2986. 西海岸手前『待ちのまやかし』 ~シャンガマックVS古の魔法使い
戻ってすぐに、まずは怪しい場所が近いことを告げ、そのあとタンクラッドに即呼ばれて『どうだ』と聞かれた女龍は、ちゃんと『今日は成果なし』を伝えた。
タンクラッドは詳しく聞きたがったのだが、イデュの話をすることはできないので、『調べるだけ調べた。まだ全部が想像を出ない』と、思いっきり曖昧にした。この態度で逆に疑われるも、イーアンは『しっかりした証拠を持ち帰ってから』と目を見て約束。
タンクラッドは不服だが、そそくさとイーアンが逃げたので、とりあえず『歌の波』を探しに行ってくれたわけだし、今日は追及しないでおく。
*****
逃げた後。すっかり『歌の波』は忘れ、野営地から海の方を見つめるイーアンは、ずーっと感じ取っている気配に対し、自分が行った方が良いのかを考える。
茜と金が広い空を染め、水平線は黄金と透明感のある黒い影が波打ちながら輝く夕方。美しい風景のどこかに、まやかしが・・・ 私、リチアリのまやかしにも引っ掛かるからな(※2347、2420話)、と寂しく思い出しながら、全く問題ない眼前を見つめる。
「レイカルシは、呪いとかそんな風にも話していたけれど。悪い空気、邪気は全然ありませんね。すでにまやかしなの?」
相手の邪気すらはぐらかされてるのかと思うと、かなり悲しいが(※自分は龍)。しかし、なんも悪い印象はない。ただ、肌に伝わる気配は・・・
「呼んでいる気がする。誰を呼んでいるのか」
私たちの仲間の誰かに反応している?私ではない――
「イーアン。感じているのか?」
後ろから近付いてきた褐色の騎士に声を掛けられ、考え事は終わる。
はい、と振り返って海を指差し、あちらから気配がすると教えると、彼は頷いた。シャンガマックの横には当然・・・ デカい金茶の獅子。仔牛はどうしたのだろう?と気になったのだが、聞くまでもなくシャンガマックは海を見て、こう言った。
「俺が行ってくる」
「む。あなた、気配の素に近づくのですか」
「どのみち、明日は通過する道だから。今のうちに俺が対処してしまおうと思って」
行く気満々。この状態の彼は、毎度のことだが絶対に『行く』のだ。獅子が一緒となると・・・イーアンより多くいろいろ気付いた上で、シャンガマックの利を判断したか。そうでなければ、大事な愛息子を行かせるわけがない。
じーっと見ている女龍にニコッと笑ったシャンガマックは、背後の馬車へ視線を向けて『総長には許可を取った』と準備完了。そうですか行ってらっしゃい、しか言えないイーアンは送り出し、騎士と獅子は海の方へ歩いて行った。
二人の影が緩い丘の先へ消え、イーアンは後ろの馬車と停留所の小屋をちょっと見た。それからもう一度、先の風景を見て、やっぱり悪い気配はないし向こうから気配が漂う、と思う。
「でも」
呟いた女龍は、停留所の小屋―― 前面の壁がなく、左右と背板打だけのバス停のような ――を見つめ、小首を傾げた。
ここも、もしかしたら陣地じゃない?
