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鷹の紋章とオレンジのタルト




その会議で配られた書類には、鷹の紋章が記されていた。


これは、旧アルビクロム王国の宰相家の紋章を表したもので、今ではアルビクロム領の有名議員の一族を示すものとなっている。


とは言えその議員本人の姿はなく、本日集まったのは一族の中の第二席から十一席までの五人の議員とそれぞれの副官だ。



今回は、一族の所有するとある分野で他国との商談についての報告会であり、正式な議会の場ではない。

議員会館で行われているのは、定例議会に顔を出した後で参集されたからである。



事前に申請しておけば、アルビクロム領の公式な会議ではなくとも会議室を使えるのはこの土地の良いところだ。


その際に領主の派閥に会話を盗み聞きされる事もなく、アルビクロムとしての指針から外れないものであれば、他領からしてみれば信じられない程の自由が許されている。


外聞を気にして学徒と書架の街と言われてはいるが、実際にはここは商業と工業である。

身を立てる資質に見合った土地らしい割り切り方に、それを好んでアルビクロムに集まる者達も多い。


とは言えそれも、敢えて産業を生かし議会の基盤とする事で、貴族達や王家と引き離す方針を固めた領主の手腕こそであったが。


産業と議会から引き離された貴族達が、決して無力でもなく無益でもない事を知る議員達は少ない。


それぞれの役割と儲けがあるのだ。



「これは、フェルディアード卿。お戻りでしたか」

「申し分のない成果を得たからな。それで、未だにこの案件で躓いているのは、どういう事なのか説明して貰おうか」

「はは、これは手厳しい。先日のターシャックとの交易では、あの我が儘な王子との交渉が決裂しましてな。あれは図体と女遊びばかりが盛んな子供と言ってもいい稚拙さだ。やはり銃器では旨味が少ないと、我が儘を言い出す始末」



嘲るように片手を振ってみせてそう笑った大柄な男の姿に、フェルディアードは眉を顰めた。


そもそも、相手が幼稚な思考の持ち主である事など今更ではないか。

その上で交渉を纏めるまでが仕事であるのだが、この男はそれを理解していないらしい。



(…………軍人としての腕はそれなりだが、議員となると、考えの足りなさが悪目立ちするな。その上で有能さを誇示したいとくると、足手纏いでしかないか……………)



後で現場の者に切らせようと考え、その場合の使い道を思案する。


地位に見合っただけの働きをする人材でなければ、この紋章は背負わせられない。

有り体に言えば、このような場所にそれなりの年齢で加わるからこそ、見習い者が集められるような下町の酒場などより遥かに即戦力が必要な役職なのだ。



「おかしな事を言うのだな。あの王子との間に契約を取り付けてくるのが、大佐の任務ではなかったのだろうか」



腕組みをしたままそう発言したのは、黒髪の女だ。


議員の一人だが、伯爵であった父の後継として議員になった事で、この女を軽んじる者達も多い。

だが、軍上がりの者達は彼女の才能を知っているからか、一定の礼儀を払う。



「エリフ殿もまた手厳しい事だが、そこは政治的な見地を理解していただきたい。仮にもあれは王子だ。無理な商談でアルビクロムの心象を悪くするのは賢明ではない」

「…………ご理解いただけていないようだ。だからこそ、あなたは相手に無理な商談だと思わせずに、話を纏め上げるべきだったのでは?」

「無理を仰られるな。そこまで言うのであれば、あなたが出向かれるか?王子は既に、極秘裏に訪れていたアルビクロムを発った。この後でとなると、国交のない国に領の名前を出さずに向かう事になるが」



ターシャックとヴェルクレアには、国交がない。


ターシャックは王命か王族の署名があれば、他国の人間でも裁判なく処刑する事を法的にも認めている国だ。

見せしめでの処刑が娯楽となっているあの国とは、今後の国交を期待しても無駄な事だろう。


しかしながら、アルビクロムの産業から継続的かつ足のつかない収益を上げるには、銃器などの武器販売の国外ルートを開拓するのが手っ取り早い。


そしてそれは、国内だけで使われる暴力であり、こちらの国に逆流する程の体力と知力のない国こそが好ましい顧客なのだった。



(例えばこれがカルウィであれば、そもそもカルウィが魔術で補えるものを道具などで買い足そうとは思わないだろうが、それを与えることの危うさから、誰が考えても益がない取り引きなのは明白だ……………)



