墓地と燃える街
ばたばたと、風に揺れる漆黒の布が月を隠した。
くらりと翳った夜の中で、けれども青白く燃える百合に囲まれた墓地は、どこまでも終焉を感じさせる。
思いの外、静かな夜だ。
それともこの静けさは、他の三領を贄として差し出したからこその安寧なのだろうか。
「一刻は待ったが、まだなのか?」
「…………ウィリアム。たったそれだけの時間で、教会組織の中で秘された情報を手に入れるのは無理だ」
「状況によっては、襲撃が継続する恐れもある。戦場での情報は、もっと短い時間で手に入れなければ意味のないものだと君も知っているだろう」
ウィリアムとしては、ナインが苦言を呈した時間が短過ぎるとは思わない。
開戦前ならいざ知らず、既に武器狩りは始まっており、ウィームはもう襲撃されたのだ。
攻撃の継続、或いは別の目的に付随する動きがあれば、それを防ぐ手立てを考えるのに一刻の猶予もない。
(現に、人間の騎士団などの組織ではそのようにする。戦況を左右しかねない情報の入手に、そこまでの時間をかける事はないんだがな……………)
そう考え冷ややかに一瞥した先で、紫の瞳の男が溜め息を吐く。
枢機卿の装いでこの場に佇むナインと軍服のウィリアムとでは、そのどちらがこの場に相応しいのだろう。
夜風にはためくのは漆黒の弔いの旗で、これは、ガーウィンで名のある武人が死んだ時の風習によるものだ。
墓地は、やはり静まり返っていた。
青白く燃える百合の花は、葬送の魔術の残滓を密に蓄え、神域の墓地の花々は新しい死者を受け入れた夜になるとこうして燃えるという。
武器狩りが始まった事は、ガーウィンでも周知されているのだろう。
こんな夜に墓地に出てくる酔狂な者はいないのだろうが、墓守りの姿もないのが奇妙であった。
(これではまるで……………)
武器狩りに怯えて身を隠すには、ガーウィンの墓守りの階位は高い。
であるならば、この人気のなさは計画されたものだ。
約定の上で人払いをしたのであれば、今夜のガーウィンでは何かが行われている。
「……………今夜、ガーウィンが招き入れたのは誰だ?」
「賠償の一つとして、アンセルムの一件で拾い集めた迷い子の一人を、今代の白樺の魔物にくれてやるらしい。対価という形で補償を求めるからには、ヴェルリアを余程不愉快にしたようだ」
「……………ヴェルクレア王か。であれば、俺がどうこうする問題でもない。だが、補償を求められたという事は、今回の武器狩りの開始にあたり、ガーウィンが暗躍したのは間違いないな」
「……………まだ確証は得ていないが、武器狩りを開始する権利を得たのは、砂礫の神殿の神官長のようだ。砂の系譜は、ヴェルクレアでの地位は低いからな。その権利を上手く使い、カルウィからも恩恵を得ようとしたようだ」
一介の神官長に、果たしてそんな交渉を成立させられるだろうか。
疑念を抱くまでもなく、背後にはそれを可能とした別の誰かの思惑があったのだろう。
ガーウィンのような土地の人間達の暮らしはとにかく組織立っており、どのような階位の者であれ、一人で国外のそれも王族と繋ぎをつけるのは難しい。
その人間が、カルウィの交渉役の誰かと定期的なやり取りを可能としていたことにすら違和感がある。
「カルウィ側は、第九王子か?」
「それが、交渉口になった者がまだ明らかにはなっていない。だから、確証は得ていないと話した。ガーウィンの神官が何らかの方法でカルウィとの交渉を可能にし、結果として第九王子が動いたところまでは判明したのだがな」
「……………それが判明したのが、ヴェルクレア王を気に入っているという白樺の今夜の訪問が、決まった前か後かでも見え方が変わってくるな。……………やれやれ、あまり好ましくはないが白樺と直接会うか」
「……………やめておいた方がいい。ヴェルクレアの現王を排除するつもりがないのなら。白樺の守護は、あの男にとって必要なものなのだろう?」
途端に顔を顰めたナインに苦々しい声でそう言われ、ウィリアムは首を傾げた。
「まずは首を切っておいてから、話を聞こうという訳じゃないんだぞ?」
