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新年のお祝いともふもふ戦争 1





新しい年を迎えて少し経ったウィームに、いよいよ、領主館からの新年の振る舞い料理が出される日がやって来た。


昨年までの漂流物の訪れもあって今年は遅れるだろうと言われてきたのだが、年末から年始にかけて懸念されていた程の事件が領内では起こらなかったこともあり、昨年予定していた通りの日程での開催となっている。



実は、その間にもリーエンベルクでは様々な事件が起こっていたのだが、こちらの個人的な問題と領民の暮らしとは切り離して考えていかなければならない。

若干、エーダリアの支持者達が、必要であれば狩りも辞さないという凄惨な眼差しでいるのが気になるが、きっと、家忘れの妖精の舞踏会の一件が共有されているからだろう。


(あっという間に対策も済んで、安心して今日を迎えられて良かったな………)



その後、最近発見されたばかりの危うい言葉の並びとして、家忘れの妖精の舞踏会の扉を開く文言は、速やかに領内での禁則文字列として定められた。


その後と言うのもおこがましいくらいの、たった一日で法令化されたのは、各地に潜む領主の支持者達が、うっかり知らずに使うと危ないので一刻も早く共有するべしと荒ぶってみせたからだ。

その騒ぎに乗せられた何も知らないザルツがそうだそうだと声を上げたところで、昨日の夕刻に、領内全域に於いて魔術誓約が正式に試行されている。


勿論、人間の領域のことなので、人外者達までを縛るものではないが、人間の領域にその文字列を持ち込むことは今後出来なくなる。


なお、捕縛された実行犯がどうなったのかは謎のままだが、よれよれになって戻ってきたノア曰く、ウィームの誇る靴職人が、自家製の靴をわざわざ作ってやったということらしい。


なぜ塩の魔物が弱って帰ってきたのかを踏ま、自家製の部分の何が自前なのかを、ネアは敢えて聞かないでいようと思っていた。


おまけに、今回利用された商人の所属はアクスの傘下にあった小さな商人組合らしく、信用上の問題として、残った部分は欲望の魔物に回収されてしまったようだ。


商人達の結ぶ魔術誓約は割と残虐極まりないので、その約束を破った者がどうなるのかは推して知るべしだろう。



(でも、そのような関りがあるからこそ、今日を安全に迎えられるのだわ)


リーエンベルクの内側にまで仕掛けられるようなものとの遭遇を経たばかりなのに、たった中一日でリーエンベルク主催の行事を行えるくらいに事態の収拾が図れたのは、まさに幸運である。


ネアは、こちらに暮らすようになる前の時代の、何だか分からない偶然が重なり問題が早期に解決したというような案件は、みんなこの類だと思うことにした。



どおんと花火が上がり、可憐な水色の花びらが降る。


雪の中に美しい花々を咲き誇らせ仕切りを付けた通路を歩き、ネア達はいつものようにリーエンベルクの席に着いた。

一般区画に入っている領民達がわあっと声を上げ、そちらの支持者なのか、銀狐のぬいぐるみをぶんぶんと振り回している女性もいる。



(…………綺麗だわ)



相変わらず、新年のお祝いの会場は華やかであった。


色味という意味ではウィームらしさを逸脱しないが、ウィームの中では指折りの華やかな装飾である。

会場がリーエンベルク前広場に限定されるので、しっかりと手をかけて飾り付けが出来るということもあるのだろう。



今年の新年飾りは、白糸との織り合わせに青林檎のようなアップルグリーンに青みの黄緑色が入る。

もしこれが、黄色に偏る色であればそちらの系譜との相性もあり新年のお祝いに使われることはなかった色の筈なのだが、青みの緑の色彩を上手に組み合わせ、ウィームらしい色彩でまとめてあった。


