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97. 思っていたより悪いです(本編)




ベーコンサンドを食べてちょっぴり眠たくなったネアは、部屋で膝の上に乗せた伴侶に備蓄クッキーな昼食を与えていた。


ハンカチを敷いた膝の上にのって、ネアの手作りクッキーをぽりぽり齧るムグリスディノは、三つ編みをぴるぴる震わせて喜びを表現してくれる。


この姿の伴侶でもベーコンサンドは食べられたのだが、やはり形状的にムグリスのお口では体がべとべとになってしまう。


なのでネアは、部屋に帰ってからの昼食とさせていただき、数ある備蓄からディノが選んだのがネアの手作りクッキーだったのだ。



「……………キュ」



伴侶の手作りな紅茶のクッキーを一枚食べ終えると、むくむくした毛皮の生き物も眠たくなったようだ。

ネアは背中合わせで何かをしているらしい騎士の体温のせいで、瞼が落ちてきてしまいそうになるのをぐぐっと堪えて、伴侶の毛皮からクッキー屑を払ってやる。



「お嬢さん。そちらが終わったら、俺の相手もして下さい」

「大事な伴侶との幸せな食後の時間なのです。邪魔をする者などゆるすまじ」

「はいはい。それにしても、耳飾りを贈られた割には人型の妖精じゃなさそうですね。…………鳴き声からすると毛皮を持つような生き物なんですかね………。振り返ってもいいですか?」

「魔術誓約をしましたので、この場で意図的であれ偶然であれ、私の許可なく私の伴侶を見た場合はお鼻がなくなりますが構いませんか?」

「お嬢さんは、男を焦らすのが得意ですよね………」




ここは、ヴァルアラムが使っている部屋だ。

星捨て場の一件があり、ネアは現在、ヴァルアラムの部屋に収容されている。


見回した部屋は、やはり少し優遇されているものかネアが案内された部屋よりも広い。

しかし、修道院という場所の特性上、特別豪奢な部屋ということはないようだ。


武器に襲われて亡くなった修道士の検分が終わり、夕刻に近くなった修道院では、人々は各自の部屋に戻る事になった。


ネアは知らなかったが、アクテーにも、魔術通信が出来る術具があるらしい。


聖女を足留めしていることを伝えねばと連絡を取った王都では、第二騎士団団長の負傷の一報に衝撃を受けているようだ。

王都の宰相が通信口に出て、直々に聖女の無事とフォルキスの槍の無事も確認され、セレンについては、伯爵家の次男であったらしいメトラムに一任された。


ネアはそのやり取りを聞いてはいなかったが、その際の宰相閣下の言葉によると、出来れば聖女をヴァルアラムに託したいところだが、武器狩りの標的になりかねないヴァルアラムでは、セレンがそちらの争いに巻き込まれる可能性がある。


コゴームの疫病の盾と、騎士の剣。

国としては、どちらも失われては困るのだ。

その為にも、より確かな護衛をとなると、セレンとヴァルアラムは一緒にしてはおけなくなるのだった。



(セレンさんが巻き込まれても困るのだけれど、逆に、セレンさんを標的とした襲撃でヴァルアラムさんが失われても困るのだろうな…………)



今回の一件は、国としてはかなり頭の痛い話だろう。

よりにもよって、なぜ大切な武器が集まってしまったのかと嘆いているに違いなく、少し不憫にもなってしまう。



「……………お嬢さんを星捨て場に投げ込んだのは、サスペア修道士ですね?」



散々撫でてお互いにふくふくになったところで、ディノを胸元に戻し、ネアがやっと一息吐いたのを見計らったように、その質問が落ちた。



「あくまでも、それは予測でしかありません。……………あの時、階下から礼拝堂のお昼の鐘の音が聞こえてきて…」

「おや、それは妙ですね。お嬢さんの部屋の位置なら、礼拝堂の鐘の音は少し上から聞こえる筈です。覚えていますか?礼拝堂は、記録庫に向かう途中にある回廊を右側に行った先で、この修道院の中では一番の高台にある」

