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チョコレートと雪枝のシロップ




屋敷の外は、しんしんと雪が降り積もっていた。



がさりと響くのは、森の木々から雪の塊が落ちる音だろう。

白灰色の光は雪の日特有の柔らかさで、部屋に流れるのは、先程思い立ってねじを巻いた繊細なオルゴールの音色である。

この世界に来たばかりの頃にディノがリノアールで買ってくれたオルゴールは、淡い雪の日の光を浴びて、テーブルの上できらきらと光っていた。



今日はバレンタインである。

とは言え、この世界ではそのような指定はなく、該当するような祝祭と言えば、もう少し後にある薔薇の祝祭だろうか。


けれどもネアは、毎年、ディノにバレンタインにはチョコレートのお菓子を作るようにしていた。

長らく枯渇していた愛情や親しい人達との間に行う儀式なので、これ幸いとこちらの世界にも引っ張り込んで楽しんでしまう、人間という生き物ならではの強欲さからだ。



(大事な人がいて、材料を買うだけの金銭的な余裕がある。素敵な厨房があって、美味しいものを美味しくいただくだけの心の余裕もある)



つまり、これは贅沢なのだ。

強欲なネアが、そんな素敵な機会を逃す筈もない。



「……………火傷をしないようにね」

「はい。こうして、熱を防ぐ祝福を織り込んだミトンを使いますね」

「うん。怖かったら言うんだよ」

「ふふ。私の伴侶は優しいですねぇ」

「ずるい……………」



今日は朝から少し傾いているディノが、心配そうに周囲をうろうろする。

出来れば大人しく座っていて欲しかったが、この魔物は、エーダリアが厨房を持った事を案じているヒルドの発言から、オーブンは火傷をするかもしれない道具だと知ってしまい、とても怯えているのだ。


ネアとしては、料理をする上でのその手の不注意の事故は、ちょっぴりの範囲であれば人間にとっては珍しいものではないのだと説明したのだが、魔物にとって、ご主人様の一部が焼けてしまうという衝撃の事実は、どうしようもなく怖いらしい。


(そもそも、守護の範囲で防げるのではないかな。でも、試してみるのは嫌だけれど………)



ネアの守護は、人間らしい感覚を残す為にと、簡単な擦り傷や打撲程度の損傷は受ける仕様になっている筈なのだが、ちょっぴりの火傷は、その中でのどの区分に当たるのだろう。

今更の謎ではあるが、火傷は地味に生活が不自由になるので、ここで試してみようとは思わない。



「ディノ、オーブンから焼き上がったスポンジケーキを取り出しますので、軌道上から退避していて下さいね。ここで動作を妨げられると、ご主人様は火傷してしまうかもしれません」

