第2話 エルフィールの事情
エルフィールは占い師だった。タロット、水晶、占星、なんでもござれだ。
今回の依頼はさる大物のすじの方からの依頼だったので、一番取り扱いづらく、神経を消耗させかつ時間もかかるが一番当たりやすい力を持った大ぶりの水晶を使うことにした。
水晶を使うのは久しぶりだった。物置の棚から握りこぶしほどの水晶を取り出し、机に置く。
「英知の水晶」と呼ばれる透明度の高いクリスタルだった。
意識を集中しながら呪文を唱える。
エルフィールは静かに頭を振った。もう何日も試すが水晶に映るはずの映像がなにも映らない。
エルフィールは冷静だった。
力のあるシャーマンであったのでよくあること、もしくはまだ時期が来ていないと判断した。量の多い流れる黒の髪を飾り紐で結んだ、ところどころ青く染めている派手な髪に特徴がある男だった。
このときは、そんなにごく簡単に考えていたものである。環境やきっかけを変えれば解決の糸口は必ず見えるものだ。
精神を集中してもう一度、なにも浮かばない。違うやり方も取り入れてみよう。
机からペンを取りだすとぐっと水晶に文字を書きこむ。
文字はすうっと水晶に吸い込まれて中心でぐるぐるまわってきえた。
なにも見えない。エルフィールはため息をついた。
さて。
次の日も、その次の日も方法を変え水晶を見続けた。引き続きなにも見えない。
スランプかな。
ある日、そう、いろいろ試しすぎて飽き飽きしてきたころ、うっかり精霊文字を逆方向の反時計回りに書いてしまったとき、それは、見えた。
それは木々の茂る森の中だった。墨を塗った様な黒い「しみ」
少し気味悪くも見えるそのしみはエルフィールが見ている前で、もやもやと雲のようにも見える異様な形を取って、輪郭がはっきりしない。しばらく見ていると中心にルビーのような真っ赤な光が浮かんでいる。
あ!
エルフィールは目を瞬かせると一瞬でその映像は消えていた。今はただ静かな光る球面のみ。
んー。彼は伸びをした。実際のところ、それは幻のような刹那の出来事だった。
いや。エルフィールの眉がきりりと上向きになり険しい表情になる。
叡智ある水晶の見せる映像が幻では到底無い。
先ほどの映像は?黒い霧と血のように赤い光は?
エルフィールはしばらく天を仰いだ。
次に目頭を押さえた。集中しすぎてどっと疲労がやってきた。
気高き占い水晶がみせたということは何か今回の依頼の手がかりとなる暗示なのだろうか。消えてしまったので水晶に潜って、イメージを捕まえて戻ってくるしか無いか?
ただ、あれは良くないものにも見える。せめてうつったあの場所が分かれば。力を込めてみるがもう透き通った表面は何も映さなかった。
しばらく同じように力を込めてみるが、何も起こらない。
エルフィールは書庫に走り1冊の本を抱えて戻ってきた。精霊辞典である。
こい、精霊リィンザエル
ぽんっ、と軽い音がして何も無かった空間に突如、現れたのは白い貫頭衣を腰で括った白髪の男とも女ともつかぬ人物。
「貴方に会えたその瞬間からよき今日が始まるだろう。ごきげんよう」
召喚の例句を略式で述べて、リィンザエルはぎこちなく声帯を震わせるような声で挨拶をした。
今日はいかような御用で、エルフィール様。
久しぶりの現空間への顕現で声帯の復元が上手くいかないのだ。
エフィールは心の中で、「けっ」とつぶやいて、表面上だけ微笑みで口を開いた。
「その敬語、気持ちわるいので今すぐやめろ。さもないとお前はやめだ。サマエルと変わってやるぞ。」
リィンザエルはそれは優しそうな笑顔でほほ笑んだ。
「ああ面倒だ。
略式でもなんでも省略はできないんだぞ。この私を呼び出す前にもっと勉強してほしい。
いと高きあの方の弟でなければ、叩きのめしてけちょんけちょんに丸め込んでぽい、できるのに」
白髪の男は大袈裟に祈りの形に手を組み、エルフィールにそっぽを向く形で天をあおいだ。
「お呼び出しだしされたのがサヴァリ様であれば、喜んで最上級の敬意でもって対させていだきましたのに。ああ!現実は無情!あれ以来一度も呼び出しがないです神よ!悲しくて悲しくて、クズ弟の些末な呼び出しにも答えてしまうしかない状態なのです!」
口を差し挟む隙間も持たせないほどの早口で言いたいことだけを言い終えるとちら、と横目でエフィールを見て、馬鹿にしたように笑う。
「あんまりにも、耳を傾ける価値もない戯言ばかりだと、本当にこの本を閉じたい気持ちになってくるかもなぁ。はいとても良き日でした。ありがとう」
本を半ば本気で閉じかけて、エルフィールは言った。
