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チョコレートケーキと寝巻き




ことことと、お鍋で何かが煮えている。

クローブとナツメグ、カルダモンとクミンの香り。

そして、ソースはトマトだろうか。



ネアはそちらの香りを気にしつつも、居心地のいい部屋でむふんと転がった。

すぐ真横には、ムグリス姿の伴侶がすやすや眠っている。


こちらの魔物は、選択の魔物のお宅にあったタオルに載せられた瞬間、あまりのふかふか具合といい匂いにすとんと眠りについてしまったのだ。

時々、ちびこい足をぱたりとさせる様子が可愛くて、今は、小さく丸まってくぴくぴしていた。


ふかふかの長椅子は座面が広く、ネアが寝そべっていても転がり落ちてしまう危険はない。

テーブルの上のタオルの寝台で眠る伴侶を眺めながら、ごろごろ過ごす休日はなんて素敵なのだろう。


おまけにここは、ネアの大好きな使い魔のお屋敷で、尚且つ背後では、お料理上手な選択の魔物の手による素敵な晩餐の準備がなされているのだ。


なお、味を馴染ませる為にこの時間から準備されている料理があるだけで、まだ窓の外は夕暮れには早いようだ。

先程の美味しい香りは、魔術遮蔽を敷いたのかもうこちらには届かなくなった。



今日は洗濯があったからと庭は初夏の色合いで、はたはたと風に揺れる洗濯物を見ていると、人間を皮だけにして悪さをしている魔物のご自宅には到底思えない。



(でも、そろそろ風が冷たくなるのかしら………)



僅かに黄色みを増した光の色に、アルテアも気付いたのか、鍋の中身を確認してから火加減を調整し、何やら謎めいた魔術をしゅわんとかけるとこちらにやって来た。

洗濯物を取り込みにゆくのだろう。



なんと家庭的な魔物だろうと考えていると、僅かに首を傾げてポケットから銀色のカードケースを取り出したアルテアは、その中から一枚を引き抜いた。



広げたカードは、誰かとやり取りをしているのだろう。

ちらりとその様子を見ていると、カードを閉じて呆れ顔でこちらを見る。



「……………おい、寛ぎすぎだぞ」

「ふにゅ。……………使い魔さんのお宅の中ですので、安心して横倒しになる権利が私にはある筈です。そして、いい匂いがしているのは香辛料煮込みでしょうか」

「晩餐まで、摘まみ食いはするなよ。……………たった今、ノアベルトから連絡が来た。リーエンベルクの騎士達の傘選びも、一通り終わったそうだ」

「何か、困った傘が現れたというようなお話は、出ていなさそうですね」

「今年は、壇上での挨拶は仕方ないが、昼食会への参加は見送りだな」

「……………にゃふ?!」



影の傘が現れた年にもなかった厳しい裁定に、ネアは慌てて体を起こした。


自分の屋敷の中なのでと寛いだ服装になっているアルテアは、白いシャツの袖をシャツガーターできちんと留め、シンプルな黒いパンツ姿で前髪を上げている。

先程まではエプロンをしていたような気もしたが、パンはオーブンに入ってしまったので、もう外したのだろうか。



「クライメルの名前が出てきた段階で、そのくらいは覚悟しておけ」

「……………し、しかし、今回は、そやつの手掛けた道具ではないのですよ?」

「ああ。だが、傘選びでは、どのような形であれお前に触れたものだ。その上、傘見舞いの前兆を受けた以上、傘祭りまで実質手が打てないに等しい。言っただろう。あれは、悪意を齎す訪問なんだ。ただの凶兆との偶然の遭遇よりも扱いは慎重になる。カードを取り違えるなよ?」



言われてみれば、その通りなのだ。


今回のカードは、偶然で齎された事件や事故ではなく、対処するべく手を伸ばした災いや障りでもない。

未だ全容を知らせずに沢山のカードの中に忍び込ませてある、悪意によって示されるカードなのだから、これまで以上に対応は慎重にして然るべきなのだろう。



だが、何よりもネアを落ち込ませたのは、森の中にいるような気分になれる美しい議事堂の中での昼食という、祝祭ならではの楽しみを奪われた事だった。



「……………ふぁ、ふぁい。あの議事堂は、とても素敵なのですよ。傘さんは連れて行かないのに、それでもなのですね……………」

「今回の傘選びで、リーエンベルクの騎士が当たりを引けばどうにかなっただろうが、目を付けておいた連中がことごとく外れを引いたとなれば、用心に用心を重ねるしかないだろう」

