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私にできることはない。マクみたいに絵は描けないしアドバイスもだめ。でも、マクが安心して絵を描けるならいい。私の存在価値はあるかもしれない。だって、マクの作業効率が上がる。なので、今日の私は朝からつきっきり。図らずも、前日の予想が今日に繰り上げ。そっちに掛けた人は非常に悔しがってた。
そして、今日は間違いなく最終日。美術部だけでない。有志の人も集合。昨日の倍の人数で作業を開始。で、マクは相変わらずハイペース。赤の絵の具で描きもした。抵抗もたいぶ少なくなったと思う。少なくとも、見た感じで問題はない。
「なあ、鮫島先輩。不思議だと思いません?」
朝からずっと作業をしていて、お昼を過ぎた頃である。昨日、お話をさせてもらった後輩が話しかけてきた。相変わらず体格がいい。一朝一夕で変わることでもないけど。
「えっと、何が不思議なの?」
私は率直に聞く。主語が抜けてて分からなかった。
「これですよ」
「これ? どうしてかな」
彼が指したのは、大慌てで作成してる看板。文化祭の華であり中心。誰もが必ず目にする。入り口の目立つところに設置するから。
「だって、そうでしょう。なにもこんなぎりぎりになってやらなくていい。文化祭の日程は逃げていきませんし。なのに、文化祭前日で血眼になってやる。これが美術部の伝統なんですよ」
「へえ、そっか」
たしかに前もってやればいい。そうすれば、今回みたいなイレギュラーに対応できたかもしれない。無論、今回もなんとかなりそうだ。
「でも、なんていうかさ、一体感みたいなのがほしいんじゃない? 最後の最後で集中して同じ時間と目的を共有する。これが大切なんだと思う」
「まあ、そうっすね。しかし、それは外部の人間に核を任せたとしてもですか? てか、俺は悔しいのかな。だって、篠原先輩はずっと絵を描いてなかった。その話は絵を書く人間なら誰もが知ってます。俺でさえ、彼を目標にしてたんですから。ところが、彼は絵を描くのを止めてしまった。さらに、何の気まぐれか。また、絵を描き始めた。ここにいる誰よりも上手に」
彼の気持ちは分からなくもない。つまり、それだけ彼が真剣に絵を描いてる証。
「結局、世の中って不公平なんですよね。篠原先輩にかわいい幼馴染がいる事実も然り。まあ、俺はそんな幼馴染がいてほしいとは思いませんけど。金輪際。異性への審美眼がおかしくなりますし」
「ということは、マクのことが嫌いなの?」
「さあ、分かりません。そういう二元論的な感情は返答できないな」
「でも、その割にはマクのところへ行くよね」
「それは盗もうと思ってるんですよ。おいしいとこだけね。ほら、彼みたいに」
その言葉には苦言を呈したいが。べつにたいして固執してるわけでもなさそうだ。
「さて、いい気晴らしになったな。ありがとうございます。鮫島先輩」
隣に座った彼が立ち上がる。
「ねえ、あのさ」
「なんですか?」
意表をつかれたのか。彼はなかなかに厳しい体勢で振り向く。中途半端な膝立ち状態だ。
「私に君の名前を教えてくれない?」
「俺ですか?」
「うん」
「へのへのもへじで。んじゃ」
その瞬間、私は信じられないほどの握力で彼をつかむ。おかげで、体格の良い彼がよろめく。自分でもびっくりした。
「はあ、鮫島先輩も一筋縄ではいかない人ですね」
彼があきれるのも当然だ。
「ごめん。いろいろと。人に名前を聞く時は自己紹介から始めないとね。では、改めて。私、鮫島翠。よろしく」
「まったく。分かってないな。鮫島先輩も。俺、神津。たぶん、もう話す機会はないと思うけど。一応、よろしくお願いしますよ」
「フルネームっ」
腰に両手を当てて要求してしまった。ちょっと先輩らしくない振る舞い。
「神津孝治。これでいいですかね」
「オッケー。ありがと」
彼は私の言葉を聞くこともなく去っていく。などと思ったら、いきなり引き返してきた。そして、ものすごく真剣な表情で一言。
「だったら、俺も聞いていいですか?」
「んん? なにを?」
「京極のことです」
「京極?」
一瞬、何を言われてるか分からなかった。それは彼に京極というイメージがなく。律くんの方が大きいからだ。
