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101. 招かれざるお客には帰って貰います(本編)




カスムも倒したので少し寝ようかなと思っていたネアは、ばんばんと部屋の扉を叩いたアンセルムに渋面になった。


遮蔽用の術符は残りが少ないので、貼ったばかりのものを無駄にするのはもうたくさんだったのだ。


そしてとても眠い。

時刻はそろそろ、乙女の睡眠に必要な境界を越えつつある。



「レイノ!今のは絶対に君の仕業に違いありませんが、一体何をしたんです?!」

「…………むぅ。カスムめを滅ぼしたまでなので、お気になさらず。なお、フォルキスの槍はこの修道院に置いておきたい方針ですので、それが叶わないともう一度解決に乗り出すかもしれません」

「レイノ、遮蔽魔術をかけていますね?一度、扉を開けて下さい」

「遮蔽魔術用の術符を貼ったばかりなのだ。帰り給え」

「まったく君は、何て雑な理由で僕を追い払おうとしているんですか。既に術式は破綻していますので、残しておいても無駄ですよ」

「なぬ……………」

「それはもう、お嬢さんが力いっぱい窓を開けたからでしょうね」



隣に立ったヴァルアラムから、自損事故であることを知らされたネアは、へにゃりと眉を下げた。


大事に使おうと思っていた矢先の発覚なので、若干むしゃくしゃする。

これはもう、扉を開けたらアンセルムも弱体化しておいた方がいいのかもしれない。

決して八つ当たりではない。



(一通り弱らせておけば、せめてゆっくり眠れるかもしれない)



いっそもうネアがアクテー修道院を占拠してしまえばいいのだが、さすがにカルウィの刺客達は手に余るだろう。

どちらかと言えばネアは、人外者を狩る方が得意なのだ。



扉を開け、ぎいっと開いた扉の隙間から廊下を覗くと、薄闇の中で立つ神父服の精霊の姿がある。

光を孕むような鮮やかな瞳の色を見る限り、アンセルムの擬態は比較的簡単に解けるようになっていたようだ。



「おや、そんな騎士まで部屋に上げて、レイノは悪い子ですね」

「中身は一応使い魔さんですので、私のものを傷付けたら容赦しませんよ!」

「……………おっと、気付いちゃいましたか。君が気付かない内にどうにかしてしまおうと思ったんですが、存外にしぶとくて仕損じました」



いけしゃあしゃあとそんな事を言うのだから、やはり精霊は厄介な生き物なのだろう。

きりんを少しだけ見せればいいのかなと考えたネアに、こちらを見たアンセルムは僅かに首を傾げると柔らかく微笑んだ。



「仕方がないので、その騎士は譲りますよ。ただ、アナス修道士は僕の獲物なので、君は手を出さないで下さいね?」

「それは別に構いませんが、私の穏やかな老後の為にも、フォルキスの槍はここに置いておきたいのです」

「僕は、武器には興味がありません。そちらはカルウィの使節達と交渉して下さい」



にっこり微笑んでそう言ったアンセルムに、ネアの隣に立ったヴァルアラムがわざとらしく溜め息を吐く。


「お嬢さん、精霊はこういう生き物ですよ。俺に頼んでくれれば、そちらはなんとかしましょう。ただし、ご褒美を忘れないで下さいね」

「なぬ。なぜ私の元手が削られるのだ」

「おや、レイノからのご褒美が貰えるのなら、僕がやりましょうか」



なぜ二人から依頼者にされているのか分からないネアはますます渋面になり、そんなやり取りの合間に何か小競り合いがあったものか、どこか遠くで重たい破裂音がした。


ちらりと振り返ったアンセルムが、僅かに眉を顰めている。



「やれやれ、国崩しは好きなようにやってくれて結構ですが、僕の獲物を損なわないで欲しいですね」

「あら、仲間割れですか?」


にっこり微笑んでそう問いかければ、アンセルムは誰とも共闘していませんよと言いながら、出来るのであればもう少し早くあの獣を退治して欲しかったですねと苦笑する。



「あれは理不尽なものですが、同時に理の上での条件を満たすと召喚されるものですからね。招かれてしまったものを追い帰す手がない以上はと、せっかくあの獣込みで筋書きをつけたところだったので、これでも僕は少し怒っているんですよ、レイノ」

「まぁ、であれば私も巻き込まれただけの善良な一般人として、大人しくやり過ごそうとしたところで、修道院ごと全滅の危機に見舞われたのです。アナス修道士の管理維持責任は、アンセルム神父に問えばいいのでしょうか?」

「……………レイノ、分かったからポケットにあるものはしまって下さい」



ネアがポケットの中からきりん札を引き摺り出そうとしたことに気付いたのか、アンセルムは慌てたように後退する。




そして、異変が起きたのはまさにその瞬間のことだった。



(……………え?)



