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山車祭りと空の上の森





ウィームではその日、山車祭りが行われていた。


ただし、今年のネアは欠席である。

漂流物の年だけに行われる特別な儀式に参加することとなったのだ。



「今迄であれば、この儀式はエーダリア様が参加されるものだったそうです」

「うん。リーエンベルクから人を出す決まりのようだね。ただ、騎士達では役職に纏わる階位上、魔術的に参加が難しかったようだ」

「それは、この儀式に纏わる守り手の役割になってしまうからなのでしょうか?」

「そうなのだと思うよ。庇護される立場を有する者に参加を求めたのは、王族が儀式を行えない場合を見越したのだろうけれど、エーダリアの代のリーエンベルクにはその基準を満たす者がいなかったのだろう」

「ふむふむ。前の領主様であればご家族がいましたし、これまでに単身者であった方も文官の方を入れていたそうですものね」


単身者だったのはオフェトリウスなのだが、そんな剣の魔物は、同行していた部下達も含めて擬態で己の可動域の調整が行えていたので、リーエンベルク全体の魔術密度は今よりも低いものだったらしい。


人間の数が増えた今の方が、各自の魔術領域の調整が難しく、却って外部からの雇用を難しくしていたのだ。



しゃらん。

しゃりらん。



どこからともなく吹く風に、硬質な枝葉が葉ずれの音を立てる。

これが儀式をするべきだという合図なのだと聞いたが、不思議なことに、祝祭の日にしか聞こえてこない音なのだそうだ。



わぁっと歓声が上がって見下ろすのは、山車祭りの行われているウィーム中央の街並みで、それは今、ネア達が立っている場所の眼下に広がっていた。


水晶のように煌めく石材を使っている足元のモザイク床は、魔術で構築されたもなのだとか。

ネアとしては、ドレスのスカートが心許ないのだが、地上からこちらは見えないらしい。


封印庫の屋上から続くこの魔術の道は、ウィーム中央の天蓋にあたる魔術基盤の場に向かっていて、そこには建国の頃からある儀式用の祭壇があり、魔術的な災厄を防ぐ防壁の術式がその奥にある礼拝堂に治められているという。



ネア達の本日の任務は、漂流物の年には欠かせない、その術式の稼働確認と調整であった。



「………むぐぐ。早くも焚き上げ会場では何かが起こっているようですが、山車人形があまり多く脱走しないことを祈るばかりです」

「また脱走してしまうのかな………」

「しかし、封印庫に戻ってきた時には、全てが終わっている筈なので、今年のホールルの夜は安眠出来る筈なのですよ!」

「うん。良かったね」



(今年の山車人形も、それはそれは素晴らしいのだとか)



丹精込めて作られてしまうからこそ、ホールルの祝福を得て動き出してしまうのだが、力のある人形を扱う方が祝祭から得られる祝福はより大きくなる。


そのあたりの矛盾のせいで毎年山車人形と戦う羽目になるのだろうが、ネア達は欠席となる今年も、エーダリアたちと一緒にノアも参加しているし、トルチャもいる筈なので山車祭りそのものに大きな不安はなかった。


エーダリアの会の者達だけでなく、そろそろこちらに出てこれるようになったベージなども、祭りを楽しみがてらもし何か問題があれば手助けしてくれるという。


近年になって、ベージがリーエンベルク側との交流を深めたことで、そのような手が借りられるようになったのだが、氷竜の騎士団長であるベージの手を借りられるというのは、リーエンベルクの騎士達にとってはこの上なく頼もしい隣人だ。



どちらかと言えばネアは苦手なお祭りなので、こうして参加出来ない事を悔やむものではない。

それどころか、ネアは別の任務を得られた事に心から安堵していた。


足の沢山ある顔のひび割れた人形が壁に張り付いているのを見た日には、なかなか眠れなくなるので安眠用のお茶などが必須になるではないか。

今年はその苦労をせずに済むのだ。



(でも、そのような理由がなくても、私がこちらの儀式に参加出来て良かったのだわ)



賑わう街並みを見下ろして、しみじみとそう思う。

時間と手間をかけて作られた山車人形などを見て欲しい職人達の思いもあるだろうが、やはり領民達は、ウィームの祝祭にはエーダリアに参加して欲しいだろう。


領民達が、大好きなウィーム領主と共に過ごせる大事な機会を今年は残せたことを思えば、ネアはとても誇らしい気持ちであった。



「漂流物の訪れのある年だからこそ、エーダリア様も、厄除けなどの意味合いも含むお祭りを領民のみなさんと盛大にやりたいと思うのです。儀式を知る方がいてくれたお陰で、騎士さん達にもお祭りに残って貰えました!」

