第16話 エギドの隠れ処と怒りの矛先
「さて。」
地図の上から薄紙でおおざっぱに複写し、先ほどのサイコロの止まった地点を素早くメモすると、エルフィールは机の上を片付けて悠に礼を言った。
「ありがとうございます。じゃ私は出ますので、サナニエル公にあってきます。1日ぐらい戻らないかもしれませんがごきげんよう。」
「まてまてまて。にぃさん。そこ、その場所。リィンさんがいる場所だよな?」
「にぃさんなんて名前じゃありませんので僕。」
木で鼻をくくったようなエルフィールの言葉は無視してバリュバルが先ほどの地図の地点を示す。
「ここエギドの出没場所じゃないか。」
あ。なんか手書きの妙なイラストが見える、と悠もその地図を見て気づいた。
牙のある白い犬のようなイラストがサイコロのひしゃげた場所に描かれている。
「エギドは人語を理解するらしい人型の魔物だ。狂暴性はしらんが危険じゃないか?」
「正直エギドとニンフの出没地点は調査の対象に入ってました。やつらは人語を理解するので意思疎通ができるかもと。例の黒い靄の情報もひょっとすると手に入るかもとは話してました。」
「護衛してやってもいいぜ。金額次第では。」
「結構です。じゃもういきますんで。」
茶化したように言うバリュバルに嫌そうな視線を向けたあと、エルフィールは背を向けようした。
「あ。まって。私も連れて行ってください。」
悠は手をあげた。
「暇つぶしに見物に行くようなとこじゃないでしょ。」エルフィールは嘆息する。
「違います。メルセデスがいれば危険はないし。」
悠は言う。
「ほら、もう雨が上がりそう。それに。」
悠は言う。
「あの黒い靄と赤い光の映像。ちょっと気になることがあって。」
※※
結局地図の示した地点に、悠、エルフィール、バリュバルの3人は向かっていた。
「公爵の用心棒たちでも連れてくりゃいいじゃないか。」
「エギドはなぜかサナニエル公やここに暮らす私兵達の前には姿を現さないので。」
「ふぅん。仲が悪いのかな。」悠は首をかしげる。
「ここ数十年魔物狩りが盛んなので警戒しているのじゃないでしょうか。この森にすむ、エギドや北の湖のニンフ以外は駆逐するつもりのようですし。」
「なんでその魔物は駆逐しないのかな。」
「エギドは森の魔守り人として伝説にも残る魔物です。なぜかエギドがいなくなった森は実りが減り森は枯れるという言い伝えがあります。まぁ伝承なので、このご時世気にする必要ないと思いますが、エギドは温厚で知恵の番人と呼ばれる魔物なので、駆逐する必要もないというのがほんとのところでは。」
「知恵の魔物。想像がつかない。そもそも魔物ってなんなんでしょう。」
そうそれはずっと悠にとって疑問だった。獣ならばわかる。獣よりもっと狂暴なものが魔物なのかと簡単な解釈だったが、それならば知恵があって人と意思疎通ができるエギドというものは果たして魔物なのか?
「世界中で「魔物」の定義に関する研究がされていますがまだ確立された定説はないみたいですね。人に害するものを言うこともあるし、家畜以外の居住しない生き物を言うという説もあるし。魔力の有無で見る説も。いわゆる魔物というものをかなり細分化して「聖と魔」や「獣と人型」に分けて説明しようとした説もありますが、聖でもあり魔でもあるようなのとかややこしいのもあってあんまりうまくいってる印象はありませんね。ま、私からしてみりゃ人間以外の異形すべてを魔物という、ぐらいの感じで十分なんじゃないかと思いますが。わざわざいい魔物と悪い魔物とか分けようとする説はあまり好きじゃないです。人間とは見た目も思考回路も違う生き物なんだし。私からしてみたら、この猫ちゃんも、「魔物」です。」
「猫ちゃんは違うでしょ。」
「どうでしょう。その爪も牙も絶対に人間を害さないとは言えないものですし。」
そんなこんなのことを軽口たたきあいながら、小一時間ほども歩いただろうか。
雨上がりの森は雲の切れ間から幻想的な光が差し込み、光と水が木々をきらめかせていた。今悠たちが通っているのは道なき獣道であるがところどころ開けた場所があり、今も木々と蔦の隙間に少し開けた場所があるのが見えた。
「このあたりですよね…。なんだこれ。」
少し開けた空間の木々の根本に隅に、こんもりと枯れ枝をあつめた山があった。山の周りにはつたなく木々を組んだやぐらのようなものもある。
「ここで誰かが何かを焼いたかな。」
バリュバルが足で草をかき分けながら確認する。
エルフィールもいぶかしげにそのこんもり積まれた山を見ながら何か考え込んでいる。
悠も見ながら首をひねる。
「マッチとか、紙とか炭とか火種になるものが何もないので、魔物が起こした火、なの、かな。」
しかし、魔法で火とか起こせるなら火種とかいらないのかな?
クリプテッドベアは爪をかちかちとこするだけで何やら小さな火を起こしていた。魔法とかだったのだろうか。
悠は顔を上げて周りを見渡すとあれ?つぶやいた。
一つの木に、巨大な爪でえぐられたような跡がついている。
「なにこれ…。」
さらに奇妙なことに近くの木の一点に、みょうなもやがかかっている。
「あ。ここ道がある。」
悠が指し示す場所、若い木が何本か見える場所の裏に道があった。
3人は無言でうなずくと草をかき分け道の方に進んだ。
道の先はちょっとした坂道になっていた、獣道、にしては草が補正され、ところどころ土が露出している。
しばらく歩きなんどか踊り場のような箇所まがりさらに先へ進むと小さな丘にたどり着いた。
3人が昇り切ったのを待っていたように直後、がさ、と奥の草むらが音を立てて踏み倒される。
その先にいたのは。
「ここまでするか。汚らしい人間どもよ。」
女性の声だった。その先にいたのは大柄な女性だった。少なくとも悠には女性に見えた。長身で肉のついた腕と足。絹のようにさらっとした服は丈が短く惜しげもなく太ももや腰をさらしているが、その足には肉が付き、がっちりした体形をさらに大きく見せていた。靴は履いていないが、構わず草を踏みしめるその足は、靴などいらないと、全身で凶悪な力強さを物語っていた。
悠の太ももほどはありそうな腕には刃こぼれしたロングソードが握られている。
顔は人間とは違い、横長の輪郭、鼻筋と口は完全に大型の犬か狼のそれで、裂けた口からは真赤な舌が除く。そのくせ目だけは完全に人間の瞳で、吊り上がった大きな目はまっすぐこちらを見据えていた。
瞳の緑の光は指すような怒りを湛えており、全身はまるでオーラが立ち上るような殺気に満ちていた。
「え…エギド…?」
「……温厚…?」
悠とエルフィールのつぶやきが、むなしく雨上がりの青空に溶けて消えた。