くらりと揺れたのは、ネアの視界だけだったのだろうか。



目が回って仰向けに倒れ込むように、突然視界が反転し、見上げた先を一面の星空が覆う。

漆黒の天鵞絨に宝石をばら撒いたような眩さに目を細め、星の光に目を焼かれたばかりのネアは、慌てて指先で目元に触れた。




(星空だ。……………どこまでも、どこまでも)



その光が目を焼かないと知ってほっとしていると、肌に触れる気温が変わった。


見渡す限りの草原の上には見たこともないくらいに星を湛えた夜空が広がっていて、それなのに、なんて寂しい場所なのだろう。


決して荒んだ光景ではないのに、なぜかここは、あるべきものが失われた廃墟だと感じるからだろうか。




「ここは、……………」



思わずそう呟いてしまったネアを、誰かが背後からそっと腕の中に収めた。

いきなり抱き締められても怖くなかったのは、馴染みのある香りで、その腕が誰のものなのか分かったからだ。



「術式の裏側だよ。領域ごとあわいに落とし込む禁術を、誰かが使ったようだね。隔離区域を無理やりあわいに反転させるのは、魔術の禁則行為なんだ」

「ディノ!」



振り返ると、真珠色の髪を僅かな風に揺らし、ネアの大切な魔物が立っていた。

この魔物が一緒なら少しも怖くないのだが、擬態を解けるようになったのはどうしてだろう。


こてんと首を傾げたネアに、魔物らしい眼差しの伴侶はどこか酷薄に微笑む。



「魔術の約束と理の上での拘束には私はとても無力だけれど、禁則魔術が使われ場を反転されたのであれば、そしてそれが狂ったものでなければ、そこから先は私の領域になるからね」



ふっと額に落とされた口付けに、ネアは不思議な安堵を得た。


ディノが側にいてくれるからというだけではなく、何らかの守護を与えて貰ったのだろう。

おでこがほわりと暖かくなり、とても満ち足りた気分になる。



「……………皆さんも、このどこかで迷子になっているのですか?」

「いや、あわいに反転したことで、一度全て解いてしまった。元通りになるように書き直しをしているから、すぐに沢山落ちてくるよ」

「書き直し…………?」

「うん。あわいに反転されたものを解除して、ここにある全ての要素を再構築し直していると言えばいいかな。………ネア、場が元通りになれば、反転の魔術を使った者もいる。君には認識阻害の魔術をかけたけれど、私の手を離してはいけないよ」


ディノは現在、ネアを後ろから腕の中に抱き込んでいる。

体に回された腕に手をかけていたネアに、ディノは片方の腕を腰に回し、もう片方の手で手を繋いでくれた。


「むむ、ディノの手を離さないようにしますね」

「書き直しに際して、修道院の防衛魔術が展開前の状態に戻るようにしてある。その猶予を逃さずにアルテアもあの剣の仕様を調整するだろうし、私はこのままでいるから、もう安心していいからね」

「はい」



(さっき、あの視界がくらりと揺れた一瞬に…………)


