表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第三章 『センチメンタル・アマレットシンドローム』
35/77

9

「たとえば、ある三人が悲惨な出来事に直面してしまう。程度は死に至る恐ろしい事件。このままだと三人は確実に死ぬ。でも、回避の方法が一つだけ残ってる。それは全く関係のない人物が一人犠牲になること。言ってしまえば、ブレーキ制御が不可能な列車をどう導くか。Aの線路で作業してる人は三人。Bの線路で作業してる人は一人。線路切り替えの分岐器近くにいる人はどうするか。つまり、三人より一人の功利主義か。それとも、自然の摂理に任せて何もしないか。さあ、篠原くんはどちらを選ぶ?」


 突然の質問にしばし考える。こういう心理学的な問題はどこかで見たと思う。うっすらと記憶が残ってた。


「今のは一人を積極的に死へ追いやって三人を助けるか。なんて話ですよね」

「そうよ。もちろん、これ以外の方法は他になし」

「そうですか。まあ、それ以外の方法があったとしたら話になりませんし」


 きれいごとだと、人命を操作する行為は許されない。とはいえ、状況が状況だ。どんなふうに行動すべきか。


「山内先輩。僕はずるいから選びますよ。対象が自分と親しいかどうかで判断します。人数で判断するのではなく。人を重要視しますね。だから、一人と三人でも関係ありません。一人と五十人でも同じです」

「そっか。そうなんだね。じゃあ、これが分岐器の切り替えではないとする。近くの人物を線路に落として列車を止める。そうやって三人を救う。こうだとしたら? えっと、条件は一緒だよ。一人を積極的に死へ追いやって三人を助けるか。違うのはここ。自分が直接的に手を下すこと」


 さらに、きつい条件。こうなると躊躇してしまう。なぜなら、最初の話では副次的な加担だった。行うのは線路を切り替えるだけ。直接の結果ではない。ところが、今回は違う。自分の意志で対象者に働きかける。直接的に手を下す。


「それでも、僕は同じように考えますよ。出来るかどうかはともかくとしてね。窮地の人物が自分にとって重要であればする。重要でなければしない。結局、心理的な見地からすれば無関心です。そこに自分の主義主張がありませんから」

「へえ。だとすれば、重要な人物がいると躊躇なくこなすわけか。人を殺してそれよりも多くの人を助ける云々ではなくて」

「そうなります。ただ、頭の中で考えてるだけに過ぎないですが」

「だったら、どちらも篠原くんにとって重要な人物だったらどうするの? それも選べないくらいに」

「それだったら何もしませんよ。自然の摂理に任せると思います。でも、おそらくは優先順位ができてますね。冷静だったらそこに従って行動していく」

「そっか。うん」


 山内さんは楚々と頷く。一応納得したようだ。


「ところで、これは何のたとえですか? 差し支えないなら聞こうと思いまして」

「たとえ?」

「そうです」


 僕は真剣に頷く。


「べつにないよ。でも、しいて言うならこうかな。これは三好家の話。うちの家族はもうバラバラになったけどね。ただ、どちらを重要視するか。私たちがお兄さんに殉じるべきか。それとも、お兄さんを切り捨てるべきか」

「ああ、そういうことなんですね。すみません」

「いいの。過去の話だから。で、結局は後者を選んだと。ただ、それだけのおかしくてへんな話。作り話だし。気にしないで」

「そうですか。分かりました」


 とはいえ、なにもへんな話ではない。実際に経験して悩みに悩んだ結論なんだろう。僕には窺い知れない。相手の心中が分かるわけないから。これは自分のことに置き換えても同じだ。そういう感覚はいつでも抱く。


 山内先輩がベンチを立つ。スカートの丈を整える。埃を払う動作もした。でも、自前のタオルが敷いてあるので意味はないはず。日頃のしぐさがそうさせるのか。とにかく品のある挙措だった。

 

