プロローグ1
作者はサッカー未経験者です。経験者の方からするとおかしい点など多々あると思いますが許していただけると幸いです。
「ゴール!日本のエース藤宮翔がついに固く閉ざされたゴールをこじ開けました!!」
大興奮の実況の声を聞きながら、僕は一人やるせない気持ちになっていた。ワールドカップで兄が初の得点を決めたのだから、大喜びしてもいいものだが、
「パスが悪いんだよ。日本は中盤が弱いから、兄さんが全然活かせてない。」
そんなことを思ってしまう。サッカーから逃げた僕が偉そうに言えるわけがないのに。
昔、僕と兄さんが小学生の頃、僕たち兄弟は最強コンビと謳われていた。兄さんがフォワードで僕がトップ下。僕のパスを兄さんが決める。そんなコンビで兄さんが6年生の時には全国優勝さえした。その大会で得点王を獲った兄さんは当然ユースや私立の名門中学などからたくさんのスカウトが来た。兄さんの1つ下だった僕は、当然のように兄さんが進学した中学校に行きたいと考えていた。
しかし、現実は非情だった。
僕が6年生の時、僕には1つのスカウトも来なかった。今思えば自惚れていたのだろう。兄のストライカーとしての実力が頭1つ抜けていただけで、僕がいなければいけない理由はなかった。落ち込んでいた僕に追い討ちをかけたのは同学年のストライカーには兄さんと同じところから推薦が来ていたことだ。そいつも、兄さんほどではなかったがいいストライカーだった。その2人が凄かっただけで、パスを出していた僕にはスカウトするだけの価値はないと言う判断だったのだろう。もしくは認知すらされてなかったかもしれない。
1つのスカウトももらえなかった僕は、普通に近所の公立中学校のサッカー部に入部した。しかし、当時世代別代表に選ばれていた兄を持つ僕に待ち受けていたのは、圧倒的な兄と比べ続けられる日々だった。先輩や他校の生徒、果ては顧問の先生からも、あの藤宮翔の弟なのに大したことないと言われてしまう。幸い同級生たちは僕を僕として見てくれたが、その他は優秀な兄と普通な弟という見方だった。それでもいつか見返してやろうと頑張っていたが、中学最後の大会であっさり二回戦で負けてしまった。相手は守備に定評のあるそこそこの名門校だった。意地で一点をもぎ取ったが、結果は3対1での敗北。その時、対戦相手の選手から、翔の弟だがら警戒していたのに意味なかったと言われたのが僕がサッカーをやめてしまった決定打だった。今ならまだしも、当時の僕のメンタルでは、これ以上比べ続けられるのには耐えられなかった。
もうサッカーをしないと兄さんに告げた時、兄さんは
「何でだよ!」
と何故か少し悲しそうに怒っていたのが印象的だった。
僕には才能なんてなかったのにな。
そんな過去のことを思い出していたら、いつのまにか日本の試合は終わっていた。日本の負けだった。兄さんがなんとか一点を取ったものの、4-1で大敗。もし中盤がもう少し強かったらと解説が言っているのを聞きながら俺は次第に眠気に襲われて、ソファで寝てしまうのだった。
もし、子供の時に戻れたら、もっと練習して兄さんにもっとパスを出せるように頑張るのにな、そんな叶いもしないことを思いながら。




