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箱馬車と疫病の町 4




「宿の主人と話をしてきたが、特に町の異変などの情報は入っていないようだな。それと、今夜は、教会と町長主催の晩餐会があるらしい。この町の有力な支援者とやらが来ているそうだ」

「支援者、という肩書なのですね…………」

「港町では珍しくないものなんだ。航路での輸送は危険も多い。国や商会などが資金提供して補償するのが常だが、個人の資産家が出資者となる事も少なくない。その場合、出資者が人外者である事もかなりあるかな」



そう教えてくれたのはオフェトリウスで、念の為にと偽名を考え、ファリアスとした。


オフェトリウスは、リウスという偽名も使うんだけれどねと苦笑していたが、薄い砂糖衣の中にふわふわの果実クリームの入ったリウスというお菓子があったことで、ゼノーシュに取られてしまっている。




「あわいの時間崩しがなければ、待ち時間だな」

「ふむふむ。では、お宿の食事などを美味しくいただけば良いのですか?」

「ザッカムの宿屋は、どこも食事はなしだ」

「おのれ、ザッカムめ!滅ぼしてくれる!!」

「落ち着いてレイノ、もう滅びているからね。あのね、ザッカムは海の幸を扱うお店が多いからなんだよ。この辺りの魚やハイフク海老は調理が難しいから、経営を分けた方がいいんだって」