「律くんのことだよね」
「そうですよ。鮫島先輩は彼と付き合いそうな関係ですよね。幼馴染の先輩はどーすんですか?」
「あっ、それは違うよ。しかも、話が大きくなりすぎてるし。律くんに恋愛感情はないから」
「へえ、そうですか。でもね、彼が裏で画策してますよ。実際、あいつはなかなかの曲者でしてね。というか、天然の曲者。だから、ますますたちが悪い。思いつきでとんでもないことをしでかすんだ」
なにやら一悶着ありそうな予感。私は無難な返事をしておく。
「まあ、そうよね。彼の悪い面を注視すれば。たしかに、彼との出会いはとんでもなかった」
律くんとのファーストコンタクトを思い出す。彼は好き放題に踊ってた。
「てか、よく知ってるよね。仲いいの? 律くんと」
「まさか。俺が知ってるだけですよ。あいつもまた目立つから。その点では鮫島先輩と一緒。てか、俺は基本的に誰とも仲良くないんで。ほら、人の悪い面ばかりが見えるタイプでね。なんか知らないんですけど。たぶん、誰とも親しくなれないでしょうね」
いや、そんなことはない。一人思い浮かぶ。確実に合いそうな人物が。人間観察が好きなきっちり髪型の女の子とか。
「鮫島先輩? 何がおかしいんですか?」
「ううん。私の友達に君と波長が合いそうな人がいてね。だから、おかしかったの」
「へえ。そうっすか。気のせいでも嬉しいですよ」
彼が立ち上がる。今度こそお開きだ。
「ではまた。いらんことを言ってすいませんでしたね」
「あっ、ありがとね。私のことを心配してくれて」
彼が振り向く。
「べつに」
しかし、すぐにそっぽを向いた。
「ただ、俺は篠原先輩の心配をしただけですよ。あんたの心配はしてません。つまり、彼が幼馴染に振り回されるのはかわいそう。だから、へんな奴にうつつを抜かさないでしっかりしてくださいね、ってことです。すいません。まあ、俺が言うことでもありませんがね」
そうして、彼は作業に戻っていく。
「今年もお疲れ様でしたぁ!」
「「「「「お疲れさまでしたっ!」」」」」
代表に合わせて全員の唱和。ついに看板作成の作業が終わった。ただ、感動のフィナーレというわけではなく。みんな疲れ切っている。でも、その中に満足感。やはり、目的に向かって全員で協力。この体験は何物にも代えられない。これを考えると、私は外で見てただけ。少し寂しい感情があった。
「マク、良かったね。無事終わって」
「翠もご苦労様。何度も差し入れとかしてくれて。そういえば、雑用はすべて翠任せだったな」
「そうだよ。でも、楽しかったかな。たぶんさ、運動部のマネージャーってこんな感じなんだろうね。いい経験になったよ」
「そっか。うん。てか、美術部なのにノリが体育会系だったし。だから、運動部のマネージャーか。表現がぴったしだなあ。まあ、とにかく疲れたよ」
マクのテンションは高い。それは絵を描き切った充実感だろうか。それとも、その先にある顛末を考えてかな。もちろん、私はそうであってほしい。あの夏休みの結論が出るから。そうすれば、私はお姫様になりそうだ。たぶん。少なくとも、意識は変わってしまう。
「しかし、今日はずっと絵を描いてたな」
そうである。今日こそは一日中という表現が相応しい。朝から夜まで。いや、それすらも越えている。時計の長針は十二を通過。厳密には当日完成だ。おかげで、学校に泊まる強者もいた。
私とマクは家が近いので帰宅。足早に校舎を後へ。明け方なので街は静寂。お昼とは違った一面を見せてくる。
「マク。あのさ」
私はからくり屋敷への侵入を思い出す。あれは夏休みの出来事。時間帯はこの辺だった。あの時は結構眠かったっけ。なのに、今日は全然眠くない。目が冴えてる。
「翠。その後の続きを言わないと」
「あ、うん。私ね、こんな時間に外を歩くのは久しぶりだなと思って」
「久しぶり? ああ、そっか。夏休みに佐々くんの呼び出しがあったな」
「そうだよ」
なんとなく感慨深くなる。
「夜中にからくり屋敷へ行ったんだ。うん」
くしくも、マクが特別な発言をした日と一緒。
「そう。その日だったよ。僕が一つの決心をしたのは。翠を大切にしたいって決めてさ」