「ああ。俺は何度かこの儀式を主導した事もある側だからな。こうして役に立てて良かった」

「ふふ。グレアムさんがいてくれて良かったですね、ディノ」

「うん。グレアムとウィリアムがこちらに来られた事で、儀式本来の形も整ったようだしね」

「むむ?」


その言葉に首を傾げていると、ばさりとくすんだ水色のケープが揺れる。

思わず見上げてしまったネアに、こちらを見て微笑んだウィリアムは、今日ばかりはリーエンベルクの騎士の装いでいてくれる。



「儀式に必要な騎士と魔術師の役割を分けて揃えられたのは、久し振りらしいな。ほら、リーエンベルクの騎士達には魔術師としての側面もあるだろう?役割が重なるんだ」

「まぁ。そのようになってしまうのですね……」



本日のネア達が参加する儀式は、人間が整えたものなので、高位の魔物であるウィリアムが擬態してしまえば、儀式魔術から弾かれる事はないのだそうだ。

それは、魔術師として過去にこの儀式に参加した事のあるグレアムで保証済みなのが有難い事であるし、そんなグレアムが同行してくれることで、儀式の方法を説明して貰う為だけにリーエンベルクの騎士の人手を割かずに済んでいる。



(必要なのは、庇護される立場にあるリーエンベルク在籍者と、その人物に仕える騎士、もしくはリーエンベルクの騎士。魔術師の役割の人物が一人と、もし誰かに契約の魔物や竜、代理妖精などないた場合は、その人も同行して構わない)



騎士の役割は、ウィリアムの都合がつかなければゼベルが、魔術師の役割は、グレアムの都合がつかなければ封印庫の魔術師が受け持ってくれる予定であった。


迷い子から領民名簿に名前を記載されたばかりであるネアが参加することには僅かな懸念もあるので、魔物達の予定が戦乱などで押さえられなかったのが幸いだったのだろう。



(……………気持ちのいい風……………だけど、)


ひゅおんと風が吹き抜ける。


この季節の、肌にひんやりと触れるが冷たくはないくらいの風が、ネアは大好きだった。

温度のない風圧だけが触れる不思議な風も好きだが、心地よいと思う温度の風はやはり格別である。


こうして空の上に向かうお出掛けは、ネアにはお馴染みの雪白の香炉の舞踏会などがあるが、ウィームそのものにもこのような階層があるのだとは知らなかった。

封印庫の屋上のどこにも繋がらない階段を見て、少しだけわくわくしていたのだ。



しかしその高揚感も、空に上がる階段や、その上に続く魔術の道に、柵などがないと知る迄の事である。



再び、びゅおんと風が吹き、その風が先程よりも強いぞと感じたネアは、平静を保っている証だった微笑みを引き剥がし、さあっと青ざめた。

既に片手でしっかりディノに掴まってはいたが、隣を歩いているウィリアムの腕もぎゅっと掴んでしまう。

おやっと目を瞠ったウィリアムが、ネアの暗い眼差しに気付いたのかくすりと微笑んだ。


「ネア。魔術の道は、隔離魔術の一種だからな。壁や天井が見えなくても四方を囲まれているようなものだ。落ちたりはしないから安心していいんだぞ」

「ふぇぐ。…………風で吹き飛ばされてしまうと、自力では飛べないので視覚的にとてもはらはらするのです」

「ネアは飛ばされない…………」



分かってはいても怯えてしまう人間に、伴侶を風が奪うかもしれないと思ってしまったディノも慌ててネアをぎゅっとしてくれた。


これでもネアは、一度は空の上から落とされた事があるのだが、いきなりそのような展開になるのと、こうして足元に不安を抱きながら空の上を歩くのはまた違うことなのだ。



そんなネア達を振り返り、グレアムが淡く微笑んでいる。


本日のグレアムは、ウィームの魔術師らしいフード付きのケープ姿で、手のひらくらいの幅の刺繍帯を首からかけるのは高位の魔術師の証なのだそうだ。

言われてみれば確かに、エーダリアの正装姿などにも取り入れられている。


風にはたはたと揺れる白灰色のケープに施された刺繍の精緻さを見て、ネアは、この装いは実際にグレアムが魔術師として働いていた時の装束なのではないかなと考えながら気を紛らわせていた。



