第20話.招かれざるリーナ
前話の後半部分は全体的に修正させていただいております。
「リーナ……フレッド殿下……?」
(なぜ、このふたりがここに?)
思いも寄らない人物たちの登場を前に、動揺するルイゼ。
しかし入場口に得意げな笑みを浮かべて立っているのは――間違いなくリーナ本人だ。
顔面には濃く化粧を施し、胸元が大きく開いた華美な装飾の深紅のドレスを身にまとっている。
それでもその容姿は、ルイゼとまったく同じものなのだから。
リーナは艶然とした笑みを浮かべ、大きくはしゃいだような声を上げた。
「あら、皆様ごきげんよう! パーティーは順調に盛り上がっているようですわね」
不測の事態を前にいつのまにかワルツの前奏は止まり、ホールには静けさが満ちていた。
それに気づかずに、ごきげんよう、ごきげんようと愛想を振りまきながら、ルキウスの立つホールの中央まで進み出てくるリーナ。
その後を、どこかおろおろとした様子でタキシード姿のフレッドがついてきていた。
周囲の人々はヒソヒソと囁き合いながら、そんなふたりに道を空ける。
第二王子とその婚約者に対する計らいというよりは、「関わりたくない」という声が聞こえてきそうなほど露骨に。
しかしそれを感じ取ることなく、リーナは勢いよく歩いてきて――かと思えば、ぴたりと急停止した。
「えっ…………ル、ルイゼ?!」
「は? ルイゼだと?」
ようやくルイゼの存在に気がついたらしいリーナが、目を大きく見開く。
リーナの声に、遅れてフレッドも反応する。
しかし彼が再び口を開く前に、リーナがヒステリックに叫んだ。
「なっ、何でこんなところに――これはルキウス様の帰国を祝う記念すべきパーティーですわよっ! お姉様のような人間が勝手に参加するなんて、許されることじゃありませんわっ!!」
(……何を言っているの?)
呆気にとられるルイゼ。
そもそも、招待を受けていないのはリーナやフレッドの方だ。
ルイゼはルキウス本人から正式な招待を受けて、この場に参加している。リーナに糾弾される理由などひとつもない。
「招待客以外の人間は入れるなと再三伝えてあったが……」
不機嫌そうに呟くルキウス。
それから彼は、傍らのルイゼに小声で囁いた。
「ルイゼ、不快な思いをさせてすまない。すぐに衛兵に引っ張り出させる」
「……いえ。私は大丈夫ですルキウス様。それよりも、妹が申し訳ございません」
ルイゼは頭を下げた。
リーナはフレッド本人や、王族の婚約者としての権力を笠に着て、無理やりこの場に押し入ったのだろう。
(警備を担当する方々にも、ひどいご迷惑を掛けてしまった……謝罪だけじゃすまないわ)
悄然とするルイゼの肩に、「君が気にすることじゃない」とルキウスがそっと手を置く。
そうしてふたりが親しげに――まるで恋人同士のような距離感でやり取りを交わす姿に、リーナもフレッドも少なからず驚いている様子だった。
ルキウスとルイゼの顔を交互に見遣りつつ、苦笑するリーナ。
「え、えぇっとぉ……ルキウス様?」
しかしルキウスの反応は素っ気なかった。
「どこの誰か知らないが、お前に俺の名を呼ぶ許可を与えたつもりはない」
目線すら向けず冷たく退けるルキウスに、リーナが軽く瞠目する。
ルキウスは、初対面で名乗らないリーナにそれ相応の態度を返してみせたのだ。
対するリーナは、表面上は動じずに満面の笑顔を作ってみせた。
「うふふ、失礼致しました。わたくしはリーナ・レコットと申します――フレッド様の新たな婚約者の、リーナですわ。以後お見知りおきを」
「そうか」
まるで興味がなさそうなルキウス。
リーナの唇の端が、ひくっと引き攣る。
「……あの、殿下ぁ?」
舌っ足らずにルキウスに呼びかけながら、ちらっと、リーナが横目でルイゼを見る。明らかな笑みの気配を滲ませて。
ルイゼはいやな予感がした。
「留学していた殿下はご存じないかもしれないので、念のためお伝えしておきますけど――そこに突っ立っているルイゼは、もともとフレッド様の婚約者だったんですよ?」