だが、この愚かな人間はそれを推し進めたいようだ。



「ですからやはり、カルウィの下位王族達にこそ、商談をするべきでは?彼等は潤沢な資産を持ち、そして武力の増強手段に飢えております。継承者争いは、まだまだ続くでしょう」

「短慮な事を言うでない。あの国が我が国に食指を動かさないのは、この距離を埋める遠征をし、それだけの自国の兵を動かすことに事に利益を見出さないからだ。誰でも扱える武器を与えると言うことは、それをロクマリアなどの残党に与え、飛び地の兵とする事もありかねん」



至極まともな意見を述べたのは、古参の議員の一人だ。

白髪混じりの隻眼の老人だが、まだまだその判断力は健在であるらしい。


統一戦争の時に、王族を切り捨てる事で自身の一族を守り抜いた判断は素早かった。

忠義などに重きを見出さず、自身とその一族の繁栄を最善とする思考こそ、この土地に相応しい才能だと思う。


土地にはそれぞれの向き不向きの思考や気質があり、アルビクロムの場合はこれが正解である。


産業こそを主力とする土地であればこそ、無様な執着や矜持はそんな長所を殺してしまう。




「フェルディアード様、わたくしが参りましょう。ふふ、あのお尻に卵の殻がついた王子くらい、あっという間に頷かせてきましてよ」



そう微笑んだ腰までの金髪の副官に、フェルディアードは顎先に片手を当てて一考してみせた。


容姿から受ける印象とその気質が正反対である事を武器とする有能な女ではあるが、使い所としては躊躇いもある。

このような女の場合は、敢えて多くを見せず思考を狭めておく方が、使い勝手のいい駒である事も多いのだ。



「……………いや、お前には他に任せたい事がある」

「まぁ、いけませんの?誰よりもフェルディアード様をご満足させて差し上げますのに」

「副官としての立場を弁えてはどうだ?その逸脱した思考で卿を煩わせるのはやめるように」

「あら、エリフ様には何の関係もない事ではありませんか。わたくしがどのような事をして差し上げるか、そして出来るのかは、わたくしとフェルディアード様の問題ですわ」

「…………そのようなところだ。ここでの発言の全ては、議会の場での発言として記録される。慎むと言う事を覚えるべきではないだろうか」



ぐっと声を低くした女達に内心うんざりしながら、先程から黙っていた一人の青年に声をかける。



「何か報告はあるか?」

「はい。大佐の交渉が失敗したという報告を部下から受けておりましたので、…」

「失敗とは何だ。幼稚な王子の気分を害さぬよう、敢えて今回は見送ったのだ」

「………交渉を見送られたと言う事でしたので、こちらのルートから独自に会談の場を設けさせていただき…」

「…………何だと?!それでターシャックとの関係が悪くなったら、アルビクロムも無傷では済むまいぞ!お前のような若造にその責任が取れるのか!!」

「……………皆様方に充分ご満足いただけるだけの、大口の契約を取り付けて参りました。王子はたいへん満足されており、追加の注文も考えておられるとのことです」

「……………な、」



その報告に絶句した軍部との兼任者である議員を一瞥し、フェルディアードは淡く微笑んだ。



「そうか。良くやった。噂に違わぬ優秀な男だな」

「勿体無いお言葉です。………こちらの案件ですが、今後は経験のあるエリフ様にお任せした方が宜しいでしょうか?」

「いや、これは貴殿が纏めた交渉だ。私に譲る必要はないし、このままご自身で担当された方がいいのではないか?これからの議会での評価にも繋がる。…………とは言え、国内での調整にあたり、私の名前が必要であれば手を貸そう」

