夜の喧騒と煙の蒸留酒
それは決して見てはならないと言われると、覗いてみたくなることがある。
人間の強欲さというよりは、注意を傾け過ぎる事によって体が吸い寄せられるような不可思議な現象だ。
なので今夜のネアは、明日は仕事があると分かっていても、うっかり強めの蒸留酒などを開けてしまったのだろう。
甘い香りのするお酒は、珍しく、使い魔な魔物がくれたものだ。
火にかけて酒精を飛ばし、香りと風味だけを残したシロップにしてアイスにかけると美味しいらしい。
しかしネアは、自分はお酒に強いという自負があり、避けなければならないのは巨人のお酒の界隈だけだと思っていたし、あの使い魔がその系譜のお酒を持ち込むとも思えなかったのだ。
「……………ういっく」
かくして傲慢な乙女は、甘い香りに惹かれ、美味しいお酒をちょっぴりだけ飲んでしまい、甘くふくよかな秋の夜のような香りがすっかり気に入って、更にもう少しだけ飲んでしまった。
「ネア、さては酔っ払ったな?」
「……………なげ、………なぜ、裸の魔物さんがここにいるのですか?」
「そうだな。ここは俺が使っている客間なんだが、手に持っている物を見る限り、何かを届けようとしてくれたのか、何かを貰いに来たみたいだな」
「む。なぜ私は、空っぽのお皿を持っているのでしょう?」
「ネア、それは振り回すと危ないから、私が持っているよ」
背後からそう言われ、ネアはおやっと思い、振り返った。
するとそこには、心配そうな顔をしたディノがいるではないか。
「ディノ!ディノが一緒なら安心ですので、お皿は渡しますね」
「うん。それと、どうしてウィリアムに触るのかな……」
「今日のウィリアムさんには、尻尾はありません?」
「擬態はしてないからな。…………シルハーン、水を出しますので、一度、部屋に入りませんか?」
「そうだね。そうしようか。………ネア、中に入れてくれるようだから、水を貰おうか」
「みず!」
こんな時に恐ろしいのは、多少体がふわふわしていても、自分はとても普通だと思うことだろう。
ネアも、残念ながらそう思ってしまう側の人間だったようで、ウィリアムが水を勧めてくれたのは、入浴後で自分も喉が渇いていたからかなと考えていた。
とは言えこちらは淑女であるので、簡単にタオルを巻いただけの限りなく肌色で、扉を開けてはいけないと思う。
そのような場合は、魔術でどうにかしてから対処するべきではないか。
部屋の中は薄暗く、僅かに灯された灯りがどこか親密な空間にしていた。
椅子の上にかけられた上着に、使いかけのグラス。
浴室から入り込んだらしい、石鹸の香りもあって、この部屋でウィリアムが寛いでいた気配がそこかしこにある。
そんな様子に触れてしまうと、真夜中に知人のお部屋を訪ねられるのは何だかとても素敵な事のような気がした。
世界がとてもわくわくとした希望に満ちていて、一人ぼっちの暗闇がなくなり、とても暖かく思えたのだ。
すっかりはしゃいだ気分になったネアは、軽やかな足取りを意識しつつ、けれども思っていたよりも軽やかに動けないのはなぜだろうと首を傾げながら、とてとてと部屋の中に入る。
そしてその直後に、いい気分のままぴょんと弾もうとして、飾り棚の角に脛を強打した。
「ぎゃん!」
「ネア?!」
「………っ?!どうしたんだ?!」
痛みあまりに蹲ったネアは、そこで漸く我に返る。
周囲を見回し、ウィリアムの部屋にいることを再確認すると、おろおろしながら背中をさすってくれている伴侶を涙目で見上げた。
「どこか、痛いのかい?」
「……………くすん。調子に乗ってはしゃいだところ、飾り棚に足を強打しました。…………ここです」
「赤くなっているね。すぐに治してあげるよ。…………飾り棚なんて」
「…………この棚に、どうしてその部分をぶつけたんだ?」
「………わ、わかりません。足をぴょいっと持ち上げたようですが、記憶にありません!」
こんな時、善意の問いかけほど残酷なものはないだろう。
不思議そうに首を傾げたウィリアムに、痛めた部分と飾り棚の形状や位置関係を見比べられてしまい、直前まで酔っ払いだった乙女は、酔っ払い時の奇行を明かさねばならなくなる。
記憶がないので、それ以前の自分の責任は取らないぞという、これもまた酔っ払いの悪癖をそのまま体現した人間であったが、幸いにも魔物達は、覚えてないのだなと頷いてくれた。