恐らく相当厄介な事が起きたのだろう。


けれども、その異変もそれに対処したディノも、全てがあまりにも一瞬だったのでネアにはまだ何が起こっているのかの実感がなかった。

良く分からないままにこくりと頷いたネアに、ディノは微笑みを深めて頭を撫でてくれる。


意識を震わせるような美貌は冴え冴えと際立ち、全ての色彩が内側に孕む光は、決して軽薄な輝きではないのに目が眩みそうだ。

なんて美しいのだろうと息を詰め、その美貌の冷ややかな温度に瞼の奥が暗くなる。


もしネアがディノの伴侶でなければ、今のこの魔物はどうしようもない程に恐ろしいのだろうかと思えば、思わずその手をぎゅうっと握ってしまった。



「怖いかい?……………ごめんね、反転させられたものを書き換え終えたら、それを成した者達だけどこかに放り出してしまおう。それで終わるよ」

「ディノは、……………怖くありませんか?痛かったり、不自由があったりもしません?」

「……………ネア」



瞳を揺らした小さな溜め息のようなその呼びかけに、ネアは水紺色の瞳を見上げる。

この魔物はネアのたった一つなので、失われるのは勿論のこと、我慢して心を軋ませるのも困るのだ。


もし悪いものの影響が出ていたら大事な魔物を守らなければいけないと眼差しを険しくしたネアに、ディノは少しだけ唇の端をもぞもぞさせ、嬉しそうに微笑んでいる。

その微笑みが零れた瞬間、ぱあっと周囲に明るい光の粒子が粉雪のように舞った。


(不思議なところだわ…………)


光の粒子が舞い上がり舞い散る中に立ち、見上げる星空はなんて美しいのだろう。

足元を覆っていた草原は、いつの間にか一面の花畑になっている。



今、ディノの足元には不思議な波紋のようなものが広がっていた。



淡い淡い金色にも見え、そしてディノの髪色と同じ白に虹色を淡くかけたような色にも見える。

波紋が産まれるほんの一瞬の間にありとあらゆる色が滲んでは消え、この広い空間に鼓動のように刻まれてゆく。


しゃん、と立派な錫杖を地面に突き立てて鳴らすような音がどこかで聞こえた。



けれども見回してもそのようなものはなく、先程よりも膨らんだ温度のない風が、ディノの足元からふわりと立ち昇った。



(……………ああ、書き換えられているのは、この世界そのものだ)



なぜだかネアはそんな事を思い、星の光のこぼれる夜空を見上げる。

すいと差し伸べられた手が空を向けば、ざあっと星空が揺らぎ周囲の空気の温度が変わった。


先程迄の季節も何もない空の温度がしんしんと冷えてゆき、アクテーの修道院のものと同じになる。

するともう、ネア達が立っているのは草原ではなく、深い森の中にそびえる、灰色な岩山の上であった。




「……………困ったことをするものだ。世界の理を変えて反転させられてしまった土地は、すぐに書き直さないと歪んで狂ってしまう。狂乱や大きな魔術異変で生まれることも多いものだけれど、それを人為的に作り出すのは魔術の理にも触れる」

「ヴァルアラムさんとアンセルム神父は一緒にいましたので、あの場にいなかった他のどなたかがそれをしてしまったのでしょうか?」

「カルウィから招かれた者の中に、狂乱の記憶書を持った魔術師がいたのだろう。かつての白夜の魔物が編纂した魔術書で、何度もこの世界の理に弾かれて姿を消したものだが、スリフェアなどから再び持ち込まれることも多い。こうして、一つの土地や領域をそのまま壊せる術式は、本来、人間の手には余るものだからね」



(これを成したのは、人間なのだ……………)



ネアはまず、そんなことに驚いた。


ディノが万象としての力を振るわなければいけない程の事象を成せるのだから、その魔術師はかなりの力を有しているのだろうか。

それとも、狂乱の記録書というもの自体が力を持ち、開くのも危険な厄介なものなのかもしれない。



さあっと、光の粒子が凝るように石造りの建物が産まれ、岩山の上に敷かれた魔術で育まれた木々が生い茂った。



ローズマリーが葉を伸ばし、薔薇の茂みに色付いた蕾が結ばれる。

かしゃんかしゃんと音を立てて嵌って行くのは窓だろうか。

くるくると湧き上がった水が井戸に収まり、小さな人工の泉にちゃぽんと落ちる。


明るい星空がもう一度大きく揺らぎ、瞬き程の暗転を経てネア達が立っていたのは、世界が反転した瞬間に立っていた部屋の前ではなく、礼拝堂の入り口にある広場のようだ。


岩山の縁から転落しないよう設けられた岩壁の上には、災い除けの装飾が十字架のように立っている。


ひゅおんと吹き込んだ風に木々の葉が千切れ飛び、風に揺れた三つ編みを見たネアはディノが白灰色の擬態をかけていることに気付いた。




「……………っ、今のは一体……………」



そう呻いた声にはっと横を見れば、いつの間にかそこに戻されていたアンセルムが、腰をさすりながら立ち上がるところだった。

背後にも小さな呻き声が上がり、ヴァルアラムの姿を認めてほっとする。



(……………落ちてくる。まさにその通りに見える)