テーブルクロスは、同じ色味と見せかけて僅かに水色に偏らせた色相で、テーブルの中央に飾った水色の薔薇の花をより引き立てている。

差し色の淡い白ピンク色が入って、ほうっと溜め息を吐きたくなるような可憐さだ。



会場を見回せば、集まった領民達の装いも華やかで、ネアは目を輝かせてリーエンベルク前広場を見渡した。


ウィーム領民の気質的にけばけばしい色はなく、また、赤や黄色などの特に他領を思わせる強い色彩は好まないが、綺麗な菫色の花飾りのドレスや、水色のフリルの美しいドレスなどのぱっと目を引くような装いのご婦人も多い。


どちらかと言えば、しっかりとした仕立ての厚手のコートなどで装いが地味になりがちなこの季節に、これだけ華やかな装いを見られるのも、このお祝いの楽しさであった。



「領外の方は、とは言え今日は曇りではないかと仰るでしょうが、この雪曇りの綺麗な灰色の空こそが、冬のウィームの美しさだと思います。いいお祝いの日になりそうですね」

「ああ。他の土地では、これくらいに雲が厚いと暗くなるのだ。だが、ウィームでは魔術の光が入って明るくなる。以前、アルビクロムで似たような季節の曇天の下に立って驚いた事があるのだが、同じように雪が積もっていても、照度がまるで違うのだ」

「ウィームの雪明りはさ、反射じゃなくて内包だからね。昼間でも雪の明るさが加わるのがいいんだよね」


そう微笑んだノアは今日、何とお客様な白い魔物としてリーエンベルク側の席に着いていた。


途中で統括の魔物であるアルテアと交代するのだが、実はこの運用は敢えて行われている。


(…………こちらのカードが予測されないように、敢えてノアを見せるというダリルさんの作戦で…………)


ダリル曰く、漂流物のような世界的な懸案事項が解決されると、人間は悪巧みを表面化したりするらしい。

世の中が落ち着いたので、そろそろいい頃合いだと騒ぎを起こすのだとか。

しかもそれは、皆が落ち着く前にいち早く仕掛けたもの勝ちという、謎の性急さを呼ぶこともある。


よって今年のリーエンベルクの振舞いの席では、こちらの事情やすっかりウィーム中央に馴染んでしまった銀狐な魔物を知る領民達にとっては、何だかきりりとした姿を見せるノアがいる。

そしてそんな青紫色の瞳の魔物は、ウィームと塩の魔物の関係を知らない者達にとっては、想定にない見知らぬ参加者としての大きな抑止力になるのだった。



「ヒルド。状況はどうだろうか?」


音の壁があるので、領民他達には会話の内容までは届かない。

穏やかな微笑みを崩さずにそう尋ねたエーダリアは、本日は瞳の色に合わせた装いであった。


白みの青緑色の上品な盛装姿は、今年のリボン飾りの色にもよく似合うが、ウィーム領民からすれば飾り木の枝葉の色合いである。

そして何よりも、白がかった青緑の装いは、この上なくエーダリアによく似合った。


きりりとさせたい時には暗い色だが、エーダリア本来の柔和さを引き出すには、このような色や、エーダリア自身も好んでよく着ている水色系がいいのだろう。


ネアは深い菫色のドレス姿で、お気に入りの真珠の首飾りを引き立てる装いとしてあった。



「現在の段階では、問題になりそうな報告は上がってきておりませんね。水際で防げているものも多いですが、その程度のものであれば取り立てて騒ぐ程でもないでしょう」

「さっき挨拶に来たザルツの貴族が何も言わないで帰ったのは、時期じゃないと引き下がったんだろうね。ああいう人間はさ、注意を払っておいた方がいいんじゃない?」

「あの人間はね、グラストが前から気になるって言ってて、だから、僕が印をつけてあるの。悪さをしようとしたら、家とか色々なくなるから大丈夫」

「ありゃ。もうゼノーシュが捕捉済みかぁ」


にっこり微笑んで、たまたま近くのテーブルに料理を取りに来ていたご婦人方をよろめかせたゼノーシュは、大好きなグラストの憂いになるものは全て滅ぼす過激派な魔物でもある。