ちょっぴりバレリーナ風に弾もうとしただなんて、決して気付いてはいけないのだ。
「そして、はだかです」
「…………おっと。何か着てこよう」
「ウィリアムなんて………」
ネアの言葉に、ウィリアムがくすりと笑う。
床に座り込んだネアを見舞う体勢になるには、なかなかに危うい装いだった終焉の魔物は、楽しい気分になると全裸になる義兄とよく似たところがある。
とは言え、未婚の一人暮らしの男性だと思えば、入浴したばかりできっちりと着替えて出てくるということも少ないのだろう。
となれば、健全なのかもしれなかった。
若干、一人暮らしでもぴっちりパジャマを着込む魔物も知っているが、それはもう、何事も丁寧にやりたいという選択の魔物の嗜好なのだろう。
「酔いが覚めたのなら、部屋に帰るかい?それとも、水を貰ってからにするかい?」
「また、ほわほわすると危険なので、お水をいただいてから部屋に帰ることとしますね。………それと、何だか外が賑やかですが、騎士さん達が宴会でもしているのでしょうか?」
そう尋ねたネアは、聞こえてくる喧騒を少しも不思議なものに思っていなかった。
近過ぎる音ではないし、不穏さもない楽しげなものだ。
ただ、時間が時間なので、今日は何が特別なことがあったのかなと、ディノに聞いてみたのである。
「……………賑やか?」
「ええ。………ディノ?」
「どんな物音が聞こえるんだい?」
「宴会や、その余興のような賑やかさでしょうか。近くはありませんし、怖い感じもしません。水晶のベルを鳴らすような音もします」
「……………水晶の」
ここでディノは、窓の方を見た。
ややあって、こんな夜でも光を孕む水紺色の瞳がふっと揺れる。
「………ウィリアム、排他結界を展開出来るかい?私より、君のものがいいだろう」
「ええ。部屋だけにしますか?」
「………そうだね。ひとまずはそうしよう。ノアベルトには、私が連絡するよ」
瞳を眇めたディノが途端に魔物らしい冷ややかさを帯びたので、そこで漸くぎくりとしたネアは、聞こえている喧騒が、良くないものである可能性に思い至った。
ディノは、すぐさまネアを持ち上げてくれたので身の危険を感じるような怖さはなかったが、ディノがノアに連絡する意味を考えるとぞっとしてしまう。
(ウィリアムさんも、何なのか察した風だということは、ここからでも正体が掴めるようなものなのだろうか………)
「私から、エーダリア様に連絡しましょうか?」
「いや、エーダリアとヒルドには、気付かせない方がいいだろう。ノアベルトであれば、対処法を知っているからね」
「排他結界は展開しました。ネア、聞こえる音に変化はあるか?」
「………い、いえ。まだ聞こえてくるような気がします。………この部屋からだと、外の庭や広場の方かなという遠さで、楽しげで、………やはりまだ、怖くはありません」
「変化がないとなると、間違いないな。………今夜飲んだ酒は、煙の系譜の酒だったんじゃないか?」
「まぁ。そうなのですよ。星煙というお酒で、甘い香りの蒸留酒なのです」
ここで、少し難しい顔で通信を終えたディノが、ふうっと息を吐く。
続けてすぐに連絡を入れたのは、騎士棟のようだ。
ディノがそこまで手をかけるのは珍しいが、先程の、気付かない方がいいと言う要素にかかるのだろうか。
(いつもなら、騎士棟にはヒルドさんが連絡しているから、ヒルドさんに話をしない代わりに、ディノが連絡をしてくれたのだわ)
通信で呼び出されたのはゼノーシュで、幸いにも、今夜は騎士棟にいてくれたようだ。
交わされたのは短い会話だけだったが、音の壁があったのか、ネアにはよく聞こえなかった。
そこまでを終えて、やっとディノも一息吐く。
「………ごめんね。怖かっただろう。連絡を急ぎ済ませてしまいたかったんだ。…………説明で言葉を作ると大きなものが動くかもしれないから、もう少しだけ我慢してくれるかい?」
「はい。では、このままディノにぎゅっとしていますね」
「うん。ノアベルトとゼノーシュから、準備を整えたという連絡が来たら、きちんと説明をしよう」
その静かな声には憂鬱そうな響きもあって、ネアは、あまり良くないものなのだろうかと僅かに心を震わせる。
例えばこんな風に、何でもない夜に突然訪れる怖いものがあっても、この家族なら大丈夫だろうという思いはあるのだが、それでも、大切なものは何一つ欠きたくないのだ。