「…………む」



そう言われてやっと、ネアは、お昼の鐘の音が下から聞こえる筈がないことに気付いた。

修道院の階下にあるのは、この建物の骨組みの部分となる備蓄庫や懲罰房、浴室やその他の作業部屋くらいのものである。



(お昼の鐘の音が地下から聞こえるのだと教えてくれたのは、……………サスペア修道士だ)



元よりネアは、ギナムことグラフィーツの言葉は疑ってないのだが、となるとやはり、ネアを陥れたのはサスペア修道士なのだろう。



「なぜ、礼拝堂の鐘の音が、地下から聞こえると思ったんですか?………いや、誰に言われました?」

「……………サスペア修道士です」

「やはりか。あれも使い勝手はいいんだが、中身が壊れ始めたみたいだな…………」

「………中身?」



不可思議な言葉に首を傾げると、もういい加減振り向きますよと告げ、ヴァルアラムがこちらを見る。

ネアが伴侶をしまい終えた事を確認すると、一度立ち上がってネアの隣に腰を下ろした。



「サスペア修道士の武器については、ご存知ですか?」

「少しだけ伺いましたが、星を使う槍であることと、この修道院で働かれていることくらいしか存じ上げていません」


さらりと少しの嘘で練り上げた返答をすると、銀貨色の髪の男は僅かに胡散臭そうにこちらを見る。

しかし、ネアがどこまでを知っているのかを追求するのはやめたようだ。


「あの槍は、屑星を殺して、その命を対価に厄災を祓います。槍の形をしているが、その効果は魔術そのものを打ち出す魔弾の射手に近しい。お嬢さんが吹き飛ばされた時も、弓矢で貫かれたような衝撃か、もしくは大きな硬いもので殴られたような衝撃があったでしょう?」

「……………確かに」



ひたりと微笑んだヴァルアラムに、ネアは、その返答を引き出されてしまった事を悟る。


彼は、ネアを襲撃したのがサスペアであることと、それがフォルキスの槍を使った攻撃である事を想定し、それとなくネアを誘導したのだ。



「難しい顔をしても、聖域の守り手を素手で掴めるお嬢さんを星捨て場に落とせるものとなれば、あの槍以外にありませんからね」

「ヴァルアラムさんの剣でも?」

「嫌だな。そんな風に俺を疑うと、身をもって証明したくなるんですが、構いませんか?御誂え向きに、こうして寝台に座っているので、もしかするとお誘いかな?」

「まぁ、お鼻と手足はもういらないのですか?」

「おっと、手足も捥ぎ取るつもりですか……………」

「なお、体にべたべたするキノコが生えてくる呪いに長けているので、私を怒らせるのはやめておいた方がいいでしょう。既に片目を失った騎士さんにすら、私はそれを差し上げようとしている残虐な人間なのです」



ネアがそう言うと、ヴァルアラムは小さく声を上げて笑った。

不審げに見上げたネアの視線の先で、美麗な騎士は肩を揺らして笑っている。



「あの言い訳を聞きましたよね?片目を失ったくらいで改心するような男じゃありませんから、是非にやって貰いたいですね。………それにしても、最初はついでに利用するかと思うくらいでしたが、お嬢さんは実に面白い」

「何のついでなのか気になるのですが、寧ろ、利用する為だけに近付いたのではないのですか?」



その質問に、ヴァルアラムは薄闇でも光を集める瞳を眇めて、深く深く微笑んだ。

人を唆して破滅させる生き物の目をしたこの騎士を、ディノもギナムも、この場での守り手として認識するように言う。



(裏切るかもしれないのに、この人を頼ってもいいのだろうか?)



ギナムとの会話で、ヴァルアラムも見かけ通りの存在ではないのかもしれないと考え至るような、何とも気になる言葉もあったのだが、もしかすると、単にヴェルクレアとの政治的な密約のある協力者なのかもしれない。



「知りたいですか?そうですねぇ。俺を楽しませるような事をしてくれれば、どうしてお嬢さんに近付いたのかを話してもいいですよ?」

「ふむ。理由は、知りたいには知りたいのですが、対価が必要になるのであれば、そこまでではありません。我々は、ここにいる間だけの協力関係なのですから」

「お嬢さん、男はね、そう言われると捕まえたくなる生き物なんですよ」



弄うような甘い囁きに、ネアはげんなりと半眼になる。



「暇を持て余してそんな自分を演じて遊びたくなるのなら、いっそもう、武器を持つ誰かと決闘でもしてきて下さい。もしかして、サヌウさんが寝込んでしまって寂しくなってしまったのですか?」

