2971. 一週間 ~タノと不思議な犬の話・僧兵対応・不明な狙い
※6700文字あります。お時間のある時にでも。
ミレイオはすぐ戻るつもりだったが、タノにこれまで危険が何度もあったと知り、湾の方まで一緒に見に行ったり、倒した魔物が消え去った場所で、その日の話を具体的に教えてもらったり、彼が『他に生きている人を探す』と行動したところなどを地図で見せてもらったり・・・している内に、昼。
タノは警戒さえ緩めば気の好い男で、ミレイオと近い年齢なのもあり、『人と話すのは久しぶりだ』と寂しそうに伝え、ミレイオは非常に帰りにくくなった。
彼が『善人』として残った、その裏付けも聞いた。
精霊や妖精にちなむ特別な出来事が人生にあったかを聞いたところ、彼はしっかり頷いて『忘れもしない』と教えてくれたのが、不思議な犬の話。
―――町から戻る帰り道で、他に誰もいない午後、一頭の犬が現れて吠え、それが何度も後ろを振り向くので、追い払うのも違う気がして、タノは馬車を犬の方へ動かすと、犬は道を逸れて歩き出し、また振り向いて吠えた。何かしてほしいのかと思って、そのまま犬の後について行くと、村から外れた川の向かい岸で馬車が立ち往生していた。
川は狭いが橋があり、その橋が腐って落ちているため、馬車が通れない。見れば馬車の民らしく、タノを見て助けてほしいと向かいから叫んだ。
タノは犬を見て『これのことか』と言うと、犬はじっと行動を待ち、タノは少し考えて『道具を持ってくる』と馬車の民に伝え、村へ戻った。犬はついて来て、まるで見張っているようだったが、タノが工房から木材を積み込んでまた川へ向かうと、馬車の横を一緒に歩いて戻った。
こうしてタノは、腐った橋の代わりに、角材を何本も組み合わせた強い簡易橋を横に置き、自分が乗ってずれないことを確認し、馬車を少しずつ誘導して渡し、馬車10台が無事に渡り切った―――
「えらいわ。あなた、すごいわね」
「そんなことない。でね。犬はいなかったんだ」
「あら。馬車が渡り切ったら、どこか行っちゃったの?」
「そうじゃなくて、誰も犬を見なかったと後で知った。犬は?と俺が聞いたら、犬なんてどこにいた?と馬車の民たちは驚いて周囲を見渡したんだ。それは精霊だったと、彼らはすぐに俺に教えた」
「犬の・・・」
「変に思うかもしれないが、犬の精霊だ」
変なんて思わない、と肩を竦めたミレイオは、テイワグナの犬の導きを思い出す(※1538話参照)。そういえばティヤーでも、犬の精霊が馬車の民を教えたとイーアンが話していた(※2538話参照)。うわ~凄い~・・・
今度はミレイオがそれを教えてあげたら、タノは目を丸くして『本当か!じゃ、絶対それだ!』と喜んだ。
つまり。タノがこの世界で善人として戻されたのは、過去、犬の精霊に応じた行為が理由だったという。
そんなこんなで話していると、どんどん仲良くなる。
帰り時間を気にするも、タノが『食料は精霊が世話してくれる畑で』と、また情報的なことを出すのでそれも見に行き、結局そのままお昼もごちそうになる。
『料理は好きだから手伝う』と言って、タダ食いをやんわり遠慮したところ、タノの視点では『友達が一緒に作ってくれる』と映っており、彼は更に喜んだ(※帰り難さ延長)。
何だかんだで、ミレイオが帰る機会を逃し続け・・・
魔物退治に出ているシャンガマックたちもそのまま。イーアンも、戻りながらの魔物退治と『残っている人調べ』の、昼過ぎ。
工房では、そろそろ食事をと、時計を見たレムネアクが、タンクラッドと彼の側にいる総長に声をかけて裏庭へ出た。総長が手伝おうとしたが、レムネアクは『簡単なものだけなので』と一人で引き受けて、材料と調理器具を運んだ。