「……………だとしても、その機嫌で会いに行けば、白樺を少なからず削るぞ。あちらは植物の系譜なんだ」
「やれやれ、面倒だな……………」
さくさくと乾いた土を踏む音が、どこからともなく聞こえてきた。
僅かに視線を向けたものの、特に注視しなかったのは、夜風に翻った黒いコートに見覚えがあったからだ。
「わーお。物騒な密談だなぁ」
そう呟いたのは、ガーウィンで見かけることはあまりないノアベルトだ。
今夜はてっきりリーエンベルクから離れないと思っていたが、やはりこちらも、情報の必要性を理解していたらしい。
「……………ノアベルト、そちらはいいのか?」
「アルテアが帰ってきたからね。まぁ、アルテアもなかなか良くやるけれど、こういう調べ方は僕の方が得意なんだよ。……………ほら、アルテアと違って僕の場合、どうでもいいような有象無象に取り入るのに躊躇いはないからさ。アルテアは、見た目より身持ちが固いんだよね」
「……………何をしてきたのかは聞きたくないが、ナインより使えるのは確かだな」
「おい、まだノアベルトがどんな情報を得たのかも分かっていないんだぞ………」
ナインがそうぼやいていたが、得るべきものを得なければ、ノアベルトがこんな顔をしている訳はない。
「今回は、幾つかの想定外から起きた襲撃だったみたいだ。ナインに話しても仕方ないから、帰りながら話そうか」
「ほお、であれば俺はもう帰らせて貰うぞ」
「ナイン、後で詳細を報告しろ」
「おい……………」
ナインは顔を顰めていたが、異端審問局からの情報は別の角度から今回の事件を見るのに役に立つ。
教会の領域には、同胞達にしか分からない事がやはりある。
一際大きな墓石の影に溶けるように消えたナインのいた場所から目を逸らし、綺麗に盛り上げられた墓土を踏み荒らしているノアベルトに眉をひそめた。
死者には死者の尊厳があり、中身の抜けた墓にも儀式的な意味がある。
悪戯に荒らしていいものではなかったが、今のノアベルトが踏み荒らしている墓は、ヴェルリアのウィーム侵攻を助けた当時の枢機卿のものであった。
「ノアベルト」
「はは、馬鹿みたいだよねぇ。こうして墓土を綺麗に盛っておけば、死者を死者の国に引き戻す墓土をどこにも持ち込んでいないという証明になるんだって?」
「この時期の死者は、とうに残っていないんだがな。おまけにこの男は、赤い髪の魔物に海に沈められて殺された。死者として死者の国の門も叩けなかった筈だ」
「ありゃ。誰かが先に仕返ししてたのかぁ。手を出す前に死なれて困っていたんだよね」
そう笑って肩を竦めたノアベルトの白い髪が、夜風に揺れた。
漆黒のリボンで一つ結びにしているその髪に散らばる色は、一般的に知られている塩の魔物の階位を遥かに超える色を含んでいる。
長かった髪を差し出して階位を下げた男が、ウィームの陥落後に報復の為に伸ばした髪は今、ノアベルトが初めて得た家族を守る為にまた少しばかり伸びただろうか。
彼がこの枢機卿の墓土を踏んだのは、ウィームが襲撃されたばかりだからなのだろう。
しかし、この出来事が彼にどんな過去を思い出させたのだとしても、終焉の系譜の風習を穢すのはいただけない。
冷ややかに見つめれば、ノアベルトは苦笑し墓土を踏みつけていた足を持ち上げた。
綺麗に盛り上げてあった墓土の山は崩れていたが、高位の魔物であるノアベルトの靴が土で汚れる事はなかったようだ。
ざわざわと墓地の周囲を取り囲む木々が風に揺れ、差し込んだ月光が夜の木漏れ日を足元に投げかける。
どこかに終焉の気配を持つ障りの気配が滲んだような気がしたが、もし良からぬものが迷い込んでいるのだとしても、それを退けるのはこの土地の人間達の役割だ。
青白い月光が搔き消え、視界に映るものがぼうっと橙の蝋燭の火の色に変わる。
軽く転移を踏んだノアベルトに続き訪れたのは、ガーウィンにあると思われる小さな屋敷だった。
ガーウィンにも拠点があるのかと聞けば、前回ネアがこちらでの任務に当たった際、滞在が不慮の事故などで長引いた場合を想定し構えた屋敷らしい。