眉根が寄る。怪訝さで目が据わる。雑に巻き毛を掻いて、はーっと息を吐く。足元に目を落として、他と何ら変わらない土と雑草の地面に、『もしやと思ったけど』とまた溜息。
微量だが、伝わってくる同じ気配。それは自分を主張しているが、女龍や他種族に控えめ・・・ということか。レイカルシの言葉は正しく、人間以外の異種族には用がないのだ。
「ここに入ったから、人を呼んだのね」
やーっと気づいた女龍は、やれやれと水平線に顔を向け、対処へ出向いた二人はとっくに分かっていたのだと理解する。自分はここまで気づかないのに。
「私ったら・・・本当に鈍いんだから」
小屋向こうで、五頭の馬たちが水を飲む和やかな様子に、彼らは呪いとも感じていないのが伝わり、つまり、とささやかな結論を出す。
「話し合いになるのかな。お父さんが先に気づいて、シャンガマックが『過去は人間の魔法使いだった』相手と交渉・・・ 」
呼び寄せるのは人間対象。だが伴侶もタンクラッドもレムネアクも反応は薄く、思うに、シャンガマックも分かっていなかったはず。
彼にはお父さんがいるから、それで応じたなら――
「この導きは、彼のためですね」
うん、とイーアンは頷いた。真実の理由に足りなくても、人間を呼んでいる、それは確か。
*****
だけど私が感じ取る遅さは問題だと、イーアンが己の鈍さにうんざりし、『何の話』とミレイオに聞かれ、調理を手伝う時間。
海岸へ下がるなだらかな斜面に立ち、海岸沿いの旧道を眺めた褐色の騎士は、獅子にいくつかの注意事項を教えてもらった後。獅子はすでに側におらず、シャンガマックは夕暮れの風に吹かれる。
海はもう少し先だが、見晴らしが良い場所なので一望が利き、左右を見渡して『なるほど』と思った。
海育ちではなくても不自然さは見つかる。ティヤーで過ごした日々は、海辺で人が住まうに当然の風景を刷り込んでおり、比べるとここは違和感しかない。
小舟が何艘か浜にある。でも近くに小屋もないし、見える範囲に家がない。家がないのに柵の囲う空き地があり、空き地には井戸や桶があっても、井戸に綱がない。
遠くを見ると、相当離れたところに、民家らしき影が一つ二つ重なっているけれど、こことは関係なさそう。
目を戻して小舟付近もおかしいと気づく。すっきりしたもので、網や綱他、船を出せば必要なはずの物が何一つ見当たらなかった。目を凝らすと、小舟の置かれた砂の形は、崩れたり盛り上がったりもせず・・・
「さて、始めるか」
両手をすり合わせ、穏やかな涼しい海風に吹かれるそこで、シャンガマックの口がわずかに開いた。ファニバスクワンの絵から力を引き寄せる呪文を繰り返し、大顎の剣を抜いて、動き出した風景の変化を見届ける。
海も空も、夕暮れの光は変わらないが、風景に軋みが出て、震えて揺れる。
背景を用意した劇のように、茜と橙と金と黒に包まれる壮大な日暮れの一部が、呪文の響きを受け止めて揺れて歪み、ぐにゃっとうねり、うねりの渦は一度停止してから突如加速して、シャンガマックの周囲の風景をバリッと音立てて引っぺがした。
ザーッと吹き上げた大風の勢いに、体が持って行かれかけ、ぐっと足に力を籠める。引き剥がされた風景は空に巻いて消え、現れた本当の風景に少なからず驚いた。
天井はない。上は夕空で、差し込む光も強い金色。だがシャンガマックを囲んだ巨大な建造物は、前方の浜どころか、肩越し急いで振り返った背後にも渡り、硬い岩盤を磨き上げた冷たい床は、騎士の立つそこに大広間を広げた。
柱と壁は木造。普通の木ではなく石のような艶を持ち、大広間の床は彫刻も飾りもないが、自然の亀裂も目地埋めして磨かれた野趣溢れる風合い。
まるで全部が鏡のよう―― 鏡そのものではないのに、どこもかしこ鏡面に等しく、しかし鏡と異なる材質を用いていることに、何か意味でもあるのか。
気持ち程度の蔦がせいぜい装飾に似て、蔦這う壁に四方をぐるっと見回し、また前に顔が戻ると、向かい合う淡紫の長衣に包まれた姿が立っていた。
色は美しいが、布は古そうでほころびが目立ち、フードを深く被る頭は顔を見せない。身長はシャンガマックより高く、タンクラッドと同じくらい。両手を前に出し、その手は一本の素朴な杖頭に乗る。