なので今回の場合は、リーエンベルクに何かを仕掛けるかもしれないという事よりも、グラストの憂いを払うという意味での過激すぎる抑止なのだろう。



「そ、そうなのだな。……………ある程度の政治的な駆け引きはあるだろうから、やり過ぎないようにしてくれ」

「グラストがそれでも良ければね」

「ゼノーシュ。確かにあの一族の動きは奇妙だが、決定的な動きをするまでは待っていてくれるか?」

「うん!」

「ふふ。ゼノは頼もしいですね!」

「僕、グラストに心配かける人間は嫌い」



さすがに全員が真っ白になる訳にもいかないので、ゼノーシュは青年姿の魔物に擬態していた。

そんなゼノーシュが、奥にあった料理をグラストに取って貰って無邪気な笑顔を向けると、どこかから、きゃあっとご婦人達の歓声が上がる。

ウィームには、この二人が幸せそうにしているだけで幸せという、見聞の魔物と筆頭騎士の支持者達もいるそうだ。


なお、そちらの会はほぼ全員がご婦人で、未婚女性よりは既婚者の方が多いのだとか。

なかなか掴めなかった層なのでと、ダリルを大いに喜ばせているらしい。


ただ、先日も二人の間に割って入ろうとした竜が、怒ったご婦人に力任せに振り回されて投げ捨てられ、泣きながら帰っていったらしいので、それなりの苛烈さも備えているのは間違いない。

本来であれば強い者に惹かれる竜種だが、あまりにも突然投げ捨てられたのでただひたすらに怖かったと、保護してくれた雪竜に話していたようだ。



「ネア…………」

「ディノ。どしましたか?…………まぁ。初めて見る食材が怖かったのですね。どのような食べ物なのか、ゼノに聞いてみましょうか」

「うん…………」


そして、初めましての食材に怯えてしまう儚い魔物の王様には、なぜか、この魔物を大事に育てようという方面の支持者がついている。

ジッタが筆頭ではあるが、何かを食べさせたくなる者が多いのが特徴で、愛情の付与となるので贈り物に相応しい状態に整えるのが難しい食べ物の贈り物も多く、ゼノーシュが羨ましがっているのだとか。


「これね、チーズの実っていうんだ。小さな卵じゃなくて、白い新鮮なチーズの中に、ゼリー状の葡萄酢のソースが入っているんだよ。味はね、柔らかい酸味と塩胡椒で、サラダに入っているチーズみたいな感じ。僕、一番じゃないけど好きだよ」

「卵ではないのだね…………。葡萄酢」

「ふむふむ。お味としては、サラダに新鮮なむちむちチーズを千切り載せ、そこに葡萄酢を回しかけて塩胡椒を引くような感じでしょうか。それをこの一粒で楽しめてしまうなんて、おつまみにもいいかもしれません」

「うん!ソースがゼリー状だから、食べやすいんだ」

「早速食べてみますね。……………むぐ。……………まぁ。これはさっぱりしていて食べ易くて、決して華やかな料理ではありませんが、ついつい止まらなくなりそうな美味しさです」

「…………可愛い。動いてる…………」

「ご主人様は、就寝時以外は活動する仕様ですからね。ディノも食べてみます?」

「うん…………」



髪色を青灰色に擬態していても、ディノの美しさも言うまでもないだろう。

雪雲の下のえもいわれぬ美しい光を映し、水紺色の瞳ははっとする程に鮮やかだ。

そんな美貌の魔物は、どこか無防備に初めて見るチーズを警戒しながら食べると、ぴっと目を丸くした。



「…………葡萄酢なのだね」

「もしかして、ディノにはあまり合いませんでした?」

「……………普通かな」


ディノは少しだけ躊躇ってから、そう呟く。

不安そうにこちらを窺う魔物に、ネアは微笑んで違う料理を取ってやった。


この魔物はまだ、意見を違えるということを怖がるのだが、まずは食事から、苦手なものを主張出来るようにと頑張っているところである。

次に食べた料理は美味しかったようで、安心したようにほろりと微笑む姿に領民達がほんわかしている。



(……………あ。よく見かけるご夫婦だわ)