「議事堂には、傘は入り込まないのですよ………。ぎゅ」

「諦めろ。ダリルにも確認させたが、当然そうあるべきとして規則設定されていなかったせいで、傘祭りの日の議事堂に傘を持ち込んではならないという規則は、あの祭りにないんだぞ」

「な、なぬ。……………ぎゅむう」



つまり、そのせいで、ネアの昼食会の参加は難しくなったのだった。


何の由縁もない傘かもしれないが、それがクライメル経由かもしれないという予兆を得てしまった以上、ネアが同席すると問題の傘との遭遇率が高まる危険性がある。


あの場所には、エーダリア達も含め様々な者達が集まるので、参加が必須なエーダリアは据え置き、ネアを外すことで少しでも危険の度合いを下げておかねばならないのだ。




(今回は我慢しよう。…………でも、あの議事堂の天井の下で、みんなとお昼を食べたかったな………)



くしゅりと項垂れたネアに、一つ溜め息を吐いたアルテアが、隣に座る。

僅かに傾いだ座面に体が傾き、アルテアにぴったりと寄り添うようになってしまう。


だが、こんな時の人外者は、か弱い乙女の体重をかけられて椅子から押し出されたりはしないので、安心していいのだ。



「お前が見たのはただの情報で、今回起こるであろう事には、無関係である可能性も高い。お前が関わると、傘見舞いの運んだ悪意が成り立たなくなる確率が上がるからな。だが、念には念を入れておくぞ。クライメルは、乗り物や入れ物を使った魔術を得意とした。あの議事堂の作りは、大きな箱とも言えなくない」

「エーダリア様達は、大丈夫でしょうか……………」

「今回は、ノアベルトだけではなく、あの茨の魔術師にも協力を仰いだそうだ。白杯もいれば手堅いだろう」

「……………なにやつ」


初めましての名前に眉を寄せると、どこか憂鬱そうな歪んだ微笑みを浮かべた選択の魔物は、怠惰に寝転がっていたせいで髪の毛が乱れていたのか、ネアの前髪を指先で梳いてくれた。



「白持ちだが、儀式周りでしか階位を上げない魔物だな。グレイシアに近い。だが、今回は祝祭だ。ある程度役には立つだろうよ」

「グレイシアさんやトルチャさんのように、祝祭の儀式の為に招かれた方なのです?」

「エーダリアの支持者らしいぞ」

「……………エーダリア様は、少しも普通ではないのですよ。とうとう、野良の白いのが現れました」

「言っておくが、白杯は、お前がウィームに来る前から領主贔屓だ。オフェトリウスがこちらへの移住を本格化させたからな。我慢出来ずに姿を現し始めたんだろう」



聞けば、白杯の魔物は、長らく熱心なエーダリアの支持者だったらしい。



ひっそりとその活動を楽しむ控えめな支持者だったが、人間に何かと好かれやすい剣の魔物がウィームに近しくなったこともあり、我慢出来ずに表に出ることを決意するに至ったのだとか。


とは言え、白杯は魔物としてしっかり姿を現すような気質ではなく、ひっそり群集や人並みに紛れているような魔物なので、姿を見せて周囲の者達に挨拶をしてゆくというよりは、誰にも姿を見せないが密かに活躍してゆくという、正体を隠して戦うヒーロー型の魔物であるようだ。