「そうきましたか。やれやれ、この手強さは厄介だな……」

「私で遊ぶよりも、反目し合う二人の騎士が、一人の怪我をきっかけに思いがけず惹かれ合うという展開の方が意外性があって難解ですよ」



このような言葉遊びはあまり好きではないネアは、ぞんざいにそう告げると、ヴァルアラムが記録庫に解放したという聖域の守り手について想いを馳せる。


この状況が続くと、ディノとのやり取りにも支障がでるし、ウィリアムとのカードも開けない。


情報が得られないままの膠着状態が長くなるのであれば、いっそもう、聖域の守り手を脅して、ここの防衛魔術を崩す手伝いをして貰った方が手っ取り早いのではないだろうか。



(絶賛事件に巻き込まれているのは私なのだけれども、武器狩りが始まっている以上、ウィームや、アルテアさんがどうなっているのかも心配なのに………)



アクテーの修道院に足留めされて、既に丸一日以上が経過している。


本来であれば、ネアは武器狩りの間はリーエンベルクにいて、もしウィームに困った事があればそちらに尽力するべき立場だったのだ。


頭をがつんとやられて星捨て場に投げ込まれたあたりから、ネアは、そんな焦燥感も覚え始めていた。

ギナムがヴェルクレア王の依頼で動いているように、他の力を持つ人外者達も暗躍しているかもしれないと知ってしまったからだ。


加えて、武器狩りは何も人間達だけのものではなく、例えばアンセルムのように、人外者達も参加する大いなる戦なのである。



(……………アンセルム神父の目的も、不明のままだもの…………)



ガーウィンに様々な疑惑があるとしたら、この場に王都側の意向で滞在しているに違いないギナムと、ガーウィンに住処を持つアンセルムが揃ったのは偶然と言えるのだろうか。


ここでふと、ネアは先程の疑問をヴァルアラムにはぐらかされている事に気付いた。

むぐぐっと眉を寄せ、ネアは隣の騎士を見上げる。



「……………で、サスペア修道士は、中身に問題があるのです?」

「お嬢さんは、いい騎士になりますよ。獰猛で執念深く、心に受け入れた者以外に対しては驚く程淡白だ」

「あら、人間はそれでいいのですよ。よく知らない方の事までを心の片隅に置くには、私は自分が大好き過ぎますし、獰猛で執念深くなければ大切なものは守れません。そしてそもそも、私は今の手の中の大切なものしか愛せない心の冷たい人間なのです」



胸元で、ムグリス姿の伴侶がもぞりと動いた。


きっとこの魔物が元の姿をしていたなら、ディノは、ネアの言葉に水紺色の瞳を震わせて、伴侶を案じるように優しく微笑み、そして魔物らしい老獪な眼差しで満足げに笑うのだろう。



なぜそんな事を突然考えたものか、ふと、ギナムの言葉が脳裏に蘇った。



契約の魔物の執着はよく、歌乞いが得られる力の代償として語られる。

けれども、祝福の形をした災いがあるのなら、災いに見える祝福もあるのだろう。


ネアの心に沿うのは、同族である人間のものよりも、魔物の愛情の方なのかもしれないと、最近は常々思うのだ。



「それを率直に言えてしまう人間は、思っているよりも少ないんですよ。………さて、サスペア修道士ですが、そろそろ内側への侵食が深刻になってきているようですね。フォルキスの槍は、扱いに莫大な対価を必要とする武器で、使い手も少しずつ内側が削り取られてゆく。…………人間が心の内側を削り取られてゆくとどうなるのか、お嬢さんはご存知ですか?」



不穏な響きの問いかけを、ヴァルアラムは実に愉快そうに口にする。



「困ったことにしかならないように思いますので、是非に私に影響が及ばないようにして欲しいです。とは言え、既に私をがつんとやって私の伴侶を怖がらせましたので、あの聖域の守り手さんは、サスペア修道士のお部屋に放り込むべきでした」

