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にゃわなるものとピアノのレッスン



「という訳で、お父様が場合によっては前線にも同行する事になったのよ。しかも、何だか昨晩は、終焉の魔物と意気投合して、二人で飲んでいたのよねぇ」

「まぁ。ウェルバさんとウィリアムさんが、仲良しになったのです?」

「そこまでの温度じゃないけれど、………なんていうのかしら。酒場で偶然相席したところ、すっかり話が盛り上がって一晩は楽しく飲んだって感じね。次の約束をしても実現はしないかもしれないけれど、機会があればまた飲める程度には」



頬杖をついてそう教えてくれたグレーティアに、ネアは小さく微笑みを深めた。


何となくだが、ウェルバの持つ包容力のようなものは、関わり方を変えれば、ウィリアムの好みそうなおおらかさであるとずっと思っていたのだ。


とは言え、ウェルバはずっと復活薬を作ってしまった咎人であったし、ウィリアムは、その薬の台頭によって守護を与えていた者達を失った死の番人であった。

それが、今はこんな風に共に飲む事もあるのだとすれば、普通の人間にとってはあまりにも長い時間の風化を待ったにせよ、時が変えるものもやはりあるのだろう。


さわさわと木漏れ日が揺れる。


二人が会っているのは、ウィーム中央にある庭園でお茶の出来るお店で、本来は茶器などの専門店だ。

この季節だけ、元は貴族のご令嬢の屋敷だったというお店の庭で、冷たい紅茶や氷菓子がいただけるようになっている。


観光客などはあまり訪れない穴場なのでと、ダリルとの打ち合わせでこちらを訪れていたグレーティアが、ネアに教えてくれたお店だったのだ。


なお、本日のグレーティアはお出かけ仕様なので、素敵な紳士風の装いであった。



(こんなお店があるなんて、知らなかったな………)


瀟洒な佇まいの屋敷は淡い水色だが、この季節の夏の日差しの中では白にも見える。

周りは木立に囲まれているので、枝葉の間から綺麗なお屋敷が見えても、今迄は個人宅だと思って通り過ぎてしまっていたのだ。


庭は石畳になっているが、真ん中に大きな木が生えていて、敷き石の間には菫の花が咲いている。

花壇に咲いている夏の花は、この土地だからというものではない普遍的な美しさで、渋みのある菫色のクロスを敷いたテーブルの上には野の花を生けた欠けた茶器が置かれていた。



「ウィーム中央に、こんな素敵なお店があるだなんて、知りませんでした!」

「あら、もうそれなりにこっちに住んでいるんでしょう?調査不足よ」

「いつも出掛ける場所がいつでも素敵なので、ご新規の開拓がついつい疎かになってしまうのですが、もっと早く来ていれば良かったです。…………むふぅ」

「……………あんた、それ三杯目よね?」

「はい!冷たい、ざくざくプラム氷入りの紅茶がこんなに美味しいだなんて……」



ネアが飲んでいるのは、丁寧に淹れた普通の茶葉のアイスティーに、プラムジュースを凍らせた氷を細かく砕いて入れたものだ。

飲み始めと最後で味が変わるので、最初から最後まで美味しいのが秀逸な、氷菓子を得意とする店なだけある、素晴らしい一杯であった。



元々果汁の入った紅茶が好きなネアは、このプラム紅茶がすっかり気に入ってしまい、注文した三杯目がテーブルに届いたところだ。


グレーティアにはあまり体を冷やさないようにと言われたが、ここに、焼き立てのビスケットが二枚添えられるので何とも素敵な組み合わせであった。



柔らかな風が揺れ、その風の心地よさと葉ずれの音に耳を澄ます。

ウィームの夏は、このような日陰に入るとぐっと涼しくなるので、気温を少し下げる香りの魔術などを併用出来る店では、外でお茶をしていても不快な暑さではない。



「むむ!今回のクッキーは、ローズマリーと胡椒のクッキーと、牛乳とお砂糖のクッキーです!」

「ああ、そのローズマリーのクッキーは美味しいわよね。私も、よく買って帰るのよ」

「……………お持ち帰りがあるのですね」

「あんたは、隣の魔物の為に、牛乳と砂糖の方を買ってやりなさい」

「まぁ!ディノは、ミルクシュガーのクッキーが気に入ったのですね?」

「みるくしゅが…………なのかな。……これは美味しいね」

「ふふ。では、そちらのクッキーはぜひ、お土産に買って帰りましょう」

「うん」



はっと息を呑む程に美麗な魔物が、幸せそうにクッキーを食べている姿は眼福そのものであったので、ネアは、そんな大事な伴侶をじっと見上げ、もう少しだけ唇のカーブを深くした。