ごく稀にだが、ハイフク海老には毒を持つ個体がいる。


これは、ハイフク海老の食べる小魚が一因となっていて、その小魚を食べる大型の魚も毒を持つ事があるそうだ。

なので、ザッカムの飲食店の経営資格は毒消の魔術を持たねばならず、宿屋は部屋貸しに専業し、食事は外でどうぞという方針なのだった。




怒り狂っていた人間は、ゼノーシュが指し示したテーブルの上のクッキーを手に取りもすもすと食べて心を落ち着けている。

オフェトリウスは、結構激しい一面があるんだなと、やや怯えた様子だ。




「美味しいお店が沢山あるから、それでいいって人達が多いみたい」

「……………じゅるり」

「おい、安全に帰るんじゃなかったのか?」

「お、お部屋待機します!私は賢い人間なので、常に食べ物くらいは持ち歩いているのですよ。…………海老」

「ほお、それなら観光案内地図はいらないな?」

「ぐぬぅ……………」



部屋にあった観光地図を取り上げられてしまい、ネアはこの世の無情さに項垂れた。

これはもう、帰ったら使い魔のお宅を襲撃し、ハイフク海老の何かを食べさせて貰うしかない。


最近、ヴェンツェルから届けられた海老尽くしを食べたばかりでこの辛さなのだから、それがなかったらと思うと恐ろしい。



「僕ももうだめ。通りのお店で、網焼きの海老を買ってくるね」

「……………おい」

「すぐ近くにお店があるんだもん。それに僕、白夜に遭遇するような事はしないよ」

「と言うか、この中で一番階位が高いのは彼だからな…………」

「レイノの分も買ってくるね。ジャンは悪さをしなさそうだし、ファリアスもいるから大丈夫だと思う」

「海老様!」

「………もう好きにしろ……………」

「はは、彼に言われると止めようがないな。こちらと繋ぎを絶たずに、時間崩しにだけは備えて行ってくれ」

「うん」



頭を抱えてしまったグラフィーツに、どこか訝しげな視線を向けたのはオフェトリウスだ。

まじまじと見つめられ、顔を顰めた砂糖の魔物に、金糸の髪の美貌の騎士は首を傾げてみせる。



「………いつもの君と、随分と雰囲気が違うんだな。彼女とも親しそうだ」

「いつもの様子でここに居てみろ。すぐさまあいつがやって来るぞ」

「ああ、それはそうかもしれないね。彼は、君の系譜の禁術や呪いをとても気に入っていたという印象がある」

「悪いが俺は、どの余興も自分用だ。加えて、あいつの嗜好はまるで理解出来ない」

「それなら、服装一つで随分と雰囲気が変わるから、そちらは納得するとしよう。彼女とは知り合いなのかい?」

「さぁな」

「……………レイノ?」

「かいなどありません……………」



こちらを見たオフェトリウスからさっと肩を背け、ネアはおやっと目を瞠った。

窓から見える港にかけられた町の旗に、先程までにはなかった旗が見えたのだ。


そして勿論、変化を見逃して後で後悔するのはネアの好まないところであった。



「……………港の方に、先程まではなかった旗が上げられているのですが、あの旗はどのような意味があるのですか?」

「……………旗?」

「………あれは、出入りの船に病人がいたという印だ。ゼ………リウスが、町の様子を調べてきてくれると有り難いかな」

「疫病は、その奥の町で始まって、お隣のデナストからやって来たのですよね?」

「ああ。だがそれは、赤帽子の話だ。あいつがいるとなると、他のものも持ち込んだ可能性がある。何しろ、煮詰めるのが好きだからな」

「……………リウスは、大丈夫でしょうか?」

「そのような変化を最も察しやすい魔物の一人だ。彼なら心配ないと思うよ。それと、町の有力者達との食事会があるのなら、最初の一人目の患者はそこまでは出てこないだろう。今はまだ、昼時だからね」



ネアは心配ではらはらしてしまったが、オフェトリウスはまだ疫病が広がるような事にはならないだろうと考えているようだ。


珈琲を飲んでいる姿は優雅で、妙齢のご婦人達に見せたら色めき立ちそうな美麗さでもある。



「まぁ、確かにその辺りまでは表には出てこないだろうな。デナストへ逃れた患者がいた事を踏まえると、ある程度の自由は許していた筈だ。……………町の守りの様子はどうだ?」

「今のところまだ健全だな。悪変の気配もないようだ」

「まぁ、そんな事もここから分かってしまうのですか?」

「俺は司るもの的に、防衛に携わるものの異変や、その領域に触れる災厄は感じる事が出来るんだ。とは言え、疫病となると、ある程度の非常事態になるまでは把握出来ない。そこが難点だな」




クライメルという魔物は、派手好みであるらしい。

白髪の老人の姿で、貴族らしい装いの老いたる獅子のような容貌なのだそうだ。



魔術の仕掛けには劇的な効果などを求める傾向が強く、疫病患者が現れて騒ぎになるとするのなら、最も効果的なのは、町の有力者達との会食中にその一報が入る事である。



「更に言えば、最初の罹患者達は、隔離されて封じ込めが成功した筈だろう。また、ある程度患者を増やすには、デナストから疫病が来たと判明する迄に時間をかける必要がある。船の病人はその撹乱の為の素材かもしれんな」

「となると、患者数が増えるのは早くても明日以降となるのが妥当か。一気に情勢が悪化するような設定では、彼的には面白くないだろうね」



ネアは、そんな話し合いに聞き入っていた。

グラフィーツは兎も角、オフェトリウスは国防などにも関わって来た魔物だ。

害を為そうとする者が、どのような時期を見計らうのかの推察には長けている。


今更だが、オフェトリウスを派遣した判断はかなり適切だったのだろう。



(ディノは、存在を知らしめずにここを訪れるのが難しいし、ノアとアルテアさん、そしてグレアムさんは、過去にちょっとした事件があってクライメルめが存在感知的な魔術を敷いている可能性がある。ウィリアムさんが来ると、因果的に疫病の蔓延を早める可能性がある上に、巡礼者達を支援していたくらいだから、ウィリアムさんを損なう為の魔術を用意している可能性も高い………)