ディノが沢山落ちてくると言ったように、戻された人々はまるでどこからか落ちて意識を失っていたように、ぱちぱちと瞬きをして周囲を見回していた。




「……………驚いたな。狂乱の書で反転をかけたのか。あやうく、あわいの住人にされるところだったらしい」


そう呟く声はギナムのものだ。


足元にうつ伏せになって転がっているのは、どうみてもギナムが商人として同行した筈のお客だが、あまり状態が良さそうには思えなかったし、ギナムがその様子を案じる気配はない。



「……………ここは?だって私達は、さっきまで断崖沿いの階段にいた筈なのに…………」

「セレン様、離れないようにして下さい」

「メトラム、あなたが転移をかけたの?…………っ、」



礼拝堂側の階段に向かう一段低くなった場所に落とされたのは、セレンとメトラム、そして見たことのない何人かの修道士達だ。


ネア達の姿に気付いたセレンがこちらを見たが、ディノの姿を目にしてぺたんと座り込んでしまう。

着替えたものか、バラ色のドレスがとても似合っていて、こんな状況ではあるもののやはり絵のように美しい少女だ。




「……………まさかとは思いますが、ここに全員集めたんですか?」


ディノにそう尋ねたのはアンセルムで、ネアはその時、メトラムがぎょっとしたように頭上を見上げたその視線を辿っていた。


見上げた空にはぽっかりと黒い穴が開いていて、その縁の部分だけが月光のような金色に光っている。

はらはらと崩れ降り注ぐ金色の光の粒子は、地上に届く前に深い青色に転じてしゅわりと消えてゆく。



(綺麗だけれど、……………凄く怖い……………)



輪の輪郭からこぼれ落ちる光の粒子はダイヤモンドダストのようだが、穴の中心の闇色に視線を向けると心の奥がすとんとその闇に飲み込まれそうになる。



ぶるりと体を震わせ、ネアはそこから視線を引き剥がした。



「人間の国の思惑はどうでもいいけれど、この子のいる場所をあわいに下げ落とされる訳にはいかないからね。部屋で動かずにいた者達はそのまま置いてあるけれど、動いていた者達はここに集めてしまったよ。あまりにも多くの武器を集めると、また困ったものを呼び寄せてしまうかもしれない。早々に終わらせてしまおう」

「……………僕はまさか、自分が誰かに書き換えで移設されるとは思ってもいませんでしたよ。………それをこれだけの人数だ。……はは、無尽蔵さに眩暈がしますね。あなたはやはり、……………とても恐ろしい方だ」



そう呟いたアンセルムに、ディノは何も答えなかった。


心配になったネアが振り仰げば、ディノは正面にいる男達を見ているようで、ひたと据えられた瞳が僅かに鋭さを増したような気がする。



はたはたと、夜風が修道士たちの服裾を揺らした。



ネア達の正面にいるのは、地面に膝を突いたサスペアと、その肩を抱くようにしているアナス。

更に、その二人の横に立ち真っ直ぐにこちらを見ている、修道士服の背の高い男がいた。




(……………フードを下ろしているので顔が見えないけれど、カルウィの人だという気がする)



僅かに濃い蜂蜜色の肌は、砂漠の民や、カルウィの国民の特徴ではないのだろうか。

空の不思議な穴の輪郭がさらさらと欠け落ちると、その位置に月が戻り、辺りは月光に包まれる。


月の光を受けて見えているフードの男の口元は整っていて、その手に持っているのは銀細工と緑柱石の装飾のある魔術書のように見えた。



こちらを見る様子はなく、そこに立っている筈なのに奇妙な程に薄っぺらい。

まるで、人形達に命を吹き込んで動き出す前の舞台を見ているようだ。



しかし、また風が吹き抜けその服裾を揺らした時、フードの男と対峙していたサスペアがこちらに気付いた。

ゆっくりと顔を上げ、その瞳が真ん丸に見開かれる。


何かを言おうとしたようだが、喉が詰まったようなくぐもった音を立て呻き、そのまま黙り込んでしまう。

体を丸めて激しく震え始めたサスペアに訝しげに眉を寄せ、こちらを見たアナスも同じように蒼白になる。



(もしかすると、書き換えの完了までに僅かな時差があったのかもしれない……………)