(構えたということは、作ったのか……………)
塩の魔物は、城を多く残していることでも有名な魔物だ。
服装などを見ていても決して無駄を好むような男ではないのだが、そこにまた別の側面としての城造りへの執着があるのか、何らかの目的の為にそういう事にしてあるのかまでは分からない。
というのも、狐姿で過ごしている時に、ボールのようなものをせっせと長椅子の下に隠しているのを何度か見たからだ。
ウィリアムはずっと、ノアベルトが目的があって各地に城を残したのかと思っていたが、銀狐姿の時の彼が本来の資質を剥き出しにしているのなら、この男にはお気に入りのものを際限なく増やし、所有したいという欲もあるのだろう。
「……………で?」
「カルウィの第二王子が死んだ」
「…………再編が済むまでに、カルウィはかなり荒れるな」
「僕からしたら、どうぞ好きに死んで構わないよって思うだけの何の感慨もない人間なんだけれどさ、カルウィの王族の順列は、まだ勝手に入れ替わらないで欲しかったかな」
「武器狩りか」
「うん。詳細まではニケとかいう王子も掴んでいないみたいだけれど、兎に角そのせいであっちは各王子達も、その従者や派閥の連中もかなり混乱している。………それで、ヴェルリア側の思惑とあの白髪の王子の筋書きが狂ったんだろうね」
始まりは、グリムドールだった。
現在のカルウィの第一王子が、グリムドールとその体を明け渡したソロモンとの関係を知り、人間の身でも高位の生き物を食らう事で階位を上げられると知ったのだそうだ。
恐らく、第一王子に見た目通りの凡庸な王子ではない事を気付かれたグリムドールは、今後も自由に動く為に、人間達の継承争いに巻き込むなと自ら正体を明かしたのではないかというのが、ニケ王子の考えである。
また、ニケ王子がその情報を得られたのは、悪食での階位上げという禁術に自分以外の他の王族が手を出せば分かるような魔術を、カルウィの主要な土地に敷いていたからなのだそうだ。
「とは言え、人間の身で人外者を食らうのは負担が大き過ぎる。ニケが成功したのは、彼に前歴の記憶があって様々な古い魔術に通じていたからだよ」
含みを持ってそう言われずとも、今回のウィームへの侵攻について、その理由は既に聞かされていた。
「だからその人間は、同族を喰らおうとしたんだな」
「みたいだね。……………その為に密かに集めたのがロクマリア域の、騎士団崩れの傭兵達だ。カルウィの第一王子としての力と財があれば、あれだけの人数の武器持ちを集めるのも容易だったんだろう。……………武器狩りがそう遠くない内に起こると確信していた第一王子だ。自分の処遇を嘆くガーウィンの神官長が、ラマンメディウムの書を手に入れたのは偶然だったのかな」
詳細はどうあれ、武器狩りの開始を管理したのがガーウィンの神官長であれば、カルウィの第一王子が事前にどれだけ周到に準備を整えていたのだとしても、なぜもっと早くその情報を知らせなかったのだと怒りを買う事もない。
また、獲物として狙っていた人間達の住まう土地の為政者から、武器狩り以前からこの地に狙いを定めていたのだと糾弾される事もないだろう。
ここまでは、完全にカルウィの第一王子の手の上である。
「……………第一王子が狩りをしようとしていたのは、ガーウィンだったのか?」
「いや、さすがの第一王子も、今はヴェルクレアと事を構えたくはなかったみたいだ。標的は、ガーウィンからの魔術基盤の増強も得られているガーウィンの国境域沿いだっだみたいだね。だからこそ今回の武器狩りは、ガーウィンの人間が国を裏切り情報を秘匿し、こっそり開始の合図を出す必要があったんだよ」
(……………ガーウィン側で武器狩りを開始させれば、わざわざカルウィから、第一王子がガーウィンの国境沿いまで狩りに来ていたことへの不信感は拭えるからか……………)
なぜその緩和が必要かと言えば、やはりヴェルクレアとしても、国境沿いを荒らされるのは堪らないのだ。
そしてカルウィ国内でも、これ以上第一王子に力を付けられては堪らないと、何とか彼の足を引っ張ろうとする動きもあるだろう。