「そろそろ、術式を収めた隔離地に入る。周囲の景色がもう少し落ち着くから、安心してくれ」

「ふぁい。……………もしかして、あちらの階段の先に何かがあるのでしょうか?」

「ああ。先程から、風が吹くと葉擦れの音が聞こえるだろう?階段の先に、魔術の森があってその中に儀式殿がある」

「まぁ。森があるのですね!」

「魔術の基盤を組む際には、森や庭園、書庫などが扱いやすいんだ。多くの形状や様々な色彩を重ねてより多くの魔術の情報を取り纏められるからな」


そんなグレアム魔術師の説明を聞きながら、またしても手摺りがないのかという階段を上る。



(なぜ、手摺りを作らなかったのだ………)



ネアは、もし今度誰かがこのような場所を構築する場合には、滑らかな石材の高台には、必ず手摺りを設けねばならないと忠告しようと心に誓った。

うっかり硬い靴底の履き物で訪れてしまい、つるんと転がり落ちる想像をしてしまうので、たいへん心臓に宜しくない。




「……………まぁ!」


階段を上りきったところには、見事な森があった。


空の上なので不思議な感覚ではあるのだが、階段の一番上の石を踏んだ途端、まるで当たり前のように周囲に深い森が広がっていたのだ。


ふくよかな青緑の枝葉は常陽樹のものだろうか。

団栗を落としそうな見事な木々は、豊かな森の佇まいでそこにある。



「この木々の、葉の一枚一枚が術式の蓄積になる。森を広げることで王都の魔術の天蓋を支えていたんだが、…………やはり、少し浸食があるな」

「こんなに美しい森ですが、問題があるのですか?」

「ああ。経年のものだからさして心配はいらないが、………ここ近年のものではない磨耗がまだ残っている。エーダリアの前の代の領主が、余程手入れを怠ったようだ」 



ネアの目には豊かな森にしか見えない場所が、魔物達には別のものに見えるのだろうか。

どこか冷え冷えとしたグレアムの言葉にディノも頷き、呆れたような目をしたウィリアムが、死者の日の調整でも何かやらかしたなと呟く。


美しい森にしか見えないネアがぎりりと眉を寄せると、今日は手を繋いでくれているディノがこちらを見る。



「エーダリアが、これまでに随分と補修をしているようだね。とは言えここは、頻繁に上がれる場所ではないから、それを為すための時間も限られていたのだろう」

「確か、儀式を行う時にしか道が開かないようにしているのですよね」

「うん。この都市の魔術基盤の一つだからね。権限を持つ者達も含め、もしもの損傷がないように容易に立ち入れないようにしてあるのだろう」



森に入れば、清涼な空気に包まれる。

だがそれは、本物の森の香りや気配の雑多さではなく聖堂の中にいるような不思議な香りだ。


ざくざくと落ち葉を踏んで歩きなあがらふと、枝葉が魔術によるものならば、この落ち葉はまずいのではないだろうかと考えた。


「…………ディノ、もしかしてこの落ち葉が、何かの不具合の証拠なのですか?」

「いや、これは魔術の入れ替えを示すものだよ。術式が生きて循環している証だから、怖がらなくても大丈夫。ただ、……………この葉のように、色が褪せているものは、術式の手入れが出来ていなかった際にこの土地が随分と荒れていた証だね」

「むむ!確かに、この葉っぱは悪くなっている感じがします!」


優美な指先で示されたのは、僅かに黄土色がかった一枚の葉だ。

すぐにグレアムが近付き、すいっと指先でなぞると艶々とした青緑色に戻ってくれる。

ネアは、こうして魔術の回復を図るのだと微笑んだ犠牲の魔物に頷き返しながら、本来はこんな簡単に回復出来るものなのだろうかと疑わずにはいられなかった。



ここで、ウィリアムが立ち止まった。

風にケープを揺らし、考え込むような表情になる。



「………ウィリアム?」

「やはり、………死者の日に障りを残したようですね。グレアム、………騎士役は、同行だけでいいのか?」

「ああ。この場に入っていれば少し離れていても構わないが、枯れ枝か?」

「そのようだな。この基盤を作った手間を考えると勿体ないが、壊した枝は剪定しておいた方が良さそうだ」

「では、そちらは君に頼むとしよう。……………ネア、この先に儀式用の祭壇がある」

「はい!」



(もしかしたら、…………)



焦燥感を見せる程ではないが、先程とは違う声の温度を聞けば、もう寄り道をしている時間はないのだろう。


それがウィリアムの見付けた異変と連動するものなのかは分からなかったが、ネアは、促された先に見付けた小さな礼拝堂のような場所に向かうと、エーダリアに持たされた、蝋を削いで作ったような不思議な質感の造花をグレアムに手渡す。