「……………っ、はは!本当に……。その悍ましさよりも、自分に害を為すかどうかがお嬢さんにとっては問題なんですねぇ」

「むぐ?!頭の上に乗せた手を、早急に撤去して下さい!」


頭の上に手のひらを乗せられ、怒り狂ったネアはじたばたした。

しかし、それでも手をどかさないヴァルアラムは、すっと体を寄せると、ネアの耳元に唇を寄せる。



「ねぇ、お嬢さん。そんなサスペア修道士を、簡単に懲らしめられる方法がありますよ。少々、囮になって貰いますが、何、危ない事はありません」

「お断りします」

「おや、受けてくれると思ったんですが」

「そのような提案は、常々思いがけない方向に転がり、想定よりも厄介な事になるものです。万全の態勢で挑むなら兎も角、この状況ではお受け出来ません」

「でも、早く帰りたいんでしょう?」

「私が早く帰りたいと思うに至る大切な人達は、私がそんな風に危ない橋を渡り、うっかり怪我でもしたらきっと悲しむでしょう。ただでさえ心配をかけているので、私はより堅実にならなければいけないのです」

「……………ああ、そういう考えなんですね。そちらは少しも面白くない」

「どうせやるのなら、聖域の守り手さんを優しく説得し、この修道院の守りの薄い所を聞き出して攻撃する方が良いと思います」

「……………さては、無茶な提案だと気付いていませんね?」



カーンカーンと、夕べの鐘が鳴った。


こうして聞いていると、確かに礼拝堂の鐘の音は部屋の天井越しに聞こえてくる。


星捨て場に行く羽目になったネアが騙されてしまった鐘の音は、寝台に結ばれた紐の先にある、呼び出し用の鐘の音だったらしい。


呼び出し用の鐘は、フォルキスの槍の運用の為に作られたものだ。

本来は、フォルキスの槍撃の際に、修道院内で祈りを捧げている者達を含めた全員に注意を促す連絡用の鐘であったらしい。


災い除けの槍を管理するアクテー修道院には、視察目的の高貴なお客が宿泊する事もあり、修行などで奥に篭ってしまう事もある修道士達を呼ぶのに使う為に残されている。



「晩餐でしょうか」

「夕べの祈りですよ、お嬢さん。さて、そろそろ異国の刺客が動き出すかな」

「……………む。参戦するようであれば、私はお部屋に戻りますね」

「こらこら、勝手に動かないように。俺は少し出て来ますので、守護をかけたこの部屋にいて下さいよ」



子供にするように、頭をぽんぽんされて威嚇の唸り声を上げる淑女を残し、ヴァルアラムは音もなく立ち上がると漆黒のケープを翻して部屋を出て行った。


残されたネアは、ぎりぎりと眉を寄せ、ヴァルアラムの言葉を信じていいのだろうかと考えていた。



(…………そもそも、この部屋は安全なのだろうか)



扉の近くに歩み寄ると、ヴァルアラムの気配が遠ざかるのを確かめ、そっと首飾りの金庫からカードを取り出す。


その際、いきなりヴァルアラムが戻ってくる可能性と、部屋の中に監視目的の魔術がある事を警戒して、敢えて扉にぴったりと体を寄せた。




“ネア、気になる情報がある”



開いたカードに記されていたのは、エーダリアの文字だ。


と言うことは、ウィリアムはまだリーエンベルクにいるのかなと安堵したネアに、胸元から顔を出したムグリスディノもカードを覗き込む。



“エーダリア様、フォルキスの槍の持ち主なサスペア修道士という方に襲撃されていました。今は、どうやら王様の密命でこちらにいるらしいギナム商人なグラフィーツさんに助けて貰い、無事ですからね。なお、そんなグラフィーツさんからも頼るべきだと言われたヴァルアラムさんのお部屋にいますが、囮への勧誘もありいまいち信用しきれません”

“ネア、……………情報量が多いが、無事なんだな?” “ウィリアムさんです!”

“それと、その修道士は、残しておいてくれ”

“とても斬られてしまいそうですが、ヴェルクレアの王様がグラフィーツさんを派遣してまで、生かしておく方針の方のようなのです。ウィームの為にも必要であれば、残しておいて欲しいのですが………”



サスペアは人間だ。

その気になればウィリアムが一撃でやってしまえるので、ネアは慌ててそう説明した。



“エーダリア様ともお話出来ます?”