この動きにいち早く気付いたのは、自分と同じ禁忌の技に触れようとした兄王子を警戒していたニケ王子だったのも、まさしくその目的である。
彼は親交のあるヴェンツェルを通じてその情報をヴェルクレアと共有し、共に、第一王子の階位を上げさせ過ぎず落とさせずに事態を終息させる術を考えたのだ。
「今のカルウィの第一王子は、冷酷で残忍な男だが目端の利く頭のいい人間だ。己の目的に足をすくわれて自滅するような男ではない。ヴェルクレアとしては、都合がいいんだろうな」
「そう。だからニケ王子もヴェルクレアも、まだ彼には退場して欲しくないんだよ。だから、彼自身にガーウィンの国境沿いから手を引かせようとした」
「その第一王子は、自らこちらを訪ねるつもりではなかったんだろう?」
「それは間違いないね。あの、ウィームへの襲撃に加担した人間達に持ち帰らせ、安全なところで食べるつもりだったんじゃないかな」
しかしここで、予想外の事態が起こった。
問題の神官長から事の次第を聞いた一人の司祭が、よりにもよって彼らに、標的をウィームに変更させたのだ。
「神官長がその司祭に秘密を打ち明けたのは、ガーウィンにラマンメディウムの書があると知った者達の目から逃れるのに疲弊したからみたいだね。勿論、話を聞いた司祭は驚いた。咄嗟に交渉に割り込み我が身可愛さに標的をウィームへと変更させたものの、ガーウィンに先行して到着していた傭兵達に口を封じられた」
襲撃目的はガーウィンではない。
しかし、国境を挟んで向かい合う隣国の政情が不安定になられても、ガーウィンは煽りを食らう。
それを懸念したのか、口では国境沿いと言っていても、実際にはガーウィンからも少しばかりつまみ食いするつもりだったのか。
「その司祭の口は封じておいても、標的の変更だけは受け入れた訳か」
「ウィームは、武器持ちが少ないことで武器狩りへの危機意識が薄く、領民の一人一人の魔術階位が高いって説明したらしいよ。彼らからすれば、ガーウィンなんかよりも余程割りのいい餌場だ」
カルウィの第一王子は、旧ロクマリア領出身の傭兵達を指揮下に置きつつも、自分との繋がりを残さぬよう、ある程度は彼等に任せて好きにさせていたのだろう。
その結果、彼は傭兵達がウィームを獲物に定め、その為の幾つかの準備を済ませてしまったところで異変に気付いた。
(……………結果だけを見れば、掌握が甘いと言わざるを得ないが、その王子からしてみれば、今回の狩りは余分なんだろう。悪食の為の狩りが自分に繋がる危険を冒してまで、傭兵達を掌握しておかずとも良かったんだな……………)
気に入らなければ切り捨てるだけ。
身を危うくし、是が非でも今回に完遂させる必要はない。
その為に、手綱は敢えて緩めにしてあったに違いない。
「………で、聡明な第一王子はこの一件から手を引いた訳だ。とは言え、既にウィームに手をかけてしまった事に、誰かがもう気付いているかもしれない。であればそれは、野心があり白銀の座の武器を持つ弟に、上手く押し付けてやろうっていう話だったみたいだよ」
「自分の代わりに責任を取らされるだけでなく、上手くいけば、目障りな弟がウィームの手で粛清されるという訳か」
「そうそう。今回の一件が例え全て紐解かれたとしても、彼は、ウィームが標的にされた段階できちんと手を引いている。……………そこまで計算ずくの、利口でずる賢い人間なんだよね」
「標的の切り替えの原因になった、件の司祭を仕込んだのは誰だ?ニケ王子かヴェンツェル、もしくはヴェルクレアの王あたりか」
そう尋ねると、ノアベルトが青紫色の瞳を眇めて深く微笑んだ。
「勿論、その可能性があるよね。だから僕はどちらでも許さないよって気分だったんだけどさ、そこは偶然みたいなんだ。ロクマリアの傭兵達もかなり手練ればかりで、その中でも先行部隊としてガーウィンの神官長の周囲に入っていた奴らは、なかなか上位の武器持ちだった。ヴェルリアから差し向けられた調整員は、神官長との接触が叶わなかったみたいだからね」