とは言え、こんな時だからこそ親しい魔物達に側にいて欲しいのだと考えてしまう己の未熟さを悲しく思い、ネアは首飾りの中の持ち物確認を脳内で行った。


春告げの祝福やアレクシスのスープの効果もあり、一、二回くらいは死んでもどうにかなるが、死んでいる間があまりにも無用心なのでそれは避けたい。




「ふと思ったのですが、その白夜めは甘いものなどは好きでしょうか?」

「やめろ。アクスのあの商品は使えないからな」

「ぐぬぅ。なぜ知っているのだ」

「そもそも、その手段はあいつに近付く必要があるだろうが。絶対に許さんぞ」

「うっかり出会ってしまった時の策も、求めているのです。となるとやはり、きりん箱、きりんボール、きりんカード、紐付きりんボール、きりん投影機、きりん…むぐ?!」



武器の備蓄を確認していたネアは、グラフィーツから口にクッキーを入れられてしまい、むぐっとなった。

なお、このクッキーは元々ネアのものなので、魔術の繋ぎなどは問題ない。




「ただいま。海老が買えたよ」



そこに帰って来たのはゼノーシュで、ふわりと解いた擬態はこちらに来た時のグラフィーツのものだ。

目を丸くしてしまったネアの隣で、グラフィーツも唖然としている。



「ほわ、リウスがジャンさんに…………」

「僕、擬態得意なの。この姿だと人間の施設は入れないところが沢山あるでしょう?」

「す、凄いです!そしていい匂いが!!」

「ハイフク海老の大蒜だれ焼きだよ!それと、海老串と揚げたザッカの甘酢和え、こっちはタコを細かく切って衣をつけて揚げたもの。沢山買ったからお昼にしようよ」

「はい!」


にっこり微笑んだゼノーシュの木漏れ日のようにきらきら光る瞳に、ネアは狂喜乱舞して飛び跳ねた。

すっかり暗い気分になっていたところでのこのご馳走は、心を上げる素敵なつっかえ棒になってくれる。



すぐに部屋のテーブルにはご馳走が並べられ、ネアはザッカムでは現在の値段の二十分の一で買えるというハイフク海老の大蒜だれ焼きを頬張った。



「むぐふ?!」

「うわぁ!これ美味しいね。旅行で来られたなら、美味しいものが沢山食べられたのにな」

「……………ふぎゅ。くすん。……………リウスのお蔭で、美味しい海老さんに出会えました。この町を滅ぼすのは最後の手段にしまふ」

「町の様子はどうだったんだい?港に黒旗が上がっていただろう?」

「うん。でも、ここじゃないんだって。隣のザンクトらしいよ。ザッカムからの船が寄港したり商人が寄るといけないから、ここで旗を上げたみたい」

「そうか。確かに黒旗が上がれば、業者達は必ず問い合わせをするからな」



今回はみんなで昼食をという事で、グラフィーツやオフェトリウスの分の食事もある。

海辺の町には必ずある何でもサンドイッチも購入してあって、ネアはおかずサンドの登場に口元をもぞもぞさせた。


船乗り達が好むこのサンドイッチは、フォカッチャのようなパンに各種のサラダや目玉焼き、オリーブやハム、チーズやお惣菜の残りなどを沢山挟んだもので、マスタードソースやマヨネーズのようなものをかけ、ぎゅっと押し潰すのだ。


ワックスペーパーのようなものに包みしっかり封をすると、沢山重ねて船に詰め込む船乗りのお弁当である。


パンはソースやサラダのドレッシングでしなりとするが、包み紙があるので手はべとつかない。

具沢山で美味しい庶民のサンドイッチだった。



「ああ、これは好きなんだ。ザッカムのものは、ハイフク海老のサラダも入っているのか………」

「なぬ、それは食べるしかありません!この、甘酢和えも美味しいです………」

「ザッカは、今は黒洋鯵って呼ばれているんだ。ハイフク海老と同じ理由で、ザッカムの周辺の海には沢山いて、箱いっぱいでレタス一個より安いんだよ」

「酸味がちょうど良くて、一緒に入ったお野菜も美味しいですね」

「うん。この辺りは、修復の魔術が残っているから、ザッカムから少し離れると畑が作れる土地が沢山あったの。海からの魔術侵食があっても野菜が作れる、珍しいところなんだ」