(……………おや)
そうこうしている内に、聞こえていた喧騒に雨音が重なり始めた。
その雨音は聞こえたものか、はっとしたようにディノが顔を上げる。
ウィリアムと交わした視線からすると、どうやらこの雨音は良いもののようだ。
「……………今も、先程の音は聞こえるかい?」
「いえ。………雨がざあっと強く降りましたので、そのせいかもしれませんが、もう聞こえません」
「森に住む雨降らしが、追い払ったのかもしれないね。けれども、今夜は気を付けて過ごす事にしよう。………ウィリアム、夜の内だけ、鳥籠を作れるかい?」
「ええ。あれを退けるには、その方がいいでしょうね。今度は、俺から騎士棟に連絡をしておきましょう。ゼノーシュでいいですか?」
「うん」
ややあって、各所への連絡が終わった。
直前に促された危険は回避されたが、夜が明けるまでは、リーエンベルクの敷地外に騎士達を見回りに出さないようにと、ウィリアムが鳥籠を展開してくれることになる。
別のやり方で土地を閉じることも出来るのに、終焉の魔物の鳥籠を展開するのは珍しい事だが、終焉の系譜の魔術であることが重要だと聞けば、今夜のリーエンベルクにウィリアムがいたのは、幸運だったのだろう。
「リャミアータという、旅の道化師達がいるんだ」
そして、先程まで聞こえていた喧騒が何なのかの説明が始まった。
ウィリアムの使っている部屋のテーブルセットを囲み、テーブルの上には水を入れたグラスが置かれている。
雨音はしっかりと響いていたが、先程の音はどこにも隠れていないようだ。
「むむ。美味しいパスタ料理のようなお名前です………」
「穏やかな土地と、安らかに過ごす人々の近くにしか現れない者達で、…………君を怖がらせたくはないのだけれど、巡礼者に近い特質を持っている」
その一言で、ぐっと体に力が入った。
怯えていることに気付いたディノがぎゅっと抱きしめてくれたが、まだ、ウィリアムの部屋を出ようとしないことには意味があるのだろう。
「彼等は、ゴーモントで作られた旅団に属する者達で、祖国が滅びた後も様々な国を周り、その強欲さと怠惰さで、好ましくない騒ぎを度々起こした。愉快な者達だったようだけれど、ゴーモントの外では受け入れられない気質を持ち、多くの場合はあまり誠実ではなかったと言われている」
然し乍らそれは、彼等にとっては自然な振る舞いばかりであったようだ。
生まれ育った土地の作法と価値観しか持たず、楽天家だった道化師達は、一つの国を追われるとまた別の国、また別の集落というようにあちこちを周り、その内にこの世界のどこにも定住出来ないまま、彷徨う者達となったという。
どこかの国で、あまりの振る舞いに腹を立てた王が、酒に薬を混ぜて眠っている内に殺してしまったのだが、自分達が殺されたことにも気付かず、彷徨い続けていると言う者達もいる。
「実際に、それに近いんだ。毒を飲まされ、仮死状態になって体から彷徨い出たまま、その異変に気付かずに違う国に旅に出てしまったせいで、完全な死者となる前に肉体を失ったからな。結果としては死者なんだが、成り立ちのせいで死者の国に迎え入れる前に魂が壊れ、そのまま彷徨っている」
「どうして体を忘れてしまったのでしょう。色々と雑過ぎるのでは………」
「ああ。普通に考えたら、気付く筈なんだけれどな……」
だからこそ今回は、より有効な遮蔽手段が、死者達に効果の高い鳥籠だったのだろう。
なぜ、ディノ達があんなに警戒したのかというと、リャミアータの旅団の者達は、様々な部位が壊れているが故に何をするのかが読めないという厄介さがあり、おまけに、何を取り込みどのように変質しているのかも測れない恐ろしさがあるからなのだそうだ。
「彼等は、人々が集まりそうな場所や、土地の為政者の屋敷の近くで芸を披露する。けれども、その気配や姿は限りなく希釈されていってしまっていて、誰にも気付かれないことも多いんだ」
「む。…………私が気付けたのは、何故なのでしょう?」
「君が飲んだのが、煙の系譜の酒だからだね。その系譜の魔術には、姿を見せない者達を探り当てる恩恵がある。けれども同時に、リャミアータが近くにいたせいで、君は酔わない筈の酒に酔って、怪我までしかけたのだろう」
「………まぁ。あの、…………自損事故もなのです?」