最後に二人の変化に怪訝そうにこちらを見たフードの男が、ディノに気付いたものか、ぽかんと口を開いた。


今はもう、三人ともしっかりと人間らしい質感を帯びていて、何の違和感もない。




「……………っ、これは凄まじいな。悍ましく恐ろしい、……………見慣れない高位のもの。どうやら私の振る舞いは、深淵からそのようなものを呼び寄せてしまう程に禁に触れたらしい」



フードの男の微かにざらついた甘い声は、好き好きはありそうだが魅力的な声なのだろう。

怯えるようにじりりと一歩後退しながらも、その人物がディノの精神圧に人事不省に陥る様子はない。


つまり、それだけ魔術抵抗値の高い人間であり、大抵の人間は可動域と抵抗値は同じ数値である。



「ふうん、随分と守護が厚いようだ。大国の王族の、それも上位の者なのだろうね」

「……………高位の君。どうかそれ以上はご容赦下さい。贄が必要なら、この場にいる何人かを切り出しましょう。女子供が良ければ、国に帰ってから御身の為に祭壇を作ります」

「そのようなものはいらないよ。足止めの魔術はもう解けている。場が閉じる前にここから立ち去るといい」

「そうさせていただきます。ただ、回収するべきものがあり、そちらを成してからでも?」

「君が手を伸ばした武器であれば、この土地に置いておく方が都合がいいようだ。私は、立ち去れと言わなかったかい?」



ディノの声は静かだったが、アンセルムがぐらりと体を揺らす程には冷たかった。


本能的に身を守ろうとしたものか、フードの男も咄嗟に膝を曲げて体を地面に手を突いた。

どさりという重たい音は、セレン達の方からのようだ。


誰かが気を失ったようなのでそちらも気になったが、ネアは、正面の男性からは目を逸らしてはいけないような気がした。


ソロモンに出会った時のような怖さではなく、油断のならない厄介な軍師めいた思考の鋭さを感じるのだ。




(……………ディノの言う通りなら、この人は多分、カルウィの、それも上位王族なのだろうか)



修道士らしい簡素な装いをしているものの、身に付いた気品というのはどうしても隠せるものではない。

それは、言動や振る舞いをどれだけ作り込んでも、どうしても滲み出してしまう魂の色のようなのもの。

だからこそアルテアは、ヴァルアラムという擬態を用いたのだろうし、その為に人外者達は、己に制限をかけて身を偽るという。



「……………御言葉のままに」


掠れた声でそう呟き、フードの男は深々と項垂れる。

袖口から覗いている指先が震えているような気もしたが、僅かにふらつきながら立ち上がると、重たい装飾のついている腕輪をじゃらりと振る。


その音と共に、腕輪の飾りの一つがぼうっと光った。



「私は退出させていただきましょう。残された者達は、もはや私の手を離れた者ばかり。ご不快であれば殺していただいて結構です」



(あ、……………)