その様子を見ていたグレーティアが、ふわりと微笑む。



「何だか、最初はとんでもないと思ったけど、意外に万象の魔物とでもお茶出来るわ」

「師匠なら問題ないと、私は最初から思っていたのですよ。そう言えば、テイラムさんの骨折は、無事に治せたのでしょうか?」

「ええ、お父様が治してくれたわ。まったくねぇ。ごみ出しに行って、鯨の祟りものに会うなんて、不運よね。たまたま我が家に終焉の魔物がいたから良かったものの、……………ねぇ、これってたまたまって言っていい規模なのかしら…………?王族位の魔物なのよ…………?」

「うむ。ウィリアムさんがいてくれれば、鯨めはすぐにばっさりやってくれる筈なのです」

「まぁ、その通りだったんだけどね。誰よ、古くなった鯨肉で、熟成鯨なんて料理考えたの。そりゃ、食べた連中は寝込むし、鯨も祟りものになるわよね」

「……………私は思うのですよ。平時の基準が低いお料理が多い中、汎用性の高いお料理をより美味しくいただく為の工夫をするのならまだしも、なぜ、そちらの技術では対応出来なさそうなものに挑むのでしょう?」

「……………あんた、アルビクロムで、余程まずいものを食べさせられたのね……」

「あの食堂での体験は、決して忘れません」



遠い目で空を見つめ、ネアは、アルビクロムの食堂は、決して侮ってはいけないのだという戒めを胸に頷いた。



その時のことだ。


がしゃんと音がして、少し離れた席のご婦人達が慌てて立ち上がるのが見えた。

何があったのだろうと目を瞠れば、どうやら、もこもこした灰色の不思議な生き物が、庭木の上からテーブルに飛び降りてきたらしい。


気付いた店員が慌てて追い払おうとし、テーブルの上からクッキーを奪い取ってこちらに逃げてきた生き物は、毛質で言えば羊であり、体格で言えば太り過ぎた足の短い猫のような姿をしている。



「はい。弟子」

「むむ!」


ネアは、流れるような動きで隣の師匠からにゃわなるものを手渡され、あわよくばこちらのテーブルからもクッキーを奪って立ち去ろうと飛び込んできた困ったもこもこを、すぐさま捕らえて縛り上げてしまった。



「ギャオーン?!」

「ふう。………愚かな獣さんですね。お金も払わずに焼き立てクッキーを奪い、尚且つ、素敵な茶器が置かれたテーブルに飛び降りたせいで、危うく、大惨事になるところだったのですよ?」

「ギャオグゥ!!!」

「……………あんた、本当に才能あるのよねぇ」

「悪い奴など、こうです!!」

「…………こんな精霊なんて」

「まぁ。こやつは精霊なのですか?お土産縛りにしたので、悪さを重ねないよう、持ち手を持ってぶんぶんと振り回しておきます?」

「それに、息をするように、とんでもない才能の片鱗を見せるのよねぇ…………」



ネア達が、目線でこちらは問題ないと伝えたので、店員はまず、グラスを倒されてスカートを濡らしてしまったお客の対処に当たっているようだ。


幸いにも、倒れたのは冷たい飲み物の入っているグラスで、お向かいの席の老婦人が飲んでいた温かい紅茶ではなかった。


テーブルの上でも、グラスが倒れてクロスが汚れはしたが、茶器などが地面に落ちて割れてしまうという惨事は免れたようだ。



「あの方は大丈夫でしょうか?………素材的に、あまり飲み物の染みに強いドレスには思えないのですが………」

「妖精絹のスカートね。あの、花びらのような質感の布地が、最近は人気なのよ。多分、今年買った物だと思うわ。でも、この店は染色妖精がいるから、すぐに染み抜きしてくれる筈よ」

