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幼馴染の彼女にしておく  作者: トマトクン
第三章 『センチメンタル・アマレットシンドローム』
33/77

7

 自分は堪え性がない。これはしょっちゅう思う。気になってしまったらお終い。完璧に意識が傾く。後はそこに囚われて陥落。まるでアリジゴクにはまるかのようだ。つまり、気になったことは突き詰めないと。追及できる範囲であれば確かめたい。


「結局、あの飲み物が気になるし」


 誰もいない自宅で一人つぶやく。テレビから流れるニュース。世界中の凶悪な現場が映し出される。戦争、宗教対立。殺人、通り魔、監禁。自販機の謎なんてどうでもいい範疇だ。


 ところで、あのストーカー騒動は収まってる。おそらく何も起こってない。勘と嗅覚の鋭い二人が違和感を抱かないから。翠の護衛として三人で一緒に帰宅。これがはっきりとした抑止効果なんだろう。このまま犯人が馬脚を現すことなく収まってくれればいい。そうすれば、お互いに平和だ。相手がほんの少しの出来心ならば水に流そう。すべて丸く収まる。


 とはいえ、現状にはなんとなく不安を感じてしまう。この前の気味が悪いおじさん。自販機の奇妙な現象。三波に会えないのも拍車を掛けている。そう。五月と六月。三波と会ってた期間は素晴らしかった。雨が降って、屋上へ行く。彼女が不思議な話をする。それは本当に楽しい出来事。刺激そのものだったと思う。心のやさぐれも解消していった。罪障、無力、喪失という感情。これらが収縮していく。隅の隅へ。追いやられていくような気がした。


「やっぱり行くか」


 僕はテレビを消して立ち上がる。適当な私服を取りに自室へ。準備を終えて家を出る。鍵も施錠した。


 翠の家の前を通れば、キキという名の犬。ワンワン。ワンワン。今日も元気よく吠えてる。エサはもらえているだろうか。一年前の騒動はキキのエサの話が始まりだった。なので、時々心配になってしまう。たぶん、あれから問題は起こってないと思うけど。


 犬といえば、ミステリも大いに関係してくる。吠えなかった犬理論。犬が吠えないので馴染みの人間が犯人。などというミステリは安易だ。こんな批評である。たとえば、翠のストーカーは犬が吠えないから幼馴染の篠原千之。それ以外の論理が存在しないと。この手法はすでに使い古されてるらしい。なので、禁じ手になっていた。


「それにしても吠えすぎだよな。いつもここまで吠えてたか?」


 疑問に思って辺りを見回す。すると、この前のおじさんがいた。彼に吠えてたのか。謎が氷解していく。しかしなぜだ。四十代くらいの男性。ファストフードで諍いを起こしかけた人物。彼がどうしてここへ。さらに、目まで会った。大変だ。彼がこちらへやってくる。僕の心臓がにわかに動き出す。不自然なリズム。ドクドク。ドクドク。安定した調和が取れない。


「やあ。これは奇遇だね。君とまた会えるとは」


 本当に白々しい。こんな人に自分が対抗できるのか。演技でもいいから、気丈に振る舞わないと。幸いにも演技の見本は目撃した。単に真似すればいい。


「ここの住人に何か用ですか?」


 絞り出した声は震えてたかもしれない。でも、放っておく。それどころじゃない。翠が気づく前に事を終わらせたかった。


「用なんてありませんよ。君にも彼女にも。ただ、対象が近いんでね。私とニアミスするのも仕方ない。ほら、災害があったら困るでしょう。これを防がなくてはいけないんです。二十九の軽微な事故と三百のヒヤリ経験。みんな怖い怖い。災害に発展していく恐れがある。なので、未然に備えましょう。確率を少しでも低くするために。要するに、ハインリッヒの法則ってやつですよ。統計学的なお話です」

 

 煙に巻こうとしてる。間違いない。


「おやおや。そんなにいきり立たなくてもいいでしょう。最近の若者はこれだから困るな。だったら、君が納得できる理由を授けましょうか。そうですね。私はあの屋根を見てたのです。職業は建築系。色々な建築物を見て勉強しないといけません。神は細部に宿るとも言いますし」