“ああ。近くにいるよ。今は、………そうだな。頭を抱えている”

“なぬ………”

“もしかしてだけど、……………その人間は、僕の妹をフォルキスの槍で撃ち払ってないよね?”

“まぁ、ノアもいてくれるのですね!確かに、フォルキスの槍めでがつんとやられました。しかし、そちらは意識を失ってしまって一瞬で済んだので、どちらかというと、星捨て場というところで星の残骸で目が眩んだ事の方が大変でした”

“……………わーお。フォルキスの槍は、稼働さえしていれば、使い手は変わってもいいんだよね?”

“なぬ………”



またしても過激派の家族が荒ぶってしまったと眉を寄せたネアは、そんなサスペアは内側に損傷が出始めているという情報を思い出し、それも伝えておいた。


幸い、まだヴァルアラムは帰ってこない上に、誰かが部屋に押し入って来る様子もない。



“ありゃ。それは厄介だなぁ。ガゼッタは最後まで使い潰すつもりみたいだけれど、ひびの入った使い手はあまり良くないんだよね。ええと、………犠牲の系譜の道具だから、使い手の願いが歪んでくる筈だ。理性や気質の上澄みが蒸発して、本能的な水底が出てくるって感じかな”

“とても嫌な感じしかしません。そろそろ引退して欲しいです”

“まぁ、使い手の後継者がなかなか見付からないのかもしれないけれど、他の武器の使い手を入れ替えればいい筈だよ。寧ろ、聖女だとかいう子の持つ疫病の盾の方が、寝かせておいてもいい武器だよね”



武器の持ち主を入れ替える事が出来ると知らなかったネアは、目を瞠った。



(でも、セレンさんがこの修道院で暮らしてゆくのは、あまり想像が出来ないかもしれない…………)



ネアとしては、俗世を捨てて修行して欲しいサヌウが一推しなのだが、残念ながらフォルキスの槍を使うだけの素養はなさそうだ。



“すまない、……………少し動揺した。…………ネア、父……王がアクテーに砂糖の魔物を派遣したのは、そのフォルキスの槍を残す為だろう。実はな、兄上から、カルウィの王子の一人が、大陸行路の中継地としてガゼッタに食指を動かしているという情報が入ったのだ。フォルキスの槍は、恐らくガゼッタの国防の要の一つなのは間違いない”



エーダリアの説明によると、ガゼッタから距離の離れたカルウィから、直接にガゼッタへの侵略がなされる事はないらしい。


毒を滴らせるように魔術的な仕掛けをし、ガゼッタの機能を弱めた上で、傀儡支配を目論むのがせいぜいだろうという事だった。



そしてそれを成すのであれば、国の垣根を超えた襲撃が許される、武器狩りをおいて他にはない。



“つまり、カルウィからの手が魔術的な干渉であれば、フォルキスの槍で撃てるのだ”

“……………フォルキスの槍を落とせば、カルウィはガゼッタに干渉し易くなるのですね?”

“ああ。兄上にその情報が入っているのなら、父上はより多くの情報を得ているだろう。他国への介入である以上公にはされないが、恐らく、フォルキスの槍とその使い手をアクテーに残す事こそが、王の、そして我が国の意思なのだ”



「……………とてもきな臭くなって来ました」

「キュ…………」



“……………それならば、私もギナムさんに協力した方が良いですか?”

“いや、その擬態を選んだのであれば、砂糖の魔物にはそれなりの勝算があるのではないだろうか。それよりも寧ろ、カルウィの刺客が潜んでいる可能性がある。お前は、自分の身を守る事を第一に考えてくれ”

“はい”



ここでネアは、けれども少しでもいいから出来る事をしたいとは言わなかった。



ネア自身の可動域を考えると、出来る事は限られてくる。


そもそもネアは、自分が本職の手練れ達に揉まれても無傷で済むと思う程に浅はかではない。

ネアを良く知り、ネアに何が出来るのかを的確に判断出来るのは、エーダリア達の方だ。

そんなエーダリアが自分の身を守るようにと言うのだから、ネアはそれを遵守するべきである。



“グラフィーツが、アンセルムは個人的に動いていると判断したのなら、恐らくその通りなんだろう。アンセルムの存在とガーウィンの思惑は、ひとまず完全に結びつけなくても良さそうだ。何かを知っているかもしれないナインを探しているんだが、なかなか捕まらなくてな………”