「オフェトリウスさんと、あまり仲が良くないのでしょうか?」

「本質を歪められるのを好まないんだろうよ。オフェトリウスの場合、あいつが増やすのは信奉者だ。白杯は、その手の精神的な酩酊を嫌う」

「ふむふむ。なので、ノアは問題ないのに、オフェトリウスさんは警戒してしまうのですね……………」



魔物にも、様々な者達がいるのだろう。

そこには魔物らしい価値観が現れ、説明されなければ理解出来ないような執着も多い。


なお、白杯の本来の姿は、ガヴィレークのような素敵なおじさま風だと聞いたネアは、いつかどこかで偶然出会えることを密かに祈っておいた。

話の内容から最初は女性かなと思っていたのだが、孫を愛でる祖父感が満載の老紳士だったらしい。




「…………何だ?」

「となると、傘祭りの日の私は、どこでお昼をいただけばいいのですか?」

「一番いいのはリーエンベルクだろうな」

「…………お祭り感が突然なくなりましたが、せめて、屋台で食べ物を買って戻る事は出来るでしょうか?」

「それくらいなら構わないだろう。お前を街に野放しにはしておけないが、…………おい、人間で唸って威嚇するのはお前くらいだぞ」

「私は可憐な乙女なので、野放しにするという表現はおかしいと思います」

「その前提を、自分の唸り声で打ち消しているからな?」

「ぐるる………」



一つ溜め息を吐き、立ち上がったアルテアは洗濯物を取り込みに行くようだ。

ここでネアが、淑女らしく手伝いましょうかと言わないのは、以前に申し出て、可動域が足りないと却下されたからである。

その日の屈辱を忘れはしないので、ネアは、二度と洗濯物の取り込みには関わらないと心に誓っている。



シーツのような白い大判の布を取り込む選択の魔物という謎めいた風景を眺めながら、ネアは、くすんと鼻を鳴らした。

すると、敏感にその気配を察したのか、むくりと起き上がった伴侶なムグリスが、涙目のご主人様に気付き三つ編みをびゃんと逆立てている。



「キュキュ?!」

「…………ふぐ。騎士さん達にも、問題の傘は引き当てられなかったようです。騎士さんが見付けるかもしれないのでと今日はアルテアさんのお屋敷に避難していましたが、必要ありませんでしたね………」

「キュ……」

「そして、傘祭りのお昼は、議事堂でいただくのは難しくなってしまったようです」

「キュ………」

「まぁ、私の大事な魔物が、慰めてくれるのですか?」

「キュ!」



こてんと仰向けになってお腹を差し出してくれた愛くるしい伴侶にくすりと笑い、ネアは、そんなムグリスディノのお腹を欲望のままに撫で回してしまった。



(これ迄の不自由は、曖昧であれ相手が見えていて、踏み滅ぼして打ち砕ける物が多かった…………)



だが、今回、ネアから傘祭りの日の昼食の楽しみを奪ったものは、何処かに元凶がある筈なのに、未だくっきりとした形を見せないものだ。

憤りをぶつけるには至らず、もやもやとした居心地の悪さと理不尽さを感じて、じわりと心を削る。


どうにもならない事なのだから粛々と受け入れるしかないのだが、クロウウィンから、楽しみにしてきた予定が思い通りに終えられないことが続いており、ネアは、悔しさのあまりに目についた生き物を手当たり次第に狩りたくなってしまった。



どれもこれも、ネアにとってはまだ、特別で楽しみだったものばかり。

毎年のあれという風に馴染みが出てきて嬉しくなってしまうくらいの段階なのだから、一つだって取り落としたくないのに。




「…………くすん」

「ったく。まだ納得がいかないのか」


そこに、洗濯物を取り込み、尚且つ畳み終えてしまったらしいアルテアが戻ってくる。

世界への悲しみに満ちた目で美麗な魔物を見上げると、どこか酷薄な眼差しがこちらに向けられた。



「理解しようとしても、じめじめしてしまうのです。………なぜ私は、問題の傘をずたぼろに出来ないのでしょう。私の楽しみを奪うような愚かな真似をした傘めがいるのに、この手で粉々に出来ないなんて………」

「………そっちかよ」

「何かを諦めなければならないのは、我慢出来るのですよ。私の優先順位は、私と私の家族の安全ですから。ですが、私はとても強欲なので、私の手から私が得る筈だったものを奪われるのが大嫌いです。そんなことをした愚かな傘めを、なぜ悲惨な目に遭わせられないのだ………」