「それが何だ?」
「何って、ですから……姉は不真面目で、魔法学院の授業も欠席してばかりで……それでフレッド様の婚約者に相応しくないと婚約破棄されたんです」
(……ああ、また始まった)
ルイゼは静かに、唇を噛みしめる。
いつもこうだ。ルイゼの居るところでも、居ないところでも、ルイゼが愚かで間抜けな女だと知らしめるために――こうしてリーナが触れ回る。
今までは、ひたすら耐えてきた。やめてと頼んで承知するような妹ではないから。
だが……ルキウスを相手にそんな話をされるのは我慢ならない。
「リーナ――」
「でも……ルイゼ様のジャライア語? でしたっけ。本当に素晴らしかったわよね」
しかしルイゼが口を開いた直後だった。
招待客の中からだった。誰かが、そんな言葉を呟いたのだ。
思いがけずホール内に大きく響き渡った声の主は、ひとりの令嬢だった。
彼女は注目されているのに気がつくと、赤い顔で口を噤むが――その周囲でも、何人もの人間が家族や友人とひそひそと会話を交わしている。
「ダンスもすごくお上手でしたし」
「悔しいですが、殿下とお似合いでしたわよね」
「何というか、ルキウス殿下が夢中になるのも致し方ないというか」
「僕も、その、ちょっと見惚れてしまったよ」
「そもそも本当に、ルイゼ・レコット伯爵令嬢は無能令嬢なのか……?」
「な、なんなのよ、一体……」
周りの様子が普段と違うのに気がついたリーナが、怯えたように辺りを見回す。
驚いているのはルイゼも同じだった。こんなことは、今までに一度も無かったからだ。
戸惑うルイゼだったが、その隣で誇らしそうに――ルキウスが口端を上げる。
「君が使いこなした外国語も、ダンスの腕前も素晴らしかったと。皆、そう言っているんだ」
「……私の言葉や、ダンスが?」
「そうだ。ルイゼのことを讃えている」
(私のことを?)
それは間違いなく、称賛だと。正当な評価なのだと。
ルキウスがそう言い切る。ルイゼは信じられない思いで周りを見回した。
もちろん、その中には嫉妬や憎悪に近い感情だってあるはずだ。
ルイゼのことを嫌っている人が居て、疎んじている人だってきっとたくさん居る。
しかしそれらは全て、他の誰でもなくルイゼ自身に向けられたものなのだと。
(……"私"を、見てもらえた?)
双子の妹より劣った愚かな姉としてではなく。
ただのルイゼのことを――見て、評価してもらえたのだろうか。
「り、リーナ。そろそろ……」
フレッドはすっかりこの雰囲気に萎縮しているらしい。
リーナの腕を取ろうとするが、その手はリーナ自身によって振り払われた。
「……わたくし、今とても喉が渇いていますの」
空いた右手を宙にぶら下げる。
その仕草に、壁際に下がっていた給仕のひとりが慌てた様子で近づいてくる。
招かれざる客であっても、リーナは王族の婚約者という地位にあるのだ。
銀製のトレイの上に目をやったリーナは、紫色のぶどうジュースの入ったグラスを無造作に掴む。
次の瞬間、誰かが小さな悲鳴を上げた。
「あら」とわざとらしくふらついたリーナの手元から、そのグラスの中身が勢いよく投げ出されたからだ。
その先に立っていたルイゼは、目を見開いたまま反応できずにいた。
にやり、とリーナが笑った顔だけが脳裏に刻まれる。
(あ――、)
時間としては、一秒にも満たない間の出来事だった。
――――――バシャッッ! と激しい音を立てて、飲み物が飛び散る。
立ち尽くしていたルイゼに――では、ない。
頭の上からドレスの裾にかけて、全身にジュースを喰らったリーナが……呆然とその場に立っていた。
「……はぁっ……!?」
色合いの変わった鳶色の髪の毛から、ボタボタ、と紫色のジュースがこぼれ、リーナの顔面を伝う。
目尻のアイラインは溶けていき、無惨な有様になっている。
リーナほどではないが、足元にぶどうジュースを少しだけ浴びたフレッドも「うわっ」とその横で悲鳴を上げていた。
そしてそんな状況で、ルイゼだけは……迷わずルキウスを見上げていた。
(…………風魔法!)