気配が、半端ない――― 魔法使いとは事前に聞いていたが・・・なんだこの圧力は。
これまで会ってきた精霊や異種族と全く異なる、人間の発する圧力の最大にさえ思う。先祖の雰囲気と近いが、彼はもう別格。気配など抑えるのも自在の先祖は、ひとまず脇に置いておいて・・・
むき出しの圧力をかける相手に気圧され、後ずさりそうになった足を止める。
魔法使いの奥の壁までかなり遠く、奥の壁はぼんやりした緑色の光彩を揺らしながら、四角く細い枠取りが強烈な眩さを持ち、異世界に通じているのだろうかと考えた。
『旅人か。そこそこ魔法を使うな?しかし、魔法使いには見えない』
第一声、しゃがれた声の似合う雰囲気で届いた声は、まるで正反対だった。太く、力強く重い威厳が空間に満ちる。その声でまた空気の重みが増した。
茜空の下、シャンガマックの大顎の剣は、白い聖なる光を撥ねる。相手の杖が少し傾いてシャンガマックの右手を示したので、剣を持つから魔法使いに見えないと言ったのだと思い、騎士は唇を一舐め、『剣も使う魔法使いだ』と答えたが。
『魔法半ばに届かぬ実力で武器に頼る者を、魔法使いと呼ばない』
「・・・あなたは俺を知らない」
ムカッと来るが、これは挑発。先手を打つにも堂々と、開始の合図を認めてから、とシャンガマックは息を吸い込む。だが騎士精神は呆気なくひっくり返された。
見合ったも一秒、急に空気が減って呼吸を取られる。
うっと潰されかけた胸を押さえると同時、足元がすっぽ抜け、慌てて跳躍。抜け落ちる床を蹴ったので高さが出ず、シャンガマックは呪文で結界を広げ、穴より大きく作った足場に着地した。
結界出現により呼吸に必要な空気も戻ったが、結界の中では相手と距離が生まれる。淡紫の長衣がはためいて奥へ滑るようにずれ、シャンガマックと相手までの床が全部消えた。結界で浮いているものの近づくには・・・と周囲に目を走らせ、気づく。
「まさか」
端から少しずつ結界が小さくなっている。圧縮する空気が、結界まで押し潰す?
そんな馬鹿なと凝視するが、驚いている暇もない。一か八かで・・・もう、一か八かなんて早すぎるだろう!と情けないが、とんでもない実力者と気づくのが遅かった。
ファニバスクワンの円陣を先に用意しておいた自分を褒め、呪文でまず円陣を空に呼ぶ。
空はこの場に関係ないらしく、輝く水色と黄緑の円盤がすんなり現れ、光を増してシャンガマックに注ぎ、彼の背後に垂直に立った。
これで、円陣を自分の空間に設定。この中から攻撃が可能で自由が利き、相手の攻撃も大体は叩き落とせる。はず。だが、この相手に通用するか?と若干の心配も擡げる。
離れた場所に浮く魔法使いは、シャンガマックが態勢を整えるのを・・・ 邪魔しなかった。
この時点で、相手が上である。待っている余裕が、嫌でも伝わる。シャンガマックは気持ちを入れ替え、深呼吸して右手の剣に魔力を流し、龍属性と精霊属性を二重に構えた。混じらないが、重ねて威力を増すのは可能。
『なるほど。武器はそんな使い方もあるな』
魔法使いが揶揄い、シャンガマックは冷静を保つために息を吐いて、頭を振った。
「急に攻撃とは卑怯だぞ」
『卑怯も正当もないだろう。お前がここに入った時、始まっていた。それに』
それに、の後は言葉ではなく。
真正面から瞬間で飛び出した大量の槍に、シャンガマックは目をかっぴらいて急いで呪文を唱え、怒涛の槍を消滅。消滅と同時に、大顎の剣に乗せた魔法を、淡紫めがけて思いっきり放った。
放った龍と精霊の異なる威力は、目標物に激突。派手にガガンと空気を揺らす衝撃音が、なんだか嘘くさいと思ったら、弾けた光の後に、小さな細い家庭用蝋燭二本がちょんちょんと・・・前の床に立っていた。一つは龍属性の色、もう一つは精霊属性の色・・・・・
『わかるか?お前の魔力は、このくらいだ。俺に勝てるか?』
どこに消えたか、姿なき声が木霊する。ぎりっと奥歯を嚙み締めたシャンガマックは、真剣な魔法を小さな蝋燭に変えられてカーッとくる。
音だけは一丁前!と笑い声が響き、怒鳴る呪文で遮ったシャンガマックは、次の攻撃へ移る。