「そうなのだね。…………ここでいいかい?」

「はい。そこなら、安心して取り出せますね。あつあつの焼き上がりでオーブンから取り出し、こちらの台の上に載せますので、ちょっと集中しますね」

「うん」



うっかり火傷をしてディノが倒れてしまわないようにと、ネアはまず、動線上でうろうろする伴侶を後退させた。


お気に入りのミトンを使い、細心の注意を払ってオーブンから取り出した天板を作業台に置けば、ディノがほっとしたように息を吐いている。

ネアは、ケーキナイフでスポンジの端を落とし、手際良く四等分に切ってしまうと、ノアにお願いしていた魔術板の上にひょいと載せた。


これは、最上級の氷雪の魔術を持つ筈のネアには出来ない、焼き立てのスポンジを味や風味を落とさずに魔術で素敵に冷やす鉱石板である。

磨き上げた鉱石で表面がつるつるしているので手入れも楽だし、使われている魔術は内側で循環するので、半永久的に使える素敵な料理道具だ。


エーダリアは、これを魔術薬の分野で使えると考えているようで、ガレンの魔術師達が自分で作れるようにならないか試行錯誤していく予定であるらしい。

魔術式上は可能な理論ということでノアと議論していたが、ネアにはさっぱりの難しい話であった。



「こうすると、焼きたてのスポンジがしゅわんと冷ませるのですよ」

「しゅわんと………」

「特別なケーキも素敵ですが、今年はエーダリア様のチョコレートを参考にして、絶対に美味しいばかりのチョコレートのお菓子を作りますからね!」

「…………うん」

「あらあら、鉱石の花が………」



青いタイルの上にぽこんと咲いた花がとても綺麗で、ネアは唇の端を持ち上げた。

ふっくらとした丸い薔薇のように見えるが、親指の先くらいの大きさなのがとても可愛い。

目をきらきらさせてこちらを見ている魔物は、ムグリス姿なら、三つ編みがしゃきんと伸びている状態だろう。



なのでネアは、保冷台に載せなかった端を揃えるために切り落としたスポンジの欠片を一口大に切り分けると、そんな魔物のお口にひょいと入れてやった。



「……………ずるい」



目を丸くした魔物はへなへなになって蹲ってから、何とか立ち上がると、よろよろと揺り椅子に避難したようだ。

揺り椅子に浅く腰かけて、震えながらこちらを見ている魔物に、ネアはこてんと首を傾げる。



「あら、美味しくありませんでした?」

「美味しい……………」

「焼き立てのほっくりしたスポンジを、味見でいただけるのは手作りの特権ですので、ディノにもお裾分けです!」

「虐待する……………」

「なぜなのだ」

「作ってくれて、食べさせてきた………」

「むぅ。出来上がり迄には、元気になって下さいね?」

「大胆過ぎる………」




(……………さてと!)



保冷庫から昨晩の内に作っておいたチョコクリームの入ったボウルを出してくると、スポンジを指で触り温度を確かめる。

すっかり作業台の上に揃った本日のお菓子の材料に、ネアは、にんまり微笑んだ。


もう一つのボウルには、こちらも昨晩の内に作って冷やしておいた苺のコンフィチュールが入っている。

チョコレートクリームとこちらのコンフィチュールで、素敵に美味しいお手軽バレンタインが楽しめるのだ。


ゴムじゃないけれど謎に柔らかくしなる不思議素材のヘラを取り上げ、自分の三つ編みをぎゅっと握ったままこちらを見ている魔物に微笑みかけ、まずはコンフィチュールをスポンジに塗る。

果物をそのまま切って載せてもいいのだが、ケーキというよりはジャムサンド感を出したかったので、今回はコンフィチュールにしてしまった。


甘酸っぱい香りに、宝石のような苺の赤が映え、見ているだけでも美味しそうではないか。

薄めに焼いたスポンジの上に、隅々まで載せすぎないように薄くコンフィチュールを伸ばせば、これで一層目の出来上がりである。



「むむ、これだけでも美味しそうですが、今回はバレンタインなので、チョコクリームが主役なのですよ」

「主役はそちらなのだね……………」

「はい。コンフィチュールの上は少し不安定な塗り方になりますので、チョコクリームは多めに載せて、……………えいっ」

「多めに……………」

「ふふ。甘さ控えめのクリームなので、贅沢にいきます!」


クリームが滑ってしまわないようにと、さっくりふわりと多めに載せてしまってから均してゆく手法を採用し、コンフィチュールの上にチョコレートクリームの層を作る。

上からもスポンジを重ね、サンドイッチのように三角形に切れば完成だ。


最後に、サンドイッチ風の三角形に切る際には、お湯で温めておいたよく切れるナイフと、度胸が必要だ。


バットの壁を上手く利用してクリームがはみ出さないようにしながら、更にはヘラなども使用してえいっとやってしまい、苺のコンフィチュールとチョコレートクリームのサンドイッチが出来上がる。



(出来た!)



