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トトルリアの緑の箱





そこは、独特な淡緑の漆喰壁建物の立ち並ぶ、渓谷沿いの小さな国だった。



国というよりは集落に近いのだが、高価な緑書水晶が採掘されるのでと他国との取引の為に国家の形を取ったのが、このトトルリアだ。


枯れた森に囲まれた痩せた土地であったが、鉱石拾いの魔術師達が小さな集落を持ち、そこから国という名を戴くのがぎりぎりというところまで国民を増やしたのはここ二百年のこと。

仕事は楽なものではないが、採掘される緑書水晶は高価な魔術鉱石なので人々の表情は暗くはない。




そして、トトルリアで採掘される水晶は、渓谷の対岸に位置する、小さな湖が育んだものだと言われていた。



この湖の成り立ちが独特で、隣接する国に干魃が多く、この渓谷を流れる川と海との間に人口の大河を設けたという履歴があった。

それを可能とするだけの技術力と魔術に長けた国だったからこそなのだが、その結果、海近くで長雨や嵐があると人工の大河が氾濫し、逆流した水がこちらの土地まで流れ込み、窪地に溜まって湖となったのだ。


すぐ近くに渓谷があるので、細かな支流から水がそちらに流れて居住地自体は守られるのだが、問題の湖にはどこからともなく流れ着いた魔術結晶などが堆積するのだという。


終着点ではないのだが、取り残されたものが蓄積される土地なのだ。



そして、そんな国で年明け早々に内乱が起きた時、ふと、嫌な予感がした。

新年早々の異変は、即ち、年明け前から何かが進行していたことを意味するからだ。




(……………案の定か)





「……こうなると、俺かバーレイくらいにしか打つ手がないな」

「ああ。ここ迄の侵食は、久し振りに見るな」



隣に立った死の精霊王が、緑色の水晶が鋭く結晶化して草原のようになった小さな窪地を眺め、小さく溜め息を吐いた。


高台になった枯れた森の側には既に死者の行列が控えていて、吹き下ろしの風の中でケープを揺らし、戦乱の喧噪に耳を澄ます。




トトルリアは、戦場になっていた。



武器のぶつかる音に誰かの悲鳴、雄叫びに怒号、そして命を失った体が地面に倒れ込む音。

ここは、以前より静かな国ではなく、寧ろ活気に満ちた賑やかな音の聞こえて来る国だった。



だが、今響いているのは終焉に向かう音ばかり。



「内乱と聞いていたんだが、………侵食による乗っ取りを防ぐ為の戦いだったのか。どうやら、漂流物の訪れが始まってから今日までの間に、川の氾濫があったらしいな」

「…………ふた月前だろう。あの大きな川が海に混ざる土地でも、漂流物による嵐があった。国や大きな都市ではなかったが古くからあった港町が食われて消えたという」



(そう言えば、そんな事件もあったな…………)



ウィリアムも足を運びはしたが、既に呑み込まれた町やそこに暮らしていた人々は忽然と消え失せており、問題となった漂流物が近隣に住む魔物や竜達の手で砕かれた時に永劫に失われている。

そうなるともう、死者の行列にもすることはない。

死者達が残ってなければ、引き取りようもなかった。


もしかすると、ここではない対岸のどこかに吐き出されているのかもしれないが、漂流物に食われたものは戻らないというのが定説だ。

そう思えば、生きたままこちらに迷い込んだ収穫祭に、そちらにも対岸から何かが迷い込んではいないだろうかと訊いておけば良かったのだろうか。



「殲滅戦になるだろうか」

「…………そうだな。浸食を受けていないように見える人々の中にも、芽吹いていない種が取り込まれているかもしれない。この国の人間達の中にどのような形で漂流物が混ざったのかは、今となっては調べようもないだろう」

「残念だ。この土地で採掘される水晶は気に入っていたんだが」



銀糸の巻き毛を風に揺らして頷き、薔薇色の瞳を細めたバーレイは死の精霊王で、ウィリアムと共に死と終焉を示す名前を分け合った者でもある。


とは言え、死の精霊側のものは王となる者が受け継ぐ名前であって、個を示す名前ではない。

バーレイにも自分だけの名前があるので、個人的な領域ではその名前を使うのだろう。


だが、そちらが王の名前として継承している以上、ウィリアムのものまでを世界の表層に出すのは障りが強過ぎるということで、終焉の魔物としての名前は滅多に使う事がない。


ネアがミルクティー色だと話していた褐色の肌は、彼がかつて司っていた死の安息の名残だ。

死の精霊王が代替わりした際に最有力候補とされたルグリューもそうであったが、王として選ばれる者達は、どちらかと言えば安らかな最期を象徴する者が多かった。



(せっかく、この辺りの土地も賑やかになったのに、また荒地に戻すしかないのか………)




