第18話 魔よけの香
3人は、エギドの女と伸びてしまった男を念入りに縛りあげて、草原の中央に転がした。それからエルフィールが木陰で震える少年の腕をつかんで引きずり出す。
少年はよく見ると小さなボロボロの短剣を持っていたが、ブルブル震える手で握りしめているだけでとても何かを傷つけそうな気配はなかった。
「この子も縛った方がいいでしょうか。」
「一応。これだけ取り上げときましょ。」
悠は少年の震える手から短剣をもぎ取る。あまりにもがっちり握っていたためなるべくやさしく、柄から指を一本一本はずしてやる。
少年は「ごめんなさい。」と「殺さないで。」と繰り返しつぶやきながらガタガタ震えている。
倒れ伏している女と同じような相貌と黄色い目、兄弟か何かだろうか。
「私は悠。あなたの名前は?」
「殺さないでください。おねがいしますっ。お願いします。」
少年は悠の問いには答えずひざまずいて両手を地に投げ出した。
「…殺さないよ。私たち人を探しに来ただけだもん…。あなたたちにどうこうする気持ちもないし、襲われたから仕方なく応戦しただけ…。」
悠はできるだけ優しく響くようゆっくり言葉を区切りながら少年に語りかける。
「僕たちを殺しに来たんじゃないの?」
「うん。人を、探しに、来ただけ。」
しばらくジィっと悠の目を見つめていた少年は、ほうと息を吐いてあおむけに寝転がる。
「なんだ。そうなの。ねぇちゃんの早とちりかよ。僕はガズ。」
悠はじっと少年を観察した。早とちりは確かにそうなのだろうが、なぜ殺しに来たなどと思われたのだろうか。そして、ガズという少年はなぜこんなに具合が悪そうなんだろう。
「よろしく。ガズ。ところで具合悪いの?お腹がすいてる?あなたはものすごく具合悪そうに見える。」
「うん…。それはその…。」
そのとき、縛り上げられていた女がうぅ…と唸った。獣が獲物にとびかかる直前のような低い、腹の底からひねり出したような唸り声に、悠は腹の芯がひゅっと恐怖でくすぐったくなる。
「このクズどもが。森の汚物ども。その汚ねぇ面を我らの前にさらすんじゃねぇ。探し物だと。ここには我らの領地以外何もない。とっとと去れ。」
低く唸るように言うと牙を見せて威嚇する。女の憎悪の言葉は留まるところを知らず、何度も「クズども」「卑怯」と繰り返し罵倒していた。縛られた縄に齧りつこうと首を縮めるが、全く届かない。
そのとき、隣で気絶してるかに思われた男が、縛られて横倒しになったままぐるぅとこちらに顔を向けた。
「ギィギぃぃ…。もうあきらめよう。もうここはダメだ。もういいだろ。人間の街に行こう。」
男は痛みにか顔をしかめると、目を悠たちの方に向け、
「あんたたち、いや。あんた。もし気の毒に思う心があるなら、そのバッグに入ってる最悪の、毒物を、どうにしかしてくれないかねぇ。もちろん、俺たちを麻袋に詰めて街に売りに出していくってのも、それはあんたたちの全くの自由だ。あんたたちに慈悲の心ってもんが欠片でもあるのか、俺たちにはさっぱりわからないからねぇ。」
男はエルフィールの方に担いだバッグを唯一自由になる顎で指して、暗く笑う。
「毒物?」
エルフィールは不思議そうな顔をしながら、荷物を方から降ろす。「そんな大層なものは持ってないと思いますが…。」
荷物から慎重に中身を取り出す。
組み立て式の弓の革袋、占いに使う石と地図、水の入った水筒、魔よけの香…。
「その赤いやつ。子供にはほんとにきついんだ。」
「赤いやつ…?これですか。魔物よけの香ですね。」
「その中にハベンという草が入ってる。それが、俺らには厳しいにおいで。」
「そういう草が入ってるの?」
「ハベン…。さて。この香は上級品なので10種類以上の魔物の嫌がる香草やなんやかやが入ってます。」
言いながら惜しげもなくバリバリと外側の包み紙を破り、中身を露出させる。
「これまだ使ってないんですが、それでも匂います?」
「ああ。使われてたら小さいガズなんて多分意識を保ってられないぐらいだ。」
中には多種の変色して黄色や茶色い、乾燥させた草や花が入ってた。