確かに、ここに連れて来られる迄の道中は、海沿いの土地というよりは大規模な農園などが作れそうな平野部のようだった。


人間は、己の生活を豊かにするものこそを好む生き物だ。

その恵みを与えてくれたからこそ、この辺りでは教会への信仰が篤いのかもしれない。



「……………む?!」



ここでネアは、一足先に食事を終えたグラフィーツが片手を外している姿にぎょっとした。

海老串を食べていたゼノーシュも、目を丸くしている。

とは言え、オフェトリウスは普通にしているので、職場の同僚感のある彼には珍しい光景ではないのだろうか。


見ているとどうやら義手を外しているようで、どこからともなくしゅわんと取り出した別の義手にしているようだ。



「……………何だ?」

「こ、交換なのでしょうか?」

「万が一もないだろうが、気に入っているものを傷付ける訳にはいかないからな」

「ほわ、お気に入りの義手でした…………」

「時々見るが、やっぱり義手にも順列があるんだな………」



くすりと笑い、持っていたサンドイッチを口に入れてしまうと、オフェトリウスはナプキンで丁寧に指先を拭いている。

その様子を見ていたネアは、指先についた美味しそうな大蒜だれを舐めとる事を渋々諦め、無の表情で同じようにナプキンで拭った。




「つまり、隣町の病は赤帽子ではないんだな」

「足が石になるって話していたから、石渡の疫病かな」

「…………あの頃、石渡の疫病の話は聞かなかったような気がするが、小規模の実験を近くで行っていた可能性もあるのかもしれないね」

「そちらは魔物の系譜のものだな。同じ妖精の呪いから始まる疫病でもない。…………あいつがいる以上は、完全な偶然とは考え難いが、…………どうした?」



ここでネアは、石渡の疫病と書いたカードから、思わぬ返事が届き小さく息を飲む。

それはウィリアムからのもので、かつて、クロウウィンの夜に迷い込んだ絵の中のデナストでネアも聞いていた筈の言葉であった。



「……………ウィリアムさんと一緒に、フェリデリーの疫病の町の絵の中に迷い込んだ事があるのですが……」

「ん?…………あの有名なデナストの絵かな?」

「ええ。その中で、絵にかけられた呪いを浄化し続けていた、教会関係者として怪物の姿でいた人造精霊さんが話していた言葉があるのです。……………石渡の疫病がという言葉に続けて、赤帽子の疫病までと」


そう言えば、付け替えた義手をかしゃんと音を立てて嵌め込みつつ、グラフィーツが眉を顰める。



「……………まで?」

「はい。まるで、赤帽子の疫病は後から現れたかのような言い方でした。あくまでも、絵の中の精霊さんの言葉ですが、もしかすると最初に流行るのは石渡の疫病なのかもしれません」

「……………町人達の足留め、いや、特定の獲物の拘留か?」

「ゼ……………リウス、誰が罹患したというような話は出ていたか?」

「うん。学院の学長と、学聖の一人がなったって話していたよ」



その言葉に、グラフィーツとオフェトリウスは顔を見合わせた。

あまりいい予感のしない表情にぞくりとしながら、ネアはカードにも聞いた言葉を書いてゆく。



“疫病の煮詰めを行おうとしている事に、気付きそうな奴等を動けなくしたな”



カードに、そんなアルテアの文字が浮かび上がる。



「ふむ。そうなると、暫くは土地の封鎖は行わないつもりだろう。一介の学長が、白夜への対抗策を持っているとは思えない。警戒されたのは、避難勧告などで獲物を減らされる事かな」

「……………あの町の学院、……………経営陣も含め、教職からの昇格制だった筈だな。学長の専攻は何だ?」



そんなグラフィーツの呟きも、優秀な書記はカードに書くものだ。

するとその質問には、アルテアからすぐさま返事が来た。



“その時代であれば、学長だった男の専攻は、文字による魔術の制御と呪いだった筈だ。学聖は五人いた。その全てを覚えてはいなかったが、文字や言語の専攻が二人、後一人は、妖精の侵食魔術の研究をしていた筈だ”



「……………文字に纏わる研究が多いな。教会の権力が強い土地では珍しくはないが、…………となるとやはり、騒ぐと面倒な奴を動けなくしておいたと考えるべきかもしれん」

「文字の魔術の大家なら、警告関連の魔術には長けている筈だね。ヴェルクレアの王都でも、蝕の時には文字魔術に長けた者達に公文書を任せていた」




(……………文字、)



ネアはふと、その言葉に何かを感じかけ、けれども予感のような小さな棘は、すぐに心のどこかにこぼれ落ちていってしまった。



「レイノ、大丈夫?晩餐会が始まる前にここから出られるといいね。きっと、みんなが大急ぎで道を作ってくれるよ」

「……………リウス。…………はい。きっと間に合う筈なので、それまで頑張りますね」



ネアが黙り込んだからか、すぐに励ましてくれるゼノーシュがいる。

慌てて笑顔になると、少しだけ迷い、ネアはカードにメッセージを書き記した。




“本当に、文字の魔術は無関係でしょうか?”



自分で書いた文字が淡い金色に光り、カードに吸い込まれてゆく様に、なぜだか胸の奥がざわりと音を立てる。



(文字…………。クライメルという白夜の魔物に、疫病の町と、その周辺の町を滅ぼした疫病の顛末…………)



歴史通りに行けば、デナストからやって来た赤帽子の疫病は、まずはデナストとの境界にある町外れに患者を出すという。


そこには墓地を管理する古い一族が住んでおり、彼等と彼等の隣人だった車輪職人達が、デナストからやって来た病人を看護した事で、集団感染して命を落とした。



(けれど、その区画を切り離す事で、ザッカムは一度は疫病の封じ込めに成功する)



一連の出来事の緩急の付け方が、まるで物語のようだ。

そう考えている自分に気付き、ネアはなぜだか分からないまま戦慄した。




“……………ネア、クライメルは一人でザッカムを訪れたのかい?”

