第22話 しばし休憩
外で食べよう、と思い作ってもらったサンドイッチをかじりながら湖畔の揺らめきを見る。
この世界のパンは発酵無しが基本の様だ。ふわふわ感とは無縁で、外側がカリっと固く中がフォカッチャのようなもちもち感。サンドイッチにするためには薄く切らないといけないのがこれがなかなか難しく、ナイフでがりがりと外側を削るように二つにする。ボロボロと外側のガワが剥げてしまい不格好になったが、バターをたっぷり挟んでなんだかよくわからない名前の野菜と鶏の蒸し焼きを焼き直して挟んだサンドイッチは、味はともかく歩き疲れて空腹の胃に染み渡る。
「旅に女の子がいるっていいなぁ…。」
ぽそりとエルフィールがつぶやく。
「女の子というほどの年齢でもないし、ただただ意地汚いので空腹が我慢できないだけなんですけどね…。これ厨房のアンリさんが作ってくれたツツジ茶です。よかったらどうぞ。」
「悠さんいくつです。」
「26です。」
「見えないなぁ。髪やお肌が若若しいって秘訣を聞いても教えてもらえないってジャイルーン様が言ってたんですよ。なんかつやつやしてるって。」
悠は苦笑いして「いやいや。」と言った。
実際、化粧、お手入れなどの美容技術において、自分の世界とこちらは天と地ほどもの技術差があるので、秘訣と言われても何も答えられないのだ。サナニエル公の奥方ジャイルーンは最近の悠の朝のルーティンの書き物の際はちょくちょくお菓子や高級そうな紅茶を持ってきて気軽な話相手になってくれる。それは悠だけに限った話ではなく、屋敷には来客がとても多い(貸し馬車や商売の関係の行きずりの旅人がとても多いのだ)ので、止まっている来客には気さくに話を振ったり、中庭やあずまやで出会えば一緒にお茶しながらたわい無い話をしてくれる。特にジャイルーンの朗らかで軽妙な話ぶりには、洋服のこと、美容のこと、食のこと、時々は政治や経済のことなど範囲も広く悠としても勉強になるので大歓迎だと
余談になるが、悠は最初のころ、サナニエル公と奥方に警戒していて、夜は日が沈めばきっちり鍵をかけメルセデスにも外にでないように言い渡して眠っていた。メルセデスは全く守っていなかったので悠が眠るやいなや自分で鍵を開けて夜の散歩に繰り出していたが。悠としては、ルナから奇妙な話を聞いてしまっては、よくある三文小説の「閉じられた屋敷の惨劇」みたいなのをどうしても思い出してしまい、気が気ではなかったのだ。
だが、1週間もするころにはサナニエル公と奥方の気さくで善良な質に、すっかり警戒を解いていた。旅人は気まぐれで1週間も滞在するものも入れば1泊でそそくさと去っていくものもいる。きっとルナの何かの勘違いだろう。
実際のところ、お貴族様というのがみんなジャイルーンのように気さくで親しみやすくはない、のは、触れ合った旅人たちの様子ですぐに分かった。彼らは最初は驚き狼狽する。ジャイルーンが自らカミツレ茶をポットから注いで商人風の男に差し出した時は男は平身低頭してそれを受け取り、本当は自分が入れて婦人に差し出すべきだったのではという意味で「申し訳ありません。」と言ったがジャイルーンは何の含みなくほほ笑んで、「この時期の北の旅は大変だったでしょう。寒かったですか。」と言っただけだった。
「そういえばジャールーン様どころか下女達まで悠の作ったよくわからない顔につける謎の液をもらいにくるとかなんとか…。化粧液か?」
バリュバルが下女がうれしそうに話していたのを思い出して苦笑する。
「あれは、そう。このあたり乾燥がものすごくて、エタノールとレジンの実を少々、で勝手に作ったやつ。何にもしないで寝ると顔バリバリになって口開かなくなる…。」
「屋敷の下女から下男まで、悠が神出鬼没だという話題で持ちきりだ。裏山で草を一生けん命取っていたと思ったら厨房で何かをぐつぐつ煮ている。次の瞬間には牛舎で牛が草をはむ様子をキラキラして目で見てたとかなんとか。子供か。」
「でも風変りなドレスの着方をして、こなし方が素敵で天才だわ!とジャイルーン様がおっしゃってました。なんかサーツ地方のレース織りを大胆にカットして肩にかけてるのが風変りだけどオシャレとか。」
「借りた服がとにかく肩だしが多くて風邪ひきそうだったからですね。」
「服飾に料理に政治経済にと、これだけ多才な悠殿なので下女はともかく、下男には大人気ですよ。厩番の男の熱い視線気づいてなかったです?」
ニコニコとエルフィールが茶化す。
「…全く気付いてなかったです。こんなにモテたのは生まれて始めただわ…。どちかというと今まで「ガサツ」「男っぽい」と言われてました…。」
「そりゃ見方次第だな。応接間で鼻歌歌いながらジャイルーン様からレース編みを習ってるところをみれば「女らしい。」と思うし食堂であぐら書いて血走った目で地図に色塗ってるのみるととてもそうは思えないし。ユーの場合は、なんというか振り幅が広い…。」
「もうせっかく褒められてた流れだったのに!バルさんこれもういらないでしょ!私もらうね。」
「あっ。最後の…」
バリュバルが恨めしそうに見るが気にしないことにする。
あーん、と最後のサンドイッチに食いつくと、ごろっと草原に転がる。
何と話しに目に入った湖畔の端に何かが移った。
「あれ?」
なんだろう、ずっと向う、ちょっと湖に突き出た川岸…。キラキラ光るものが…。悠は無意識のうちに目に力を入れて遠くにピントを合わすように目を細めた…。
「あっ。」
とたんになんだから恥ずかしくなってさっと目をそらす。
「どうした?」
「えっと。あっちの岸なんだけど…。」
「岸?ああ…。すまん。わからん。何かあるか?」
「えっと。人がですね。男性と女性だと思うんですけど。ちょっとお取込み中みたいで…。」
エルフィールが飲んでいたお茶をぶっと吐き出した。バリュバルがオウム返しに返す。
「お取込み中・・・」
「…はい。なんか、まぁつまり、やってますね。」
悠が見たのは髪の長い女性の下穿きの中に手を入れた男性の姿だった。
「おおぅ。探し物ではない?」
「違いますね。体格も髪色もリィンさんとは…。」
「。げほっ、げほっ…す、すいません。そ…そうですか…よかった。…ま。まぁほっときますか…。この湖は北との境界にあるんで北の人間もちょくちょく見かけますし…。」
エルフィールが動揺を押し隠しながら言う。
「…いや。待てよ。水棲の魔物って、人間を惑わして食べるんだったよな。男を惑わして引きずりこむとか、それこそ戯曲の中の世界だ…。ユー。女の方がどんな様子か見えるか。」
「…ど、どんなって言われましても…。男の人に覆いかぶされててほとんど…。あ。髪の毛は金色でふわふわで長い髪かな。」
「一応、確認だけはしておこう。リィンザエルさんを見たかもしれないだろ?」
「えっ。行くんですか…。えー。バリュバル殿、一応聞いておきますが他意はないですよね。」
エルフィールは嫌そうにつぶやいた。




