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第111話 虚ろなかたち

 ルイが聖剣を振るう。


 その剣筋はあまりに速く、ただ虹の閃光ばかりが尾を引いてハルカたちの目に映る。



「――甘いわね」



 次の刹那、鈍い音とともに広がった光景。それは、ルナが黒い剣で聖剣を押し留めている姿だった。


 夜の闇を薄く切り裂いてそのまま刃としたような剣である。鋭い剣身に、どこまでも深い黒を讃えている。彼女の瞳の三日月は、ちょうどこんな夜空にかかるのだろう。彼女の細い腕には似合わず、勇者の剣を微動だにさせぬほど力強く防いでいる。それはまるで、朝が来るのを拒むように。



「ふふ、前代魔王をその手にかけたときは、もっと恐ろしいほどの剣捌きだったけれど。陰から見ててゾクゾクするぐらい。ずぅっと裏門に突っ立っていたら、使い方を忘れちゃったのかしら。闇魔法もまだ上手く扱えないうちにね」



 小さな子を憐れむようにして、くすくすと嘲笑するルナ。だが、ルイは泰然としていた。



「んなもん――」



 低く、地を這うような声が、彼の食いしばっている白い歯をすり抜けるようにして響いた。いつもの、時折女と間違われるような高い声とは別人のようだ。



「――ジャブに――決まってんだろっ!」



 その叫び声を合図とするように、ふたりの剣の拮抗は一気に崩れる。


 彼はルナの剣を弾き返し、そのまま彼女の体勢が崩れたのを見計らって間髪入れずに切り込んだ。


 狙うは首筋。


 ただその一点へと一直線に閃光が走り、ひとつ大きな傷となる――


 ――はずだった。


 しかし次の瞬間に聞こえた音は、風のうねりばかり。


 目の前に確かに居たはずの女魔族の姿は忽然と消えていた。


 ルイの動きが、わずかな困惑に淀む。


 だがその淀みは、彼が背後の気配に気付くのを遅らせるほどではなかった。


 虹色の光は乱れなき円弧を描き彼の背後で静止。冴えるほどの鋭い音が、その空間を満たすように響き渡った。


 ルイとルナは、またその視線を交わす。



「――そう」



 鈴の声が短くひやりと過ぎ去れば、細く張り詰めた糸のように、繊細なる静寂が再びその場を支配する。


 その静寂を破ったのは……



「はぁぁっ!」


「そぉいっ!」



 ……まだ年若い少女、否、武人ふたりの、気合の声である。


 ルナの華奢な背へと、彼女たちの刃が踊りかかった。


 だが、またも少女の姿が空間の中に溶けていく。ふた振りの刃が触れたのは、魔族の身体ではなくルイの聖剣であった。



「ああもうっ、すばしっこいなぁ!!」


「ミーシャ、集中しなさい」



 以降も立て続けに転移魔法であちこちへと飛び回る敵へぶつけられる、苛立ちの叫び声。


 完全に、踊らされているかのように思われた。



「……あっちだ!」



 いや、いつまでも策に踊らされる彼らではない。


 すぐにルナの出現パターンを見切った。転移魔法の転移先には、常に制約が付き纏うからだ。3人は無闇に駆け回るだけでなく、次に敵の現れる地点を予測し、ついに姿が見えるのと同時に一斉攻撃を仕掛ける機会さえ得たのだ。