 さて、ずっと座ってても仕方がない。僕も立ち上がる。なんだか、きれいなタオルが申し訳ない。下に敷かれていい生地ではなかった。などと今さらになって思う。


 ペットボトルのキャップを取り、飲み物を一口含む。中身は半分以上ある。どうやら、話の最中で飲み物を摂取してなかったらしい。それだけ、話に熱中してた。思い返すとそうだ。ずっと、横に置きっぱなし。


「あ、篠原くん」

 

 山内先輩は急にこちらを見て微笑んだ。


「どうしました?」

「あの時計は残ってるかなって。ふと思ってね。もちろん、時計とは中の音声。やっぱり消してるかな」


 時計の音声。あのモーニングコールはまだ残ってる。昔は何度となく消そうと苦心した。でも、声を消すのには勇気が必要。なんとなく消してはいけない。そんな想いにも囚われていた。


 ともあれ、救いは目覚まし時計がたくさんあったこと。だから、あの時計は封印してる。山内先輩と一緒に探した説明書の箱に保管。しばらく開けてない。つまり、全く見てない。電池はなくなってると思う。


「実は消すタイミングを逃して。説明書があった場所へ厳重に閉まってありますよ」

「そうなのね。でも、消した方がいいんじゃない? 何が起こるか分からないよ」

「もしかして、修羅場的なことを想像してます? 時計にあった隠れメッセージのせいで」

「そうよ。なんちゃって。でも、篠原くんは女の子にモテるからね。万全は期しておいた方がいいんです」


 また、その話題だった。最近、知り合いによく振られる展開。対処法は見当たらない。


「君の強烈な幼馴染だってそう。思えばあの日、私は散々悪態をついたな。でも、篠原君の知らないところで和解したの。反省によって態度を軟化してくれた。それもあっさりと。鮫島さんは切り替えが早いよね。今では私の頑張りを応援してくれる。メールのやり取りなんかも結構してるわ」

「そうだったんですか」


 その話は翠から聞いてなかった。ただ、すべて話すとは限らないので当然だ。


「だからあの日、クッキーを大量に食べさせられたという話も」

「うわっ。その話を聞いてるんですか」


 クッキーの件は、本当に申し訳ないと思う。実際、大変な惨事へと発展した。あれを翠が笑い話にしてくれるからまだいい。ずいぶんと救われてる。本来はずっと責められても仕方がないことだ。


「女の子のお腹を壊させるなんてね。篠原くんもえげつない」


 もちろん、忘れないあの日の顛末。帰り際で急にすごい雨が降り出した。あるのは小さな折り畳み傘が一つ。これで豪雨の中を帰宅。身を寄せあっても雨は避けられない。制服がかなり濡れたのを鮮明に思い出す。夏服で翠の下着は透けていた。必死に目を逸らそうとしても上手くいかない。ハプニング。色は白に似た水色っぽい黄色。要するに、その辺の三色が混ざってた。ミルク味の飴玉みたいに甘ったるい気分だったと思う。


「ただ、私が作ったクッキーでもあるからね。申し訳ない気持ちもあった」

「いいえ。山内さんは少しも悪くありません。僕の保存の仕方がいけなかったんですよ。出しっぱなしにしてたりとか。後、大量に食べさせたせいもあります」

「うん。まあ、そうよね。でも、私だって悩んだわ。自分が作ったクッキーと言うべきか」

「その話は結局?」


 僕は続きを促す。


「結局、言ったわ。鮫島さんがクッキーを大量に食べさせられた理由を聞きたがってたから。私が篠原くんに作ったやつだからだよって。一刻も早く無くしてしまいたかったはず。などと説明したかな。それに彼女は納得したのよ。お腹を壊した事実もやむを得ないと。そんな解釈もしてた」

「そうですか」

「そうよ。むしろ、違うことでむくれてたけど。クッキーの件ではなくてね」

「え?」 


 その話は初耳。あの後、しばらく機嫌を悪くしてたのはクッキーが原因じゃない。なんて事実があるのか? 実際に翠はそんなことを言ってた。ただ、それ以外の理由が思い当たらない。どうりで、聞き流してたわけだ。