一般客の入場は既に始まっていて、順番に料理のテーブルの区画に人々が入ってくる。

お目当てのテーブルをしっかり回り、尚且つリーエンベルクのテーブルの近くを経由して、しっかりウィーム領主に会釈してゆくのが、手練れのウィーム領民なのだ。


そんな中でネアが見付けた老夫婦は、流れるような経路確保が素晴らしく、毎年記憶に残っていた。

振舞い料理も、強欲な雰囲気を出さずに、上品な所作で話題の料理を上手に選んでゆく。

ネアはそんな動きをじっと観察し、何とかして己のものにしようと毎年思っているのだが、そもそもの足運びが素早過ぎて真似出来ないのだった。


「浮気…………」

「浮気ではないのですが、あのご夫婦の動きは毎年素晴らしいのですよ。今年も、ザハのお料理と話題のお料理という、間違いないものと食べてみたいものの二種類を押さえる作戦です」

「おや。歌劇場の裏通りのペストリー店の経営者夫妻ですね」

「な、なぬ!あの、なかなか買えないお店の経営者の方なのですね…………」

「わーお。一瞬でエーダリアの視線の位置を計算したぞ。高位の騎士並みの動きだなぁ…………」



塩の魔物の感嘆までももぎ取り、老夫婦はエーダリアに会釈して華麗に退出していった。


また広場に集まったお客が沸いたので何かなと振り返ると、ジゼルと子狐が到着したようだ。

雪竜の王のジゼルは、まだ幼い子狐が大人しくしていられる時間に限界があるので、あまり長居は出来ないと事前に断りが入っている。


毎年、ふわふわの子狐をあやしながら退出するので、領民達も事情は心得たものだ。

こうして見るとやはり目を引く美しさのジゼルの肩には、美味しそうな料理のテーブルに、千切れんばかりに尻尾を振ってしまっている子狐の姿が見え、ネアは心のほかほか度をまた少し上げた。


「むちむちのお尻が、可愛いですねぇ…………」

「チーズと同じなのだね…………」

「む。表現が偏りましたが、子狐さんを狙ったりはしないので安心して下さいね」

「わーお。これ、凄く美味しいんだけど」

「スフレ専門店のものだな。…………チーズと玉葱のスフレなのか」

「おや。あなたが珍しいですね」

「僕、スフレの食感って苦手なものもあるんだけど、こりゃいいや。食べ易いね」


さっそくお気に入りの料理を見付けたノアに、ディノがそろりとテーブルを見回している。

今年はどちらかというと、初参加の店の料理が近くに多いので、食べ慣れたものを探しているのかもしれない。



「ディノ。ヒルドさんに、あちらのクリームシチューを取って貰います?」

「うん………。パイで包んであったものかな」

「ええ。ディノが以前に美味しいと言っていたものなので、きっと今年も間違いない筈です」


そんな会話を聞き取り、ヒルドはすぐにパイ包みのクリームシチューの壺を取ってくれる。

案の定、さくさくとパイ生地を崩して食べる素朴なシチューは、子供舌のディノをふにゃふにゃにしたようだ。

新しい料理も含めて色々と食べたいネアとは違い、どちらかと言えば定番の家庭料理がずっと好きな魔物である。



見上げた空には、しっとりとした白灰色の雲がかかっている。


今朝までは僅かに粉雪が降っていたが、雪の系譜の者達が協力して雪を抑えてくれているらしい。

噂では雲の魔物も協力しているという話も出ているらしいが、観光客などはいやいやまさかと苦笑していた。



「という事は、ヨシュアさんも協力してくだったのですね」

「ああ。今朝の雪は気象性の雪だったようなので、降雪そのものに働きかけるよりも、雲そのものの調整をした方がいいだろうという話になったらしい。雪の魔物と雪竜の協力を得られただけでも充分なのだが、そちらからも助力を得られるとは思っていなかった」