「そうですか。でも、あまり長居をされても困ります。あなたには僕たちを尾行した過去があるので」

「ははあ。まあ、その通りですね。ただ、約束したでしょう。そんなことは金輪際しないと。お忘れになりましたか。お互いに興味がないという結論。それとも方針を変えて友好でも結びますか? 私は構いませんよ。お一つどうです?」


 彼は内ポケットから飲み物を取り出す。しかも、僕に差し向けてきた。まるで毒リンゴを進められてるみたいだ。


「いりません。これから買いに行きますので」

「ほうほう。それは残念。ではまたですね。その機会が訪れるかは分かりませんが。この前の切れ者少年にもよろしく」


 こうして、男性は去っていった。急に肩の力が抜けていく。だいぶ緊張してたんだろう。


「まずは相談だ」


 僕は携帯を耳に当てる。ワンコール。切れ者少年はすぐに出た。


『しのぴー、どうしたあ?』


 耳元でだらけきった声。あまりの緩さに少し落ち着く。


『佐々くん。あいつが翠の家の前で立ってたんだ。そして、話しかけてきた』

『おい。待て。それマジか?』


 声のトーンは先ほどと違う。いや、自販機の時とも全く異なってる。


『あいつにへんなことされなかったのか』

『いや、特には。この前よりも穏やかだったと思う。どうも、感情の浮き沈みが激しいタイプみたい』

『ああ、それは間違いねえ。俺も対峙してみて感じたぜ。ただ、あのタイプは振れ幅がすごいぞ。本当にやばい時はとんでもなくなる。本当にやばいんだ』


 佐々木くんの声に熱がこもっていく。


『とりあえず、今からオマエの所へ行く』

『え? いや、そこまでの大事ではないよ。ほんの少し顔合わせただけだから』

『そうか? ならいいのか。とにかく、状況を詳しく説明してくれ』

『あ、うん。分かった』


 僕は覚えているかぎりの説明。一字一句ではないが再現はできた。


『たしかに大丈夫そうだな。直截的な被害を被ることもなさそうだ。でも、翠ちゃんの家の近くにいたというのも事実。だから、油断はできないぜ。頭に入れておいた方がいい』 

『そうだね。間違いない。核心だって遠ざけようとしてたし』

『ああ、なにか隠し持ってるのは確実だ。それがこっちに影響してくるかどうか。ここはともかくとして。ただ、言質は信用できるな。信頼など当然ないんだが』


 結局、最後には静観の結論が出た。とりたてて騒ぐ必要はなし。でも、注意は継続。これまでと変わらずに尽力していく。


『それに翠ちゃんのストーカー犯人もあいつの方がまだましだ。よく考えてみればな』

『え? さすがにそこまでは思えないんだが』

『いやいや。そんなことないぞ。まず未知ではない。しかも、あいつには粘着性を感じない。ストーカーでやっかいなのはまさにそこじゃないか』


 とはいえ、あの男の危険性は散々指摘していた。


『ああ、その通り。存在自体は虫唾が走るほどやばい奴さ。ただ、あいつが言った通りのような気がするんだ。こちら側には興味がない。二度も断言してるし』

『だったらさ、なんで二度も顔を合わせないといけないんだ?』

『そこまではさすがに分からん。だから、翠ちゃんの警護を続けなくてはいけないぜ』


 話し終えて電話を切る。タイミングがなかったので結構な長電話。文化祭実行委員の話題も少し出た。そこから派生して、山内先輩の話も。彼は生徒会長が好き。恋の協力も依頼された。だから、こうなるとめんどくさい。薄情だと思うが仕方がない。色々と不都合が生じる。それに協力しても役に立たない。


 そういえばと思い出す。自分が何をする予定だったか。通話の最中は適当に歩いてた。たぶん、人がいない方へ向かってたんだろう。目の前には閑静な住宅街が広がっている。人は見受けられない。考え通りだった。


「さて」


 軌道修正して来た道を歩く。少し戻って、交差点を曲がる。目的地を目指す。ただ、その場所も戻る行為に等しい。つまり、なんとも生産性のない足取り。同じ道を行ったり来たりと。繰り返して続いていく。