子供舌のディノにも美味しくいただける組み合わせで、尚且つ、両手で持って食べられるので、魔物の王様にとってはお家のお菓子という感じで目新しさもあるだろう。


ディノは、最近ようやくクリームパフを食べられるようになったので、この手の、ぎゅむっとやるとクリームがはみ出してしまう系のお菓子にも安心して挑戦出来るようになったと見ていい筈だ。


勿論、お菓子サンドなので普通のサンドイッチよりは小さめだが、新鮮な苺も添えてお皿の上にそれらしく盛り付けると、なんとも可愛いデザートが出来上がった。

生の苺用に添えた小さな銀のフォークは、チョコレートクリームサンドからクリームが溢れた時にも活躍して貰おう。



残りのコンフィチュールやクリームは別のお菓子にも使うので大事に保冷庫に戻し、蛇口を捻って温水を出すと、使った道具類を手早く洗ってしまった。


お菓子を食べた後で洗い物をすること程憂鬱な事はないので、ネアは、可能な限りの洗い物は料理中や食べ始める前に済ませてしまう派なのだ。



「出来ましたよ!今年はケーキなどではなく、手で持って食べるチョコレートサンドです」

「チョコレートのサンドもあるのだね」

「ええ。おやつサンドイッチなのですよ。この量でもぱくりといただけるよう、甘さ控えめでコンフィチュールの甘酸っぱさもある二層仕立てにしてありますからね。…………ディノ、今年のバレンタインのお菓子を、受け取ってくれますか?」

「……………ずるい」

「あらあら、食べてくれないのです?」

「食べる……………」

「見た目は地味ですが、なかなかの出来栄えの筈です!」



ふんすと胸を張ってそう言えば、目をきらきらさせた魔物はこくりと頷いた。


ここで、紅茶の入っているポットを持ってきてくれるようになったのが、昨年との違いだろうか。

ネアは、そんなディノの優しさにほろりと嬉しくなってしまい、むずむずする口元で微笑みを作った。



バレンタインは季節に沿ったイベントなので、厨房の扉は開けておき、調理中もリーエンベルクの雪景色が見えるようにしておいた。


厨房の窓の向こうの景色も、今日は冬景色だ。

この場合、外にある畑も雪に埋もれてしまうのかと思えば、違うあわいの景色を適応しているだけなのでそちらには雪害などは及ばないらしい。


こぽこぽと音を立ててカップに紅茶を注ぎ、テーブルの上に置かれた花瓶に生けた結晶の薔薇を楽しむ。

この薔薇は、バレンタインが楽しみな魔物があちこちに咲かせてしまったものなので、後で、タイルに咲いた可憐な花も、忘れずにこちらに加えておこう。




「はい、どうぞ」

「……………有難うネア。………だい………大好きだよ」

「まぁ!チョコレートサンドのお返しに、素敵な贈り物を貰ってしまいました。さすがバレンタインですね」


ネアがそう返せば、魔物は少しもじもじしていたが、先に手に取って見本を見せたネアの方を見ながらお皿の上のチョコレートサンドをおっかなびっくり手に取ると、ぱくりと一口食べてくれる。



「……………美味しい」



水紺色の瞳をきらきらにしてそう言ってくれるのだから、作り手としてはこれ以上に嬉しいことはない。



「うむ。食べ易くて美味しく出来ていました!コンフィチュールも、欲張って塗り過ぎずクリームに覆われるくらいにしましたので、端っこからぼとりと落ちずに済んでいます」

「時々甘酸っぱいのが、とても美味しいね」

「まぁ!では、私の作戦通りですね!」

「……………ネアが、作ってくれた」



順調に食べ進んでくれている様子からすると、甘さ控えめチョコレートサンドは、目論見通り、ディノの口に合ったようだ。


ネアと同じように、好んでよく食べる程にはチョコレートをいただかない魔物でも、このチョコクリームであれば美味しくいただけると、自信を持って作った甲斐がある。


使っているチョコレートの違いか、あの詠唱が何か大きな役割を果たしているのか、アルテアが作ってくれたチョコレートケーキのクリームよりは香りが劣るような気がするが、それでも充分に美味しく出来たと言えよう。



(……………うん。このくらいの大きさで作っておけば、ふた切れくらいぺろりと食べられてしまうみたい)



今回は、初めて作るお菓子だったので、何度かこっそり試作品を作っている。


大きなスポンジに挟んでから切り出す作戦だとコンフィチュールが零れてしまったり、コンフィチュールましましだと、食べようとする際にスポンジとクリームの間からずるりと落ちてしまったりと、簡単そうに見えたものの幾つかの問題点があったので、それらの問題点を全てクリアにしてからの本番であった。



(うん。今回は三度目の挑戦ということもあって、一番上手く出来ていると思う!)