 再度振り返ってみても分からない。まずはあの日、帰宅してすぐにシャワーを勧めたような。翠があまりにもびしょ濡れになってたせいだ。頬だって紅潮させてたと思う。最後の方は走ったから息が乱れてた。そのおかげで、血色が良くなったんだろう。翠は何度もこっち見ながら、洗面所へ消えていく。そんな場面が印象に残ってる。まるで言葉以外の手段で訴えてるみたいだった。


 翠のシャワーは長かった。なんだか、ずいぶんと待たされた記憶がある。服は昔の妹のやつを適当に見繕う。でも、サイズが小さくてピチピチに。おかげで、僕のシャツに落ち着いた。自分の服を幼馴染が着てるのは本当にへんな感じだ。


 僕もシャワーを浴びて、自室へ向かう。ついでに、冷蔵庫からあのクッキーを持っていく。


 ただ、あの日の僕はどうにも冷静でなかった。このクッキーを今日中になくさなくてはいけない。そんな考えに支配された。


「自分の部屋に戻った時、鮫島さんはなにをしてたの?」

「え?」


 たしか、ベットに身を預けてたはずだ。とはいえ、寝てるわけではない。とてもだるそうな感じで横たわってたと思う。格好は貸したシャツだけ。下はパレオみたいにバスタオルを巻いてた。考えてみれば、扇情的な姿。下着も身に着けてないのだから。


 ともあれ、翠はとても大人しくしてた。借りてきた猫みたいに静か。こっちが戻っても言葉を発しない。翠の制服と下着を洗う洗濯機の音だけが響いてた。


「こんな感じだったと思います」

「ああ、そういうことなのね。うん」

「なにか分かりました?」

「そうね。分かったかな。でも、やっぱり分からないかもしれない。迂闊なこと言えないから」

「そうですか」


 それから間が持たなくて、異常なくらいにクッキーを勧めた。むしろ、嘆願してたかもしれない。並々ならぬ勢いで食べさせてた。あの、大量にあった三好加絵のクッキー。これをなくしたかったから。きっと、あんな出来事のせいだろう。どうしても消滅させたい気持ちでいっぱいだった。なのに、目覚まし時計の録音は残ってるからおかしい。何が基準かはっきりしてない。形あるものを残さず。こんな原則でない。自分でもその辺の違いがよく分からない。


「で、鮫島さんも落胆して、やけ食いモードに入ったと」

「一応、僕も同じくらい食べましたよ。それなのにこっちは少しお腹が痛い程度。翠は三日間くらい苦しみました」

「聞けば聞くほどかわいそう。鮫島さんが」

「はい。すごく反省してます」


 なぜか、山内先輩は頭を抱えた。その後、タオルを畳んで鞄に仕舞い込む。そして、視線を空へ移す。同じように、自分も空を見上げる。夏で有名な鳥はなんだろうか。などと思うのは、鳥が飛んでなかったせいだ。


「今年はそんなに暑くないよね」

「そうですね」


 夕方、夏の日差しはだいぶ和らぐ。去年とは本当に大違い。去年は異常なくらいに暑かった。日中はアスファルトが焦げてしまいそうなほど。夕方から夜は気温が下がらず熱帯夜。クーラーなしでは生きていけない。クーラー嫌いでも関係なかった。

 

 山内先輩は視線を僕に戻す。逢瀬も佳境を迎えてる。雰囲気で察してしまう。


「山内先輩?」


 何か言葉が来ると思ったが、そうではない。ただ、視線は固定されたまま。僕を見続けてる。とはいえ、あまり焦点は合ってない。楚々とした表情で遠くを見る。おかげで、自分という存在が透明化したような錯覚。へんな気分だった。