このような状況では二重に結ぶ鳥籠の完成を待ちながら、そう考えてた時のことだ。




「一族が持つ技術の断絶は、何とか防げそうだぞ」



後方から声がかかり、振り返ると煙草を咥えたアルテアが立っている。


なぜこのような場所にと目を瞠ったが、そう言えばアルテアは、夕刻から屋敷に帰ると言って先にリーエンベルクを出たではないか。



「………もしかして、この地での内乱に気付いていたんですか?」

「お前とシルハーンの会話からだがな。………ここには、目をかけている魔術師が何人かいたが、運良く、その中の三組が採掘や加工に向かない雪の季節に国を出て、タジクーシャでの宝石会議に出ていたところだ。その連中は問題ないだろう」

「バーレイの話だと、ふた月前あたりが危険域のようですよ」


アルテアの事だから裏取りも済ませてあるだろう。

内心はほっとしていたが、それでもと尋ねると、やはり既に確認してあると言われた。



「初雪の前に国を出たので、ふた月半前だな。会議の前後でしかタジクーシャの扉は開かないとは言え、外に出られる一部の宝石妖精に同行してあちらを出た可能性もなくはなかった。急ぎ所在を確認させたが、全員揃っているようだ。全員で十四名、一人は王族だ。そいつ等を戻す予定だから、土地の障りは出来るだけ抑えろよ。………緑書水晶の加工技術は、今後の活用の幅が広い」

「王族が残ってくれれば、再興し易くなりますね」

「助かった。それなら、手の貸しようもある」



バーレイは一つ頷き、個人的に少し支援しようと呟いていたので、どうやら、余程この国の緑書水晶を気に入っていたらしい。



「再興の可能性があると知れて助かりました。…………土地は残せるだけ残す方向で行こう」

「ああ。では、門を開いておこう。必死に抗っている者達には哀れなことだが、この緑書水晶の草原の広がる範囲は全て駄目だな」

「ああ。俺は、漂流物の浸食が深い者を減らそう。鐘を鳴らし終えたら、こちらに加わってくれ」

「……………面倒だが仕方がない。場合によっては、他の死の精霊では手に余る」



(ただ殺すのと、粛正として魂ごと殺すのはまるで違う)



辟易とした気持ちを押し殺して剣を抜き、粛清の準備に入ると、風に流れた紫煙に眉を持ち上げた。

振り返れば、椅子を出して腰掛けているアルテアは、どうやらこちらに残るようだ。


この地に住む魔術師達に目をかけていたと話していたので、残される土地がどれだけ使い物になるのかを見極めようとしているのかとも思ったが、その割には表情があまり冴えない。



「アルテア。…………何か懸念でも?」

「ふた月前の港町に漂着したのは、木箱だそうだ。あの手の漂着物は、近くに同じ素材の残骸がある場合が少なくない」

「………成る程。こちらにその残りが堆積していた可能性もあるんですね。………そう言えば、食われたのは海沿いの町でしたか」

「ああ。嵐除けの高位魔術を構築していた、高価なサザラン麦の経由地となっていた港だぞ。嵐に食われるとなると、気象系の浸食魔術か、防壁を壊す程の嵐を生み出す程の障りを持ち込まれたと見て間違いないだろう。………或いは」

「…………そちらのものが現れたとしても、俺がいればどうにかはなるでしょう。ただ、あまりにも周辺被害を出すようであれば相談します」

「緑書水晶がここまで育つんだ。余程のものだろう。気を抜くなよ」



その言葉に視線を戻し、まるで初夏のような様相のトトルリアの国を見下ろした。


ここから見ると瑞々しい緑の草原に見える部分は全て、雪の上にまで結晶を伸ばした緑書水晶だ。

窪地の形のせいで、高台から見下ろすトトルリアは、まるで緑の箱のように見えた。



この土地には、古くから強い自浄魔術の基盤があった。

国の周辺の森を枯らした湖の堆積物を、緑書水晶が呑み込むことで無毒化してきたようだ。


緑書水晶が高価なのは、取り込まれた堆積物がこちらの世界に障らない魔術に変質させられ、濃密な魔術の結晶層となって魔術結晶の中に残るからである。

対岸のものだけあり、複雑な浄化作用が及ぶ為、本来であれば鉱石類の中に育たないような魔術が重なり合うという。



(そんな土地だからこそ、厄介なものが現れやすいんだろう………。希少な水晶の採掘に押しかける者達が少ないのも、ここが本来は扱いの難しい土地だからだ)