朝は晴れていたが、雲が増えてぽつぽつ雨粒が落ちてくる。でもまだ降らないのは空模様と風で分かる。
早めに作ることにし、熾火におが屑を乗せて火を出した。火の上の並ぶ数本の鉄棒に鍋を乗せ、脂を入れて、そこに塊茎の野菜を薄切りにして落とし、干したての貝の身をどさっと混ぜる。炒めながら水を加え、じゃーっと大きな音を立てて沸騰する香りに頷いた、すぐ。
「良い匂いですね」
背後で聞こえた声に振り返る。風に乗る料理の匂いは、確かに大変良い匂いだが。立ち上がったレムネアクは、敷地に一歩入った訪問者に『誰だ』と訊く。
年齢は30代くらいの痩せた女。ヨライデ人の化粧、衣服、編み込みの頭髪。衣服は普段着だが汚れが目立ち、自分より若く見える女は、片手に袋を持つ。そして、ヨライデ人らしくない。はっきり言うと、人間要素自体が少ない気がした。この状況で、疑わない選択肢はない。
女が控えめに微笑んで進んだので、レムネアクは片腕を前に出し、来るなと止める。
「近づいていいとは言ってない」
「お腹が空いています。分けてくれませんか」
「自分で用意できないのか?」
「私のいたところは魔物が来て、逃げてここまで」
貴重品だけ持って逃げた・・・と、袋を両手に掴んだ女は、立ち止まったところから湯気立つ鍋を見つめ『少しで良いので』と請う。
レムネアクは、これが全部嘘だと見抜く。じっと女を見つめ、少し首を―― 鍋に ――傾ける。女が勘違いして嬉しそうに微笑んだので、『お前に渡す分はない』と言い切った。この拒絶に不満を見せたが一瞬、女はすぐ真顔に戻り『お金は役に立たないけれど、タダでほしいとは言っていません』と食い下がった。
*****
「あれは、善人ではないのか」
「行くなよ、ドルドレン。レムネアクがまずかったらな、俺が行く」
工房の窓からドルドレンとタンクラッドが見守る。声に気づいた親方(※地獄耳)は、レムネアクがはっきりと断ったらしき場面から観察。
相手が女でも同じ年くらいでも、彼には全く関係ないようで眉一つ動かない。ドルドレンとしては『もし本当に困っていたら』と気になるところ。
ただ、二人の会話はヨライデ語―― 親方とドルドレンには理解不可。レムネアクが断ったのも、雰囲気でそう感じただけで何を喋っているのか、ちんぷんかんぷん状態で見守る。
「攻撃を仕掛けたら、それは容赦も要らないと思うが、しかし普通の女に見える」
ドルドレンには『善人っぽい』風にしか見えず、痩せた女にやや同情。タンクラッドは見た目で判断しないため、レムネアクの態度が頼もしい。
「彼は鉈を下げている。それでも近づく女は、そういないと思わんか。見たところ、食事を求めている様子とはいえ・・・ 」
「本当に腹が空いている場合もあるのだ。怖くても近寄るのはおかしなことではない」
フフンと、鼻で笑って小首を傾げたタンクラッドは、態度で総長の意見を否定。正しいかどうかは―――
*****
「これを、見てくれますか」
女は巾着袋の紐を緩めて、レムネアクから目を逸らさずに片手を袋に入れる。レムネアクはちらっと袋を見たが、すぐ女の顔に視線を戻し『見たいと思わないからやめてくれ』と言った。女は従わず、向かい合う男を見据え、袋から物を取り出した。それは、片手で掴むと半分ほど隠れる物体で、金属の板を張り合わせたもの。
「とても高価なものです。これは」
「もう一度言うぞ。やめろ」
レムネアクの静かな警告。両脇に垂らしたままの彼の腕は動かない。鉈は左の腰にあるが柄に触れない。
だから女は、金属の小物をレムネアクに向け、裏に付いた小さな梃子に指を乗せた。何かが光ったのをレムネアクは――