“ディノ?……………聞いてみますね”



「白夜さんは、一人でこちらを訪れたのでしょうか?」

「ううん、従者はいる筈だよ」

「ああ。あいつは、この手の魔術の末日には、成果を披露する為に手駒にした弟子達を連れている事が多いからな。それに元々、臣下を増やすのも好きな男だ」

「どうしたんだい?……………気になることがあるのかな?」

「上手く言えませんが、……………何か、………っ、」




“ネア、クライメルには、巡礼者達を保護していた時期があるのを覚えているね?私もそれがいつからなのかを把握はしていないが、その数年後には連れていた記憶がある”



ネアは呆然とその文字を見ていることしか出来なくて、代わりに返事を書いてくれたのは、グラフィーツだ。



“文字の魔術に由縁する、特定の巡礼者がいるんだな?”

“グラフィーツかな?…………そうだね。クライメルは、作家の魔術を扱うリンジンという名前の巡礼者を連れていた事がある筈だ。名前は魔術の楔になる。その名前を握っておくといいだろう。……………その学院の学長は、作家の魔術に通じていたという事はないかい?”



がたんと音を立て立ち上がったのは、オフェトリウスだっただろうか。

先程までの穏やかさから一転、その眼差しは酷く険しい。



「……………レイノ、あるだけの備えをして、最も頑強な防御を整えておくように」

「…………は、はい!」

「オフェトリウス?」

「作家の魔術の使い方は、二通りある。進める事と、洗い出す事。そのどちらも厄介だが、後者は僕達にとって非常に都合が悪い。例えば、…………計画を阻害しかねない予期せぬ者を、幸いにも見付ける事が出来たという一文があったら?」

「……………理解した。レイノ、カードを分けるぞ。使うのは一枚だけにしておけ。奪われると、向こう側との連絡手段が絶たれる」

「ふぁい!」



ネアは大慌てで、テーブルの上のカードの何枚かに事情を説明するメッセージを送り閉じると、有事用のドレスを引っ張り出し、セーターだけは脱いで上からかぶっているところであった。


備えをするようにと言ったオフェトリウスが目を丸くして見ているが、このくらいでは恥じらわないくらいに、事件時の着替えには慣れている人間なのである。

こんな時に怖いのは味方と引き離される事なので、出来ればこの場から離れたくはなかった。



「レイノ、箒は二つあるんだっけ?」

「ええ、二つあるので誰かにも持っていて貰います?」

「うん。ファリアスは剣を使うから、ジャンかな」

「では、ジャンさんにこちらを預けておきますね。帰り道で返却すると約束して下さい」

「……………戸外の箒だと?!」

「レイノ、水筒もポケットに入れるのかい?」

「これは大事なものなのです!ただの水分補給ではなく、お水入りの失せ物探しの結晶で、スプーンで食べるのですよ」

「えーと、ごめんよ。よく分からないが、必要なものなのだね」

「はい!」




(そう言えば……………、)



ネアはここで、靴紐をしっかり結ぼうとして、先ほどタフクに土をかけられた際に小石のようなものがブーツに入っていた事を思い出した。

宿に入ってからは座っている事が多く気にならなかったが、走ったりする時にちくりとすると邪魔になるのは間違いない。


慌てて片方のブーツを脱ぎ、部屋の端っこで逆さまにして振ると、違和感の原因と思われる小さな石の欠片が落ちて来た。



「ふぅ。危ないところでした!いざという時に、この石ころめで…みぎゃ?!」



それは、ほんの一瞬の事だった。



ネアのブーツからころんと落ちた小さな小さな石を、オフェトリウスが投げた短剣のようなものが直撃したのだ。

おまけに、ほぼ同時にグラフィーツが片手を振り、目には見えないくらいに粉々になったと思われる石片がぼうっと黒い炎となって燃え上がる。


あまりの事にふるふるしているネアに駆け寄ったのは、珍しく顔色を悪くしたゼノーシュだ。

小さな手でぱたぱたとネアに触れると、安堵したように深く息を吐いている。



「……………な、何があったのですか?」

「石渡の疫病の種だ」

「……………なぬ」

「お前は、まさかのそれを、ずっとブーツに入れたまま踏んでいて、それでも発症しなかったみたいだな…………」

「有り得ない事だが、場合によると石渡の魔物の守護でも持っているのかな?」

「持っておりません……………」




(……………あの石ころが?)



