80. 門の外で
夕方の風は冷たく、太陽が既に山に掛かっていた。
騎士たちが支部の中に戻る中、倒れた巨体の魔物2頭の横では、部隊長たちが処理を話し合っていた。
日暮れがすぐだから、片付ける時間が少ない。だがここにあるのも気がかり。やはり、裏庭からは出しておこうと話はまとまった。
以前。この魔物と同じものが出現したことがあった。
その時はもう少し小振りで、せいぜい建物1階分の大きさだったので、倒した後は刻んで外に出した。放っておいても崩れるが、当時は死体を他の魔物でも漁ったか、翌朝には一つ残らず消えていた。
「前回同様、刻んでから部下に運ばせる。では始めろ」
部隊長たちは全員、剣を抜いて大雑把に魔物を切り分け始めた。大きいので恐ろしく面倒くさい。だが振り下ろせば切って切れないこともないので、力仕事に精を出した。
部隊長たちが剣でせっせと切り分ける中、イーアンは裏庭の壁際でその作業を眺めていた。ドルドレンに『イーアンは近くに来てはいけない』と釘を差されていた。きっとドルドレンは、自分が近くで見たら何かを欲しがる、と思ったのだろう。
――確かに欲しいものはいくつかある。近づかなくても決まっていた。皮を少しと、鉤みたいな部分だ。
皮はもしかしたら後でもらえるかもしれない。そんなに時間がかからないから。
でも鉤は付け根から取らないと無理そうで、しかもとても大きいから時間がかかる。その上、置き場所もない。だから鉤はやめておこう、と思うが。皮は大丈夫かなぁと考えていた。
「何か欲しいのか」
声のするほうを見ると、ブラスケッドが剣を拭きながら近づいてきた。その顔が笑っているので、イーアンは自分が物欲しそうにしていたことを恥ずかしく思った。
「もうじき運べる大きさになる。その後は、庭の外に運び出すから、その時にでも無害な部分をもらえ」
無害な部分・・・という言葉が引っかかるが、『はい』と返事をした。
「でも。自分で取ります。皆さんの手を煩わせるのも良くないですので」
イーアンはそう言うと、会釈して作業部屋へ戻ろうとした。するとブラスケッドがイーアンの方に手を置いて『イーアン、そう言えばな』と振り向かせた。
ブラスケッドが腰に付けた革袋から何かを取り出す。革袋の中から、ブラスケッドの手の平くらいの大きさがある円筒の金属箱を取り出した。
「これをやろう、と思ってた」
ブラスケッドがイーアンの手に金属箱を乗せる。イーアンが見上げると、顎で『開けてみろ』と示した。箱の蓋を回すと、中にイオライのガス石が入っていた。 ――数は20個くらい・・・もう少しあるかも。
慌ててブラスケッドを見上げると、ブラスケッドが笑った。
「お前たちが遠征に出た後。イオライセオダの剣工房に支払いに出かける、と会計のが話していたから。護衛がてらに散歩してきた」
「イオライセオダから山までは遠いでしょう」
イーアンが驚いて訊くと、ブラスケッドは『散歩だと言っただろう』と鼻で笑った。『消える前で間に合って良かった。土産になったな』そう言って、ブラスケッドは建物の入り口に歩いていった。
イーアンはもう諦めていた石を取ってきてくれたことにビックリして、ブラスケッドにお礼を言う間もなく、あっ・・・と声にした時にはブラスケッドは消えていた。
遠くまで行って、もう一度魔物の体を開いてくれた、お土産。大事に、必ず良い形で使おう。イーアンは円筒の箱を抱き締めて作業部屋へ戻った。
作業部屋に入ると、蝋燭を消した後で暗く、室温も下がって冷たくなっていた。イーアンはブラスケッドのお土産を棚の空いている場所に置いて、ナイフと空の塩袋を持ってから、棚の端に畳んで置いてあった、僧院の長持の中の――緩衝材に使った――布を暗い部屋でばっと広げて体を包んだ。広げたことはなかったが、厚さがあると分かっていたし、長持に入っていたから汚れてもいないと知っていた。
廊下に出て部屋の鍵をかけ・・・・・ 自分がまとっている布を見て手が止まった。布は2重で、イーアンが見ていた面は裏だった。裏打ちが付いた大きな布は、文字のような模様が円のように全体にびっしりと織り込まれていた。文字の合間に絵もある。青にも紫にも光る光沢の生地は、イーアンの体を抱き締めるように包み、体がどんどん軽くなり、隅々まで癒されていくのを感じた。
騎士たちが暗くなる裏庭にぞろぞろと出て行く音に、我に返ったイーアンは、自分も急いで魔物の皮を取りに行った。
外はすでに夕陽の最後の光も消え、空に星が瞬き始めていた。
分断された魔物を、騎士たちが裏庭の門から表へ運び出しているのが見える。大きな体は食卓一つ分ほどに分かれ、それを10名近い男が一組になって持ち上げていた。
イーアンは外に運び出されたものから皮を取ろうと思い、他の人の邪魔にならない様に門を出て、外の野原に出た。手元は暗いが薄明かりはまだ空に残っている。
それを頼りに、運び出された魔物の体の切り口からナイフを入れて皮を剥ぐ。以前の世界でも解体を手伝った経験が何度かあった。猟師の手伝いだったから部分的にだったが、その経験がここでも生きるとは思わなかった。
魔物の体だからなのか。大きさによるのか。血や脂のような存在があまりなく、分厚い皮を筋肉から剥がすのは思っているよりも楽だった。ただ、毛が付いているから分厚く、皮自体が重いので、掴んでいる手がやられそうだった。
空はどんどん紺色を深めていくが、不思議と寒さはない。この布のおかげかもしれない、と思った。切り取った魔物の皮は、持ってきた塩の空袋に丸めて入れた。とりあえず山羊2頭分くらいの大きさを切り取った。
戻ろう、と思って袋を持ち上げて立つと、嫌な予感がした。 ―――門が見えない。
まさか、と思って壁に駆け寄る。門が閉じている。しまった、と心の中で言っても遅い。夢中になると周りが見えなくなる癖が、門が閉じたことに気が付かなかった。
裏が閉まったという事は、表も閉まっている・・・・・ 壁を見上げるが、とても上れる高さではない。
すぐに、自分の持ち物を確認する。ナイフと魔物の皮と体を包む布。――のみだ。
分断された魔物の体は温もりなどはないが、深い毛は生えているので、とりあえず門のすぐ側に捨てられた体(の一部)に寄りかかる。
40過ぎて、このザマとは。自分の愚かさに情けなくなる。支部の外は魔物がうろつく、と聞いていた。そして今日、『最近ここに出なかった魔物』が裏庭にいた。
「ドルドレンが見つけてくれるまで、魔物に遭わないと良いけれど」
魔物の毛の中にしゃがみ込んで空を見上げた。裏庭の門と、支部の建物までの距離はかなりある。恐らく大声を出しても聞こえない。この寒さでは全ての扉と窓が閉まっている。膝を抱えて溜息をつくが、自分のことを馬鹿扱いしても、中に入れるわけでもない。
イーアンは魔物の体(分断されたどこか)に、もそもそと寄り添って、美しく広がる空を見つめた。
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