「あのさ、篠原くん。大事なことを教えるね。いつまでも話が閉まらなくてあれだけど」

「いえ、構いませんが」

「そう。良かった。それで今、少し鮫島さんの話をして思ったの。言っておいた方がいいかなって。実際、鮫島さんと私が友好関係を築けているのも知らなかったよね」


 僕は頷く。


「だから、もしかしたらと思って」


 山内先輩が真剣な表情で続ける。


「私、十一ヶ月前のあの日からずっと不思議に感じてたことがあるの。べつに言葉尻を捕らえるつもりはないんだけどね。でも、疑問を抱いたから」

「……」

「実は鮫島さん、篠原くんに言ってないことがあるの。正確にはへんな嘘をついてる。ただ、このことが重大な嘘に当たるのか。私には分からない。もしかしたら、ささいなことかもしれない。とはいえ、少しおかしいかな。篠原くんと私の関係ではないにしても」

「えっと、なんでしょうか?」

「うん。それは鮫島さんの言葉。誕生日のこと」


 ここまでで思い当たる節はない。さらに躊躇なく話は続く。


「鮫島さんは四月一日生まれ。篠原くんは三月三十一日生まれ。鮫島さんが三百六十四日も年上。この話はおかしいと思わない?」

 

 何の話なのか。さっぱり理解できない。腑に落ちない表情を浮かべてたせいだろう。あっさりと核心を告げてくれる。


「ホントは篠原くんの方が一日早く産まれてる」

「え? いや、そんなはずは」

「これ、法律で決まってるの。たしか、教育法にも書いてあったはず。昔は上の学年か下の学年か選べたらしいけどね。四月一日は。ただ、この辺はあやふやなので詳しくは分からない。でも、これだけは合ってる。同学年で一番年上なのは四月二日。一番年下は四月一日。誕生日の前日に歳を取るから。篠原くんがお兄さん。鮫島さんが妹」


 びっくりして声も出なかった。目から鱗が落ちるとはこのことか。全くもって知らない事実がそこに。つまり、翠が究極の早生まれ。僕が一番年下ではなかったのだ。


 ところで、どうしてこんな虚実が生まれたのか。昔の記憶をひっぱり出してきても覚えがない。気がつけばそうだった。周囲の大人でさえ誰一人事実を言わない。だから、疑いもなくそう思っていた。


「知りませんでした。てっきり翠の言う通りだと」

「そうよね。そんな感じだったから。ただ、この話で鮫島さんを責めないであげてね」

「それはないですよ。結局、その辺のことに執着してませんので」

「やっぱりそうだと思った。だから、言えたんだけど。たぶん推測するに、幼いころは彼女も知らなかったんだと思うの。で、事実を知った頃には言うに言い出せなくて」


 そこは散々年下扱いしてた影響もありそうだ。


「この話、ピロトークで暴露すればいいと思うな」

「げほっげほっ」

「わわっ」


 ちょうど、飲み物を含んだタイミング。意図的かと思えるくらいベストだ。一応、山内先輩にかからなくて良かった。


「あなたはなにを言うんですか」

「私、へんなことでも言いましたか?」

 

 おすまし顔なので説得力がある。いや、へんなことは言ってたが。


「いえ。でもまあ、そうですね。意外な事実が知れて良かったです」

「そうね。この話でさらに仲良くなれるといいかな。でも、慎重にだよ。期待してるから」


 そこまで期待されても困ってしまう。


「では、また明日。文化祭実行委員の方もよろしく」

「はい、分かりました。あ、山内先輩」

「なあに? 篠原くん」


 なにか忘れている。なんだろう。思い出せない。


「すいません。なんでもないです。また明日」

「うん」


 山内先輩はにこりと笑う。楚々としたしぐさが美しかった。











 自宅に着いて忘れたことを思い出す。なんで今さら気づくのか。もう少し早ければよかったのに。自分の思考回路にがっかりしながら、靴を履き直す。あの自販機の前へ戻らなくてはいけない。にしても、今日はあの辺へ行ったり来たり。本当に生産性のない往復。あきれてしまうくらいだ。


「だいたい二時間前か」


 外に出てつぶやく。見込みは薄いかもしれない。いや、あそこの自販機は死角だった。ならば、まだ残ってる可能性も。とにかく、千円札のお釣り。今はそのことしか考えられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