2987. 勝敗・杖・『バニザットによろしく』
―――休憩か?と訊いた途端、魔法使いは消え、現れたヨーマイテス。
石の床に金茶の獅子が立ち、さっと周囲を見た顔がシャンガマックで止まる。
「どうした、勝ったか?」
「勝っては・・・いないと思うが」
なぜ自分がここにいるのか、といった感じのヨーマイテスは、円陣を見上げて『派手に使ったな』と側へ来る。シャンガマックは、この獅子を見つめた。
「戻るぞ。ここは見当違いだ」
獅子は興味が失せたように素っ気なく、騎士は彼から感じる違和感に疑問なし。
「戻る?」
「ただお前を翻弄するだけの場所だったってことだ。勝てないんだろ。魔法を解け。出るぞ」
褐色の騎士は、聞きなれた声と見慣れた鬣を少し見つめた後、頬を掻いて小さな息を吐く。獅子は振り向いて『早くしろ』と急かし、円陣を解くようにまた言った。
その碧の目を、褐色の騎士は嘘と判断。
素振りの前置きもなく、握ったままの大顎の剣をひゅっと薙いで、円陣の外の獅子を切った。獅子の首が半分割れ、目が合って、つながっている部分に向けて切られた首が倒れ、獅子が前のめりに伏せる。
「お前」
「俺の父は。俺の剣などに倒れない」
「お前は、父にまで」
「俺の仲間も、俺の父も、俺ごときが倒せる相手ではない」
シャンガマックは静かにそう答えたが、内心は怒りでどうにかなりそうだった。アジャンヴァルティヤと父を敵に仕立てた魔法使いに、猛烈な怒りが沸く。それは、呆れも含む。
伏せた獅子を見向きもせず、シャンガマックは円陣に次の魔法をかけて浮上。
この場所から逃げるようで嫌だが、怒りにまかれる自分が取る行動は、これまで幾度も危険を招いたのを思う。そこまでして、ここに拘る価値はない。
『負けたな』
壁と柱の上部を抜けた時、濃紺の夜に始まりを背景に、魔法使いが向かい合う。
シャンガマックは一瞥したが、丘の方へ円盤を進め、大広間の外へ出る。大広間は上から見ると、一区画だけが異常な暗さに包まれており、今夜の野営地にも掛かっていた。
だが、イーアンがいるからか、野営地にかかる広間は非常に薄く見え、海側は実際に存在しているようにはっきりしていた。
降りた地面は、大広間に触れずに進めば馬車まで行ける。少々遠回りでも、シャンガマックはこの魔法使いに二度と関わりたくなくて歩き出す。円陣を消して戻り始めた騎士に、あの声がまた『負けだ』と告げた。
―――どうでもいい。いつか、俺がお前より強くなったら。今は勝てないだろうが、いつか強くなった時。お前の魂を、この世界から切り離してやる。
二度も『負け』と言われて悔しくないのかと訊かれたら、今は、悔しいとも思わない。
対戦した俺が馬鹿だったと、シャンガマックは相手を見放した。
倒せなかった魔法使いは、古から根強く残っている。何を求めているのか、誰かに託したい願いでもあるのか。そんなもの知るか。受け取るのは俺じゃない、と判断して終わりにする。
少なくとも、あの力量・魔力なら、もう少しまともな相手だと思っていた。
卑怯で汚い敵などいくらでも見たが、それは敵の場合。魂を残してまで留まる魔法使いが、あんな下衆な行為で応じるのは、敵と変わらないじゃないかと呆れた。
『止まれ』
大周りで離れているのに、声はしつこく追い、無視を決め込むシャンガマックの前に淡い紫が遮った。1mの距離に立った相手を見もせず、騎士は脇を通り過ぎようとして足を止める。腹に当てられた手に視線が落ち、続いて顔を上げると、フードの中の目が見下ろしていた。
風貌は厳しく、険しく、鷲鼻に、窪んだ眼窩。影になった窪みに、浅い黄色の瞳だけが光る。白い髭は古風な銀の飾りがいくつも付き、垂れた皮膚、しわの多い顔を一層印象的にする。腹を止めた手は老人の手だが、節は大きく指が長いのでとても大きな手に感じた。
「手をどけろ」
『負けたと言った』
「だから何だ。俺は戻る」
『俺が、負けたんだ。小僧』
漆黒の目がじっと黄色い光を見つめ、白目のない、点のような黄色がその視線を受け止める。
『お前の目は、真っ黒だな。影響を受けない、澱まない黒』
「・・・ 手をどけてくれ」
『名乗っていないぞ。小僧、名を言え』
「必要ない。卑怯な相手など、俺が名乗る価値もない」
『魔法に限界を作るな。限界は人間の制限だけだ』
放せ、とシャンガマックは腹を逸らし、相手から離れる。罠がありそうで、無視に限る。だが、魔法使いは阻んで騎士をまた止め、睨んだ顔をなんとも思わないように話を続ける。
