第94話.思い知ること
自身の瞳の色と同じ、紫色のドレスをまとったルイゼは、カリラン公爵邸に到着していた。
いつも通りフィベルトにエスコート役をお願いするつもりだったが、明日は魔道具祭である。迷惑かと思い声は掛けられなかったので、夜会にはひとりで参加することにした。
ルイゼも、明日に備えての最後の見直しは終えてきた。
やるべきことを全部やったか、見逃している点はないか――しかし、心配は尽きぬものである。
しかしアルフやエリオットとも最後の確認は一緒に終えたのだから、問題はないはずなのだが。
(やっぱり、疲れが取れてないのかも……)
週に一日は休みを取っていたのだが、家に帰っても魔術式を考えるか、暗黒魔法の魔道具を研究するかの時間ばかりだったので、なんだか疲労感が拭えない。
明日の魔道具祭が無事に終わったら、しっかり回復する時間を取ったほうがいいだろうか。
もともとルイゼは眠りが浅い体質だが、最近は特に眠れていない気がする。
ルキウスが贈ってくれた【眠りの指輪】を着けていてもそうなのだから、困ったものだ。
それでも頭の中でひとつひとつ、明日の進行のことを考えながら進んでいくと、屋敷のほうからは、かしましく貴族令嬢たちの笑い声が響いてきていた。
きっとシャロンと年の近しい少女が多く招かれているのだろう。
だが、それがルイゼには不思議だった。
(?……おかしい)
招待状に記されていた、今夜の会の開始時刻にはまだ時間がある。
それなのに……先ほどから、すれ違う人はひとりも居ないのだ。
不審に思いながら、受付の使用人に招待状を差し出すと、やはり訝しげな目をされて。
それでルイゼは悟った。
(時刻を、遅く知らされていたんだわ……)
単なる間違いか。
それとも嫌がらせなのか。
考えても詮無きことだと分かってはいるが、やはり少しだけ気落ちする。
どちらにせよ、些細なことには違いない。気を取り直して大広間へと進んでいく。
遅れてやって来たルイゼを、人々は異端者を見るような目で眺める。
カリラン公爵家といえば、アルヴェイン王国を代表する名家だ。その宴に遅れるとは、と苦々しく思われているのだろう。
それでも今さら踵を返すわけにはいかない。
自分の意志で、シャロンの誘いに乗ったのだから。
(カリラン様が、何を考えているかはよく分からないけれど)
今日、彼女と一言でも話せば、何か分かることがあるかもしれない。
そんな思いで、大広間へと辿り着いて。
そこでルイゼは、信じられないものを見た。
「――――――、」
豪華絢爛なシャンデリアの下。
大広間の真ん中で、抱き合う男女の姿があった。
ひとりは、銀髪の美丈夫。
もうひとりは、淡い桃色の髪をした可憐な少女だった。
よく知っている二人だった。
(……どうして……)
ルイゼ以外の誰もが、見惚れたように口元を覆っている。
息を呑んで、宴の主役たる二人のことを見つめている。
注目を浴びながらもシャロンを抱き留めたまま、ルキウスの唇が小さく動く。
それを聞いたシャロンが薄く微笑みをこぼし、嬉しげに頷いた。
それから――ゆっくりと。
シャロンの蜂蜜色の瞳が、流し目でルイゼを見る。
「…………!」
フッと、唇が嘲笑うかのように動いて。
それを目にした途端、ルイゼは入ったばかりの大広間から逃げるように飛び出していた。
「お似合いねぇ、ルキウス殿下とシャロン様」
「幼い頃は、婚約者になると噂もあった方だし……」
招待客の誰かが呟いた声が、耳を掠める。
一瞬にして足が萎えそうになるが、それでも止まらなかった。一度でも足の動きを止めれば、二度とそこから動き出せないと分かっていたからだ。
(違う。違う、違う、違う……)
喉から、はぁ、はぁ、と苦しく息が漏れる。
混乱する頭の中で、何度も同じ言葉だけがぐるぐると回っていて。
(違う。私は)
――ルキウスとシャロンの距離が近しいことが、ショックだったわけではない。
二人が抱き合っているのを見て、二人が親しげに話しているのを見て、悲しかったのでもない。
二人の関係を疑ってもいない。ルキウスのことを、誰より真摯な彼のことを信じているからだ。
それなのに、こんなに辛くて苦しいのは、
(私は、私はずっと……)
急に右手を後ろに引っ張られた。
つんのめって転びそうになったが、ヒールの踵でなんとか堪える。
いつのまに、停車場近くまで戻ってきていたらしい。
振り返ると、そこに立っていたのはブルージュの髪の青年で。
「マシュー様……」
彼もこの夜会に呼ばれていたのか。
しかし、今はそんなことはどうでも良かった。
早く、ここじゃない場所に逃げたい。そんな思いでいっぱいなのに、マシューは腕を放してくれないままだ。
「どうして泣いているの? ルイゼさん」
「え……」
指摘されて初めて、ルイゼは自分の頬が濡れているのに気がついた。
(なんて惨めなんだろう……)
ますます情けない気持ちになりながら、もう片方の手で濡れた目元を拭おうとする。
だがその手すら、マシューに取られてしまった。
「大丈夫? もし良ければ家まで送ろうか」
「い、いえ。私……」
「遠慮しないで」
優しい口調なのに、マシューの腕の力は強い。女の力ではとても敵わない。
戸惑って、ルイゼはマシューのことを見上げるが、停車場をぼんやりと照らす【光の洋燈】に眼鏡のフレームが反射して、彼の表情は窺えない。
「マシュー様、放してください」
「嫌だって言ったらどうする?」
マシューが口角を吊り上げる。
「ああ、初めて会ったときもこんなやり取りをしたんだったね。懐かしいな」
「……っ」
今さら、以前までと異なりマシューが砕けた言葉遣いになっているのにルイゼは気がついた。
「ほら、行こう。馬車を呼んであるから」
マシューの腕がルイゼの背中を押さえ込む。
マシューの手のひらは熱かった。その温度が、ルイゼをゾッとさせる。
未婚のルイゼが、同じく未婚の成人男性であるマシューの馬車に乗るというのがどういう意味か――男爵家の息子である彼ならば、分かっていないはずがないのに。
だが、抵抗むなしく引き摺られるように、連れていかれそうになって。
恐怖のあまり悲鳴のような声が漏れた。
「いやっ……!」
その瞬間だった。
待ち望んでいたはずの。
それでも、今は聞きたくなかった……凛とした声音がその場に響いた。
「――――お前、ルイゼに何をしている?」
誰もが背筋を凍らせるほどの、険しさだけを滲ませて。