誰も生きて帰らなかったから、そこも推測だけどねとノアベルトは呟く。
(……………調整員の存在を知り、自分達の動きに気付いたヴェルリア側から横槍を入れられる可能性も踏まえ、いっそうにウィームへの切り替えを決意したんだろうな……………)
ウィームにそれを防ぐ手立てがなければ、今回の事はあまりにも不幸な偶然となるところだった。
ヴェンツェル王子とニケ王子は、カルウィの第一王子が作戦から手を引いた事で、思惑通りにはならなくとも結果として回避は出来たらしいぞと安心していたという。
標的をウィームに定めた後にその陣営を手に入れた第九王子も、それなりに優秀な王子だ。
さすがに、ウィームには手を出すまいと考えていたのだ。
(その決めつけも浅慮だが、その時にはもう、それどころではなくなっていたのも確かなのだろう……………)
何しろ、武器狩りの開始直後に、カルウィの第二王子が命を落とした事件が起きている。
双方ともそちらへの対処や情報収集にかかりきりになり、おまけにヴェルリアでも、それなりに大規模な武器狩りの襲撃事件があった。
「そして、目を離していた隙に、ウィームが襲われていたとなるわけか……………」
「みたいだね。ヴェンツェル王子もさ、情報元がニケ王子だから、今回の話は共有し難かったのかもしれないよ。でも、起こっている事を僕たちに共有するべきだったね」
一派がよりにもよってウィームを襲撃したと知り、双方の陣営に見えた動揺は本物だったらしいと、ノアベルトが付け加える。
「その監視はアルテアだな」
「うん。どちらにも、アルテアの目になる誰かが張り付いているみたいだ。自分の系譜じゃない部下を使えるのは、アルテアのいいところだよね。基本は個人主義の僕達には動かせない手札だから、正直助かるよ」
ただ、ヴェンツェルとニケ王子の密談の内容までは、流石の彼等も手に入れられない。
だからこそ起きた事件であり、そこはやはり手の及ばない部分なのだ。
「まぁ、その名前を出せば引くと思ったにせよ、わざわざ傭兵達にウィームの名前を挙げた奴が、いなければだけどね」
「ヴェンツェル王子であれば、ウィームを損なわせるような企みは許さないだろう。今回の王都の状況も含め、あの王子が画策した可能性はないだろうな。……………それをするとしたら、王の方じゃないのか?」
「でもそちらは、僕の魔術に引っかからないから、違うんだよねぇ。アルテアの見立てだと、ニケ王子も違うみたいだ。……………後はうーん、第九王子を潰す為の第一王子の線が少しだけ残るかな……………」
「残る、という程度なのか?」
「それは彼が賢いからこそだよ。ウィームだと分かって潔く手を引いただけの判断材料は持っている筈だ。欲をかいて僕達の報復を受けるよりも、ここは手堅く動くと思うんだよね」
(確かに、こうして多くの経緯が紐解かれる中で、そのカルウィの第一王子が故意にウィームの地名を指定していたのだとなれば、ノアベルトも俺も、何某かの報復措置は取るだろう……………)
であれば、本当にそれはただの偶然なのか。
それとも、何らかの魔術の因果や運命が動き、そのように配置されたのか。
(だが、……………歴史の上で、そのような事は往々にして起こるものだ…………)
不幸な、或いは幸運な偶然が転がり落ち、誰も予測していなかったような顛末に繋がる。
そのような事態は、決して珍しくはない。
「……………ウィームは、もう大丈夫なんだな?」
「うん。でなければ僕はここにいないよ。今は、入れ替わりでアルテアがリーエンベルクにいるしね」
「ヴェルリアの様子を確かめたら、俺はこのまま、カルウィの様子を見てくる。武器狩りはそろそろ終わるが、誰が第二王子になるのかで荒れそうだからな」
「うん。グレアムにも宜しく。僕はもう少しだけガーウィンを調べたら帰るよ。流石のシルも、疲れているだろうしね」
ノアベルトがそう考えた事を、今更ながらに微かな驚きと共に聞いた。
かつて、万象には心などないのだと言い心臓を奪われた魔物が、今はこうしてその身を案じ共に暮らしている。
