「…なんなのその目!長の娘だからって調子に乗るんじゃないわよ。あんたなんか頭の足りないなり損ないよ!誰もあんたなんか認めてないんだから!出ていきなさいよ!」
周りの数匹の女たちも藍色のドレスの女に同調する。そうよ、そうよとさざ波のように合唱が響く。
ヴィキは眉をさげ、眉間にしわを寄せていたが、大合唱になった非難の声に怖気づいたように固まっていたが、やがてじわりと目の縁に涙をためて、絞り出すような声で反撃した。
「…ヴィキ、出ていってもいい。ラルスと一緒なら。どうせもう卵無い。みんな死ぬだけ。」
自分で、自分の言葉に傷つくように顔を歪めてボロボロ涙を流すヴィキ。それを見て女達の怒りは最高潮になる。
「馬鹿じゃないの?!どんだけ足りないのよあなた。あなたみたいなのが群れから離れて生きていける訳ないでしょう?!」
女はヴィキに掴みかかると顔を引っ掻く。罵倒を浴びせながら衣を掴み力任せに地面に叩きつけた。ぐえ、と声を上げながらヴィキが地面に倒れ込む。
出ていけと言ったのは自分たちのくせに、相手から言われるのは気に入らないようだ。「グズ。」、「ノロマ。」ちび、などありとあらゆる暴言を浴びせながら女はヴィキを地面に押さえつけて頭を叩く。
余りの様子に悠は知らず叫んでいた。
「いい加減にしなよ!あんたたち、綺麗なのは顔だけなのね。いや、もう顔すら綺麗には見えない!弱い子をいじめる自分達の顔、見なさいよ!その醜い顔を!」
突然の介入者に女達はきゃっと悲鳴を上げ身をすくめ、湖にざざっと引いていった。動けないヴィキはもうぼろぼろだ。綺麗な髪の毛は、踏みにじられ土にまみれて地面に散っている。
実のところあまりの事態に呆然としていたエルフィールとバリュバルは、我に返って顔を見合わせた。
「そ。そうですよ。呼んだ私が馬鹿でした。もういいのでこちらにくるな!」
エルフィールが手で追い払うようなしぐさをすると女達は何やら罵倒しながら、ー実際のところ、きぃ、きぃと猿のようにわめいてるようにしか見えなかったー湖の向こうに消えていった。
「だ。大丈夫ですか。ごめんなさい。仲間を呼んでくださいなんて言わなければ…。」
「…いい。ヴィキが弱いから、頭悪いから、みんな怒る。いつものこと。」
ボロボロにされたヴィキは、立ち上がれずに顔を地面につけたまま、呆然と女達が去った水の向うに目を向けている。涙の後は残るがもう泣いてはいない。
ヴィキはいつでもそうだった。言葉もうまく話せない。そのくせ威勢よく我を忘れて激昂してしまう。でも結局怖いので何も言い返せず涙は勝手に頬を伝ってくる。母からはもうずっと言葉をかけてもらえてはない。自分が期待外れだからだろう。
ラルスは違う。初めて優しい声で自分をほめてくれた。
自分が一番先に出会った個体だからだ。ただそれだけ。
違う。ヴィキが好きだからだ。
もう来ない。
違う。ちょっと遅れてるだけ。そのうち、やあ、と言ってそこの陰から顔を出してくれる。
自分で自分の心すらよくわからず、期待と不安でまた涙を流してしまう。泣きたくなんてないのに涙だけが出てきてしまう体はきっと欠陥品なんだ。できそこない。
ヴィキは自分が情けなく、消えてしまいたい気持ちだった。
※※
がさ、と草が踏み鳴らしラルスが見たのはボロボロのヴィキの姿だった。
思わず担いでいた男は乱暴に放りだし、ヴィキのそばに駆け寄った。
「ヴィキ!!!大丈夫?!どうしたのボロボロになって…!」
地面に倒れこんだヴィキの肩をつかんで起き上がらせる。
「ラルス…!」
ヴィキはラルスの胸に飛びこんで、大粒の涙を流し始めた。
「もう来ない、思った。」
「ごめん…!ごめんよ!ぬかるみに滑ってけがしちゃって!!」
ヴィキはしばらくラルスの腕の中で泣いた。