がきんと、剣戟の音が響いた。



緑の箱の中に下りれば、剣を振るう男達は、歯を食い縛って必死に戦っていた。


彼等が戦うのはこの地にはなかった筈の障りに取り込まれた仲間達で、親兄弟と戦っている者も少なくはないだろう。

だが、背後に守るべき女子供がいるのだから、涙を流して泣き叫びながらも、剣を捨てる事は出来ないのだ。



(それなのに、誰も残してやれないのか)



そう思うと堪らなく虚しくなったが、この被害をトトルリアだけで食い止めるのが今日の仕事だ。

侵食を済ませたものの侵攻を許せば、近隣にある大きな国が犠牲になりかねない。


漂流物の中にはそのまま息を潜めて根付いてしまい、この世界層の食べ物や飲み物を取り込みながら、こちら側のものになってゆくものもいるそうだ。


だが、こうして土地の住人達と激しくぶつかるようなものは、対岸の異形としてこちら側の命を喰らい、この世界層に障ることが多かった。




「……………ああ。死者の王が来てくれたか!」



剣を手に取り戦場に下りると、目立つ腰帯を巻いていた一人の男がそんなことを言った。

目を瞠ってそちらを見れば、剣を下ろして蹲った男は、血に濡れた顔をくしゃくしゃにして笑う。

周囲で戦っていた者達の表情も明るくなり、思わず目を丸くした。



「君は………」

「お待ちしておりました。………これで、仲間達が災いの糧になるのを防ぐことが出来る。俺達の役目もお終いです」



その言葉に理解した。



(そうか。………自分達も助からないことは分かっていたのか)



その上で、取り込まれた仲間たちを死者の国に送ってやる為に、自分達で出来る限り刈り取っていたのだ。

取り込まれたまま完全に漂流物の糧となれば、死者の国に向かうだけのものすら残らない。


だが、命は救えずとも魂だけは回収出来る刻限もあるのだった。


終焉の系譜の手で刈り取るのも勿論だが、こうして自分達で殺してやるという方法もある。

以前に水仙の障りを受けた石弓の村でも、同じような選択をした者達がいた。



「もう少し早く来るべきだった。…………侵食が表に出たのはいつからだ?」

「昨晩からです。………この土地に移り住んだ時から、川の氾濫に乗じて海の向こうからやって来るもののことは聞いていました。こうなった場合は、腹の中で魂までが死んじまう前に、何としても殺してやれと」

「そうか。君達は、漂流物の対処法を知る土地から来たのか。…………昨晩なら、まだ充分に間に合う。後は俺達に任せてくれ。……………助けられなくてすまない」

「いいえ。俺達が禁忌に触れたんです。皆、増水の後に迷い込んだ者を、集落に受け入れてはいけないと知っていた筈なのに、判断を誤って受け入れちまった」



それは独白のようなものだったが、聞いた瞬間にひやりとした。

となるとつまり、人型の核がいる可能性がある。



「その者は、まだ生きているのか?」

「はい。白い髪に黒い瞳の子供です。高位の方の擬態かもしれないと思い、排除出来ませんでした」

「……………そうだったんだな。君はもう、どこかで、もしまだ残っていてくれるのなら大事な人と過ごすといい」

「では、妻や子供達とおりましょう。………俺は、あなた方のお陰で、妻子を手にかけずに済みます」

「残りはこちらで引き取る」

「……………はい。有難うございます」



深々と頭を下げた男の姿に、どうにかして残った者達を救い上げられないだろうかと考えた。


けれどもそんな逡巡はほんの一瞬ばかりで、すぐに周辺の国々のことを思い切り捨てる。

その気紛れで、健やかな国々までを失う訳にはいかないのだ。



「粛清対象は白髪に黒い髪の子供だ。変質や擬態をしている可能性もある。魔術師が高位の人外者の擬態だと思ったようだから、それなりの気配だろう。………それ以外の者達は、死者の国に送るようにしてくれ」