「それが、彼等の及ぼす障りの特徴なんだ。だから、気付く事ができた。好んで鳴らしていたらしい水晶のベルの音も、特徴の一つだね」
リャミアータの旅団の齎す障りや災いは、酩酊や軽薄さを促すものなのだそうだ。
その影響を受けた者は、怪我をしたり、損失を出したりするので、気配が薄い割には、かなり嫌な影響を及ぼすと言わざるを得ない。
今回のネアは脛を強打した程度で済んだが、現れる影響は気紛れで、酔っ払って川に落ちて亡くなった者もいると聞けば、魔物達が見過ごせなかったのも頷けるものであった。
「特にリーエンベルクの周囲には、些細な不注意や不運で、大きな影響が出かねないものや場所が多いから、他の土地よりも注意をしておかなければならないんだ」
「確かに、近くにあるのは禁足地の森ですし、色々と複雑で強い魔術を動かしていますものね。………ですが、雨が降ったらいなくなってしまいました」
何が魔術的な効果があるのかなと思っていたが、雨がリャミアータ達を退けたのは、単純に、彼等が道化師達だからであるらしい。
派手な衣装を着て楽しく騒いでいるリャミアータ達にとって、突然の大雨ほどに嫌なものはない。
雨に降られると、慌てて雨の降っていない土地に逃げてしまうと聞けば、ネアは目を丸くしてしまう。
「当然と言えば当然ですし、よく考えればそう簡単に使える方法でもないのですが、…………雨が嫌なのですね」
「うん。リャミアータが影響を及ぼすのは、普段であればその影響を受け難い者達だというから、…………森の雨降らしは、アメリアを心配したのかもしれないね」
お酒に弱くなく、軽薄でなく、迂闊ではない者達。
そんな者達に影響を及ぼす災いとして、リャミアータは古い怪異を記した書にも記載があるという。
今では姿が見えないので訪れに気付ける事自体が少なく、大抵は、奇妙な被害が続出してからリャミアータの仕業だと気付かれるのだそうだ。
「確かに、………アメリアさんは、どちらかと言えば生真面目な方ですものね」
「彼のような人間は、狙われやすいんだ。説明が難しいけれど、真面目に働いていても、ゼベルのような者はあまり狙われないだろう」
「ふむ。私もとても真面目な人間ですので、そのあたりが狙われやすかったのでしょう」
「君の場合は酩酊の効果が出たから、本来なら酔わないという部分を削られたのではないかな」
「……………おのれ。真面目さが評価されたのではないなんて………」
今もまだ、ざあざあと雨音が響いている。
この雨が止んだらまた戻ってきてしまうのかなと心配だったのだが、リャミアータ達は、一度雨に降られた達には出来るだけ近付かないようになるという。
楽しい事だけを追い求めて気侭な旅を続ける彼らにとってはとって、楽しくやろうとしたところで雨に降られた土地は、それだけで興醒めなのである。
「だから、雨の系譜の者達とは、相性がいいんだ。ヨシュアに声をかけてみようと思っていたけれど、これでもう大丈夫だろう」
「ふふ。ご近所に、お友達思いのミカエルさんがいてくれて、良かったです」
「そうだね。あの二人は、とても仲がいいみたいだから」
「よく考えると、雨降らしとそこまで親しくなる人間というのも、凄まじいな………」
ウィリアムがそう呟いていたが、ネアは、禁足地の森に住む優しい雨降らしは、きっと同族の中でも特別だったのだろうと思っている。
こちらに移住するまでは、自分が望むような居場所を得られなかったと話していたミカエルもまた、ちくちくしたセーターを渡された一人だったのかもしれない。
初めて出来た趣味の友達だと、アメリアのことを嬉しそうに話していたので、リーエンベルクの騎士棟に住む一人の騎士は、今のやっと居場所を見つけたミカエルにとっての、失い得ない宝物の一つなのだろう。
天敵のような存在であるからこそ、雨の系譜の者達は、リャミアータの気配を敏感に感じ取るそうで、とは言え、必ず追い払う訳でもない。
今回は偶然にも、その知覚と必然が重なったのだ。
「それにしても、最近はこうして、……訪れる系のものが多くありませんか?」
「それが、漂流物の年の運の巡りなんだよ。小さなさざなみや、時には大きな波も打ち寄せてきて、最後に海の底から非る物が打ち上がる」
「…………ふぐ」
ではまた、良くない物がどこからか来てしまうのだろうか。
