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王都の騎士と祟りもの 1




「お初にお目にかかります。ウィズレックと申します。ウィームの歌乞い様。そうですね、俺の事は気軽にウィズとお呼び下さい」

「……………さようなら」



その日、ネアは、ウィームの中央市場で蜂蜜クリームチーズを食べていた。



出会いの後暫くの間は大好きだった新鮮なクリームチーズに蜂蜜をかけたおやつだが、途中で暫く寵愛対象から外してしまい、今日、久し振りに再会したくなったのだ。


スプーンで口の中に入れると、じゅわっと蕩けるような美味しさは相変わらずで、やはり素敵な味ではないかと久し振りに再会した小さな紙カップの中の白いものへの愛を、再確認していたところである。


したがって、王都の騎士などまったくお呼びではないのだった。



優雅に一礼して見せたのは、仕立てのいい漆黒のコートを着た背の高い男性だ。

薄く微笑むだけで絵になるような人物だが、なぜか近くを歩くウィームのご婦人達は一定の距離を保ち、眉を顰めるようにしている。


名乗られるまではなぜだろうと思っていたのだが、王都の騎士だと知れば得心だ。

ここは、かつてその騎士服を纏った者達が焼いた、旧ウィーム王国の王都なのだから。



そんな御仁がネアに話しかけたものだから、ざわりと揺れたのは、一部の顔見知りの商店主達だ。

何しろこの市場にはエーダリアの会の会員が多く、彼等にとってのネアは、たいへん誇らしいことに、領主の大事な家族のような認識なのである。



「おや、これは手厳しいですね。ですが、是非に今日はお付き合いいただきたい」

「初めましての方と親密にする趣味はありません。私の社交性の輪は、既に上限いっぱいで閉じておりますので、御用がある場合は正式なルートを通していただき、そうでなければさようならです」

「人を探しているのです」

「ふむ。では、街の騎士さんに話をしてみては如何でしょう?私は、人探しに特化したことは一度もありません」

「いえ。あなたに張り付いていれば、そう時間をかけずに現れる筈なので、そうさせていただこうかと。街の騎士達では、あの方を探し出すのは難しいでしょう」

「……………あの方」

「ええ」



にっこり微笑んだ男はコートの下の装い的には恐らく騎士で、ウィーム人よりは日に焼けた肌にはっとする程に鮮やかな深緑の瞳を持つ、くりりと巻いた鎖骨くらいまでの長さの黒髪を一本に縛った男性であった。

はっとするような美しい面立ちは、なぜか酷薄に見える微笑みのせいで、清廉というよりは男性らしい色香に偏っている。



外套を羽織ってはいるが、内側に見える深い赤色と黒を組み合せた騎士服は、どう見てもウィーム界隈の騎士ではないという装いであった。

最初に呼び止められた時に怪訝そうにしたからか、王都の騎士だと名乗られ、成る程と思った。


そんな騎士が、騎士服のままウィームを訪れ、あの方と呼ぶ御仁は誰だろう。

そう考えるだけでも頭が痛いのに、にっこり微笑んでネアの向かいを陣取った男性は、そうそう簡単に引き下がりそうにない気配を漂わせている。


失礼な言動を取ったり、暴れたりするとなれば、ネアも正式に立ち去れるのだが、今のところ、口調や目的はさて置き、礼儀正しく胸に手を当てて一礼した後に正面に立って微笑んでいるだけだ。



しかし、そんな男性を見ていたディノが、僅かに首を傾げた。


隣にいる伴侶の魔物の対応がいつもと違うようだぞと考えていたネアは、続いた言葉に目を丸くしてしまう。



「……………ウィズレック……………ウィルシーズかな」

「ご無沙汰しております、我が君。今は、この通りヴェルリアで騎士などをしておりまして」

「オフェトリウスの下でかい?」

「ええ。そして、そんな団長がどうやら逃げたようですので、現在、捜索に当たっているところです」

「ウィームを訪ねたのは、彼がこちらに移住しようとしているからだろうか」

「そのような理由もありますが、ウィームであれば、高位の者達が多く、探し難く隠れやすいというのも理由の内でしょう。あの方は、王妃の参加する公式行事に参加する騎士を選ぶ会議に、ただひたすらに出たくないだけですから。まぁ、当日の護衛に選ばれたくないんでしょう」