「であれば、彼を手伝ってやってくれ。いい経験になるが、さすがに今後の事を一人で仕切るとなれば荷が重いだろう」

「そうしましょう。今後の方針について打ち合わせをする際に、同席していただいても宜しいだろうか」

「ああ、構わない」



一つ頷き、煙草に火をつけようとしたところで、先程から黙り込んでいた男が低く呻いた。



「…………交渉については、俺が仕損じたのかもしれないが、その後の取引までを任せておけるものか。今後の窓口は私が引き受けよう」

「ほお、…………王子との相性はあまり良くないようだが?」

「残念ながらあの王子は、私との会談の時には、夜の予定で頭がいっぱいだったようだからな。さすがに今度は、落ち着いて話が出来るようになっているだろう」

「……………成る程、そういうことか」

「あの年頃の青年にはありがちな事だがな。国を離れて他国で羽を伸ばせるのだ。責められはすまい」



尤もらしくそう言ってみせた男に、小さく溜め息を吐いた。

今度は隠しはしなかったので、うんざりとしている事に気付いたのか、副官が小さく笑う気配がある。



「調整をしておくように」

「はい。フェルディアード様。わたくしにお任せ下さい」



そう言いつけて立ち上がれば、目の前の男は自分がこの商談を任されたと思ったのだろう。

満足げに微笑んで、どことなく交渉を成功させた青年を威圧するような表情を浮かべている。



「フェルディアード、少しいいかね」

「ええ、そのつもりです」



フェルディアードが席を立つと、隻眼の老人も立ち上がった。

頷き共に部屋を出ると、どうやら彼も副官は部屋に残して来たようだ。



「良いのですか?」

「構わぬさ。あれにも少しは経験を積ませねばならん。…………大佐は切るつもりかね」

「ええ。矜持ばかりが高く、自分が仕損じたという事すら理解出来ないとなれば」

「だろうな。…………ふむ。フェルゼンには儂からも伝えておこう。すっかり老いぼれになったが、まだ人を見る目はあるからな」

「…………まぁ、暫くは寝かせておき、その次で議員資格を剥奪すれば良いでしょう。軍部に戻せばそれなりに優秀ですから」

「切れ者のつもりでいるようだが、頭を使わぬ仕事であれば使えるという結論が出たようだな」



それには答えずに微笑んで立ち去ろうとすれば、なぜか、今も光を映す片目を眇め、こちらをじっと見る。



「何か?」

「いや、…………どうも、お主らしからぬ苛立ちを感じてな。あの若造がターシャックを押さえたのは、知っておったのだろう?」

「ええ。…………とは言え、思っていたよりも愚かな同僚に、腹が立っていたかもしれませんね」

「さて、どうだろうな。お主のような男だ。儂には想像もつかない他の理由かもしれん。一族が危うくなるような問題であれば、早目に共有してくれ」

「それはまさか。個人的な問題ですよ」



そう苦笑してみせ次の廊下で別れると、今度は別の会合に顔を出し、幾つかの計画に必要な材料を取り纏めた。

アルビクロムにはあまり長居しないようにしているので、商談と他国の調査などを選任されるように肩書きを整えており、ここに顔を出すのはせいぜい年に数回程度しかない。


どれだけ煩わしかろうと、今日の内に済ませておかなければならない事が幾つかあるのだ。



(………………よりにもよってだ)



そう考え顔を顰めたくもなる。

だが、フェルディアードという男の仕草ではないので、そうはせずに短く息を吐いた。



与えられた執務室に立ち寄り、控えていた事務員達に任せていた作業の進捗と、保留としていた事案の説明をさせていると、あの会議室に置いて来た副官が戻って来た。



「……………片付いたか」

「あの、体が大きいだけが自慢の頭の足りない獣は、体良く追い払っておきましたわ。任されたという事は、それを成さねば意味がないのだと、エリフですら理解出来ますのに」

「あれは近く軍に帰す予定だ。フェルゼンが、誰かに寝かしつけを任せるだろう」

「あらあら、では謹慎処分か事故で自宅療養といったところでしょうか。離れてしまうからと遊んでおく気にもならない、つまらない男でしたわ」

「食い散らかすなら外にしておけ。例外こそあれ、この紋章を持つ者は使えるようにしておく必要がある」

「では、今晩はわたくしを構って下さいな。フェルディアード様なら、使い物にならないだなんて心配はございませんでしょう?」



甘さと毒を凝らせたようなその誘いを、冷ややかに一瞥して黙らせた。

愚かな女でもあるが、このような場面でのこちらの答えの汲み取りは早い。



「……………まぁ、残念ですわ。やっと帰国されて、今夜は久し振りに二人で過ごせると思いましたのに。お忙しい方ですから不満は言いませんけれど、エリフを優先するようでしたら、癇癪を起こしますわよ?」