間際で試作品作りをするとディノが気付いてしまうので、このチョコレートサンドの開発は昨年に行われていたこともあり、最高のバランスを掴んだ時の感覚が鈍っていないか、少し心配だったのだ。


だが、滑らかなチョコレートクリームも、コンフィチュールとの組み合わせや、スポンジの質感も、今迄で一番美味しくなってくれた。

むふんと頬を緩めてもぐもぐしながら、ネアは、ディノとのお喋りを楽しんだ。



「……………なくなった」

「もう二回分作ってあるので、また、お茶の時にいただきましょうね。今食べたいのなら出してしまいますが、ゆっくり何度かに分けて食べても楽しいので、焦らなくていいですからね?」

「では、……………分けて食べようかな」

「はい。保冷庫にしまってあるので、ディノの好きな時に食べて下さい」

「うん」


最近のディノは、美味しいという気持ちを伝える為には、作って貰った時に沢山食べる必要はないのだと理解してくれるようになったので、ネアも、安心して一食以上の量を作れるようになった。

その前段階として、減ってしまうのでなかなか食べられないという時代もあったので、長く困難な道のりであったと言えよう。


だが、やはり最後の一つとなると躊躇っておろおろしているので、そんな時には、魔物の関心が別のお菓子に向くように、砂糖菓子やフレンチトーストなどを新たに作ってやるといいようだ。



(……………おや)



しかし今回は、ネアがお皿を下げてしまってもまだ、ディノがそわそわしているような気がする。

やはりもう一切れ食べるのかなと首を傾げていると、視線が合うなりぴゃっと頬を染めた魔物が、切なげに目を伏せるではないか。


初々しい乙女のような仕草だが、このどきりとするような美しい魔物がやるとやけに凄艶である。

ネアは、愛情を伝える日のお菓子にご機嫌なのだろうかとも考えたが、どうやら別に理由がありそうだ。



「……………ディノ?」

「…………君が生まれた国では、バレンタインの日になると、男性から女性に贈り物をするのだろう?」

「ええ。………まぁ。もしかして、何か用意してくれたのですか?」

「うん。……………君は、イブメリアや薔薇の祝祭と重ならないようにしたと話していたから、食べ物もあるよ。……………受け取ってくれるかい?」



そう言って机の上に置かれたのは、艶々とした上等なマルベリー色の紙袋であった。


グロス加工された紙の表面に、おずおずと袋を差し出す魔物の真珠色の髪が映り、ネアは、そんな思わぬ贈り物を同じ色の指輪の嵌った手で受け取る。


まさか、バレンタインの贈り物が貰えるとは思わなかったので、とびきりの笑顔になってしまったネアを見て、ディノは、ふにゃりと水紺色の瞳を震わせている。


イブメリアも誕生日も贈り物を貰ったばかりなのにと遠慮してみせる手間はかけず、ネアは、いそいそと紙袋を開けて目を瞠った。



「………まぁ。リボンです!」



一つは、上品な紺色の天鵞絨のリボンであった。

いつものリボン専門店のもので、ネアがディノに買ってあげた事のある、夜闇のリボンだ。

お揃いにしてくれたのかなと思って視線を上げると、魔物は再びぴゃっとなってしまう。



(ディノは、自分が大好きな物だからと、私にもリボンを買ってくれたのかもしれない………)