ぎりぎりと眉を寄せ、この手でこうしてへし折ってやりたいのだと手をわきわきさせていると、ぽすりと頭の上に手を載せられた。



「どうせ、今夜はこちら預かりだ。組んである排他術式を解くのは面倒だからな。………晩餐迄には少し時間があるから、タルトかケーキを焼いてやる」

「………タルト様とケーキ様?」

「どちらか一つだ。二種類焼いたら、お前は二種類食べるだろうが。何にする?」

「………甘過ぎなくて素敵なクリームの、甘酸っぱい感じもあるチョコレートケーキが食べたいでふ」

「やけに具体的だな………」

「オフェトリウスさんが、ウィームに来ていたらしくて、騎士さん達に差し入れでくれたのですよ。ですが、エーダリア様達や我々宛のものは、荒ぶった狐さんに食べ尽くされたのでなくなってしまったのです………」

「中央からとなると、カザのチョコレートケーキだろうな。…………いいか、一切れまでだぞ」

「はい!」




ぱっと笑顔になったネアが立ち上がると、呆れ顔の使い魔はなぜか、ネアの両脇の下に手を差し込み、ひょいと持ち上げてしまった。

おや、ケーキへの花道かなとじっとしていると、そのまま持ち運ばれ、厨房近くにある素敵な一人がけの布張りのソファに設置された。



「ほわ、ディノが置き去りになりました………」

「ったく…………」



撫で回されてこてんとなったままのムグリスディノも机の上から回収され、ネアの膝の上にぽてりと置かれる。



こちらに背を向けたまま、腰に手を当ててカウンターの前に立ったアルテアは、作ろうとしているケーキに必要な材料を考えていたのだろう。

一拍を置き、頷くと、優美な仕草で保冷庫を開け、手際良く材料となる物を取り出してゆく。


ネアは、目を輝かせてその様子を見守りながら、用意されたチョコレートがあまりにも高価そうな物で慄いていたが、そのチョコレートを使ったケーキを食べたいかと言われるととても食べたかったので、気付かなかった事にした。



(……………あ、)



さっくりと混ぜられてゆく粉を見ながら、ネアは聴こえてくる微かな歌声にぴっと背筋を伸ばした。

だが、しぱりと瞬きをした魔物がぴたりと口を閉ざしてしまったので、せっかくの美しい歌声は、しっかりと耳を澄ませる前に途切れてしまう。



「まぁ。鼻歌は沢山歌ってくれて構わないのですよ?」

「お前の情緒が足りていないのは兎も角、………今のは工程にある詠唱だ」

「これ迄のケーキ作りで、詠唱が聞こえてきた事はなかったので、特別なのです?」

「……………かもな」




チョコレートを溶かす甘い香りに、甘酸っぱい木苺の香り。


ふんわりと立てられたクリームがチョコレート色になり、オーブンに入れられたスポンジが焼き上がる。

贈り物のナイフでカットされる苺に、冷たい雪明かりの氷水で洗われた木苺が艶々と光っていた。


ネアが凝視していると、アルテアは、途中で木苺を一つお口に入れてくれる。

美味しい訪れにむぐむぐしながら、ネアは、ケーキ作りの観察をするにあたって得られる恩恵に感謝した。



切り落とされたスポンジの残りは、また別のデザートになるのだろう。

刷毛で塗られたお酒の香りのあるシロップは、夜風と舞踏曲の祝福がかけられているらしい。

木苺のクリームとミルクチョコレートのクリームが重ねられ、ケーキの上には沢山の赤い果実が並べられる。


ネアが夢中で見ている事に気付いたのか、ふっと微笑んだアルテアが、クリームの口金を変えると、見事な手つきでクリームの薔薇をケーキに添えてくれた。




「ふぁ!………何て艶やかで綺麗な、そして美味しそうなケーキなのでしょう!」

「キュ………」

「ふふ。ディノもすっかり目が覚めたので、一緒にいただきましょうね」

「キュ………」

「あらあら、浮気ではないのですよ?ですが、このケーキは大好きです!」

「………お前が、チョコレートケーキを強請るのは珍しいな」



デコレーションも終わり、宝石のようなケーキがケーキ台に鎮座すると、ふと、アルテアがそんな事を言った。


確かに、ネアが好むのは、白いクリームや爽やかな果実のクリームのケーキやタルトやパイばかりで、チョコレート系のお菓子を積極的に強請る事はあまりない。



「生まれ育った世界で、この時期に薔薇や贈り物、国によってはチョコレートなどを贈る風習があったのです。自分ではあまり堪能出来なかったものなので、こちらに来てから、ディノにチョコレートのお菓子を贈っては腹ペコな心を満たしているのですが、そのせいでなぜか、この時期だけは、どうしてもチョコレートが特別に感じられるのかもしれません」