そう思ったネアはぞわぞわしたが、ディノとウィリアムは、今夜のネアが飲んだお酒が思っていたよりも有効だったと話しているので、打てる手はまだまだあるのかもしれない。
「ネアだけではなくて、エドモンなどもいいかもしれないね」
「灯台妖精は、それが資質ですからね。エーダリアに共有しておくといいかもしれません。後は、アルテアにその酒を一定数確保させるか………」
「シロップにしてしまうと、効果は薄まるのでしょうか………?」
「そうだね。酒類には、酒であることの意味もある。酩酊などの中には、予兆や託宣を受け取りやすい領域があるのは確かだろう」
「ふむ。となるとやはり、お酒のままが良さそうですね………」
その夜のリーエンベルクは、不思議な光に包まれていた。
内側から見なければ分からないのだが、いつもの夜よりも鮮やかに青く、けれども沈み込みそうな暗さもある。
ああ、これが鳥籠の中の色相なのだと思いながら、その覆いの中まで降る雨の音を聞いている。
アメリアはミカエルに連絡を取り、雨を降らしてくれたお礼を言ったようだ。
ミカエルは、大事な友人を狙ったかもしれない旅団の訪問にたいそう腹を立てており、また来ようものならすぐさま追い払うと宣言してくれたらしい。
エーダリアとヒルドは、ノアの見守りを受け、今日は三人で並んで眠るらしい。
塩の魔物も、狙われかねない資質を持つ二人の身を案じ、今夜は周囲を気にかけておいてくれるそうだ。
騎士棟では、ゼノーシュがグラストを守る為に荒ぶっているようで、ゼベルが、エアリエル達に周囲の見回りを頼んだようだ。
珍しい物が好きなエアリエル達は、鳥籠の中の景色が面白いようで、積極的に飛び回ってくれているのだとか。
「不思議ですね。パズルのピースが埋められてゆくよつに、皆さんが大切なものを得てゆけば得てゆく程に、我が家の守りが厚くなるのですよ」
「うん。………足はもう大丈夫かい?」
「ふふ。ディノが治してくれたので、もうどこも痛くありません。そして今日は、リーエンベルクの中の客間にお泊まりという、ちょっぴり不思議な夜になりましたね」
「うん。この部屋には、寝室がふた部屋あるのだね」
「こちら側の客室は、高貴なお客様用のお部屋ですから、思っていたよりも使い勝手がいいようです。………ウィリアムさんもお隣の部屋にいるので、これで安心して眠れ………ぎゃん?!」
直後、がたん、ばたんと激しい音がして、驚いたネアは飛び上がった。
するとなぜか、仕切りの扉を開けて続き間にしていて隣室で、ウィリアムが、寝台から転がり落ちるようにして部屋を飛び出して行く様子が見られるではないか。
「ほわ、………な、何が………」
「グレアムが来たようだ。彼は、鳥籠に気付けてしまうから、驚かせてしまったのだろう」
「…………確かに、いきなりリーエンベルクが鳥籠に覆われていたら、びっくりしてしまいますね」
「エーダリアが、ダリル経由で各会には連絡をしておくと話していたのだけれど、どこかでリャミアータの影響が出たかな」
「むむ。さては、真面目な方が連絡の中継のどこかにいたのかもしれませんし、へべれけになっている方がいるのかもしれません」
「うん。リーエンベルクの近くに来る迄に、どこかを通り抜けてきたのであれば、恐らくはその影響だろう」
突然の鳥籠に驚いて駆け付けてしまったグレアムは、とても動揺していたので、リーエンベルクに泊まって貰うこととなった。
各会への連絡はあらためて伝達状況が確認され、連絡を任されたダリルの弟子が、なぜか、一つの会への連絡を仕損じていた事が発覚した。
ギルドへの連絡についても、関係者の内の二人が葡萄酒一杯で泥酔状態になって発見されたので、災害時のように領民に行き渡る連絡網が敷かれ、庭で眠り込んでしまっていたご老人や、何故か突然橋の欄干によじ登ろうとしていたご婦人などが保護されたと聞けば、思っていたよりも広範囲で影響が出たようだ。
だが幸いにも、ウィーム領民で命を落としたり、行方不明になってしまう者は出なかった。
翌朝のリーエンベルクには、夜明けに、ガーウィンで何人もの聖職者達が突然、聖堂や教会の鐘を鳴らし始めるという奇行に及んだ事件の報告が入ることとなる。
どうやら、雨に追われた彷徨える旅団は、一晩の内にウィームからガーウィンにまで行ってしまっていたらしい。




