8話 橋姫ガールと海の誘い(中編)
赤島西海浜公園、デッキ下。
「やっぱり、下に降りてみるといろいろ違う。波の音も、潮の匂いもハッキリと感じることができる……。モアッとした生暖かい風も、気持ち悪く感じないの。むしろ心地良い。……不思議ね」
「そりゃあ……オレが一緒にいるからだろっ?あと、手ぇつないでるからな」
「……そうかもね、案外」
隣で手をつないで佇んでいる橋立は、ほっぺたを紅潮させた。耳たぶもしっかりと赤に染まっている。
あいにく、彼女の心臓の音は波の音にかき消されてあまり聞こえないが、手を通じて鼓動が伝わってくる。……めっちゃ速い。
クールで簡潔な言動も少なくない彼女『も』、この状況にはドキッとするようだ。
「『案外』って……。ここは断定してほしかったなぁ。『私は、颯君と一緒にいて楽しいし、うれしい』ってね」
「そんな照れること、私が言えるわけないじゃない」
一瞬、橋立が海の水面から顔を背けた。
オレの方にも顔を向けない。
「あれっ、さっき似たようなこと言ってなかった?確かデッキの上で……」
「気のせいじゃない?……きっと気のせいよ」
「……そこまで言われちゃあ、そうなんだろうなー」
「こんな曖昧に否定したことでも、真に受けるんだ?」
「えっ。だってさぁ、ムリに暴くわけにもいかないだろ?『曖昧なままにしときたい』って時も必ずある。……オレだってあるさ。曖昧なままでもいいんだ。それでやっていけるなら、わざわざ暴く必要がないんだよ」
オレが海の水面に向かって呟いた後に、オレ達の周辺にしばしの沈黙が訪れる。
波の音や潮風の音があったとしても、互いに言葉を紡ぐことはなかった。
でも、どこか安心する。
沈黙すらも、心地良く感じるのだ。
……手をつないだままだからなのか。
「どうした、いきなり考え事して」
「……そういうところなのかもね、茂木颯がモテる理由っていうのは」
橋立が『モテる』なんて言葉を言うのは意外だ。
……いや、オレに『妬ましい……』って何度も言ってるくらいだから、彼女が意識していない方がおかしいのか。
「えっ、そうなの?」
「変に突っかかってこないもの。……これ、結構大切なことよ?当人が醸し出す雰囲気から、ギリギリの一線を見極める。そして、そのギリギリのところでコミュニケーションをとってるのね」
「……自分じゃあ、あんまり気づかないことだな」
「無意識なんでしょうね。もしかしたら、本能で察知してるのかも。……だからこそ不思議」
「オレとの会話で何か違和感が?」
「違和感……かもね。なんでずっと私に構っているのか。一線を踏み込んでまで」
「……一線、踏み込んでたか?」
「まあ、3歩くらいは踏み込んでるんじゃない?」
「……悪か──」
オレが手を離して頭を下げようとすると、橋立は察知したのか手を握る力を強めてきた。
おかげで、謝ることが出来なかった。
……仕方がないので、橋立に行動を、体を委ねることにした。
委ねた後に、上目遣いで彼女のことを見たところ、顔を向けてきて目が合った……が、橋立はすぐに海の水面に目線を移してしまった。
凛とした顔だった。
彼女の持つ美しさが、海の醸し出す雰囲気も相まってつい見惚れてしまう。
「『悪かった……』なんて、謝らないで。……怒ってないもの」
「……そうか」
「こんな分かりやすい『一線』に颯君が気づかないわけがない。数え切れない人とコミュニケーションをとってるアナタが分からないはずがないのよ。『もういい』って何度も言った気がするのに……」
「……じゃあ、『一線』はまだ先にあるんじゃないか?」
「颯君はそんな賭けで人と接するタイプだった?石橋を叩いても、『万が一があるから』って渡るか迷うあの颯君が?」
確かにオレは安全志向だとは思うけど……。
自分ではあんまり気づかないものだ。
まあ、橋立がそう言うのなら、そういう『一面』もあるのだろう。
……てか、この例えはなに??
「……オレ、そんな風に言われてた?」
「いえ、ついさっき私が考えたものよ」
「イヤだって言うなら、何度でも謝るからな。それくらい大事なものだ。『一線』っていうのはな」
「アナタに聞きたい。……私に構う理由は何?」
「……ただ、困ってる奴を放っておけないだけだよ」
「それだけ?」
「……それは──」
…………。
「……いや、いい。言わなくて、いい。……ごめんなさい。私、こんなこと聞いちゃって……」
「……知りたかったんじゃないの?」
「いいえ、いいの。だって、曖昧なままにしておいた方がいいものもあるでしょ。今がまさにそう。言葉に詰まるなら、それでいい。理由よりも今の時間があれば、それでいいのよ」
橋立の言葉は、聞くだけなら優しく包み込んでくれるものだが、同時に『諦め』のようなものも微かに感じた。
橋立だって、オレが一つの理由だけで動いているとは思っていないのだろう。でも、『曖昧なままでいい』というオレの言ったことを信じて踏み込まないようにしているんじゃないのか。
優しく微笑みかけた彼女の横顔に、オレの心は申し訳なさを覚えた。
──────────
橋立の抱えてる問題は解決したわけじゃない。
海に連れて言っただけで物事が解決するなら、いくらでも連れて行ってる。
でも、この海浜公園に到着した時……いや、オレと学校を出て、一緒に電車に乗っている時には彼女の嫉妬心が外に発信されることはなかった。我慢している様子も無かったのだ。
だったら、この衝動的な行動も意味があったんじゃないのか?
夕日が沈みかけている。
それに伴って、海は夜の姿を現そうとしている。
今日が、終わりかけている。
今日という日だけで、全てを解決することが出来なくても、それでも今日という日の行動が解決の一助となるのなら、オレはとてもうれしく思う。
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