その男を下がらせつつ、指示を出しながら襲い掛かってきた者達を持ち替えた剣で斬り捨てる。

指示を出すのに声を張る必要はなく、鳥籠の中での伝達事項は音ではなくて魔術による共有にしてあった。


高台に残っていたバーレイを振り仰ぐと、微かに頷いたようだ。


聖衣のようにも見えるがどこか異国風でもある黒衣が、風に大きく膨らむ。

バーレイが片手を振り上げた直後、その手の横に淡い金色の結晶が育つよう輪郭を結び、円形のガゼボに見える小さな鐘楼になる。


死者の鐘と呼ばれる鐘を鳴らして死の国への門を開く役割は、死の精霊王だけに許された役割だ。


それ以外の死の精霊達が鳥籠の外で死者を刈り取る際には、門を開きたければ必ず自分達の王かウィリアムの許可が必要になる。

王族位の死の精霊達にはある程度の権限が与えられているようだが、死者の国に直接繋がる鍵を持っているのは、ウィリアムとバーレイの二人だけだった。



すぐに、低く鈍い、けれども澄んだ鐘の音が響き渡る。



音を追いかけるようにトトルリアの全域に淡い紫銀の光が走り、既に命を落とした者達が死者となって立ち上がった。

安堵の表情で抱き合う死者達の姿も見えたが、すぐに、次の鐘の音でざあっとかき消されていく。


死者の鐘の音を使う場面は、音の届く領域を終焉の系譜が治めるという魔術の境界付けでもあったが、同時に、鳥籠内の死者の確保も行う。

門を開くだけでなく、死者達が浸食や捕食で奪われるのを防ぐ役割も兼ねているのだ。



(…………子供の姿と言っていたな)



先程の男の言っていた子供を探しながら、緑の瞳の子供を斬り、剣を返してすぐに別の男を斬り払った。

泣き叫ぶ女の首を落とし、振り捌いた剣で襲い掛かって来た男達を立て続けに殺す。


亡骸まで残さずに行う粛清の時などとは違い、このような制圧では手に伝わる感触が重い。

だがウィリアムは、このような戦場の方が救いがあって好きだった。



(よくアルテアは、俺が笑っていると言うが)



それは多分、このような終焉の場にはまだ救いがあるからだ。

様々な事情で永遠の別れとなる者達もいるが、少なくとも多くの者達は、死者の国や死者の日での再会が叶う。



血飛沫が飛び、切り落とした肉体が舞い、どさりと崩れ落ちる。

侵食を受けた人間達は大きな変質もなく厳密に見分けるのは難しかったが、どこかにいる母体に障害となる者達を排除するように命じられているのだろう。


目の前にいるのが死者の王で、死者の行列だと知っていても剣を手に飛びかかってくる姿には、身綺麗な狂気が見えた。



その、凄惨なばかりの喧噪を抜け、視界を斬り開く。




「……………西に見える祈りの塔の近くですね。ナインが負傷しました」

「わかった。すぐに向かう」


アンセルムの低い声が聞こえたのはその時だ。

声を潜めるということは、こちらの動きを気取られたくないくらいに厄介な相手なのだろう。

浅く転移を踏んでそちらに向かいながら、鎖に通したリンデルをかけた胸元に排他結果を重ねた。



そして多分、それが幸いしたのだろう。




(……………っ!)



二度目の転移を踏んだ直後、瑞々しい葉をつけた小枝が、ナインに降り注ぐのが見えた。

折り取ったような枝の切り口は、剣や矢尻ような鋭さである。


ナインが既に膝を突いていたので、一気に軌道上に割り込んで剣で払い落とした。



「………あ。因みに、治癒すればいいからと、傷を負うのはやめた方がいいそうですよ」



アンセルムからの追加の情報が上がったのはその時で、思わず舌打ちしそうになった。

既に、その目算で位置取りをしていたのだ。

情報の共有があった瞬間に立ち位置を変えたが、どこかでひっそりと笑う気配がある。


それは、こちらの失策を笑うようだった。



(ひと筋の傷も負わない方が良さそうだが、………全てを避けきれるか危ういところだな)



恐らく、初撃さえ当てればという攻撃と、枝のような形状から見れば、相手は植物の系譜なのだろう。

おまけに、鮮やかな枝葉の緑色からは、既にこちら側で糧を得て根を下ろしつつあることも分かる。

何百と降り注ぐ枝を全て切り落として灰に変えながら、途切れそうになる集中を引き絞った。



(あれか………!)