「イーザが、振舞い料理に並びたい言うので、ひと働きさせておいたと話しておりましたよ」

「と言うことは、どこかにいるのだな……………」


そう言われて広場を見回してみたが、明らかに高位の人外者の擬態だなというお客が多過ぎるのと、ウィーム領民ですら只者ではな感じを出してくるので、捜索は難しそうだ。


おまけにああ見えて、ヨシュアは擬態を得意とする魔物である。


「……………ありゃ。アルテアから催促が来たぞ。僕は、そろそろ着替えてこようかな」

「ふむ。狐さんになって戻ってくるのですね」

「少し気になっていたのだが、…………アルテアと同時に再入場することになるのだが…………」

「うん。アルテアに運んで貰うよ」

「ネイ…………。アルテア様の心労も考えるように」

「え、駄目だった?!」



しかし、銀狐はそんなヒルドの助言を、ふかふかの冬毛の銀狐になった途端に忘れてしまったようだ。


もふもふの尻尾を振り回し、遠い目をした統括の魔物に運ばれてきた銀狐は、登場を待っていた熱狂的な銀狐会の者達を大いに喜ばせ、リーエンベルクのテーブルのある区画に再入場する。


漆黒のスリーピースに、今年の新年飾りに合わせたのか、上品なアップルグリーンのステッチのあるハンカチーフを胸ポケットから覗かせる装いのアルテアは、無言で席に着くと、持っていた銀狐をすぐにエーダリアの膝の上に置いた。


すると、その組み合わせがあまりにも素晴らしかったのか、今度はエーダリアの支援者達も大喜びである。

うっかり、ウィーム領民お気に入りの組み合わせが生まれる前に料理を貰ってきてしまっていた者達が、離れた位置で少しだけ悔しそうにしている様子も見えた。



「まぁ。狐さんを運んできてくれたのですね」

「……………いいか、運ぶのは今回限りだぞ。あのまま放っておけば、落ちてくる花びらを追いかけてどこかに入り込みそうだったからだ」

「…………ノアベルトが」

「ディノがしょんぼりなので、奥にある豚肉の紅茶煮込みなプラムソースをいただきます!一緒に食べてみませんか?」

「うん。大きな塊なのだね……」

「ほお。…………クレムスの伝統料理に近いものだな。縛り方も正式だな」

「……………なお、お肉がにゃわってあるのは、私の趣味ではないのですよ?美味しくいただくための調理の手間なので、あの紐は食べる時にぽいしましょうね」

「ご主人様…………」


美味しそうなお肉の塊が縛られている事に気付いたネアは慌ててディノにそう説明し、水紺色の瞳を瞠った魔物はこくりと頷いた。


呆れたような溜め息を吐いたアルテアが、立ち上がってお皿を引っ張ろうとしたネアを制し、豚肉の紅茶煮込みを切り出してくれる。



(ウィームお祝い料理だから、ぱさぱさしてしまうことはない筈だけど、どんな味なのかな…………)



実は、この料理を今になって欲したのは、狡猾な人間の作戦であった。


家族だけであればお肉を切る役割を担うのも吝かではないのだが、衆目の前で綺麗に切るとなると、かなり緊張する。

なので、使い魔が合流してから手を伸ばしてみたのだ。


まんまとお目当ての料理を手に入れたネアは、唇の端を持ち上げるとお皿を受け取った。

アルテアはディノにも切り出してくれたので、ディノがお礼を言っている。



「……………あぐ!……………むむ!」

「可愛い。動いている…………」

「おい。……………妙な動き方をするな」

「こ、これは、…………ほろほろとろりな豚肉ですが、甘みというよりはさっぱりの奥深さを得ながらも、塩胡椒の効いた味付けなのですね。脂も適度に残っていますし、塩味がくっきりしているので、プラムのソースとの相性が素晴らしいです…………。ディノも、食べてみて下さい」

「うん。……………美味しいね」



どちらかと言えば、素朴な料理なのだろう。

だが、美味しいお肉を手間暇かけて美味しいソースで食べる、素敵なひと品だ。


「紅茶で煮込んだ後に、表面だけ焼き目を付けて塩胡椒をしているな。味がぼやけると果実のソースが合わなくなるが、上手い調理の仕方だ。クレムスの伝統料理としての紅茶煮込みは、最後にかけるソースが料理を殺しがちだが、これは悪くない」