 だが、ひとつ道を塞がれただけで尽きてしまう魔王ではない。


 途端に、彼女の体を燐光が包む。



「なっ……この光……?」



 ソフィアがそう呟くのと、手を引っ込めるのとは同時だった。


 ルイ、ミーシャ、ソフィアの取り囲む中心にいた少女の姿に、剣姫もまた、驚きの声をあげる。



「え、ハルカちゃん?」



 それは、そこにいるはずのない仲間の顔だったのだ。


 影を纏うだけではない。念を入れ、人心を操る呪いをわずかに忍ばせている。彼女が本当にハルカかもしれないと、錯覚を起こさせるように。


 武器を持つ手が強張り、刃は、目の前の少女の肌に触れるかどうかというところで止まる。そんなわずか一瞬のためらいも、勢いを失わせるには充分な時間。


 ともすれば、命取りとなるかもしれなかった――



「「風の精霊、ニンフよ! 風の糸によりてかの敵を縛り、動きを封ぜよ!」」


「氷よ。針山となりて、かの者を穿て」



 ――後衛の3人が同時に、容赦なき攻撃魔法を放たなかったなら。



「……そんなっ、ユーリ!」


「……ハルカの声音まで使って、見えすいた真似はやめろ。ハルカならずっとここに居る」



 ユーリの隣で黄金色の扇を閃かせながら、一心不乱に舞を踊る少女がいた。


 燐光に包まれ、仲間達――否、ユーリひとりに、膨大な魔力を与えている。


 柔らかく優しい光に包まれ、神々しいという形容がよく似合うほど神秘的だ。


 それと瓜二つの顔を悲しみに歪め、必死に訴えかける少女がいた。



「ち、違うのっ……あれが偽物よ! あいつが、私と入れ替わって……」


魔王(お前)ならそんなこともできるだろうが、そんなもので騙されると思うな。俺たちが一体、どれだけハルカを見ていると思っている?」


「そうよ! あたしたちはハルカの()()なんだからね!?」


「具体的にいえば、ハルカはもう少し背が高いし、ホクロの位置も微妙に違う。その光だって……ハルカの【神の光】は、もっと暖かい色だ。そんなギラギラしたやつではない」


「……いや流石に見過ぎでしょ」



 ルナが丹念に造りあげた涙を一蹴し、ついでにステラのツッコミを軽く流し、ユーリは更に冷たく言い放つ。



「要するに――幻影の()()が通用するほど、俺たちの関わりは浅くないんだよ」



 それから、彼が意識を集中させると、辺りを瑠璃色の光が包む。


 側に控える巫女と一体化するようにして。


 ……すると。


 ハルカの幻はどろどろと溶けるように崩れ、また元のような魔王の風貌が姿を現した。



「みんな、遅くなってすまない。本来なら賢者の固有スキルだから、魔導士でしかない俺が改変して扱おうとすると、思ったより構築に時間がかかってしまった」



 それは、魔王のスキルを一部封じる魔法。


 並の魔族とは質の異なる魔力を有する、魔王にのみ有効な魔法。


 今の技術では、彼女の有する無数のスキルのうち、下等スキルをいくつか封印するのが精一杯だ。


 しかし、これにより、ユーリはルナから3つのスキルを奪った――幻影魔法、転移魔法、そして、人心を操る魔法。


 ルナにとって最重要と思われるスキルを選んだのである。


 ニンフによる拘束も、氷の針山も、魔王にとっては獅子に鳥餅を仕掛ける程度のもの。しかし、前衛の3人の力もあり、この魔法をかけるには充分なほどの時間を稼ぐことができた。


 ルナは、瞬間移動を使えないことに苛立たしげな表情を浮かべながら戦い続ける。


 そんな彼女を、よく鍛えられた冒険者たちが見逃すはずはない。聖剣、長剣、槍。前衛たちの振るう刃は、浅くとも確かな傷をつけ始める。



「ふうん……『()()は通用しない』、ねえ……?」



 少し目を見開きながらも、なお冷静なルナ。


 先ほどユーリに懇願していた、あの悲痛な顔はどこにもない。



「だったらもう、仕方ないわね。()()で勝負するほかありませんわ――」



 その言葉とともに。


 ルナの放つ雰囲気が一変する。


 ハルカを偽るために纏っていた青白い光は、血のように紅黒い炎となった。



「……! ソフィアっ、ミーシャっ! 全員、一度離れろ!!」


「え?」


「了解!」



 ルイが目を見開いて叫ぶと、3人はすぐ、ユーリたちの元へと後退する。



 ――ピキ。



 白磁のように、無機質なまでにただ白いルナの肌。宵闇で塗りつぶしたような衣服が、それを眩しく浮かび上がらせている。


 その滑らかな白に――まるで亀裂が入るように、黒い筋が走った。


 何かが割れるような音とともに、亀裂は瞬く間に広がっていく。


 中から黒々とした靄を溢れさせ、不快な音を響かせながら、彼女は静かに崩れていく。



 ――ビキビキッ……ミシ。



 いや、これは、ルナの崩壊を意味してなどいなかった。


 衣服も、その肌も、小さすぎるとばかりに内側から張り裂ける。


 まるで、卵から新たな命が萌え出るように。


 ぶわっ……と、重苦しくも快い音を立て、何かが風を切る。


 それは、さっきまで少女のいた場所を中心に広げられた、巨大な翼であった。


 突如現れた()()。その巨体には、如何なる光をも吸い込んでしまいそうな黒い陰を蓄えている。



「うわ……なに、あれ……」



 スキルを解除したハルカが、思わず息を呑んで見つめていた。


 いや、それは、ここで闘う人間たち皆がそうであった。


 翼も、爪も、鱗も――身体の全てが、深淵を思わせる黒。



「これもまた――わたくしの、()()ですわ」



 さっきまでと同じ音色でありながら、まるで異なる響きを抱く、鈴の声。


 さっきまでと同じ彩でありながら、まるで異なる輝きを放つ、青白い瞳。


 それは覇者の威厳か。


 そう。もはや、魔王(ルナ)は少女の姿をしていない。


 そこには――()()()が、翼を鷹揚に張って鎮座していたのだ。

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