白薔薇を模した魔術の道具であるらしい。

今回の儀式の供物であった。



「いい仕上がりだ。ノアベルトが手伝ったのかもしれないが、さすがの技量だな」



ネアの渡した造花を受け取ったグレアムが、夢見るような灰色の瞳を細めてそう呟く。

ネアが誇らしさにそうであろうと頷いている間に、グレアムはその花を礼拝堂の入り口に置かれた長方形の石板にそっと置いた。


(………あ、)



その途端、ゴーンと、どこか遠くで鐘の音が響く。

リンゴンと重なって響くのは、先程とは音程の違う鐘の音で、そのまま、ネアが数えた限りは十種類以上の鐘の音が鳴り響き、ぴたりと収まった。



「…………ネア。なければ作るが、花びらを一枚追加出来るか?」

「はい。花びらだけのものも預かってきています。先程のおお花と同じ、白でいいですか?」

「他の色もあるのか?」

「水色と、淡い緑色のものも。もしもの時用に薔薇色も一枚預かっています」

「…………緑がいいだろう。…………シルハーン?」

「薔薇色と白も重ねておいた方がいいだろう。ウィリアムが剪定した枝は、大聖堂の近くのもののようだ。あの辺りは、望まざるとも召喚の装置になり兼ねないから少し余分に重ねておこうか」

「では、そういたしましょう。……ネア、その二枚も追加してくれ」

「はい。ではまず、白い花びらからお渡ししますね」


最初の造花を入れていた籠には、花びらだけを入れた油紙の小袋が添えられている。

かさかさと袋を開けて花びらを取り出すと、グレアムの手のひらに直接預けた。



(そう言えばここには、空がないのだわ………)



礼拝堂の前の祭壇に預けられた花を捧げるのが本日のの儀式の概要なのだが、何がどう作用しているのだろうかと周囲を見回していたネアは、今更だがそんな事に気付いた。


ぼんやりと青く淡い光がかかっている頭上は、石板の天井のような、無機質な質感から作られたものだという感じがして、この森に入るまでは見えていた青空はもうどこにもない。


空の上の景色よりも自然なものだと錯覚していたが、ここは、人間の手が作り上げた場所なのだ。



「エーダリア様から、追加の花びらが必要な時は、問題があった場合だと聞いています」

「うん。大聖堂の周りの覆いに問題があったようだ。蝕から様々な事があったから経年劣化かもしれないけれど、…………古い時代の豊穣の魔術の証跡があるから、妖精の亡霊たちが通り抜けた際にひび割れが出来たのかな」

「……………まぁ。あの方達の」



ネアは、緑色の細やかな光がまるで火の粉のように煌めく麦畑で出会った美しい妖精を思い出し、あの人達はまだこの世界のどこかを彷徨っているのだろうかと考える。


通り過ぎたものとしてすっかり過去のものとしていた事件だったので、まだどこかに影響が残っているとは思いもしなかったのだ。


幸い、全ての花びらを祭壇に捧げたところで、儀式魔術の調整が取れたらしい。

グレアムの低く美しい声音で短い詠唱が始まり、ネアが慌てて耳を澄ます前にすぐに終わってしまった。



「ほわ、心を蕩かすような素敵な詠唱が、ほんの一瞬でした………」

「グレアムなんて……………」

「人間が好むのは、守り慈しむ為の詠唱だからだろうな。……………これでいいでしょう。土台そのものの上限がある限りは過分に魔術を記す事は出来ませんが、人間が構築する術式の中ではかなり良く出来た仕組みですからね」

「うん。………平坦になったね。ウィリアムの作業も終わったようだ」

「……………平坦?」



ディノがどうしてその言葉を選んだのかは、すぐに分かった。

こんなにあっという間に儀式が終わってしまうのだなと目を瞬いていたネアは、周囲を見てはっと息を呑む。



「……………森に、…………先程のような美しさがありません」

「ああ、これでいいんだ。儀式前に森があまりにも自然に見えていたのは、術式を動かして対処しなければならない場所があったからだろう。作り物の術式基盤だから、葉擦れの音が聞こえるくらいに動きがあるということは、その動作を必要とする問題が起きている事になるんだ」

「という事は、思っていたより状態が悪かったのでしょうか?」

「いや、前回の手入れの時期を考えても、あのくらいなら許容範囲だな。今日の儀式で収めた魔術が数年はこの森を静かに保ち、また次の手入れまでには風が吹いて枝葉が揺れるようになる。そのような期間は、対応に応じて森が成長するから、こうして足元に落ち葉が降り積もる」