「ほんと、いきなりでびっくりしたもん」
「ごめん。でも、絶対にあの瞬間で言わなくてはいけなかったんだ。衝動的だとしてもね。翠はそういうことってない?」
「まあ、たぶん」
あるかもしれない。一応、思いつく。そもそも、人間なんてそんなもの。理性より感情の方が優先されてしまう。それは今の私が泣きそうなことも。なぜだか分からないけど、悲しくなってくる。
「翠。なんで泣くんだよ。泣く理由なんてないぜ。必要性だってない」
「そうだよね。マクの言うとおりだ。なんでだろ」
やっぱり、すかさず見つける幼馴染。隠そうとしてもばれてしまう。
「だからさ、翠。泣かないでくれ。頼むよ」
ここ最近では見ない顔。マクは本当に困った表情だ。しかし、私はそれが見れて満足する。不思議なことに。今までそんなことは一度だって抱いてない。だから、私は自分の感情に収拾がつかなくなってると思った。
「ほら、翠。僕はしなければならないことをこなしたんだ。つまり、けじめだね。僕は自分の中にある感情とケリをつけてきた。絵を描くことによって」
「私もマクが絵を描いてくれて嬉しかった。しばらくはその姿を見られないと思ってたから」
「僕自身だってそう思ってたよ。とにかく、強く決心する環境ができあがったんだ。こうして、いろんなことを踏み台にした。そういえば、三波後輩が言ってたな。踏み台がないと誰かを強く引き上げられないって。地球の重力があまりにも強いから」
沈黙。やはり、私とマクがしゃべらないと音がしない。静まりかえってる。まるで私とマク以外誰もいないみたい。
「つまり、誰かを優先することはべつの誰かを優先しないこと。単に見てる角度が違うだけ。結局、同じ意味かな。だから、翠を大切にしたいってそういうことなんだ」
私は考える。マクが言いたいこと。それは幼馴染や恋人とかの垣根を越えていて。
「だったらね、マク」
ーー私を離さないで捕まえててよ。
私の言葉は胸中に留まってしまう。せめて雰囲気を味方につけないと。たとえば、後夜祭みたいな非日常的な空間。それならなんとかなるかもしれない。
「どうしたの? 翠?」
「べ、べつに。なんでもない。たぶん、明日話すから」
「そっか。うん」
マクはとりたたて興味なし。いつだってそうだ。それがマクである。
「でも、僕だってそんなこと言ってたな。三波後輩と会った前日に。ほら、翠から電話が来て言ったんだよ。上手くいったら話すってね。ただ、ずっと話してない」
私は思い返す。たしかにマクの決意は聞いてない。でも、あの事件があって変化したんだろう。そのせいで言う必要性がなくなった。などということを考える。
「ちなみに、それを私が聞いていい? 自分のことを棚に上げてるけどさ」
「うーん。分からないな。僕も伝え方がまとまってないんだ。時間が経ったせいでね。あ、そっか。だったらこうしよう。翠が明日話してくれたら僕も言う」
「ずるいよ、それ。だって、私が明日に話したいのは大事なことだし」
「うん、知ってた。僕だって、翠の幼馴染をずっとやってるからね。なんなら、翠の昔話でもしようかな。家に着くまでちょうどいいし」
なんか面白くない。また、マクにやりこめられた気がする。なので、私の頬は膨らむ。意識しなくてもこうなってしまう。
「もう。マクのばか。私よりもずっと年下のくせに」
久しぶりにこんなセリフが。勢いで思わず。嘘の重ね着だ。またやってしまった。本当は違うのに。実はマクの方が年上。私が気づいた時にはすでに手遅れで。かなり年上の特権を使いまくった後。なので、既成事実みたいな感じが出来上がってた。
そして、マクの方は何も言わない。たぶん、気がついてないと思う。事実、私だって最近まで気づかなかった。普通に考えて、四月一日が始まりと思うはず。そもそも、マクはそんなことを気にしない。なんて思うのは希望的観測だろうか。
「まあ、そうだけどね」
「え?」
「ん?」
マクが不思議そうな顔。ただ、私の反応じゃなくてマク。そこに違和感を抱く。
「いや、うん。マクが意地になってこないから」
「あー、そういうことか。うん」
違う。本当はマクが唇を舐めてたこと。つまり、マクの嘘。でも、私がマクに年下と言った時で、こんな反応はなかった。