金の礫が360度にバッと散り、暗闇の下も怪しい奥の間も、背後も夕方の空も突き抜け、礫は壁と柱に食い込み聖なる炎が燃え上がった。
これで倒せるとは思わないが衝撃はあったはずと見回し、騎士は止まった。聖なる炎が。俺が放った魔法が。
「なぜだ」
炎は消えずに連結し出して、どんどん火を噴き、あっという間にシャンガマックの周りを囲んでしまった。無事なのは円陣の中だけ。この効果は俺の魔法じゃない・・・開いた口が塞がらず、これも相手の技かと過った思考に、声が飛び込む。
『次は?』
「くそっ!オッフトァッフ、ヒョウドルアッス・・・フイアフィビディッシュ!」
小ばかにされて流せる性格ではないシャンガマック。怒り心頭でファニバスクワンの絵を円陣に映し、土も大気も水辺も渡る全ての水を、と唱えるや、猛烈な勢いで円陣に水が溢れる。
『精霊ファニバスクワン一本・・・芸がないぞ』
一気に集めた水が、怒涛の勢いで噴出した瞬間に嫌味が届き―― くわッと目を見開いた騎士は、大量放出の水量に、これでもかと剣を突き刺し怒鳴った。
「エッカ、オウェン!」
無限に増えよと叫んだ呪文で、大顎の剣が幻と現実の境に入り、瞬く間に数を増し、水と共に何万という剣が飛ぶ。シャンガマックの目にも、何を切っているか見えない量の水が周囲を包み、上すら見えない状況。剣は波を埋める魚の群れの如く走り、誰の声も聞こえないまま、怒涛の水流一分。
魔力の消耗が高い魔法を使ったため、どうだ?とシャンガマックはここで様子見。魔法を止め、ざあっと水が落ちて消え、水を吸い込んだ円陣は煌々と輝き、引っ込んだ剣は手に握られた一本に戻る。
・・・のだが。
上に攻撃の気配を感じて見上げ、ぎょっとした。飛ばし続けた数も知れぬ剣―― 自分の大顎の剣複製 ――が、切っ先を下に向け、びっしり天井を作っていた。
うお、と思わず漏れた驚き。降ってくる気配はないが、先ほどの礫が火炎にされたのを思うと、これももしやと想像つかない返しの構えで、心臓は大きく打つ。
何の音もしない。真上はぎっしりと、隙間一つなく詰まった剣の天井。一斉に落とす気かと魔力を集中して防御を高め、息切れを飲み込みながらゆっくりと、右から左、左から下、下から上に視線を向ける。どこからくる・・・? その時、淡紫の布が奥にひらついて、ハッとする。
布しかない。切れ端は、ひら、ひら、と舞い・・・シャンガマックに近づいてきたと思ったところで、突然、奥の壁から閃光が走り剣全体を覆った。覆うや否や、閃光が駆け巡った無数の剣は姿を変え、鋭い牙の並ぶ口を開けた、一頭の巨獣が出現。
シャンガマックは、目を疑う。それは、親しんだダルナ、黒いアジャンヴァルティヤに酷似―――
巨獣は結界を越えて襲い掛かる。騎士は、躊躇わず・・・大顎の剣を牙並ぶ口で掻っ切った。
切った返し、結界の領域で跳躍したシャンガマックが、太い頭を真っ二つに割り、岩石のような魔物の上に駆け上がり、突き立てた背鰭の列一直線に剣を走らせ、尾まで切り割く。背骨を切った剣を抜くと同時、ぐらっと傾いて下へ落ちてゆく体を蹴り、円陣に降りた。
叫びも何もなく、ダルナに似たそれは底なしの闇に消える。アジャンヴァルティヤの姿?と不審もあるが、シャンガマックはあれが彼ではないと分かっていた。
『ためらいもない。お前の仲間ではなかったか』
あの声が横から聞こえ、振り向くと淡紫の長衣が暗い壁に浮き上がっていた。
剣が消えた天井は、夕方を過ぎて暮れた暗さに変わり、魔法使いの立つ右壁側は影が落ちている。そして、なくなっていた床も現れ、大広間は何事もなかったように最初の状態に戻った。
「仲間は、俺を襲わない」
『それはお前が思い込んでいるだけだ。あれはお前の』
「違うものを、そうだとは言わないものだ」
『なぜそう思うんだ』
「・・・この問答に意味は?休憩か?」
休憩か?と訊いた途端、魔法使いは消え、床の続きにヨーマイテスが現れた。
お読み頂きありがとうございます。
年内は休まず投稿(予定)です。1月1日~1月10日まではお休み(予定)です。
また近くなったらご連絡します。どうぞよろしくお願いいたします。