やっと見えていただけと枝を落とすと、攻撃の中心となる場所に一人の青年が立っているのが見えた。


先程の男性からは子供の姿と聞いていたが、感情の揺らぎのない眼差しでこちらを見ているのは、簡素な服を着た痩せぎすの白髪の青年である。


攻撃の属性を見ている限り、糧を得て成長したと見て間違いないだろう。

黒い瞳には光が入らず、雨の日の沼地のような暗さだった。



目の前の人間と同じ形をしたものを、この階層のものではないのだと知るのは、きっとその瞳を見るからだろう。




「…………っ!」



それからどれくらいの攻防を経たものか。

何度目かの攻撃で、切り捨てた枝を灰にするのが少し遅れた。

予め張り巡らせておいた排他結界に、びしりとひびが入る。


まるでただの硝子板のようにひびが入った結界を見て、アルテアが何を懸念していたのかが腑に落ちた。



(やはり、剥離手を取り込んだな)



ふた月前の嵐で飲み込まれたのは、海辺の港町だ。

或いはそこに、剥離手とまではいかずとも、近しい性質を持った人間がいたのかもしれない。

そして、今トトルリアを呑み込もうとしている漂流物の核は、その特異性を完全にではないにせよ扱えるようになってきている。



(場合によっては、その嵐の本体はこちらだったという可能性すらあるかもしれない)



こうなれば、もう少し策を練ってから接近戦に持ち込むべきだったが、今更どうしようもない。

終焉の系譜の魔術の殆どが、無力化とまではいかずとも青年を捕らえる直前で剥がれ落ちるのを、どこか諦観と共に見ていた。


転移を踏んで距離を取ろうにも、この隙に何とかナインに立て直しの猶予を与えなければ、最悪、死の訪れの要素が漂流物の侵食を受け取り込まれる事態になりかねない。



今はまだ、後退すら出来なかった。



「っ………!」



二度目の攻撃が、排他結界に触れた。


思わず息を詰めたが、リンデルの周辺に重ねた排他結界が、辛うじて結界全体が砕け落ちるのを防いでくれる。

そんな因果に不思議な感嘆を覚えつつ、新しい結界を重ね置こうとしたが、それよりも僅かに次の攻撃の方が早かった。




(………これは避けられないな)




そう思った直後だ。


ぎゃあっと、まるで大きな鳥の鳴き声のような悲鳴が上がった。

見つめた先で白髪の青年が喉を掻き毟って体を折り、それは恐らく、最初で最後の活路だったのだろう。




「っ?!ウィリアム!待て!!」



一人で踏み込むなと叫んだのは、ナインだろう。


だが、それよりも先に白髪の青年の目前に踏み込み、剣を振るった。

もう一度鳥の鳴き声のような悲鳴を上げ、苦痛を堪えるように持ち上げた手がめきめきと音を立てて木の枝に姿を変えて伸ばされたが、その刹那、ナインの物によく似た大鎌が青年の背後から振られる。



ばしりと、不思議なくらいに硬質な音が響く。



ウィリアムが落とした首に少し遅れて、両手と胴体が両断された。

崩れ落ちた体はもろもろと砕け始めたが、すぐさま死者の国から取り出した炎で燃やしてしまうと、漸く息を吐いた。



剣を下ろしたところで、バーレイが同じように鎌を下ろす


「ウィリアム。鳥籠はかけたか?」

「ああ。………念の為に覆いをかけてその中で燃やしている。…………アルテアの手助けがなければ、長期戦になるところだったな」

「君らしいな。侵食を受けたと仮定した上でも、こちらで終わらせるつもりだったのか………」

「どうにかはなった筈だ。………ただ、面倒な事にはなりかねなかった。………アンセルム。ナインの様子はどうだ?」



少し離れた場所では、まだ立ち上がることは出来ないらしいナインを、近付いたアンセルムが覗き込んでいる。

顔を顰めているので思わしくないのかと危ぶみ様子を尋ねたのだが、どうやら、傷を負った場所を一つずつ削り取って捨てているらしい。


回復と言うよりは、削り落とした部位が取り込まれないように都度魔術的な処置を施しているので、こんなにも時間がかかっているようだ。



(……………アルテアは)



確か、高台に椅子を置いてこちらを見ていた筈だ。

振り返って姿を探したが姿が見えずに眉を寄せれば、いつの間にかこちらに下りていたらしい。


思いがけない程にすぐ近くで落ちていたあの木の枝を杖の先にかけて拾い上げ、もろもろと崩れてゆく様を観察しているのが見えた。



(………ん?…………)