(……………王妃様の)



そんな理由を聞いてしまうと、さもありなんという気持ちになる。

そして、そう思ったのはネアだけではないらしく、周囲で聞き耳を立てていた市場の者達も成る程という顔になる。


こんなことを周囲に聞こえるように話してしまっていいのだろうかとひやりとしたが、なぜか、いつもこのくらいの時間に見かける観光客達の姿はなく、周囲にいるのはウィームの住民だけのようだ。


ヴェルクレア国の王妃の苛烈な気質は、どれだけ隠されてはいても、ある程度公のものとして一部の者達には知れ渡っており、王妃を守る守護精霊達も含め、決して扱い易いとは言えない人物だ。


特に人外者にとっては、合う合わないは資質上の問題でもある。

そのようなことが、この土地に暮らす人々には分かるのだろう。



ましてや探されている人物は、かつて、このウィームで領主をしていたことのある魔物で、慧眼のウィーム領民の中には、それを知っている者も少なくない。

この土地に思い入れのある剣の魔物は、敗戦直後のウィームの為に、ヴェルクレアの目に留まらぬようあれこれ奔走したのだから。



(なので、このオフェトリウスさん側に好意的な空気も、頷けるのだよなぁ………)



「だとしても、この近くにはいないようだよ。であれば、君がこの子の近くに留まる理由にはならないだろう」

「俺が側に居れば、あの方は渋々であっても出てきますよ。王都でご婦人方に人気があるのは、俺の方ですから」

「……………そのような理由で、彼がここに現れると思うのかい?」



不愉快そうにというのではなく、不思議そうに尋ねたディノに、ウィズレックは頷いた。


ネアは、誰かに似ているなと心の中で首を傾げ、かつてアクテーの修道院で出会った中身が使い魔な騎士と、山猫商会の会長の間くらいかなと結論付ける。


だが、牛乳商人の中にも似ている御仁がいたぞと思いかけたところで朧気な記憶に行き当たってしまい、あれ、いたかな、いなかったかなという記憶の迷路に突入した。



「ええ。騎士枠はもう残っていないので、お前だけは絶対にウィームには近付くなと、散々言われておりました。俺としては、ヴェルリアがそれなりに気に入っているのでその限りではないのですが、今回は、あの方の持つ懸念を利用させていただこうと思いまして」

「…………随分と乱暴な理由だね」

「それ以上の無理は言いませんので、どうぞご容赦下さい。俺は籤運が悪い方でして、あの会議で代理に立てられると、選ばれる可能性の方が高いんです」



そう言い微笑んだウィズレックことウィルシーズは、酷く遠い目をした。

にっこり微笑んだ美麗さの中の、僅かな邪悪さに警戒心を強めていたネアは、そこに滲んだ疲弊に思わず目を瞠ってしまう。



「……………まぁ。お嫌なのですか?あなたがどのような立場で代理をなされるにせよ、王妃様に仕えられるという任務ですので、光栄だとはならないのでしょうか?」


ネアがそう尋ねたのは、その問いかけに嫌だと答える危険は冒さないだろうと考えたからだった。


しかし、嫌ではないのであれば会議に出給えと追い払えると画策したネアに対し、ウィズレックは、はっとする程に朗らかに微笑んだ。



「そうですね。ここはウィームですから素直に白状しますが、もううんざりです」

「……………なぬ」

「ですので、次こそは団長にと思い、今度こそは逃がさないようにこちらに来た次第でして。副官はもう一人いるんですが、彼は前回の犠牲者ですので、今回は免除されます。こちらの騎士団の資格者は俺の下の席次の騎士までの四人だけですから、一人だけ逃げて誤魔化そうというのは許されざる振舞いなんですよ」