『攻撃だけが魔法ではない。受けた攻撃を使って、守る魔法を覚えろ』
「なんなんだ。負けたというが、今度は押し付けか?」
『正義と誠実だけで勝てない相手が出てくる。力を利用する鏡を持て』
「俺に合わない」
『小僧。攻撃の勢いを利用するだけじゃないぞ。攻撃の爪痕も利用する。それはお前の求めに応じるだろう。鏡の魔法を習得しろ。お前には守りたいものが多そうだ』
「・・・なぜ教えるんだ。まだ何か」
『お前が勝ったからだ。名乗ろう。俺はハーアエルだ』
名乗った魔法使いは、夕暮れの闇に馴染む影を作る。向かい合う距離、拳分。シャンガマックは少し首を傾げて、信じにくいと呟き、うんざりした口調で疑いを告げる。
「・・・さっきから、俺が勝ったと繰り返すが、理由が見えない。俺は敵わなかったはずだ。全部お前の魔法でひっくり返され、上を行かれ、それで『俺が勝ったお前が負けた』と言われても、馬鹿にされているか同情されているとしか思えない」
『お前は俺を相手に、何度攻撃できたか数えていたか?鏡のハーアエルと対決して3度応戦し、心の弱さにも負けなかった。あのまま続けても平行線。俺の魔力は、既に人間の限界を持たない。仮に対戦が長引いても、お前は俺に跪かないだろう。だから、俺が負けたと言った』
「平行線でも、負けと認めるなんておかしい」
『その若さで精霊を味方につけ、龍の顎を武器に持つ自分を、もう少し買いかぶれ』
敵対心と疑いしかなかったシャンガマックだが、皮肉が先祖に似ている相手に、斜めな認められ方をされて戸惑う。黄色い小さな光を見据え、溜息を一つ、観念して自分も名乗った。
「俺は。バニザット・ヤンガ・シャンガマックだ」
最初の名前で、魔法使いの眉の毛が動き、『バニザット』と繰り返す。
『バニザット?お前の黒い瞳と同じ瞳の先祖がいたか』
おかしな質問に少し間が開く。褐色の騎士は視線を外さない相手に『いる』と答えたその瞬間、黄色の光を灯す目が大きくなり、魔法使いは消えた。え?と拍子抜けした前に杖だけが倒れており、シャンガマックはこれを拾う。
杖を・・・、大事なものだと思うが。杖を手に、きょろきょろすると、風が一陣吹き抜けた。
『俺は待ったとバニザットに伝えろ』
「え?おい、これは?杖が!」
『鏡を使え。若きバニザット』
声が遠のき、ざあっと草をなぞる。突風に目をつぶり、瞼を上げると、横に伸びていた大広間も消えてしまい、黒い海と砂浜、傾斜する丘に自分だけが残されていた。
丘を上がった向こうに野営地の焚火が目に入り、シャンガマックは海を振り返ってから・・・置き土産の杖を握りしめ、馬車へ歩く。
この間。 ヨーマイテスは仔牛の中から千里眼で一部始終を見守っていて、容赦なく獅子を切った息子に複雑ではあったが、そうでなくてはいけないので(※でも微妙)よくやったと、それは褒めた。
「昔。敵対した奴の一人か?老魔導士なら知っていそうだ」
二度目の旅路で、魔物側に寝返った魔法使いは多かった。
私利私欲、単独魔法使いの敵は、『緋色の魔導士』に及ばずとも強敵には違いなく、旅の仲間は何度も足をすくわれて翻弄されていた。
ここの魔法使いについては、ヨーマイテスも情報なしだったが、三度目の旅の仲間である息子が危機に晒されるとは思えなかったし、今回のこれは『避けられない対決の類』でもないので、勝つ見込みが高かった。
万が一の助けも勿論考えたけれど、過去から引きずる名残の魔法使いは、大体が『私利私欲』の自尊心。負かしてしまえば、自分のいた記録を対戦内手に託して昇華する方が多い。自分の存在を残したい、言ってみればそれだけの事で。
「だから、バニザット。苦戦したとしても、お前が得るものの方が大きいんだ。魔法使いはそんなのが多いから」
仔牛の側まで来た息子に呟き、獅子は外へ出て迎え、労った。仔牛は馬車から離していたので、疲れた息子は誰に疲労を見られることなく、仔牛の中に入って寝そべる。
「どうだった」
「これ・・・ 杖を受け取ったよ。それと、先祖に伝えろ、と。彼によろしくってところかな」
同じ目の色の先祖がいたか?を聞かれ、いると答えたら驚いたみたいで、と獅子に話すと、獅子は『お前の答えで、先祖がまだこの世にいると知ったからだろう』と言った。
「俺は待ったと伝えるように、そう伝言を受けた」
「そっちか。やっぱりな」
やっぱり?と聞き返され、獅子はぐったりしている息子に『二度目の旅路時代の魔法使いかもしれない』と教え、当時、バニザット(※魔導士の方)は有名だったと教えると、息子は苦笑した。