きゅっと蛇口が閉められ、手を拭いたタオルが魔術で乾かされる。

甘酸っぱいチョコレートと果実の香りに、磨き上げられた厨房の居心地の良い水と陶器の香り。



「となると、チョコレートは異国の風習だろうが。薔薇でも品物でもなく、なぜそちらにした?」

「イブメリアと薔薇の祝祭の間なので、この日だけの贈り物とするべく、その二つに重なってしまうような種類の贈り物は避けたのです。そして、チョコレートは確かに異国の風習ですが、私の母方の祖母は、その異国で生まれたのだとか。とは言え、母は事故で身寄りを亡くしてしまい、お世話になった方に養父母になって貰ったので、私の血族という訳ではないのですが………」



それでもきっと、母から教えて貰った祖母の知る異国のバレンタインの風習は、愛の贈り物を貰うにはまだ子供だったネアハーレイには、自国の風習より響いたのだろう。


一人ぼっちになり、生活が困窮してゆき、菓子類が贅沢品になってからは、愛の日に甘いお菓子を貰えるという憧ればかりが心の中で育ったような気がする。



「多分、異国の風習だからこそ、私にとってのチョコレートのお菓子は、物語の中に出てくる憧れの幸運のようなものだったのかもしれません」

「キュ……」

「ふふ。今年はディノにもまた作ってしまいますし、アルテアさんにこんなに素敵なチョコレートケーキを作って貰えたので、バレンタインは大豊作なのですよ!」

「キュキュ!」

「…………やれやれだな。もう一度言うが、一切れまでだからな」

「ぎゅむぅ……」



青い繊細な絵付けのある白いお皿に、チョコレートの薔薇を載せた素晴らしいケーキが設置された。

最初にアルテアが切ろうとした角度でネアが抗議の弾みを披露したので、選択の魔物の想定よりは、大きめのカットとなったようだ。



「あぐ!」

「キュ………」

「………むぐ。………ふぁ!なんて美味しいケーキでしょう!木苺のクリームが甘酸っぱくて、甘さがしつこくないのです。………むぐ。………美味しいです」

「お前が食い意地の張った人間なのは今更だが、くれぐれも、他所で強請るなよ」

「…………あら、私がこんな風に食べ物を強請るのは、使い魔さんだけですよ?」



流石にそのくらいは弁えているのだと胸を張って主張すれば、なぜかアルテアは赤紫色の瞳を瞠って黙り込んでしまった。


そんな事はないだろうという疑いの沈黙かもしれないが、時々手料理をご馳走してくれるウィリアムもいるものの、あれこれを作って欲しいと気軽に強請れるという訳ではない。


ネアにだって、料理も吝かではない人と、料理が趣味だという人の違いくらいは分かる。

アルテアの場合は後者なので、安心して強請れるのであった。



「…………節操なしめ」

「解せぬ」

「キュ…………」



アルテアは、その後もバレンタインの風習について知りたがったので、ネアはその起源や、祖国では下着類を贈るというちょっぴり大人のやり取りもあるのだと伝えておいた。


アルテアが無言で眉間の皺を伸ばしたので、こちらの使い魔も欲しいのかなと思い、ちびふわ毛糸パンツが入り用かを聞いたところ、お前はまたそんな物を用意するつもりかと指先でおでこを攻撃されてしまう。


むぎゃっとなったネアが暴れている内に、残っていたケーキが保冷庫にしまわれたのは、あわよくばとふた切れ目を狙っていた人間にとっては悲しい事件であった。



(……………おや、)