「もしかして、とても怒っていらっしゃる………?」

「ええ。腸が煮えくり返る思いですよ。発端はあの方ですので、俺がこうしてウィームに現れたことへの苦情は、団長にお願いします」



そう言えてしまうのだから、オフェトリウスとの関係はそこまで悪くはないのだろう。

仕えているというのであれば、関わり方によっては不敬とも取れる言い方だ。



「……………とは言え、こちらは巻き込まれる側です。堪ったものではないのですが」

「では、こうしましょう。………このくらいかな。………この小切手で、お好きな買い物をしていて下さい。魔術の繋がりは我が君に切っていただき、その間は、俺が財布になりましょう」



ここでぴらりと見せられたのは、国内で発行されている小切手のようなものだ。


主に人間用であるし、素材類を売ってお金に替える事の多いウィームは比較的現金主義なので、ネアは、初めて使う人を見たという感じである。


観光客の支払い風景もよく見るが、小切手程の金額が動く現場はなかなかない。

そして、かつての困窮した暮らしの記憶が消えはしない人間は、その額面を凝視してしまった。



「……………ほわ」

「ネア、幾らでも買ってあげるのに」

「如何でしょうか?お得な取り引きだと思いますよ。何しろこの金は、使うにあたり、全く心も懐も痛まないものです。伴侶や働いて得る給金を大事に扱うあなたにとっては、魅力的な提案だと思うのですが」

「ぐ、ぐるる……………」



やや買収に弱かった人間が精いっぱいの威嚇をすると、ウィズレックはにっこりと微笑みを深める。


相変わらずの微笑みは、厄介な相手であることを隠しもしない含みのあるものであったが、それはもう何となく、彼の気質そのものだという感じがした。



「俺の身元については、我が君がその名を呼んだように実際には魔物ですし、生粋のヴェルリア人ではないのでご安心下さい。あの土地は気に入っていますが、どちらかと言えば系譜の王に仕える従者としての滞在です。ですので、あの方がウィームに暮らすようになれば、こちらにも頻繁にお伺いするようになるか、或いは、俺も移住するようになるんでしょうね………」

「……………確かに、オフェトリウスは君の話もしていたようだけれど、君については、まだこの土地に暮らす者達が許可を出していなかった筈だよ」

「ええ。俺としても、土地の住人の方々にご無理を言ってまで、こちらに暮らすつもりはありません。ただ、そのくらいにウィームには寄れるのでとお話し、ご安心いただこうと思いまして。因みに、あの方がこちらで領主などをやっていた頃は、俺もウィームに住んでいました」



(……………となると、この騎士さんは、領主補佐のような役割だったのだろうか)


であれば、ウィームに対してある程度の愛着を持っているというよりは、であれば、オフェトリウスがこの土地にかける執着は知っているだろう。


系譜の王にどれだけ忠実なのかによって、確かにこの男は、ネア達に危害を加えない人物なのかもしれなかった。



「ディノ、……………オフェトリウスさんの居場所が分ったりはします?」

「この近くにはいないようだねとしか、今は分からないかな。本来の状態でいるのであれば呼びかける事は出来るけれど、残念ながら擬態をしているようだ。となると、自分で出て来るのを待つしかないね。………彼は、擬態を得意とする者の一人だから」

「むぅ。となるとこの方は、オフェトリウスさんを見付けるまでは帰らないのでは………」

「ええ。絶対に帰りませんね」

「……………ウィルシーズ」



ディノが発したのは低く窘めるような声音であったが、緑の瞳の騎士は、僅かにたじろぎつつも浮かべた微笑みを崩しはしなかった。



「ちょっぴり心の丈夫な方なのでしょうか。追い払うとしたら、きりんさんあたりが適切なのかもしれません」

「剣の系譜の者が従者を持つと、その忠誠心や絆のようなものはとても強くなる。高位の剣の魔物は基本的には一人で行動することを好むのだけれど、なぜかそうなるんだ」

「騎士さん達の組織としての繋がりに、どこか似たものなのかもしれませんね」



とは言え、このまま議論を続けている訳にもいかない。


ここは市場であるし、相手は王都から来たそれなりの階位に座す騎士である。

ウィーム領を巻き込んで騒ぎを起こされては堪らないし、この状況をどれだけ早く片付けられるのかは、ネア達次第と言えた。



ふうっとネアが溜め息を吐くと、ウィズレックは微笑みを深めただろうか。

たいへん癪だが、ここは引き取るしかなさそうだ。


「ディノ、……………一刻だけ同行を許可し、それでも駄目なら、即刻立ち去っていただくというのはどうでしょう?現在のこの方の肩書を考えても、あまりお家の近くをうろうろして欲しくありませんし、どこかで折り合いを付けないと、面倒なことになりそうな方です」