陰謀の気配はもうお腹いっぱいなネアはとても表情を曇らせてしまうが、このやり取りで齎された気懸りな情報はそれだけではなかった。



“それとな、……………そちらにいるヴァルアラムという騎士は、騎士成りの剣で擬態しているアルテアである可能性が高い”

“なぬ。…………その、私ごときの感覚ですが、アルテアさんの気配がさっぱりしないのですが…………”



とんでもない衝撃の一報に、ネアは目を丸くした。

慌ててムグリスな伴侶の方を見たが、むくむくした毛皮姿の魔物は、少しだけ考え込む様子がある。



(もしかしてディノは、確証は持てなくてもそれを察していたのかしら……………?)



“俺も、ルイーツァの剣については、騎士としての力を得る武器だという事しか知らなかったが、幸いな事にルイーツァの剣を良く知る者と連絡が取れてな。サフィールから、その剣はヴァルアラムという騎士に成る武器だと教えられた。………つまり、アルテアが、仮面の魔物として使う魔術の特性を帯びた武器という事だな”

“……………言われてみれば、アルテアさんにはそのような事が出来るのですよね。だからこそ、私にも使い魔さんだと見抜けなかったのでしょうか?”

“それについては、その武器の厄介な仕様のせいだろう”



ウィリアムが続けて教えてくれた事によると、ルイーツァの剣は、ヴァルアラムという騎士を作る騎士成りの剣である。



それはつまり、ガゼッタという国に、ヴァルアラムという騎士が人間の寿命を超えるくらいの永きに渡り存在しているという事に他ならない。

国の中枢にいる者達は知っているのか、実際には使い手を変えて憑依させるという形を取っているのかまでは、サフィールにも分からないのだそうだ。



そしてヴァルアラムに成った者は、それしか言いようがないのだが、ヴァルアラムなのだ。

ヴァルアラムのふりをしたアルテアではなく、ヴァルアラムそのものに成りきってしまう。


勿論、選択の魔物が何の備えもなくそんな武器を使うとは思えないが、アルテアとしての意識がどこまであるのかは謎であるらしい。



“僕たちの仮説ではさ、恐らくヴァルアラムっていう騎士は、常にアルテアの手駒なんだと思うよ。言い換えると、その界隈で自由に動けるように、ヴァルアラムっていう仮面をガゼッタに置いてあるんだろう。ほら、仮にもそこは、かつては今のヴェルクレアよりも大きな国の一角だった訳だからね”

“そして今は、アルテアさんがその仮面をかけていて、……………もしかするとアルテアさんとしての記憶や意思が表には出ていないかもしれないのですね?”



(そうか。だからギナムさんは、ああいう言い方をしたんだ…………)



“とは言え、使い魔としての契約が魂にある以上は、ネアを傷付けるような事は出来ないだろう。だが、言い換えればそれだけでしかないとも言える”

“…………全てはこの修道院の、防衛魔術のせいなのですね?”

“恐らくはそうだな。だが、ヴェルクレアの為にもフォルキスの槍は残したいとなると、防衛結界を崩すのも問題があるんだろう”

“……………むぐ。行き詰まりました”




謎が解けてすっきりした部分もあるが、どうやら状況が思ったよりも良くないようだ。


しかしながら、ネアは所詮その戦いや思惑に身を投じる事は出来ないのだし、ノア曰く、擬態を司る剣やヴァルアラム本人にもしもの事があっても、中身のアルテアが損なわれたりする事もないと言う。


せいぜい甲冑が壊れるようなものだよと言われ、ネアは胸を撫で下ろした。



“それならば、戦場に入り込んでしまった迷子状態の私は、どこかに隠れて事態が収束するのを待つべきなのかもしれません”

“そうだな。私もそれが一番だと思うのだ。……………出来そうか?”