「知り合いかな?」
「まぁ、実力者なら名前くらいは知っているかもしれない。あいつは名を轟かせても、誰に関わることもなかった。せいぜいメーウィックが側にいた程度」
「そうか、そうだったね・・・ あー、疲れた」
ばふっとうつ伏せに顔を伏せた息子の頭を、肉球でよしよししてやる。杖が戦利品、ついでに伝言持ち帰り。勝敗は息子に勝ちが行ったと知っているが、一応尋ねる。
「お前が勝ったんだな?」
「勝った感じではない。はっきり、正直に言うなら、俺は負けていたはずなんだ。力では、てんで敵わなかった。とんでもない力の差を見せつけられて・・・うん、でもまぁ。相手が、俺に負けたと告げただけだ」
「それでいいんだ。バニザット」
そうかなーと苦笑して横に顔を向けた息子を、ベロッと舐めてやって笑われる。食事は俺が取ってきてやるから休め、と彼を仔牛に残し、獅子は仲間の焚火へ出かけた。
一人、仔牛の中で休むシャンガマックは、横倒しの素朴な杖を見つめ、俺は絶対に勝っていないとまた思う。
「あの魔法使い・・・ハーアエルも。先祖と同じくらい強い気がする。いや、先祖の方が凄いのだろうけれど、近い強さではないだろうか。ハーアエルも攻撃のみならず、治癒や回復魔法を使いそ・・・ 」
使いそうだし、まで言い終わらず、杖を見つめる騎士は口を閉じる。
この前の地面陥没が脳裏に浮かんだ。あの時、為すすべなく立ち去った。先祖なら丸ごと再現してしまうだろうと考えて、自分にはその力が備わっていないのが辛かった(※2978話参照)
「ハーアエルも出来そうだ」
寂しさが、対戦した相手の名となって口を衝く。これが輪をかけて『俺が負けたんだ』と苦味を味わう。彼は俺が勝った理由を教えたが、有り得ない。平行線であれ、最後は俺の方が力量も魔力も技術も足りなくて負けたはずで―――
「バニザット」
パカッと開いた壁に、びくっとして飛び起きる。表に立つ獅子に、有難う、と礼を言ってすぐ、獅子の横に目が留まった。皿を持つのは、そういえばヨーマイテスじゃ無理(※肉球だから)・・・
「シャンガマック、お帰りなさい」
「あ・・・イーアン。有難う、運んでくれて。ただいま」
ニコッと笑った女龍は、獅子と騎士の分の皿を仔牛の中に乗せ、獅子は上がり込んでどさっと横になり、イーアンはそのまま。獅子が何も言わないのも不思議で、シャンガマックは父をちらりと見たが、話し出したイーアンの用事を聞く。
「ここ。全く悪い感じがしなかったので、あなたが出かけている間、レムネアクにも『土地の意見』を聞いてみました。魔法使いの~って出だしで。そうしたら」
遠回しに感じる話し方に頷くと、彼女は少し困ったように微笑んだ。
「レムネアクは『初めに聞いた時も思ったが、魔法使いは途絶えて長い』と答えました。呪いは残っていても、魔法使い自体はまずいないと言うんです。
ヨライデは死霊使いが魔術を使うし、魔法使いという存在は随分前に消えて久しい、と。土地について意見を聞いたはずが、ちょっと脱線気味の答えですが。
で、ここにルオロフも加わりまして。アイエラダハッドでインチキ魔法使いしか見たことがないから、レムネアクの言葉に彼も同意しました。魔法を学ぶ学校について、ルオロフが知っていることを話してくれましたが、確かに内容は子供だましを越えません。
祈祷師、呪術師の方が、ずっと精霊や魔法に直結していて、でも彼らは魔法使いと呼ばれないでしょう?」
何を伝えようとしているのか。話を一度切ってこちらの反応を見ている女龍に相槌を打つも・・・本題が見えてこない。でも大切な点に触れている気がして、シャンガマックは『それで』と先を頼む。でも、頷いたイーアンはまだ前置きを引っ張った。
「魔法使いといえば、私たちがテイワグナに出発して何度か遭遇した、魔物側の魔法使いばかりでしたよね」
「うん、口を挟んですまないが、あなたが慎重に話している理由は、何か俺に都合がよくないからか?」
ちょっと、急いだシャンガマックに。
女龍は彼から視線を外して、獅子を見る。
獅子は二人を見ていない姿勢だが、尻尾がぱたんと床を打った。
「ある時期を境に、年月をかけて魔法使いは世界中から遠のけられた、という話で。ここヨライデでは魔法使いが、魔物側。そうした位置づけです」
イーアンが慎重を選んでいた理由。騎士は、聞いてもピンとこなかった。勝った負けたの悩みがはぐらかされる意味不明の話を持ち込まれ・・・
だが、この持ち込み話が、背中を押す一手―――
お読み頂きありがとうございます。