ふと、その眼差しに不可解な色が過ったような気がしたが、バーレイに声をかけられて追いきれなかった。



「植物かと思ったが、鉱物のような手応えだったな」

「ああ。斬った時に俺もそう思った。………こうして見てみると、落ちている枝の崩壊の仕方も鉱石質かもしれない」

「ナインが、傷を受けた場所が硬化するような感触があったそうだから、資質としてはそちらなのかもしれない。………同じ鉱石質の魔術だからこそ、緑書水晶の浄化を退けた可能性もある」

「………はぁ。こちらに手間取っている間に、トトルリアの民達は門を潜ったみたいだな」

「ええ。こちらで終わらせておきましたよ。流石に今回は、僕がそちらに手を出すのは無理でしたからね」



そう言って微笑んだのはアンセルムだったが、奥で一人の死の精霊が手を上げていたので、手配をしたのはそちらの者だろく。

小さく苦笑して頷いてやった。



しゃりしゃりと、緑書水晶の草原が風に音を立てる。

戦いに踏み荒らされあちこちで砕け落ち、雪原の上で清涼な輝きを放っていた。


恐らく、これだけの規模の結晶化を見せたのは、漂流物の侵食を察知したことで地上にまで結晶化を進めて土地の浄化を急いだのだろう。

ここまで反応が早い魔術結晶は滅多にないが、それだけこの土地が厄介な堆積物に慣れているということなのかもしれない。



「今日はさすがに、二個目の鳥籠は無理だな」

「……………当たり前だ。帰らせて貰うぞ」

「やれやれ。今回は、無駄な怨嗟を残さない為に到着を遅らせたのが、裏目に出ましたね。こんなに成長するようなものなら、もっと早く鳥籠に入れても良かったのでは?」

「ああ。あれだけのものの足止めをしていてくれたこの国の住人達の為にも、もう少し早く来てやりたかった」



ウィリアムの言葉にバーレイも頷き、疲れたなと小さく笑う。


後半だけとは言え、彼も反対側であの青年からの攻撃を躱しながら距離を詰めたのだから、疲弊もするだろう。

かくいうウィリアムも、全てが終わると疲れきっていた。



「………何かこう、とびきり清浄な水にでも浸かりたい気分ですよ。新年の挨拶がてらレイノにも会いたいので、僕もウィームに呼んでくれてもいいんですが」

「悪いが俺も疲れている。剣の振るい方が雑になるかもしれないぞ」

「斬る前提なのっておかしくないですか………?」

「それが嫌なら煩わせないでくれ。………さて、新年早々とんでもないものが相手となったが、そろそろ解散としよう」



皆が頷き、その姿がふわりと掻き消える。



ナインだけは反応が遅れたが、後は自身の領域でじっくり体を休めて貰うしかない。

相手が終焉の資質を持たない限りは、侵食があれば的確に排除出来る筈だ。

その点、この系譜は侵食への対処を取りやすいのが利点だろうか。




「アルテア。先程は助かりました。動きを止めてくれたお陰で、何とか排除出来ました」

「籠目だ。足元の雪と、あいつを囲んだ緑書水晶の反射に籠目模様を全て書き込んだが、それが効いたらしい」



皆が帰ったので、先程の場所に立ち煙草を吸っていたアルテアに歩み寄った。


あの青年が悲鳴を上げた時に、選択の魔物の魔術の気配を感じ、今しかないと思った。


話しながらそっと様子を窺ったが、うんざりしたような顔で肩を竦めているアルテアはいつもの彼のままだ。

しかし、先程感じた違和感が、小さな棘のように心に残っている。




(だとしても…………だったな)



残された魔術師達の処遇を部下と話し合ってくると言ったアルテアに先んじてリーエンベルクに向かったのは、そのような違和感を蔑ろにしてはならないと、このリンデルの贈り主から学んだからである。




シルハーンとネア、たまたまその場にいたノアベルトにも感じたことを共有しておけば、やっと肩の力を抜けた。


もしまだ何かの懸念が残るのだとしても、せめて今日ばかりは剣を置こう。

出来ればプールを借りたいとシルハーンに伝えると、勿論構わないよと微笑んでくれた。










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― 新着の感想 ―
[良い点] 気のせいかな、と見て見ぬふりをしないのが、この物語の登場人物達の良いところですよね! 話としてはその方が作りやすいのかもしれませんが、だから言わんこっちゃない!と突っ込みたくなるので。 …
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