代々、風魔法の高い素質を持つとされる王族だが。
ルキウスが使用したのはあまりにも高度な術で、そもそもそれが"魔法"だとルイゼ以外に見抜けた者は居なかったはずだ。
(おそらく、風魔法で私の周りに防壁のようなものを事前に作っていて……でも、それだけじゃないわ。角度をリーナとフレッド殿下だけに絞って、反射させた?)
そんな風に限定的に魔法を発動できるなんて、聞いたことがない。
ルイゼだけが気がついたことを、ルキウスも察知したのだろう――彼はルイゼにだけ分かるように微笑みをこぼしてから、リーナの方を胡乱げに見遣った。
「大丈夫か、リーナ・レコット伯爵令嬢。……まさか自分で零したジュースを自ら浴びてしまうとは、災難だったな」
ルキウスのぞんざいな物言いに、周囲からおかしそうな笑い声が上がる。
実際に、多くの人の目にはそう見えたのだろう。リーナが勝手にふらつき、自分の頭の上からジュースをぶっかけた――そんな風に。
「~~~……っっ!!」
屈辱の表情で、ぶるぶると震えるリーナ。
ギッ、と殺意の漲る瞳でルイゼを睨みつけると、リーナは低い声で言い放った。
「……わたくし、少し熱があるようです。本日はこれで失礼しますわ」
さっさと踵を返すリーナに、フレッドが「リーナ!?」と裏返った声で叫びながらついていく。
最後に振り返って、何か物言いたげにルイゼを見つめてくるが……彼が実際に話しかけたのは、ルキウスだった。
「……兄上が、ルイゼを招待したんですか?」
「答えるまでもないことだが、そうだ」
ルキウスが答えると、フレッドは「……そうですか」と呟き、リーナを追いかけていく。
入場口の扉が、再び閉じられていくのをルイゼは静かに眺めていた。
(何だったのかしら……)
まるで嵐のようだった。
一時はどうなることかと思ったが、ルキウスのおかげで、表向き最も円満な形でリーナたちは退出できたと言えるだろう。
衛兵につまみ出されるとなれば、これくらいの騒ぎでは収まらなかったはずだ。
それを思うと、ルキウスの機転には感謝してもしきれない。
「先ほどは庇っていただきありがとうございます、ルキウス様」
万感の思いを込めてルキウスにお礼を伝える。
すると悪戯っぽく、
「ぶどうジュースだけでなく、ドリアンジュースでも用意しておけば良かったな」
「ルキウス様ったら、もう」
冗談を言うルキウスにルイゼが眉を下げると、ルキウスが楽しげに笑う。
気を取り直すように、再びオーケストラはワルツを奏で始めていた。
咳払いと共に、手と手を取る男女たち。しかしその光景を見つめながら、ルイゼはどうしたものかと思っていた。
何せ、自分の双子の妹がジュースまみれになりながら去っていったばかりなのだ。
(さすがに、もう踊る気にはなれない……)
ルイゼと同じように感じていたのか。
「少し、バルコニーに出ようか」
ルキウスからの誘いの言葉に、ルイゼは一も二もなく頷いたのだった。