「お前の機嫌を取る為に、こちらの行動を制限するつもりはない。先程の言葉はお前にも向けられたものだと理解しておけ」

「ふふ、相変わらず怖い方ですわね。勿論わたくしは、あなたの為に常に優秀な副官でおりますわよ。そして、もし、あのエリフの首を搔き切る必要があれば、喜んで立候補いたしますわ。残念な事に、あの女はとても優秀ですけれど」



やれと言えば、相手が自分の従姉妹であろうと、この女は確かにそうするだろう。

そんな事は言われずとも知っているのでその言葉には応じず、他の事務員達では手に負えない別の派閥の議員との対応に向かわせた。




「すまない、フェルディアード。少しいいだろうか」


それを見計らったように部屋を訪れたのは、エリフだ。

手元の書類に目を通しながらではあるが、入室を許可し、どのような要件か問いかける。



「…………ターシャックの件は、助かった。同じ軍部出身として、私が彼の手には負えない事を見越しているべきであったな」

「いや、こちらも国内にはいなかったからな。だが、これからは手を借りる事も多くなるだろう」



その言葉に、エリフは、女らしい期待と喜びを浮かべた緑色の瞳をこちらに向けた。


従姉妹だからか、先程の女と瞳の表情が実はよく似ている。

だが、面立ちというものにおいては、その気質が表情を大きく変えるのだ。



「その、…………今夜は時間があるだろうか。もし良ければ、当家の晩餐会に招待したいのだ。兄上も、帰国したのなら是非会いたいと」

「残念ながら、今夜は立て込んでいる。何か特別な要件があるのであれば、明日以降で場を設けよう」

「い、いや!仕事絡みではないのだ。…………ただ、そろそろもう少し、…………ゆっくりと話をしてみたいと思ってな」



下手に含みを持たせても面倒なので、僅かに眉を寄せて怪訝そうにすれば、さすがにこちらの返答を読んだようだ。



「…………すまない。余計な提案だったな、忘れてくれ。だが、…………フェルディアードは仕事に人生を傾け過ぎだ。………と、私は思うぞ。そろそろ、心を与えてみる相手を探してもいいとは思わないのか?私は、それが心配なのだ…………」

「だとしても、その領域は個人的なものだ」

「…………うん、確かにそうだな。だが、考えておいてくれ。……………あなたは、私と性格が似ていると思う。私達は上手くやれると思うんだ」



そう言い残してエリフが部屋を出ると、終始隣で押印済みの書類待ちをしていた事務員がひっそりと笑った。




「…………だそうですよ」

「うんざりだな」

「でしょうね。あなたはそのように誰にでもなれてしまうが、その目的故に有能で魅力的な役割が多い。駒としての籠絡が必要ではない相手に好かれると、いささか面倒ですね。いっそ、前進して良い飼い犬にしてみますか?」

「考えてもみろ、あれはそう扱えばただの案山子になるぞ」

「はは、確かに」



他の事務員達も小さく頷き、この部屋にいる者達が魔物ばかりだと気付かない愚かな女達を笑った。


ある程度の拠点の管理を徹底する為に、こちらを自身の管理下に置くのは当然の事だ。

この役割を押さえておけば、その血筋こそが必要な鷹の紋章の家の人間の容れ物を、そうそう何人分も用意する必要はない。


アルビクロムの武器産業の流れを管理するにあたり、有能な事務員と現場の職員達さえ揃えておけば、フェルディアードという人間一人を用意すれば充分ではないか。




「今夜は別件がある。呼び出すなよ」

「畏まりました。副官殿はどうされますか?」

「適当に対応しておけ。後は任せる」


そう言ってフェルディアードの名義の連絡端末を投げ渡せば、アルビクロムに古くから住む子爵位の魔物は小さく笑って一礼した。



「あなたの副官が、昼過ぎの一件を気にかけておいででしたよ。他領からの客人を訪問者通路まで追いかけられたとか。ウィーム方面であれば、騒がないようにしておきましょうか?」