「むぅ。…………買ったばかりの大事なドレスに、何ということをするのですか!!」

「ギャオグゥー!」

「ネア、あんまり、それを振り回さないようにね」

「このまま、どこかの運河にでも浸けておきたい気分ですが、悪さをしたので街の騎士さんに託すのがいいでしょうか?」

「雲の系譜の精霊だから、引き取りにくる誰かに預けた方がいいのではないかな」

「どなたかが、引き取りに来てくれるのですか?」

「うん。そろそろ、来ると思うよ」



そんなディノの言葉に首を傾げていると、すっとテーブルに影が落ち、誰かが、当たり前のように空いている椅子に座った。


ネアは、てっきりこの感じは使い魔だろうと考えていたのだが、そちらを見れば、どこか渋面のグラフィーツではないか。



「まぁ、先生です!」

「……………お前は、また妙な縛り方をしたな。お陰で、本来引き取りに来る筈だった連中が、使い物にならなくなったんだぞ」

「ちょっと、言われている意味が分かりません………?」

「あら。弟子は、他にも何か勉強してるの?」

「はい。こちらの魔物さんには、ピアノを教わっているのですよ。奇しくも、師匠と先生が同じテーブルについてしまいました」

「え、……………この子に、ピアノを習わせて、本当に上達するの?」

「時間はかかるが、体にリズムを叩き込めばどうにかなるだろう。一曲あたり、数年の計画だがな」

「ぐるるる!!」



あんまりな会話にネアが慌てて威嚇すると、それまで暴れて鳴いていた雲の系譜の精霊がぴたりと黙った。

なぜかぶるぶる震えているので、ようやく狩りの女王の恐ろしさに気付いたようだ。



「どうして、このようなものがウィーム中央にいるのだろう?」

「先程、歌劇場前の通りで、捕り物があったばかりですよ。アルビクロムから来た妖精商人が、違法捕獲した雲曲がりの精霊をアクスに売り込もうとしたようでしてね」

「………こやつは、雲曲がりなのです?」

「あら、初めて見たわ。雲曲がりだと、人間も食べるじゃない」

「なぬ…………」

「ギャオグ………」

「商人を捕らえようとしたところで、証拠となる雲曲がりを捨てようとしたようだ。それが、この店に入り込んだのでしょう」

「…………困ったものだね。捕食の形跡は見られないから、人間を襲う前で良かったけれど、国境域の検問を、妖精の道ですり抜けてしまったのかな」

「アルビクロムの軍部が、今は少し浮足立っているから、国内での検査も甘かったんだと思うわ。……さっきまで話していた隣国の件で、何か大きな動きがあるみたいだもの。…………議員の孫娘と領主の甥が結婚して、お祭り騒ぎってのもあるけどね」

「確かに、幾つかの派閥が再編されたようだね」



そう頷いたディノに、ネアは、珍しくこちらの魔物も、政治的な動向に注意を払っているようだぞと目を瞬いた。


以前に訪れた際から話だけはうっすらと聞いていたが、アルビクロムには、ここ何年かにかけて、議会側と軍部との間で連携を図る試みがあった。

そちらを結んだ方が領土としての運用は盤石になるのだが、状況如何によっては、それを好ましく思わない者達もいる。



(ダリルさんが、アルビクロムぐらいにはこのまま第四位でいて貰わないと、仕事が増えて仕方がないと話していたのが、恐らく、…………今回の慶事に繋がったのではないかな)



今回、アルビクロムの鷹派と呼ばれる最長老の議員の孫娘は、長年の調整を行ってきた軍部との縁談ではなく、双方の組織が力を持ち過ぎないようにと暗躍してきた領主側との縁談を選んだ。


その政治的な意味合いは大きく、派閥内での反発や離反なども相次いだのだそうだ。


ダリルの予測では、今回の迎合により、長らく表に出ていなかった鷲派が再編成されるかもしれないという事なのだが、ネアとしては、鷲に鷹に狼に加え、山羊までいると聞けばもう何が何だかというのが本音である。