 やがて、件の自販機の前へ。もちろん、一つ以外は全て売り切れ。上から二番目。左から二番目。普通の商品。清涼飲料水。ここだけ丸い赤ランプが灯ってる。とりたてておかしくは感じない。これも少し前に調査済みだ。


 千円札が機械に吸い込まれていく。ジーッ。ジーッ。やけに音が響く。中身のなさが関係してるんだろうか。投入口を見つめながら商品を待つ。いや、ここを見てても仕方がない。その下の取り出し口に視線を移す。ガラン。ゴトン。ここでも派手な音が鳴る。気のせいか。違いを探す意識が影響してるかもしれない。


 取り出し口から商品を抜く。表示通りのペットボトル。キャップを取って試飲。ごくりと喉を鳴らす。間違いなく問題ない。これは翠や佐々木くんと同じ感想だ。ならば、飲み物以外の要因か。ただ、そこが分からない。


「篠原くん。何かあった?」

「え?」

「ごめんなさいね」

「……生徒会長」


 僕は驚く。この場に人がいたこと。生徒会長の山内先輩という事実。急に佐々木くんの褒め殺し文句が思い浮かんだ。ここ一年での急成長。凛とした風格。上品な身のこなし。美しいたたずまい。生徒会長になって変わったという。一気に洗練されて美人になったと。内面の素晴らしさが云々。さすがにこの辺りは聞き流してたが。


「突然だもの。驚くよね」

「いいえ。いや、驚きましたけど」

「ほらそう。やっぱり」


 山内先輩は薄く微笑んだ。どこか憂いを帯びた表情。楚々としたしぐさ。その中にもたおやかさを感じる。まるで柳みたい。


「気を悪くしたら謝ります。声を掛けるのはルール違反と思ったんだけど。でも、表情がすごく険しかったから。少し心配になって。ね」

「そうですか。心配かけてすいません。逆にありがとうございます。ただ、全然大丈夫ですよ。取り越し苦労だったりします」

「そうなの? よかった」


 どうやら、心底ほっとしてるようだった。


「あの、生徒会長」

「なあに? 篠原くん」

「えっと、ルール違反なんて思わないでください。学校で話すのと一緒じゃないですか」

「それは事務的なことだから。ほら、文化祭実行委員の関係なんかでね」

「生徒会長。僕は嬉しかったんですよ。それ以上にびっくりもしましたけど」

「本当? 私、避けられてる気がしたんですよ」


 それは佐々木くんとの折り合い。顔が広い彼に勘づかれる可能性。などという算段だ。とはいえ、明らかに無駄な抵抗だったが。しかし、佐々木くんも持ってない。僕が強引にでも呼び寄せていれば。大事でないと判断して電話で済ませた。おかげで、好きな人と会える機会を逸した。放課後だからポイントが高かったのに。


「とにかく、避けるわけがありません。だから、もう一度言いますよ。僕は嬉しかったんです。今、声を掛けてもらえて。なぜなら、黙ってやり過ごすこともできましたよね。それなのに、生徒会長は心配してくれました」

「そうね。うん」

 

 山内先輩は次の言葉が見つからない感じだ。


「言ってしまえば、文化祭実行委員で最初に打ち合わせた時もです。あの瞬間だって嬉しかった。普通に声を掛けてもらえて。逆に自分がぎこちなくて申し訳ありません。完全に意識してました」

「仕方ないですよ。視点が違うから。あまり気にしないで」

「はい。すいません。生徒会長」

「ふふふ」


 山内先輩が急に笑い出す。なのに、挙措は美しい。


「あの、どうしましたか?」

「ごめんなさいね。なんだかおかしくて。こんなこと言える立場でもないのに。後ね、思い出し笑い」

「思い出し笑いですか」

「そうよ。君が持ってる飲み物を見たら思い出したの。アレー、アラー、ホレレーだったかな」

「ははあ、なるほど」


 ペットボトルのラベルを見て納得する。同じように思い出し笑いがしたい。気分も愉快になっていく。


「ねえ、篠原くん」

「はい」


 続く言葉はおそらく決まってる。


「少しだけ時間あるかな?」


 予想通りだった。

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