そろそろ夕暮れかなと窓の外を見ようとして、夜結晶のキャビネットの上に置かれた上等な紙箱が目に入る。


ふくよかな薔薇色のリボンがかかっているが、包装のものではなく、箱が開かないようにする為に元々取り付けられているものだろう。

綺麗なセージグリーンの紙箱には華奢な箔押しの金色で文字があり、恐らくは店名かと思われた。



「ディノ、あれは恋人さんからの贈り物でしょうか」

「キュ?………キュ」

「おい、また妙な想像をしているんじゃないだろうな?」

「アルテアさん、あの素敵な箱は、恋人さんからの贈り物ですか?」

「何でだよ」

「箱の雰囲気が、女性的で可憐な印象でしたので、贈り物かなと思ったのです」



ネアがそう言えば、顔を顰めてふうっと息を吐いてみせたアルテアが、その箱を持って来てくれる。

ネアは、中身はいいのでこの箱だけいただきたいぞと思いながら、お洒落な箱がかぱりと開けられるのを見守った。



「………私物だ。前々から目をかけていた職人が、店を出したからな」

「ふむ。お客様になって、応援して差し上げたのですね?」

「いいか、俺の仕事の武器部門を統括している男の伴侶だぞ。おかしな勘ぐりをするな」

「むぅ。そうなると、難しいようです。恋人さんではありませんでしたね…………」

「キュ………」

「ただ、素敵な女性であれば、私もお客になり、そこからお友達になるという手もあるのかもしれません」

「竜種の男だ。残念ながら、女じゃないな」

「……………ほわ。奥様な男性の方でした」

「キュ……」



(でも、何て素敵なセンスの持ち主なのだろう。私はあまり帽子は被らないけれど、このお店の帽子を欲しくなってしまうくらいだわ………)



アルテアが注文したという帽子は、僅かに薔薇色がかった黒のウール地を使ったトップハットで、僅かな窪みや縫製の跡までもがなんとも洒落ている。

また、飾りに使われている白い天鵞絨のリボンが、光の角度で薔薇色がかって見える素敵さなのだ。


これまでのアルテアにはあまりない色合わせだが、どちらも選択の魔物の持つ色彩を引き立てる色と言えよう。

この帽子がすっかり気に入ったネアは、是非に漆黒の盛装姿などで被ってくれ給えとわくわくしてしまう。


「…………むふぅ。素敵なリボンですね」

「ほお。これが気に入ったのなら、問題ないだろうな」

「む?この帽子は、さては私への贈り物……」

「違うぞ。お前用の物は、今晩にでも渡しておいてやる。まだ誕生日を渡してやってなかっただろう」

「誕生日!」



すっかり忘れていたりなどは勿論せず、しっかり覚えていて、いつだろうと楽しみにしていたネアは、気になり過ぎてアルテアの周囲をうろうろしてしまい、呆れ返った選択の魔物に小脇に抱えられて二階の寝室に連れて行かれる事になる。


乙女は小麦袋の抱え方ではいけないのだと怒り狂っていると、ネアが泊まらせて貰う方の寝室に、先程の帽子の箱と同じデザインの箱が置かれていた。

ただ、こちらの箱は平べったい。




「開けてもいいですか?」

「ああ。少し遅れたが、まぁ、来年も使えるだろう」

「むむ!……………まぁ!!」


同じ作りの箱なので、リボンをしゅるりと解いてから蓋を開ける。

綺麗な透かしのある薄紙を開いたネアは、中から現れた物の素敵さに、ぴしゃんと固まってしまった。



(か、……………可愛い!!)



そこに収められていたのは、襟元まで閉まるタイプのネグリジェ的な寝巻きであった。

寝巻きとは言え、室内着として使えるデザインなので、休みの日などはこれでゆったりと部屋でごろごろ過ごせそうな贅沢さである。


素材は先程のアルテアの天鵞絨のリボンと同じような薔薇色がかった白で、表面の起毛を手で撫で変えると薔薇色が鮮やかになった。



「……………ふぁ。す、素敵過ぎて、ちょっと深呼吸しますね」

「キュ!」

「………まぁ、下に穿くものも付いているのですね。全体的にシンプルですが、縫製がとても綺麗で、襟元のフリルと裾のフリル、ズボンの方にも裾のフリルがあって、上品で繊細な感じがします………ふぁ。ちょっと膨らんだ袖なので、寝るときに肩周りが苦しくなる事もないでしょうし、こんな素敵なとろつや質感がお肌に触れると思うと…………ふにゅ」