「アルテアさんとしては絶賛に近い感想ですが、本場ではなぜ、最後にお料理を殺してしまうのだ…………」

「香辛料の効いた辛い料理が好まれる土地だからだろ」

「……………さようならです」



クレムスでは、煮込んだ紅茶豚に激辛香辛料油を熱してかけるらしい。

その際に、少し苦みの出る野菜も合わせるので、かなり玄人好みの味わいになるのだとか。


国崩しもする怖い魔物が持つ感想でいいのか謎めいてくるが、アルテアは常々、途中まではいい仕上がりのこの料理が惜しいと思っていたそうだ。



「だが、という事はクレムスからの移住者がいるのか?」

「…………この店の店主は、黄金砂棘牛狩りで半年ほど国外に出るという申請を出していたので、その時に学んだのかもしれないな。」

「…………は?」

「……………金色のものもいるのだね」



エーダリアがそんな事情を披露すると、魔物達はまず、黄金の砂棘牛という言葉に引っかかってしまったようだ。

そんな特別な牛について教えてくれたのは、見聞の魔物たるゼノーシュである。



「あのね。その人間がウィームに戻ってきた時に、友達にだけってことで、黄金の砂棘牛をご馳走してくれたんだよ。グラストが仲良しだったから、僕も呼んで貰えたの。焼いただけなのに、とっても美味しかったんだ」

「……………じゅるり」

「…………こっちを見るな。言っておくが、俺でさえ、初めて認識する個体だからな?」

「むぅ。ネイアさんのお店なら、いつか入荷するでしょうか…………」

「あ、ネイアの肉屋で食べて、自分でも狩りに行きたくなったんだって!僕、ネイアの店で予約してあるから、買えたらネアにも分けてあげるね」

「まぁ!いいのですか?!」

「うん。ネアは友達だから」

「では、ゼノとグラストさんで美味しくいただいても余る量だったら、少しお味見させて下さい」

「うん!」



そんな話をしていると、奥で、ムギャワーという雄叫びが上がった。


何事だろうと視線を巡らせると、席を立ったヒルドがジゼルと何か話をしており、そんなジゼルの肩の上の子狐と、いつの間にかヒルドに抱っこされている銀狐が睨み合っている。


ちょっとどうしようもなく縄張り争い的な様子に、ネアは途方に暮れてディノを見上げたが、伴侶な魔物はすっかりしょぼくれていた。



「ノアベルトが…………」

「さては狐さんは、バンルさんがご挨拶しに来たのをいいことにエーダリア様を任せ、あちらに向かうヒルドさんが誰かに取られないようにと付いていってしまったのですね…………」

「……………おい。すぐにあいつを回収してこい。様子がおかしいだろう」

「記憶を辿って貰えれば分かると思うのですが、狐さんはいつもあのような感じなので…………」



頭痛がするのか、片手を額に当ててしまった選択の魔物に、ネアはそう伝えてみた。

こちらを見て世界に裏切られたような寄る辺ない目をした魔物に胸が苦しくなったが、銀狐の初期仕様なので頑張って受け入れて欲しい。



「…………あちらは、大丈夫だろうか」

「ヒルドさんを取られたくない狐さんと、ジゼルさんを取られたくない子狐さんという、本来必要のない戦争が起こっているようです…………」



ネアは、エーダリアと共に奥の騒ぎをそっと見守った。

エーダリアに挨拶を終えたバンルが、やれやれと肩を竦めると、ヒルドの腕の中で怒り狂う銀狐を宥めに行ってくれたが、果たしてもふもふ戦争の行方はどうなるのだろう。



ネアは、とは言えまずは、次は右奥にある野菜たっぷりのソースが彩り鮮やかな魚料理を取るべく、テーブルにそっと視線を戻したのだった。







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― 新着の感想 ―
[一言] 銀狐と子狐を一緒にしたらこうなっちゃうんだね…
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