そう思えば、リボンの贈り物は特別な物に思えた。

むずむずする心に微笑みを深めて柔らかなリボンに触れ、今度は、紙袋の中に入っている小さな紙箱を取り出す。


人差し指くらいの小さな小箱はくすんだ青色で、箱をくるりと縁取るように、銀色の木の枝の絵があった。



「……………雪枝のシロップ。…………もしかして、ザハの紅茶にある、あの雪枝のシロップですか?」

「うん。グレアムに教えて貰ったんだ。飲んでみたかったのだろう?」

「……………ふぁい。ですが、なかなかに高価なシロップだったのと、どうしてもいつも季節限定の紅茶やジュース、メランジェなどにしてしまい、今迄機会がなかったのです……………」

「水で割ってもいいそうだし、紅茶に垂らしてもいいそうだよ」

「どうしましょう。どちらも素敵な贈り物過ぎて、伴侶のことを、もっともっと大好きになってしまう贈り物ばかりです………」

「ご主人様!」



ぱっと微笑みを深めた魔物に、足元にぱきぱきと鉱石の花が咲いてしまう。

こちらは綺麗な真珠色なので、床石や椅子に使われている木材ではなく、ディノの魔術そのものから咲いた自前の花である。


ネアは、我慢できずにすぐにシロップの箱を開けてしまい、円筒形の小瓶に入ったとろりとした水色のシロップに椅子の上で小さく弾んでしまった。


このシロップは、瓶の大きさからもお察しの希少なもので、ほんのひと雫をグラス一杯の水で割っても充分に美味しいと、冬場のザハの飲み物メニューの定番の一つた。


ただ、どうしても温かな飲み物を優先させてしまうネアは、時々冷たいものを飲もうとしてもうっかり果物のジュースなどを頼んでしまい、長らく飲み損ねていた。



「今日は素敵な日ですね。私がやってみたかったバレンタインのチョコレートな時間を過ごせてしまえて、私が貰う事が出来なかった、バレンタインの特別な贈り物を貰えてしまいました」

「君がどちらのバレンタインも知っているのなら、どちらも出来るようにしたかったんだ。また、来年もこのような贈り物をしてもいいかい?」



そう尋ねる魔物には、男性的な色香もあり、いつものすぐにくしゃくしゃになるディノではなくて、魔物の王様という感じがした。

けれども、ネアがじっと見つめると目元を染めてそわそわし始める、とても儚い魔物でもある。



「まぁ。ディノにチョコレートのお菓子を振舞えるだけでも楽しいのに、そんな素敵な提案をいただいてしまっていいのですか?……………私は、とても強欲な人間なので、一度受理したら撤回は出来ませんよ?」

「うん。……………可愛い」

「では、またバレンタインに贈り物が欲しいです!」

「うん。そうしよう」

「今度、このお揃いリボンで出掛けましょうね。ディノからのバレンタインの贈り物ですから、最初に使う時は、ちょっぴり特別な感じにしたいので、大広間でダンスを踊ってもいいかもしれません」

「…………可愛い」



贈り物の使い方を考えると思わず机の下で爪先をぱたぱたさせてしまい、ネアは、シロップの小瓶を丁寧に箱に戻しながら、美しい艶のあるリボンの表面をそっと撫でた。



「折角のバレンタインの贈り物なので、シロップは、今日の内の夜に飲んでみようと思います。今だと、チョコレートサンドの催しと思い出が混ざってしまいそうなので、初めましての雪枝のシロップは、その為だけの舞台を設定しなければなりません!」

「舞台が必要なのかい?」

「ええ。ずっと飲んでみたかったシロップですから、大事に楽しんでしまうのです。…………今日は、二度も特別な時間があるなんて………。ディノ、また夜にも一緒に、バレンタインの思い出を作ってくれますか?」

「……………虐待する」

「解せぬ……………」



テーブルの上に載せていたディノの手を握ってそうお願いすれば、ぼぼんと頬を染めた魔物は、くしゃくしゃになって机に突っ伏してしまった。


淡い雪の日の光に綺麗に光る真珠色の髪をネアが撫でてやると、またしてもきゃっとなっているのでなかなか起き上がってはくれないようだ。

綺麗な髪にチョコレートクリームが付くかもしれなかったので、お皿を片付けてよかったと胸を撫で下ろしながら、ネアは、この二つの贈り物をディノはいつ買いに行ってくれたのだろうと考えた。