「…………君は、それでいいのかい?」

「伴侶との時間を邪魔されてむしゃくしゃしますが、さっさと終わらせて欲しいという気もするのです」

「では、そうしようか。……………不本意ではあるけれどね」

「……………ご慈悲に感謝いたします。我が君」



もう一度、深々とお辞儀をしたウィズレックに、ネアはすっと瞳を細めた。



「ただし、その小切手はダリルダレンの書架妖精さんにお渡しして下さいね。あなたがウィームの歌乞いと呼んだ以上、私用としての関りであれ、私はその立場の者であることを崩しはしません。率直に言わせていただければ、無報酬は御免ですが、その小切手を個人的に受け取るのは後々問題になりそうで嫌なのです」

「おや、想像していたよりも用心深い方だ。ですが、仰る通りにいたしましょう。俺が、世界で五番目くらいにあの妖精が嫌いだと知っての仕打ちでなければいいんですが」

「…………五番目」

「二番目くらいには、王妃とその取り巻きの精霊連中が入っていますよ。……………さて、この小切手の金で豪遊しないとなれば、ご同行いただく一刻の間は、何をなさいますか?」

「ふむ。折角騎士さんと名のつく方がいるので、祟りものでも滅ぼします?」

「……………ん?」

「ご主人様……………」




実は、この騎士に声がかけられる前に、がらんがらんという祟りもの出現警戒の鐘の音が聞こえていたのだ。


出現した祟りものの階位によって鳴らされる鐘の音が変わってくるのだが、今回の音は、中階位の祟りものである。

そのような事があったので、たまたま、市場から街の騎士達が出払っていたのだ。



「……………失礼ですが、その可動域で現場に向かうのはいささか短慮では?」

「まぁ。こう見えても、私は狩りの女王なのですよ?」

「…………やれやれ。どれだけ場違いでも、空気を読まずに騒ぎに参加する姿勢を見せて、空っぽの善良さを主張するご婦人もいますがね。正直、俺はその手の人種は苦手なんですが、ここはまぁ、従いましょう」

「ディノ、討伐の際にうっかり巻き込んだふりをして、この騎士さんを水路に投げ込んだら、叱られてしまうでしょうか」

「水路に投げ込むのかい?」



ネアが不快感を隠しもしなかったことで、ウィズレックは、おやっと目を瞠ったようだ。

どんな人種として認識されかけたのかは定かではないが、思っていた人物像とは違ったのだろう。


食べ終えたクリームチーズの容器をゴミ箱に捨てて、ネアが、祟りものは踏める形状かなと考えていると、隣でクリームチーズを食べていたよく見かける青年が、気遣わし気にこちらを覗き込んだ。