「その黄色いの…。」
摘まみ上げる黄色い草を見て、男はうなずく。
※※
エルフィール曰く近年、魔物除けの香が発明されてから、森の旅は格段に安全になったという。何種類もの商品が売りに出されており、研究開発でさまざまな魔物に効く、この場合忌避効果をもたらすものが新しく売り出され、特に夜の旅では旅人の必需品となったという。
その中に使われている一つ「ハベン」という南方原産の草が、エギドに忌避効果、どころか命を奪ってしまうほどの強い毒性を持っているとのことだった。エギドはこの地方に長く生息するが、近年森の旅人が多用するようになったこの香の香りが南から吹く風に乗ってエギドの住処に届き、身体を悪くする
「はじめはよくわからなかったんだ。どうしてこんなに子供が死ぬのか、女達の子供が流れるのか。」
しかし、旅人の使った香の残骸に、彼らにとっての毒薬であるハベンが使われているのを、南方から移住してきた生き残りである古参の仲間が気づき、それ以来、ー香の商用利用(大規模な商隊などはそれこそ驚くほどたくさんの香を焚く)が広がったこともあってー次々と小さな個体が体調を崩したり死ぬようになった。
「ここ数日でも2人ばかり見送ったところなんだ。見知らぬ旅人さん達。俺は遠くに行っててかえって来たばっかりだからあれだけど、ギギはもう昨日も小さい子を埋めたところで、すげぇ気がたってるんだ。でも怒りのぶつけどころなんてないだろう?人間も悪気があってやってるわけじゃない。あれが焚かれるようになってから、各段に魔物は減ったぜ。だがどう考えても無害な小さい虫や小動物もだいぶ減ったな。」
「魔物が減ったのは討伐があったからとは思いますがね。」
うーん、いやでも…と一人でつぶやいていたが、「ひとまず」とつぶやいてエルフィールは香の中の草を元通りまとめると言った。
「これ捨ててきましょ。高かったのでちょっと悋気はあるけど、苦しいんでしょ。さっき途中に川があったので沈めて中身をばらして流します。水の流れは南方向だから多分害はないと思うんですが、どうしましょ。バッグは大丈夫です?香が移ってますか?」
ガズが恐る恐るバッグのにおいを嗅いで勢いよく首をふる。
「よかった。じゃ、ちょっと待っててください。土に埋めると大雨なんかで出てきてしまうかもしれないし、川がいいかなと。」
うん、うん、と言葉を発さずにガズがうなずくとエルフィールは木々の間に分け入って消えた。
「以外といいやつだな。」
とバリュバルはその背中につぶやいたので悠はその毒気を落とされて気持ち悪い、というような様子に少し笑った。
「はぁあ。そうだなエド。もう潮時だよな。」
ギギと言われた女性はつぶやく。わかってはいた。この森はもう変わってしまった。昔は見なかった魔物を見かけるようになったということはまた消えていく種族があってもおかしくない。ギギは、力には絶対的な信頼を置いていた。もう死んでしまった両親も、ギギの天性の力や才能には賞賛を与えてくれ、次代を切り開いていく確かな力だとほめてくれた。幼馴染のギドはギギの舞うような剣舞や太い腕、よく動く足を褒めてくれた。しかし…
「こんなポッと来た人間に叩きのめされて転がされる程度だもんな。エギドの長としてみんなも守って域にいていくこともできない。ほんとに潮時なのかもな。」
「ギギ…。」
エドは困った顔をする。ギギは自嘲気味につぶやく。「ちょっと疲れんだよ。オレも。」
ギギは「オレ」という口調が粗野なのも、女であり続けるなら大切なものを守り切れないと思いこんでるからだ。
バリュバルはため息をつく。
「あんたの剣はまっすぐすぎる。目線や手の動きで次どこを狙ってるかわかりやすいんだ。性格が出るってホントだと思うぜ。」
ギギは渋い顔をバリュバルに向けた。
「あんた傷口にわざわざ塩を塗り込むのやめてくれよ…。」
見てくださってありがとうございます。とても励みになります。
進みが遅くて退屈な話に付き合ってくださる方がいるなんて、(少なくとも0人ではない 泣)ありがたすぎます…。