「あっ」
何かが顔に当たり、女は逸らす。
目端に映した光は危険を感じ、僧兵は直視しなかった。攻撃の手段は鉈ではなく、レムネアクの左手に持った実が、女の顔に投げつけられ、それは頬を打って落ちる。が。
ぶつかった木の実に驚いてふらついた女が、突然悲鳴を上げた。
両手で顔を押さえ、もつれる足で倒れて地面に転がり、喚きながら掴んだ土で顔を必死にこすり、顔が焼ける!と叫ぶ。
「痛いだろうな。それは」
呟きながら女の転がる側へ行った僧兵が、騒がしい女の後頭部を踏んだ。ぎゃっと上がった声を無視し、片足を載せたまましゃがんだ僧兵は『黙れば薬をやろう』と言う。呻いて喘ぐ女は僧兵の足を両手で掴み、支離滅裂な罵声を喚き、レムネアクの手は鉈の柄を掴んだ。
帯をすり抜けた鉈の先が女の頭の横に立つ。息切れして黙った女は、レムネアクに踏まれた頭を外そうとするが、足はがっちり踏んでいて動かない。静かなレムネアクの低い声が、少し顔を寄せて注ぐ。
「死ぬ方法もある。何をするつもりだったか、言え」
「ちくしょう」
「仕方ない」
仕方ない、を最後にレムネアクの鉈が、振り乱した髪の隙間に覗く首へ傾く。が、ここで『待て』と制された。止めたのはタンクラッドではなくて・・・
「あ。お戻りで」
「何してんの」
「この女を殺そうと思いました」
「鍋が半分くらい蒸発してんだけど」
「え!すみませんあの」
「消すなら私がやる。お前さんはここまでにしとけ」
空から降りてきた影を見上げたレムネアクは、イーアンに場所を譲る。解放された顔を上げた女は、急いで逃げようと両手を地面につき、目が合った。一秒。
違う、と女龍は直感で判断する。これは人間ではない―― 龍の首に変え、走りかけた女を消した。
「イーアン。すみません、あなたにそんなことをさせて」
人の首に戻したイーアンが僧兵を振り返り、『鍋』と指差す。慌てて水を継ぎ足したレムネアクの横にしゃがみ、『お前さんに、殺しをさせたくないんだよ』と女龍が眉根を寄せて呟くと、レムネアクは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「礼言うところじゃないから・・・あれが悪人側って思った?」
「いいえ。悪人じゃなくても、染まった善人とは思いました。私の感覚ですが、幽鬼を臭わせたんですよね。容赦不要の決定です」
「ふーん・・・ 」
さすが、と心で褒めるイーアンは、肩越しに女のいた場所を見た。放り出されたままの巾着袋と、奇妙な代物。消そうか考えたのは一秒。朝、施設で見たものはこれではないかと思う。
「あの道具みたいのは何?」
「さぁ。悪さする武器でしょう、多分。私は見ませんが、一瞬光りましたので」
鍋底をおたまでこそぐ僧兵は落ち着いており、イーアンはレムネアクの茶色い髪をちょっと撫でた。ハッと振り向いた僧兵に『上出来』と褒める。レムネアクが酔い始めたので、『鍋見てて』ときっちり命じて道具を調べに立った。
ここまでを見ていたドルドレンとタンクラッドは・・・
「イーアンが来るとは」
「女はあっさり消されたな」
「レムネアクに殺させたくなかったのだろう。しかし、イーアンもあれを悪人判断したのか」
「人間が一番、分かりにくいと思わないか。ドルドレン」
呆気なく始末してしまった奥さんに、ドルドレンはびっくり。レムネアクの胆の座り方も『さすがは僧兵』と変な褒め方(※すぐ料理に戻った)。苦笑いするタンクラッドは窓から離れる。
「一部始終を聞かせてくれるだろう・・・もうすぐ食事だ」