「…………お困りのようであれば、何かお手伝いしましょうか?」

「ご親切に有難うございます。ですが、この問題は我々が引き取った方が収まりが良さそうですので、ひとまずは回収しますね」



親切な申し出だが、そう辞退させていただき、ネアは、さっと三つ編みを差し出してきた魔物を連れて市場を出る。


ウィズレックは、ネアが魔物の王様の三つ編みをリード代わりに引っ張っているのを見て、困惑したようにじっとこちらを見てきたが、このあたりは是非に触れないで欲しい。



がらんがらんと、また鐘の音が聞こえた。


市場を出ると冬空ではあるものの陽光が差し込み、周囲の色相が少し明るくなる。

警報は現場に駆けつけた騎士達が魔術で鳴らしているので、その現場を探すには鐘の音を辿ればいい。


音のする方へ向かい歩道を歩いてゆけば、なぜかバケツを持った領民を多く見かける。

一瞬、火の系譜の生き物だろうかと考えたが、火の手が上がって見えていたり、煙が立ち昇っていたりはしないようだ。


雪薔薇の咲いている並木道下の花壇の横を曲がり、小さなインク工房のある路地を抜けると、側道沿いの水路と大通りとは樹木の種類が違う並木道に出る。


少し広くなったこの道は、流通用の搬入路を王都の大通りと共有せずに済むように作られた、生活道路だ。

歩道も含め道幅が広くなっており、時間や季節ごとに、様々な商人達の馬車や荷運びをする男達の姿が見える。


市場への搬入路でもあるそんな道の一角に、集まった騎士達の姿が見えた。



「あちらのようです!」

「……………何の祟りものだろう」

「………甘い匂いがしますね」

「むぅ。ジャムのようないい匂いで、くんくんしてしまいます」

「ご主人様は、悪食にならない………」

「まぁ。そんなに怖がらなくても、さすがに祟りものは食べませんよ?」

「うん………」



風に乗って鼻孔に届くのは、甘い香りだ。

ジャム作りをしている厨房の匂いによく似ているので、どこか近所でジャムを煮ているのかなとも思ったのだが、ディノの反応を見ているとそうではないらしい。


果物か何かの祟りものなのかなと思いながら現場に向かうと、輪の少し外側に立っている白混じりの水色の髪の毛の少年が振り返った。



「あ、ネアだ」

「まぁ。ゼノ!……………グラストさんも、駆け付けて下さっていたのですね」

「ネア殿!実は、形状が捕縛に向かずに、苦労しておりまして」



そこにいたのは、リーエンベルクの筆頭騎士であるグラストと、その契約の魔物である愛くるしさは今日も輝かんばかりのゼノーシュだ。

二人は、同時にネアの隣にいるウィズレックに気付き、よく似た仕草で僅かに眉を寄せた。



「……………ウィズレック殿か。なぜ、ウィームに?」

「オフェトリウスの従者でも、ネアに何かしたら、僕、怒るよ」

「はは、これは厄介なお二人に出会ってしまった。………いや何、団長が仕事を放棄してどうやらウィームに潜伏しているようですので、こちらのお二人に同行させて貰う事で、炙り出そうと思っていまして」

「であれば、正式な申請を出すべきだろう。……………っ、」



眉を顰めたグラストが、珍しく冷ややかにそう言った直後だった。


うぉぉぉんと獣が遠吠えをするような不思議な音がして、ばすんと地面の雪が波打つ。

直前にネアをさっと持ち上げたディノが、あまりいい状態ではないねと、小さく呟いた。



「グラストさん、まずは祟りものめをどうにかしてしまいませんか?」

「ええ。………ネア殿、お力添えをいただいても良いでしょうか。…………今回は、討伐の糸口を探すのが難しく、街の騎士達から応援要請が入りました」

「むむ。さては、獰猛で恐ろしい感じの祟りものに違いありません!」

「完成直前に、鍋をひっくり返されて床に落ちたジャムの祟りものなのですが………」

「………ほわ、ジャムでした」

「ジャムなのだね…………」

「……………ええと、ウィームでは、ジャムも祟りものになるんですね」

「べたべたしてて、地面に広がっているから捕まえられないんだよ。凍らせても平気だし、剣で斬っても、あまり効果がないんだ」

「むぅ。ウィズレックさんを投げ込んで、取っ組み合いでどうにかなるか、様子を見てみましょうか」

「うーん、それはご辞退をお許しいただきたい。髪が乱れるのは気に入らないんです」

「我が儘騎士め!」



オフェトリウスよりもご婦人に人気があることを自負している騎士は、どうやら、戦闘中の髪の乱れも許せない洒落者らしい。


ネアは、早々に役立たずだと結論付け、とは言えこちらも乙女であるので、地面に広がったジャムを大事なブーツで踏むのは嫌だなと考える。



「素敵な瓶を置いて、その中に入るように促してみます?」

「先程、街の騎士が試したのですが、怒り狂うばかりでしたね」

「となると、もはや正式なジャム方面への憎しみでいっぱいですので、真っ当なジャム瓶などを見せるのも避けた方が良さそうですね」

「……………この頭が痛くなるような会話が、ずっと続くんですかね」

「自分の意思で同行しているのであれば、貴殿も何か策を考えては如何だろうか」



(……………おや)