ネアが貰った寝巻きセットを抱き締めて見上げると、こちらを見たアルテアはどこか満足気に微笑んでいた。


こちらの魔物はご主人様の寝巻きの襟元が開くのをとても気にしていたので、風邪を引かないようにと暖かい寝巻きを贈ってくれたのだろう。

他に、同じような素材で、僅かに色味を変えた膝掛けと靴下もセットになっていて、ネアは箱を持って寝台の上を転げ回りたくなってしまう。



「夢の領域は、俺も魔術として持っているからな。そのどれかを身に付けておけば、守護の一環としても使える筈だ」

「はい!………むふぅ。ふかふかとろりです。ディノも、触れてみて下さい」

「キュ………」

「あらあら、あまりにも素敵で、とろんとなってしまいましたね?」

「キュ……」



寝台に腰掛けて箱を開いていたネアの隣に、アルテアが腰掛けた。

ネアは、隣にいるのは贈り主だと理解しているのだが、堪らずに手に持って広げた新しい寝巻きを自慢してしまい、座ったまま小さく弾む。


すると、こちらを見ていた魔物が、はっとするほどに穏やかに微笑んだ。



「重ねられるだけは、重ねておいてやる。………それでも、今回の事のように、手放す事もあるだろうがな」

「ふふ。議事堂でのお昼はいただけなくなりましたが、その代わりに、アルテアさんからのバレンタインのチョコレートケーキをいただけましたし、今夜はお泊まりで美味しい晩餐もいただけるので、傘見舞いめの出現も悪いことばかりを齎す訳ではなかったのですね」

「キュ!」

「ですが、問題の傘を見付けたら、すぐさまへし折ります………。二つ折りで済ませるものですか。四等分ですよ………」

「……………キュ」

「その場合は俺に引き渡せ。くれぐれも、迂闊に触るなよ。傘祭りの日は、側にいてやる。なんとかこちらの予定が調整出来たからな」

「むむ。となると、アルテアさんの傘とアルテアさんが一緒にお散歩出来てしまえるのですか?」



ネアがそう言えば、アルテアはとても複雑そうな顔をしていたが、きっとあの帽子に赤紫色の傘を持ったら素敵だろう。


これは楽しみだぞとにんまりと微笑んだネアはしかし、その晩は、室内着としても運用出来る寝巻きは、就寝ぎりぎりまで箱から出さなかった。



何しろ晩餐は、トマトと鶏肉とセロリを使った異国風の香辛料煮込みという香り高い一品が現れたので、その香りを貰ったばかりの寝巻きにつけるなど、許されることではない。

焼きたてのパンに、魚醤と檸檬を使った白身魚と野菜の蒸し物、ネアの大好きなローストビーフもあり、大満足の時間には、シュプリなどを開けるのもいいだろう。




「ふふ。やっぱり、バレンタインはチョコレートにしておいて良かったです」

「キュ?」

「こうして、誕生日の贈り物とバレンタインが重なっても、どちらも楽しめてしまえるのですよ。………さて、保冷庫はこうして開けた筈なので……」

「おい、もう寝ろと言わなかったか?盗み食いに来る程、晩餐の量が足りなかったとは言わせないぞ」

「ぎゃ!奥の部屋の方に行ったのを見届けてから来たのに、なぜここにいるのです………」



その晩、真夜中にチョコレートケーキを盗みに来たネアは、敢えなく捕まってしまったが、この人間は寝かしつけないといけないようだと考えたアルテアの子守唄を聴けたので、そちらも結果的には収穫となった。




リーエンベルクに戻ってからアルテアからの誕生日の贈り物を受け取れたことを報告したネアが、アルテアの帽子のリボンとお揃いの色の寝巻きセットを自慢したところ、義兄がエーダリア達と何やらひそひそ話していたが、これはお気に入りで譲る訳にはいかないので我慢して貰うしかない。



ノア曰く、この寝巻きの生地には、選択の魔物の守護が織り込まれているそうなので、今度、洗濯方法を聞いておかなければならないようだ。






本日のお話は、Twitterでのアンケート結果を反映し、アルテアのお話としております。

投票して下さった皆様、有難うございました。


また、本日のTwitterにて、魔物達のバレンタインカードを公開させていただきますので、もし宜しければご覧下さい。

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洗濯の魔物であり選択の魔物でもあるんだぞ。
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