とろりと甘い、そして甘酸っぱく贅沢なチョコレートクリームのように。

幸せな甘さに心が満たされ、もう一度爪先をぱたぱたさせる。



(このシロップは高価な物だと思うけれど、………)



それでも、ドレスでも宝石でも、特別な魔術道具や高位の魔物だからこそ手に入れられるような見た事もないような宝物ではなく。

ディノが選んでくれたのが、こうして一緒に暮らしているからこそ選んでくれるような贈り物だったことが、堪らなく嬉しかった。



こんな贈り物だからこそ、ネアがずっと欲しかったバレンタインの形になり得るのだと、この魔物が知っていてくれたことが何よりも嬉しかった。




「ディノはもう、私が欲しいものは全てお見通しなのですね……………」

「三つ編みを持つかい?」

「なぜなのだ」

「今日は、好きなだけ体当たりしてもいいからね」

「もう一つ重なりました……………」

「……………もう一切れ、チョコレート…………サンドを食べようかな」

「あら……………」



思わぬ申し出に、ネアは目をしぱりと瞬いた。

おずおずとそう言い出した魔物は、思っていたよりも、今年のバレンタインのお菓子を気に入ってくれたようだ。



あらためて、頑張って程よい甘さのチョコレートクリームを開発して良かったと思いながら、ネアは下げてしまったお皿を取り戻すと、保冷庫からもう一切れのチョコレートサンドを載せてきた。


幸せそうに目元を染めて、もう一切れのチョコレートサンドを食べた魔物がなぜかぴっとなっているのでおやっと眉を寄せれば、保冷庫で冷えて少し硬めになったチョコクリームの方が美味しかったらしく、嬉しそうに食べている。



「次の物は、保冷庫に入れておいたものをすぐに食べようかな」

「ふふ。では、そうしてみて下さいね。気に入ってくれたのなら、またバレンタインではない日にも作ってあげるので、食べたい時に食べきってしまっていいのですからね?」

「……………うん。有難うネア。……………とても美味しいよ」



(こうやって、ディノの好きな食べ物が少しずつ増えてゆくといいな………)



「因みに、チョコクリームとコンフィチュールはまだ残っていますので、塩味のあるクラッカーに載せていただく手法も、近い内に試してみませんか?チョコレートクリームは、新鮮なオレンジと一緒にいただいてもいいかもしれませんし、ゼノの情報によると、ブリオッシュに付けて食べても美味しいのだそうです」

「ネアの手料理が増えた……………」



ご主人様の手を介したものは何でも手料理認識してしまう魔物は、この先にも様々な初めましてのおやつが控えていると知り、すっかりご機嫌になってしまった。


恥じらいながら爪先を差し出してくるので、これはもうずっとこのままなのだろうなと考えながら、ネアはぎゅむっと踏んでやる。



「なお、こちらは保存用ですので全てのチョコレートクリームやコンフィチュールをやっつけてからになりますが、チョコレートクリームを挟んだクッキーもありますからね」



そちらは、家族用のバレンタインのお菓子だったが、ウィリアムとアルテアにも用意してあるので、本日以降のそれぞれに都合のいいところでお届けせねばなるまい。

今日は伴侶を最優先する日なので、ディノとのバレンタインな時間が終わってからカードで都合を聞こうと思っている。




(でも、…………)




しんしんと雪の降る窓からの淡い光の中で、もう少し二人きりでお喋りをしていよう。

大事な伴侶と過ごす時間には、塩味調整のまるまるサラミの小皿を出し、三杯目の紅茶を注ぐのがいいだろう。










明日2/15の更新は、お休みとなります。

TwitterにてSSを書かせていただきますので、もし宜しければそちらをご覧下さい!

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