成る程これは、森を構築する魔術が働いた証でもあるのだと理解し、ネアはこくりと頷いた。


魔術師の装いのグレアムの言葉は、ほんの少しだけ教師然としている。

かつてのウィーム王家に仕えた魔術師は、こうして王宮の仲間達に色々な事を教えてくれたのかもしれない。



「これでもう終わりだとすると、私の役割は完全にお花を届けるだけでしたね」

「魔術式の中で、自動の調整を行うように作られたものなのだろう。グレアムやウィリアムのように、重ねて手をかけることは出来るけれど、必要な作業は極力抑えようとしたのではないかな」

「そうして考えると、素晴らしいものなのでしょうね。こんな不思議で凄いものがお空の上にあるだなんて、ちっとも知りませんでした!」



あまり状態の良くなかったという枝を剪定したウィリアムもすぐに戻ってきてくれて、空の上の儀式は、何の事故も起こらないままに恙なく終了したようだ。


よく事故るのだが、通常はこうであるべきなのだと厳かに頷き、ネアは、森の領域を抜けた下り階段の入り口でぴたりと足を止める。



「ネア?」

「……………これは、このまま下りるのですか?」

「うん。…………やはり、この場所は苦手かい?」

「………ふぁい。次回の訪れまでに、早急な手摺の設置を希望します!空の上の硝子質な石材の階段なのに、手摺りなしで階段を使えとはなんという冷酷な仕打ちなのだ………」



かくしてネアは、恐怖に慄きながら下り階段に挑むことになった。


しかし、最初の数段で足が竦んでしまい、おろおろしている伴侶の魔物に持ち上げて貰う事になる。

この場所を作った人物は魔物達を感心させるくらいには優秀らしい魔術師かも知れないが、繊細な配慮の出来ない御仁に違いない。


ディノは、シュタルトのブランコも大丈夫なご主人様の怯えぶりに困惑していたが、用途と場面が変わればネアにだって苦手なものがある。


だが、そんな繊細な乙女の心に甚大な損傷を与えたのは、空の上の階段だけではなかった。




「ぎゃ!!!」


封印庫の屋上に戻ったネアを待っていたのは、近くにあった木の上に潜んでいた、四つ足の山車人形であった。


よく見れば四つ足は毛皮の獣のものなのだが、両手とは別に足が四本ある仕様なので、こちらの人間の天敵をそこはかとなく連想させてしまう。

おまけに振り返った人形は、ここまでの追跡劇で何があったのか、顔の半分がなかったのだ。



びゃいんと飛び上がってしまったご主人様を慌てて抱き直しながら、ディノは、沢山動いていると目元を染めて嬉しそうに微笑んでいる。

こちらを威嚇していた人形を木の下に蹴り落としてくれていたウィリアムは、どこか怪訝そうな眼差しのまま振り返った。



「……………ネア、ウィームのホールルでは、車輪も動くんだな」

「………さては、またなのですね。もう二度と麦穂を引っ掛けないように注意しなければと、今朝もエーダリア様達と話していたのですが………」

「ムイッ!!」

「ああ、トルチャが来たみたいですね。シルハーン、あの人形はそのままで大丈夫ですか?」

「ゼベルが下にいるようだから、大丈夫だろう。ネア、もういなくなったよ」

「…………ぎゅ。本当です?……………ぎゃふ!!!」



ディノの言葉にそろりと顔を上げたネアは、ここで大きな過ちを犯してしまった。


トルチャが来たのならもう炎に包まれている筈だと思い、封印庫の屋上に立つ魔物の腕の中から、下で行われている焚き上げを覗き込んでしまったのだ。


しかし、火に囲まれて、何とか上に逃げようとぐいんと体を逸らせてこちらを見上げたばかりだった山車人形をしっかりと目に焼き付けてしまい、慌ててディノの首筋に顔を埋め直す。



「…………虐待かな」

「なぜなのだ。……………むぐぅ。まさかの自損事故です。次回からは、しっかり真上まで火で覆って貰うしかありません」

「トルチャの不機嫌さを見ると、…………まだ何体か脱走しているようだな。シルハーン、俺は街の方を見てきましょう。ネア、もうエーダリア達にこちらの儀式が終わったと伝えて大丈夫だぞ」

「ふぁい。……………よ、予定では、こちらに戻ってくる頃にはもう、山車人形祭りは終わっている筈だったのですよ?」

「ご主人様………」



くすんと鼻を鳴らし、しかしながら今年は山車人形捕縛についてはお役御免の立場なのだと狡賢く考えたネアは、人形狩りに参加しなかった。

そのせいか、手摺のないつるつるの高台で山車人形に遭遇するという、最も嫌な夢を見て真夜中に飛び起きる事になる。


健やかな睡眠を損なわれて涙目で震えるネアを、伴侶な魔物は必死にギモーブで鎮めたのだった。










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