「やぁやぁ。まぁまぁ。冗談はここまでにして」
リィンザエルはさっとエルフィールからは顔を背けて、部屋の中、水晶に身をかがめて顔を近づけた。実は彼は目でものを見るわけではないので必要はないのだが、気分だった。
「直接さわるなよ」警戒した調子でエルフィールは言った。リィンザエルは白いハンカチをエフィールの胸元からりあげると優雅に水晶を包みこんで持ち上げた。
「今回はこれの研究なのか?言えばいつだって手伝ってやるのに、お兄様は息災か。サヴァリ様のそばに3日程度もいられるなら対価もいらないのになぁ」
エルフィールはひく、と左頬をひきつらせた。
冗談はここまでと言った割には未練タラタラの頭ン中我が兄のことでいっぱいか。というかこいつやっぱりまだサヴァリのことあきらめてないのか。
毒づきが永遠に口から出てしまいそうだが、イラつくが今は言及しないでおこう。話が進まないからである。
「残念ながらそうじゃない。人探し占いの仕事だ。手伝ってもらいたく。」
「わざわざこの私を呼び出すような大事件が?」
「水晶の予言で悪い予言がでている」
「なるほど?」
「正確に言うと、悪いものかどうかもわからない状態だ」
「元の依頼はどんな依頼だ」
「人、というかもしかしたら「モノ」かもしれない。探し物」
「誰のだ」
「王様の。ミラザ公。ミラザ・カバイル・ルードルクがご本名だったはずだ」
ん?
「ミラザ・カバイル・ルードルクか。ん?王?聞き間違い……」
「……じゃない。王様のなんだよ。
お前は知らないかもしれないがいろいろあって王朝が交代するんだ。
ナポリ朝の王様はお代わりになられて来年ミラザ公が即位なされる。もう準備が始まってる。
探し物が何なのかは教えてもらえてないんだが、大切なものではあるらしい。
多分なんだが、依頼主――および関連人物の光が強すぎて視づらいようで。苦戦中だ。私の前にもう3人占い師が失敗してて私にまでお鉢が回ってきた。すっぱりはっきりお断りするつもりだったんだが……」
リィンザエルは水晶をのぞき込んだ。その目が怪しく赤く光る……記憶の解析をかけるために。
「が?」
「少々手持ちが心もとなくなって。報酬がよかった」
「どうして働かずして高給をとってる君のような人間がそんなことになるんだ。君の浪費癖は病気だな。
アリィサの店でツケで買いまくって叙勲式から1週間足らずで王様からいただいた勲章を売ったとか言われたいつぞやは、クズ野郎、このまま階級除籍になればいいのになー、と思わず神に祈ったぞ」
とにかくお前の都合の悪いエピソードは全部覚えているぞ、と言いたいだけなのだ。
いつでも隙あらば嫌味を言いたいリィンザエルの性格をもうすっかり思い出したのでエフィールは肩をすくめただけだった。
「そんな昔のことは覚えてない。お前と違って未来に生きてるので。」
しれっとエフィールは嘯く。
「ふーん。なるほど。それにしても人間の王朝の移り変わりは激しいな。君が4人目のお祓い箱になるのも時間の問題ってわけか。私を呼び出した時の苦虫をかみつぶしたような顔!あー愉快だった。それはともかく、なんだこの文字は。悪筆だな」
エフィールは水晶を窓際の光にあてながら片目を閉じる。
「ああ。精霊文字を逆にしたな。
律が狂った場がたまたま見えたらしい。
ぼやけているので、悪いものかよいものかは分からない。
これはたぶん魔の森だな。なじみのある気配だ。
あそこには君たちのいとこ殿が住んでいたのではなかったかな」
「ああ、魔の森か!気づかなかった。それにしても記憶のよいことで」
当然、サヴァリ様の系譜はみな暗記している。もちろんどこに住んでいるか、何を好まれるかなども、というのも贈り物係などを頼まれたこともあり……と目を閉じて語り始めているリィンザエルを、にべもなく遮って、エルフィールは言う。
「これを記憶定着してもらえないかな。こうなっては、まず、いとこ殿に相談するのが早そうだ」
「おやすい御用」
リィンザエルの目が怪しく光る。水晶は机に置かれ誰の手にも触れられていないのに右に、左にわずかに振れ、やがて数時前の時を映し出した。
「できたぞ。とと……確認したらこれに包んでおけ。なるべく光に当てないようにしてくれ。まぁ大切に扱っても持ちは数日から1週間程度だが。数日おきに定着をかけなおさなくては。さて。お供は必要か?」
エルフィールはしばらく考えたあと、こういった。
「そうだな。魔の森への道のりは遠い。ついてこい。対価は……」
リィンザエルはにっこり笑って、旅支度を整えにかかった。