温厚なグラストが、このような言動をするのは珍しい。

少しだけ不安になってそちらを見ると、視線に気付いたウィズレックが苦笑して肩を竦めてみせた。


「以前、公の場でエーダリア様に苦言を呈したことを、根に持っておられるらしい」


しかし、そんな不用意な一言で、周辺に集まった騎士達がぴくりと体を揺らしたことに、王都の騎士は気付いていないのだろうか。

ネアは、この騎士は無事に王都に帰れるのだろうかとはらはらしてしまったが、さすがに魔物でもあるというだけあって、そこで言葉を切る程に無防備ではなかったようだ。



「あの場には、反ウィーム派の貴族ばかりが集まっておいででしたからね。少し周囲が引くくらいの暴言を一つ吐いておけば、あの無能共の溜飲も下がるって魂胆だったんですが、お気に召しませんでしたか」

「……………その意図は理解出来た。とは言え、口に出された言葉は当人に届くものだ。不快感がないとは到底言えないだろう」

「はは、こりゃ清廉な騎士殿だ。恐らく、お宅の代理妖精や、ヒルド殿でも似たような手を打った筈ですよ。寧ろ、ウィーム派ではない俺が一芝居打った事に、感謝していただきたい。俺の上司がウィーム贔屓でなければ、見過ごした方がいいくらいの面倒な空気でしたしね」

「僕、ウィルシーズは凄く嫌い」



きっと、グラストは、ウィズレックのようなやり方は好きではないのだろう。

その意図することを理解出来ない程ではないにせよ、高潔で清廉な騎士として名高いグラストの気質とは正反対の騎士という感じがした。


だが、そんなグラストの融通の利かなさを弄うように微笑んだウィズレックを、ゼノーシュは、ばっさりと切り捨てる。


これは、騎士として擬態しているウィズレックにとって、やや手痛い言葉と言えた。

高位の魔物として擬態もせずに立っているゼノーシュに対し、彼は人間として接し、国の歌乞いに力を貸す人ならざる者を不快にさせたことへの謝罪の言葉を言わねばならないのだから。



(そして、ウィズレックさんの方が、魔物さんとしても階位が下なのだろうし……………)



「……………あの祟りものについては、きりんさんか、激辛香辛料油ですね。苦痛で滅ぼすか、絶望で滅ぼすかのどちらかにしようと思います」

「ご主人様……………」



それも演技の内だろうが、慌てたようにゼノーシュに謝罪をしているウィズレックを見ながら、ネアはジャムの祟りものへの戦略を練っていた。


あまりにも残忍な戦法にディノがぴゃっとなってしまったが、被害などが出る前にどうにかしてしまいたい。



「ウィズレックさんが思っていた以上に役に立ちませんので、ここはもう、私がどうにかするしかありません。ウィームを守って下さる騎士さん達をさり気なく安全域に逃し、この一刻の間は、どう使っても許されそうな王都の騎士さんを使い潰そうと思ったのに、とても残念です」

「お嬢さん、俺に丸聞こえですよ?」

「あら、聞こえても支障のない会話ですので、別に隠してはいないのですよ?」

「……………思っていた十倍くらい獰猛ですね」



またしても困惑したような視線を向けられ、ネアは、つんとそっぽを向いた。


エーダリアは、ネアの大事な家族なのだ。

それが周囲の火の粉を払う為の言動だとしても、ネアだって不快感を示すのである。


そして、ご主人様がポケットから取り出した物にふるふるしている伴侶を羽織ものにしたまま、道を開けてくれた街の騎士達の間を縫って、問題の祟りものに近付いた。



「まぁ。…………とてもジャムです。それも、木苺のジャムだったのですね」



雪の積もった歩道に広がっていたのは、一見、黒い泥沼かなという奇妙な物体であった。


しかし、独特の甘酸っぱい香りと、近付くと見える赤い色合いは、木陰に入ってしまっているので気付き難いものの、木苺のジャムそのものだ。


ネアが近付くと、べたべたしたジャム状のものがびしゃんと波打って荒ぶったので、ディノがすかさず排他結界でジャム飛沫がかからないようにしてくれる。


少しだけ心を落ち着かせる時間が必要になっだが、ネアは比較的すぐに冷静になれたと思う。



「さて、ジャムさん。激辛香辛料油を混ぜられてジャムとしての最後の誇りまでも失うのと、きりんさん符を漬けこまれて内側からどうにかなってしまうのと、どちらがいいですか?」