魔術の風に煽られ、ほんの一瞬だけフードの下に隠された顔が見えたような気がした。

造作は災いの町で見たソロモンに似ていたような気がしたが、年齢はもう少し上かもしれない。

魔術に長けた人間らしい美貌だったが、特筆するべきはその瞳だった。

鮮やかな瑠璃色は金の虹彩模様が月食のようで、どきりとする程に鮮烈な印象を残す。


擬態のものかもしれないが、今後の為にその身に持つ色彩も覚えておこうと思い、ネアは伴侶な魔物の腕の中でふすんと息を吐く。


その言葉を残し暗い魔術の光を残して消えた男に、アンセルムがやれやれと肩を竦めている。

背後でヴァルアラムの立ち上がる気配があり、セレン達の方にいる修道士は、何らかの覚悟をもってこちらを見たようだ。



「成る程ね。今の人間は従順なようでそうではなかったようですよ。この状況で捨て駒を残していくずる賢さからすると、随分と人外者との交渉慣れをしてますねぇ」

「隔離魔術が解けなくなっても困るね。あの者達もどこかに捨ててしまおうかな」

「……………そのお言葉からすると、今の男の転移に手をかけましたね?」

「近い場所に留まるといけないからね。いるべき場所に送り返してしまったよ」

「残りものは、このままだと火種になりかねない。排除するぞ」



その声の響きに、ネアははっと振り返る。

そこに立っていたのは銀貨色の髪を持つ漆黒の騎士だが、眼差しにはネアのよく知る魔物の影が確かにあったのだ。


これまでのヴァルアラムが無言だったのは、ディノが言うように剣の仕様を調整していたらしい。




「……………もうすぐ、書き換えで開いていた防衛魔術が閉じる。君はいいのかい?」

「残念ながら、これは重ね着ではなく入れ物でして。事の顛末を見届ける役目があるので、このままにしておきましょう」



ディノの問いかけにそう答えたギナムは、優雅に一礼してみせた。


声に滲む軽妙さは、一緒にペペロナータを食べた魔物ではなく、それ以前に知っている砂糖の魔物のようだった。

その変化もきっと、敷かれた魔術が開いている状態だからなのだろう。



(……………つまり、先程のフードの人が狂乱の記録書というもので、この土地ごとあわいに落とそうとしていて、ディノはその反転を利用して擬態を解き、尚且つこの土地を書き換え直して元通りにしたということなのだろうか?)



魔術の仕組みに明るくはないネアもすっかり混乱しているのだが、幸いにして伴侶が主導権を握っているので不安はない。


サスペアとアナスも途方に暮れているものの、そちらは首謀者二人のようなので我慢して貰おう。

となると、可哀想なのはメトラム達で、何が起きたのか分からないままにおろおろしていて、それでもまだ立てない聖女を守ろうとする騎士の姿はひたむきな程だ。




ばさりと黒いケープを翻し、ヴァルアラムが剣を抜く。



アクアマリンのような澄んだ刀身を月光が煌めかせ、武器というよりは宝石のようだ。

さっと表情を強張らせた修道士達が、どこからともなく各々の武器を顕現させた。


けれどネアはもう、それを怖いとは思わなかった。



(恐らく、ヴァルアラムさんはもう、アルテアさんが表面に出ているような気がする……………)



であれば、肉体的な縛りはあれど、あの修道士達に後れは取らない筈だ。


修道士は全部で四人いたが、その内の一人はディノの精神圧に耐えられなかったものか、失神してしまっている。


残る三人もまだ足元がおぼつかないように見えたが、武器を構えるだけの回復を見せているあたり、普通の人間ではないのだろう。


そして、アルテアがカルウィの手勢に置き換えられたのであろう修道士達に向かうと、アンセルムも己の獲物を捕まえに行くことにしたようだ。



じゃりんと大きな音がして、闇が凝るようにして現れた死の精霊の武器に、蹲ったままのサスペアを立たせようとしていたアナスが目を瞠る。



「……………あなたは」

「やぁ、久し振りですね。アナス。こんなところに隠れているとは思いませんでした」

「っ、……………い、いつから………!!」

「嫌だなぁ、僕は最初からここにいましたよ。君が何の為に尻尾を掴ませるような失態を犯したのかが知りたくて、少しの間だけ傍観者を演じていました」



きっと、平穏な夜ではなかったのだろう。

ネアは、疲れ果てた顔をしているアナスの瞳に浮かんだ絶望の生々しさが見ていられなくなり、身勝手な人間らしくそっと目を逸らした。



ざんと、鈍い音を響かせたのはどちらだろう。



カルウィの刺客たちは、砂になって崩れ落ち、主人を亡くした武器が、重たい音を立ててその上に落ちた。

わあっという胸が張り裂けるようなサスペアの声に視線を戻せば、アナスの姿はもうどこにもない。



そこに残されたのは、中身を失ったアナスの服に取り縋って咽び泣いているサスペアと、そんな人間を見下ろしている神父姿の人外者だけだった。






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