とは言え、現在派閥として機能しているのは、議会側の鷹の紋章の派閥と、軍部の狼の紋章の派閥であるらしいが、その二大派閥が手を組んで大きな力を得てしまえば、派閥の意向次第で、王都との連携が可能な領主側が思うように動けなくなる。


今回は、そんな流れを阻止せんとする思惑がウィームの書架妖精や国王派で一致し、双方向からの働きかけや介入があり、アルビクロム内の勢力分布が三分割されることとなった。



「派閥が分割されること自体は、あまり悪い事ではないのですよね?」

「そうよ。私はそっちの問題に明るい訳じゃないけど、鷹の最重鎮が領主側に付けば、少なくとも、ヴェルクレアからの離反なんていう馬鹿な目論見は立ち消えるでしょうからね。鷹も狼も、若い連中が少しはしゃぎ過ぎたのだと思うわ」

「……ふむ。少し浅慮で尖った思想を持つ方々を、新しい時代の力とするのではなく、敢えて切り落としてしまったのですね」

「ええ。最近、軍部から議会に入るという前例が出来たことで、頭の足りない軍部の中堅どころが、そっちに行けば自分で政治を動かせると思っちゃったみたいなのよね。おまけに、そんな連中の行動力になぜか感銘を受けたらしい馬鹿な若手議員がいて、もう一度国として独立するべきだなんて、面倒な事になりかけてたの」



呆れたようにそう話してくれたグレーティアに、ネアは、この手の話はどこの世界でもあるのだなと頷いた。


面倒な者達の集まりを解体した結果、現在のアルビクロムは組織再編の混乱の中にあるが、今回橋を外された者達が提唱していた、明らかに穴のある防衛運用の変更案が廃案になったので、何とか漂流物周りの問題が出て来る前に立て直しを図れたという事であるらしい。



(そもそも、旧王家との繋がりのないという人達がなぜ、独立運動を始めようとしてしまったのだろう。おまけに、国境域の人員の大幅削減による経費削減だなんて、一領の問題で収まらないような策で領民の人気取りをしようとしたのだわ…………)



となればそれはもう、国家としても、充分に危険視していい事案である。


手遅れになる前に介入した者達も勿論であるが、選択肢を見極め、古い派閥を自ら割って見せるだけの英断を見せた議員も、きちんと大局を見極めることが出来ていたのだろう。



だがしかし、それは難解で老獪な政治の畑の話なので、ネアは、話の流れだけを脳内で整理すると、それ以上立ち入っての思考はすぐさまぽいした。


国内の情勢を知っておくことは大事だが、事なかれ主義の狡い人間は、自分の能力では及ばない分野では、あまり意見を持たない主義であった。




「ではひとまず、……師匠から貰ったにゃわでにゃわった獲物は、先生に預けますね」

「…………この妙な縛り方は、どうにかならんのか?」

「獲物のお土産縛りですか?腕にかけて持ち歩くにはいい具合だと思うのですが……」

「専門的過ぎるとは思わないのか?」

「……………な、なぬ?…………これは、普通の縛り方の方ですよ?」

「残念ねぇ、弟子。これは、専門的な方の縛り方よ」



静かに微笑んだグレーティアに、そう言われてしまい、ネアは、椅子の上でびゃんとなった。

あわあわしながら、こちらを諦観の目で見ている砂糖の魔物に、必死に訴える。



「にゃ、にゃわしではありません!!!」

「言い逃れが出来ないような状況だがな……」

「にゃわしではないのですよ!!」

「寧ろ、これを持ち歩く俺の方が泣きたいくらいだぞ……………」



そう呟いたグラフィーツは、夏摘みの紅茶を注文し、たっぷりとお砂糖を入れて飲んで英気を養うと、獲物を連れて帰って行った。

今回は、滅ぼすと障りのある階位の精霊なので、持ち帰ってイーザ経由でヨシュアに引き渡されるらしい。



ネアは、何とも言えない思いで、お土産縛りの雲曲がりを持ち帰るグラフィーツを見送りながら、次のピアノのレッスンが延期されないことを祈るばかりだ。









昨日のお話のサブタイトルで、少しフライングがありましたので修正しております。

鷲の紋章のお話は、また後ほど…。


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