「……………凄い、跳ねるのだね」

「むぅ。ジャムが怒り狂うというのはどういう事なのかなと思っていましたが、びしゃびしゃと飛び跳ねるのですね。結界もなく、白っぽい服を着ていたら一大事ですので、やはり早々に滅ぼさねばなりません」

「いや、これはお嬢さんにどうにか出来るようなものではないでしょう?……………元はジャムという様子のおかしさですが、この領域のものは階位が高いんですよ」

「む?ジャムがですか………?」

「植物の系譜と砂糖の系譜、そして恩讐の属性ですからね。何事も、結ばれる直前のものが無残に壊れた直後程、悪変は悍ましく大きくなる。………ジャムの祟りものを見たのは初めてですが、派生過程を考えると、ガレンから高位の魔術師を呼んでの大々的な討伐になる相手だ」



軽薄な言動は目につくものの、騎士としての見地なのだろう。

ここばかりは真剣にそう言われてしまい、ネアは、首を傾げた。


足元でびちびち跳ねるジャムの祟りものは、ご家庭用ではなく、商用に大鍋で煮込んでいた量なのだろう。

ふうっと溜め息を吐いて水鉄砲を握り締めると、じゃばんと、ジャムの表面に撃ち込んでみた。



「ふむ。呆気なく滅びましたね」

「……………ご主人様」

「わぁ!ネアが簡単に倒しちゃった。ほこりを呼ぼうかなと思っていたけれど、やっぱりネアは凄いんだね!」

「……………香辛料油で斃せたとは。……………持っていたんだがな」

「グラストも、それを使えば良かったんだね。甘いジャムだから、辛いのは嫌だったのかな」



激辛香辛料油による攻撃は、ジャムとしての無念を訴える祟りものに対して、あまりにも残酷な仕打ちだったのだろう。


じゃばんと大きく跳ねるとそのまま地面に落ち、ぴくぴくした後にざあっと灰になって崩れてしまった祟りものに、ネアはふんすと胸を張る。



「あの形状で荒ぶり波打っていましたので、激辛香辛料油の浸透を妨げようがないという、とても無防備な敵でした。せめて、もう少し落ち着いていれば、激辛香辛料油が体中に混ざり込むこともなかったでしょうに」



愚かな敵をそう評して首を振ると、わぁっと街の騎士達から歓声が上がった。



良く見れば、ジャムに汚れたケープコートを羽織っている者達が多く、なかなかに苦労させられていたらしい。


この時期の騎士達のケープは、しっかり着込めば防寒用のコートになる厚手のウール地のもので、毛皮の裏打ちもある。

ジャムで汚されるとお手入れが大変なので、そのような点からも、とても厳しい戦いだったに違いない。



「さて。まだオフェトリウスさんは現れないようですが、どうします?」


祟りものの事後処理は騎士達が引き受けてくれることになり、ネアは、助かりましたと頭を下げてくれたグラスト達とも別れ、現場を離れた。


あのまま留まっても良かったが、グラストを不快な気分にさせるのも申し訳ないので、責任をもってこの騎士は遠ざけておこう。



「勝手に付いて来るだけなのだから、君の好きな事をしていればいいと思うよ。何か食べるかい?」

「では、先程の祟りものさんを見てジャムっぽいもの食べたくなったので、美味しいコンフィチュールがけのパラチンケンを出してくれるお店に行きませんか?」



しかし、ぱっと笑顔になったネアがそう提案すると、魔物達は真っ青になって必死に首を横に振るので、絶対にジャム系のものを食べると決めた人間は、その繊細さをどうにかし給えと半眼になったのだった。






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