「それは手を打ってある。もう覚えてもいないだろうよ」

「おや、それは手際の良い事で」




夕刻までにはこちらで必要な業務と用事を終えて執務室を出ると、一層の魔術の道に踏み込み、そこから分岐する道を踏み分け、階層を深めていった。




(明日には、会合を一件、夜会に二件出席する必要があるが、それで一年は手を離せる。……………ったく、またおかしな反応を示しやがって)



当初の予定を切り上げてアルビクロムを出たのは、なぜかこちらを見ようともしなかった人間を宥めに行く必要があったからだ。


妙なところで思ってもいない誤解を深めるのは、最早あの人間の才能だろう。


気付いたことを察したからわざわざ声をかけに行ったにもかかわらず、なぜかネアは、こちらを見ようともせずに足早に立ち去った。




呆れるほどに、執着をかけない人間だ。


だからそれが、月並みで飽き飽きとするような理由ではなく、あれなりのとんでもない理由なのは何となく察しがつく。




幾つかの理由を思い浮かべられる程には慣れ合ったが、それでも時折、とんでもない事を至極平然とした声で突きつける。



だからこそ、あれは放ってはおけないのだ。




リーエンベルクに入れば、最初に顔を上げたのはノアベルトとヒルドだった。

そちらについては、ここを訪れた理由の一環として、アルビクロムととある西方の小国との武器取引の情報を渡しておく。


報告を上げるという関係ではないが、知らせておけば他方面から影響が上がって来た際に対処させやすい。



(…………帰り際に、例の本についても話をしておく必要があるか……………)



ウィームで見付かった厄介な本については、まだこの場で話せるものではない。

そちらはノアベルトと視線を交わし、後で話を聞くと無言で伝えておく。




「む。使い魔さんがなぜここに」

「それは俺の台詞だな。アルビクロムにいたのはどんな理由だ。まさか、また妙な事件に巻き込まれたんじゃないだろうな。手をかけた足場が一つある。おかしな真似をするなよ」

「そちらについては、追求しませんので伸び伸びと楽しんで下さいね」

「…………言っておくが、あれはただの足場の一つだぞ。妙な勘繰りをするなと言わなかったか?」



やはりそちらの勘違いであったかと顔を顰めると、なぜかネアは眉を寄せた。


テーブルの向かいでは、共有した情報についてノアベルトが僅かな懸念を示している。

数年の間に鳥籠となるであろうことと、その際に流れた武器も一掃されるであろうことも、合わせて伝えておいた。


後腐れがないからこそ、良い商売相手なのだ。


とは言えそちらからの余波を懸念するのであれば、国名と品物を紐付けて特定条件での排他魔術で進入禁止としておけばいい。




「むぅ。お仕事の上での環境なのだと思うので、勿論そこまで口を挟むつもりはありませんよ。ただ、あの議員食堂のお料理で、アルテアさんが弱ってしまわないかは少し気になります」

「……………は?」



成された返答に目を瞠る。

さらりと切り落とされたのは、時折その瞳に宿る冷徹なまでの無関心さで排除されたものであった。


それがどのような事であれ、誰であれ、自分には関係ないものは知ったことではないのだとこの人間はこうして線引きをし、余分には興味を持たない事で鮮やかな選択を示す。



魔物という自分とは違う資質のものを繋ぎ、そちらを線の内側に入れた事を、ネアはよく理解している。

けれどもそれは犠牲というよりは、どこまでも利己的なものだ。


であれば、その向こう側の同族の状況には関知せぬと呆気なく言えるのは、人ならざる者達と生きる事に慣れた人間にも希少な異質さなのだろう。


相変わらずの線の内側に引き入れるものの少なさには、呆れてしまうくらいだ。

選ばない事もまた、強欲といえばその類に違いない。




(………………だが、食堂?)