「………ウィームで死者が出なかったのは、シルハーンの調整があったからだ。アクテーに続き、流石に大きな魔術の操作が重なったな」
「そういう偶然が誰かの思惑でも困るからね。まぁ、意図的にそうさせようとしたら万象への介入に当たる訳だから、さすがにそれはないかなと思うけれど、もしもだけは絶対に防がなくちゃいけないから、きちんと警戒するよ」
「ああ。……………頼む」
そう言えば、なぜかノアベルトは驚いたような顔をした。
「ありゃ。ウィリアムも僕にそんな事を言うんだ」
「……………リーエンベルクに住んでいるんだ。そのくらいは引き受けろ」
「はは、こりゃちょっと僕も驚いたな。そう言えばこの前、ボールも投げてくれたしね」
「…………ノアベルト、あれは程々にしておいた方がいいぞ。だいたい、いつアルテアに打ち明けるつもりなんだ?」
「……………え、……………ええと、イブメリアや大晦日が明けたらかな。その時期のアルテアは、ネアの為にも残しておかないとだからね」
「落ち込むとしても、せいぜい二日三日くらいだろう」
「わーお。ウィリアムは、そういうところだぞ」
その日の真夜中に、武器狩りは無事に終息した。
ロクマリア域の傭兵達をウィームに誘導した企みが、既に口封じで殺されていた司祭の目論見であったことが判明したのは、武器狩りの終息から二日後の事であった。
その司祭の兄は、強固なアリステル派であったらしい。
弟である彼は、当時のアリステル派の集会などにも参加していなかったので注視されていなかったものの、実際には兄の思想の影響をかなり強く受けていたようだ。
“ウィームが許せない。アリステル様亡き後、今代の歌乞いがどれだけ無能だとしても、国の歌乞いであるその娘は、アリステル様の威光を残す為に尽力するべきなのだ。それもさせず、ウィームから出さない高慢さは、統一戦争で焼かれても変わらないものらしい。エーダリア王子は、オズヴァルト様にその歌乞いを嫁がせ、アリステル様が成し遂げられなかった事に着手させるべきなのに”
そう記された日誌を見付けたのは、幸いにもナインであった。
死者は時として、生者よりも雄弁になる。
今度は誰かが、その司祭の思想の影響を受けないとも限らない。
遺された文字は呪いのようになり、新しい毒がそこに育つかもしれないからだ。
ウィリアムはその日誌はノアベルトとアルテアにも読ませた上で破棄し、ヴェルクレア王家には、アルテアを経由してウィーム襲撃に至った理由の一つとして伝えさせた。
ゴーンゴーンと、教会の鐘の音が聞こえる。
空は曇天で薄暗く、こつこつと音を立てて石畳を踏めば、どこからともなくファービット達や墓犬達が集まってくる。
「シルハーンとネアの住まいが標的になったんだ。ここでのうのうと暮らされても堪らないな。関係した死者を全員集めろ。聞くべき話を聞いたら、死者の国を暖める薪になって貰おう」
ファービットに引き摺り出されたカルウィの第九王子は、突然ソロモンが協定から手を引いたので、ウィームを襲うしかなくなったのだと告白した。
彼はソロモンの中身がグリムドールである事や、そもそも、悪食の階位上げの話がそこから出ている事も知らなかったが、大きな後ろ盾を失い一刻も早く階位を上げようと焦っていたらしい。
第九王子ともなれば、他の王子の階位上げの為に淘汰される順列だ。
そして彼は、自身がカルウィの王になるだけの器であると、残念ながら信じてもいた。
下からの追い上げへの対処と、上との差が開いた事に冷静さを失い、ウィーム襲撃をそのまま続行したのだそうだ。
そこまでを涙ながらに告白した王子は、ネアと仲の良かった墓犬に喉笛を食い千切られ、ファービットの籠に入れられて、ラエタの燃え続ける街に投げ捨てられた。
死後は生前の罪を赦すべきであるというのは、人間の思想である。
残念ながら、ここがウィリアムの統括地である限り、永劫に許されない者達というのも、少なからず存在するのだった。
本日のお話はネア視点ではない(ネアが同席していない)ので幕間としておりますが、お話の内容的には本編に近いものとなります。