石渡の魔物は知らないと首を横に振ったネアだったが、まだ納得がいかないのか、今度はグラフィーツに体を調べられてしまった。


その結果でも、疫病には罹っていなかったようだ。

足が石になったら足手纏いどころではないので、ネアは、知らずにいたとは言えあまりにも危うい状態だったのだと胸を撫で下ろす。



「となると、シルハーンの守護か」

「ブーツの中だと、ウィリアムの守護が影響して、僕にも見えなかったみたい。今度からは、ブーツに小石が入らないようにもした方がいいのかも」

「……………ふぁい。あまりの事に、まだ動揺が隠しきれませんが、早速病気にならないで良かったです……………」

「…………偶然にしては出来過ぎている。どのような条件付けかは知らんが、街の外から入り込んだ者や、何らかの障害になり得る者に対し、無差別に石渡の疫病をかけている可能性が出てきたな。魔物の呪いから生まれた疫病なので俺達は階位上避けられるが、お前はそうはいかなかったんだろう」

「おのれ、靴の中の小石など地味にむしゃくしゃするやり口です!」

「石渡の疫病は、種を潜ませた石製のもので体を傷付けるとなる疫病なんだよ。レイノが、沢山守護を持っていて良かった」



余程ひやりとしたのか、胸に手を当ててそう言ってくれたゼノーシュに、ネアはふと、思い出したことがあった。



「……………そう言えば、二年ほど前に、靴に入った小石で足を傷付けない祝福を貰った事がありました」

「……………は?」

「南瓜畑で、ちびこい石の小人さんに南瓜を割って差し上げたところ、いただいたのです」

「……………凄い偶然だな」

「…………はい。それが幸いしたのなら、今後もツダリの南瓜祭りには行こうと思います」

「わぁ、レイノはやっぱり凄いね!」



その石渡の疫病の種は、芽吹かないようにとすぐさま壊されてしまったので仕掛けられた魔術は辿れなかったが、一定の条件を満たした者に仕掛けられた魔術があり、それを一緒に居たゼノーシュやグラフィーツが探知出来なかったとなると、やはり作家の魔術が使われている可能性が高いのだそうだ。



そう聞くだけでネアはへなへなと座り込みたくなってしまったが、ダーダムウェルの呪いで活躍したベルを思い出し、それもポケットに移動しておいた。

最近になって、落とさないようにノアに取り戻しの魔術の特別なものを本体にかけて貰い、より使いやすくなったばかりだ。


この取り戻しの魔術は、道具そのものを魔術的に隷属させてしまい、奪われてもすぐさま戻ってくる仕組みなので、ネア以外の者には扱えないようになる。

加算の銀器のように、持ち主であるネアが使用者を限定すればいいので、いっそうに使用の幅が広がったのだった。



(でも、……………ここに、リンジンがいるかもしれない)



そう思うと、どれだけ道具を揃えても、言葉に出来ないような怖さが胸の中をざわざわと揺らすのだ。

ネアは、カードに揺れていた幾つものメッセージをそっと指先で撫で、待つという時間の恐ろしさに小さく息を詰める。



“出来るだけ、急いでこちらも作業するからね。ネア、もう少しだけ待っていておくれ”

“シルと協力をして夕方までにはなんとかするよ。いいかい、絶対に無理をしないこと!”

“いいか、絶対にその部屋を出るなよ。作家の魔術があるのなら、奴等の意図に沿わないような行動も今は慎め”

“…………ネア。もうあんな事は起こらない。大丈夫だからな”




「……………準備は出来ました。ここも、見付かってしまうのでしょうか?」

「可能性として、…………この状況で襲撃がない以上は、作家の魔術の指定は君の靴の小石迄なんだろう。それ以上のこと、……例えば、ここまで彼等がやって来るような可能性は低いだろうね」

「そうなのですね…………。少しほっとしました」

「その代わり、道を繋いでからは時間勝負だ。彼が、そんな魔術異変に気付かない筈もない。見付かる事を恐れる必要もないから、きっと転移で駆けつけるだろう。その最後の一瞬には、必ず対峙する事になる」

「…………っ、」

「それはもう確定だろうな。ここから出るという行為は、即ち獲物を逃すことだ。誘導人に運ばれた獲物となれば、ある程度の基盤への影響は必ず出るだろう。そのような不安要因の認識を、作家の魔術で指定しておかない筈もないな」



それは、懸念ではなくて断言であった。

だからネアは、ぎゅっと拳を握って深く頷く。




こちらには、ゼノーシュとグラフィーツとオフェトリウスがいる。

問題は、クライメルの手勢がどれだけの数なのかであった。










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