不安げにそう尋ねたエーダリアに、ネアは、ギナムに厨房の鍵を使えるようなものを依頼しているのだと伝えておいた。

であるならば、厨房に閉じこもっているのが正解だと、満場一致で採決される。




「……………ふぅ」

「キュ」



ネアが一度カードを閉じたのは、もう充分にやり取りをさせて貰ったからだ。


現在の状況を踏まえるとあれこれ楽観視は出来ないので、だらだらとカードを使っているところで襲撃などされたくはない。


ディノとアルテアのものが使えず、ダナエはさすがに冬に向かうウィームには立ち入れないだろう。

となると、このカードが唯一と言っていいリーエンベルクとの連絡手段なので、それを失う事だけは避けなくてはならなかった。




「そして、ヴァルアラムさんは思っていたよりも帰って来ませんね」

「キュ」

「中身が使い魔さんだと判明したので、何もなければ良いのですが………」

「キュ…………」

「ディノは、ヴァルアラムさんが、アルテアさんだと知っていたのですか?」

「キュ……キュ」



ネアの質問に、ムグリスディノはまず最初に首を傾げてみせてから頷いた。


「よく分からないけれど、そんな気がしたというところでしょうか」

「キュ!」



ネアはこれでも、使い魔判別になかなかの自信を持っているが、ヴァルアラムからは何も感じられなかった。


となるとディノも、本人かどうかも分からないくらい微かにアルテアの気配を感じられるくらいで、けれども、アルテアの関係者ならネアは損なわれまいという判断だったのかもしれない。


ギナムはなぜ確信を得ていたのかが気になるが、アルテアが剣の擬態を解けなくなったのはあくまでも防衛魔術の展開後で、その前には本人の意思を表に出す手段もあったのかもしれない。



(ギナムさんは、私達がこの修道院に来る前に着いていた。ヴァルアラムさんもその前からこちらに到着していたのだし、この二人は防衛魔術の展開前に顔を合わせる事が出来たんだ)



もしくは、アルテアがアクテーを訪れたのは、統括の魔物としてグラフィーツと目的を同じくしていた可能性、場合によっては共闘していた可能性もある。




そんなことをつらつら考えていたら、コツコツと扉がノックされ、いきなりがちゃんと開いた。




「……………ふん。やはり一人でいたか。あの騎士の言う通りだな」



そこに立っていたのは、砂色の修道士服の見知らぬ青年だ。


いきなりの訪問に目を瞠っているネアを小馬鹿にしたように見つめると、素早く手を伸ばしてネアの手首を掴み、薄い唇に残忍な微笑みを浮かべる。



「あんたは武器持ちじゃなさそうだけれど、あの騎士が執着しているからね。そのくせに一人で部屋に置いてきたとうっかり漏らすんだから、ルイーツァの剣の騎士もまだまだだな。さて、残念だけど人質になって貰うよ。やはりさすがに、ヴァルアラムは手強い」

「……………まぁ。とても囮にされている気がしてきました」



そう呟いたネアに、青年は何も答えられなかった。

口を開くよりも早く、拘束したはずの人間から思わぬ邪悪な術符をぺたりと貼り付けられてしまったのだ。




ぽすんと床に落ちたのは、焼きたてのいい匂いすら漂う小麦色のパンの魔物である。

ネアはそんな哀れな襲撃者を見下ろし、冷ややかに微笑んだ。



「残念ですが、私を人質には出来ないようですよ。そして、先ほどちらりと見えた耳飾りからすると、あなたはカルウィの方だったのかもしれませんね。お一人で来たのかどうかも含め、ヴァルアラムさんが戻ってきたら引き渡してお伺いしましょうね」



胸元でもぞもぞしている伴侶には、ここで犯人を人型に戻した際に情報漏洩してもいけないのでと、出てこないようにお願いし、ネアはふうっと息を吐いた。



(うっかり口を滑らせる事は考えられないから、恐らく、本命じゃない邪魔な刺客をこちらに割り当てたのではないだろうか………)



やはり、思っていたより状況は良くないらしい。

やれやれと思いながら、ネアはすっかり暗くなってきた窓の外を見た。

まずは、このパンの魔物にされた襲撃者を逃げないように拘束しなければならない。








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