「あの議員食堂の、挽肉のパイを食べた事はありますか?」

「……………そもそも行かないだろうな」

「何を言っているのか分からないと思いますが、パイを頼んだ筈なのに、私が食べたのはパイではなかったのですよ…………。恐ろしい土地だとあらためて知りました。くれぐれもアルテアさんは、アルビクロム風のパイにだけは染まらないで下さいね」



観察してみれば、どうやらそれを大真面目で言っているらしい。

他には何の感慨もなく、そして興味も持っていないようだった。



「事故でもないのなら、妙に足早に立ち去ったのは何なんだ」

「む?それはもう、お仕事の報告を済ませてから、ザハのティータイムに間に合うよう必死でしたので…………」



不思議そうに首を傾げてそう答えたネアの姿に、片手で目元を覆って深い溜め息を吐いた。



「……………そうか。お前ならどうせそんな理由だったな」

「なぬ。よく分からない言い掛かりですが、なぜか貶されているようです。森に帰りたい時期に突入したのでしょうか」

「いい加減、その設定をやめろ」

「その、…………森が恋しいのであれば、そちらで悪さをしてきても良いのですよ?」

「やめろと言わなかったか?」

「そして、悪さをしているかもしれないあの場所で、もしも近くにいるどなたかに心を動かされるような事があれば、私をお友達として紹介して下さい!」

「妙な勘繰りはするなと言わなかったか?」

「むむ、可能性として提案しただけではないですか。私とて、同性のお友達の確保には貪欲なのですよ!」




その後なぜか、アルビクロムのパイについて語られ、その時間からパイを作ってやる事になる。


だが、晩餐のメニューを聞いてその上でパイはないだろうと考え、オレンジのタルトまで焼いてやる羽目になった。



「明日と明後日は、俺も忙しい。いいか、アルビクロムには近付くなよ」

「…………お時間があれば、あちらのショーなども観てくるのですか?」

「やめろ。行く訳ないだろうが」

「因みに、アルテアさんが事故って戻れなくなったら、アルビクロムの議員会館に救援の手を差し伸べればいいのですか?」

「…………お前と一緒にするな。事故はない」

「むぐぅ。またじゃりじゃりと結晶石を食べるのは嫌なので、用心して下さいね。きりんさんを持ってゆきますか?」

「いらん」



念の為にと持たされかけ、そちらはぴしゃりと断った。



しかし、その後もなぜだか不審そうにこちらを見ているので、オレンジのムースと桃のゼリーも作り足しておいてやり、ネアが買って来ていた木苺でジャムも作っておいてやった。



「今、きりんさん仕掛け腕時計の構想を立てているのです。ボタンを押すと、ぱかっと時計が開いて、きりんさんが立ち上がる仕掛けになっていたら、便利だと思いませんか?」

「いいか、絶対に作るなよ。お前はそもそも、腕時計なんぞしないだろうが」

「はい。ですので、その場合は腕時計の似合いそうなアルテアさんに実験………贈り物として持っていて貰おうかなと」

「やめろ。絶対にだ」



こういうおかしな事を考え始めるから、放っておけないのだと頭を抱えていると、ネアはふと思い出したようにとんでもない事を告げた。




「ところで、アルビクロムの議員会館におられるような方の中で、隻眼のご老人を知っていますか?」

「…………一応はな」

「ふむ。その方の足元に、べたべたしたおかしなものがいたような気がするのです。廊下ですれ違った際に、私が影を踏んでしまい、ぎゃっとなって一瞬姿が浮かび上がっていましたから。そして、議員会館の来客受付のお嬢さんは、アレクシスさんのスープ屋さんの奥さんとお友達の方なのですよ!」



本人からしてみれば、たわいも無い会話の一環なのだろう。


しかし、そのどちらについても把握しておらず、聞かされた側からすれば放置しておけない情報である。


理由をつけて席を立ち、アルビクロムの事務員達に連絡をする羽目になりながら、やれやれと肩を竦めた。




「……………ったく」




そう呟き、シルハーンと一緒に作りたてのオレンジのタルトを食べているネアをちらりと見たが、不思議と悪い気分ではなかった。




(少し守護を増やしておくか…………)




これからに控えた問題のその危うさを思い、そんな事を当然のように考えた。

これはやはり、目が離せない人間なのだ。











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