タンクラッドが持ち場に座った時、イーアンの影が表で動き、少しして入って来たので、ドルドレンが迎える。イーアンが『外で何があったか』を報告している間に、鍋を持ったレムネアクも『雨が降って来たので中で』と屋内へ入った。
四人は工房の床に置いた鍋を囲み、話題は早速『不審者』との一幕及び、『謎の製品』に進む。
謎の製品は、動かさないようイーアンが頼み、タンクラッドたちも観察に留める。イーアンとしてはこれをエサイに見せるか、魔導士に探ってもらうかしたいところ。
不審者の女についてはレムネアクが淡々と語り、『顔に毒の実を投げたので』と話したことで、タンクラッドたちは黙る(※そうではないかと)。持っている分には問題ないが、爪で傷つけるとすぐに割れる実で、汁は皮膚に火傷と似た痛みを与える・・・ 毒説明が恐ろしく感じるドルドレンは、そうか、と頷いた。
彼曰く『忠告はしたし、この状況下で危険を感じるのは普通』。
初めて、『僧兵・人殺し業だった男』の攻撃を目の当たりにした総長と親方は、いろんな意味でレムネアクが味方に付いたことを意識する。
イーアンはレムネアクと目が合って微笑まれ(※褒められた・撫でられた)、頷いておかわりをもらった。
そして『お前さんが危険と判断したから始末を選んだのは、間違いじゃない』と認め、笑顔の僧兵に『でも、やるなら場所は違うところにしなさい』とアドバイス。
裏庭で血が流れたら、あとでロゼールたちが気にするでしょ・・・
ごくっと貝のスープを飲み干す女龍に、ドルドレンもタンクラッドも微妙な心境で、レムネアクは『そうでした、うっかりしました』と反省していた。
タンクラッドは、特に言わなかったが思うことあり。
それは、レムネアクやイーアンの対処ではなく、あの女が『善人だった可能性』のこと。レムネアクもイーアンも、『善人が悪人に染まった』と伝え、だから消した。
善人を救う手段はなかったのか・・・とは、思わないタンクラッド。イーアンならそう考えそうだが、彼女は躊躇せず消したので、『戻る見込みは皆無』と判断したのだろう。即ち、悪人同様の処分行きだった。
ちらと、親方の鳶色の瞳は小道具を見る。
レムネアクは『光った』と言った。イーアンは『装置だと思う』と。あんなものを用意してまで善人を洗脳し、操りたい理由はどこに在るのか。
タンクラッドは、早めに旧教のフーレソロを調べたくなった。
民間人を守る道具は作れなくても――― 善人まで消さなければいけない変化が起きている。今すぐ、守る手段を考えないと、間に合わない気がして。
*****
『念』の移動があるとは思わなかったし、知ったところで、それに意味があるのか分からなかった。わずかな人口しかいないヨライデで、『念』が最初に憑いた悪人の目論む展開は・・・?
これは、シャンガマックの感想。
助けた民家の一件で、一部始終の話からヨーマイテスにざっくりまとめてもらい、『え?』と眉を寄せた。ちなみに民家には、持ってきたアオファの鱗を渡した。
民家をあとにした二人は、魔物退治で移動し、人間のシャンガマックに感づいて近寄る魔物―― 喋る質の ――をあちこちで片付ける。多くは、十から五十の群れで、見た目は魔物でありながら、思考が伝わる会話を使うので、こんな魔物が民間人に迫ったら、厄介極まりない。
人里近い場所を中心に退治で回り、二人はおかしな事件について話を続ける。
枯草の上に立ち止まった獅子は、今退治した魔物も、『民家で消した男』の雰囲気も似ている、と息子に話し、目的については・・・
「訳の分からん人間が動いているんだ。意味の知れない行動もするだろ」
「うーん。なんなんだ。善人側を操って、仲間を増やしている気分?探し出すのも一苦労なのに」
シャンガマックもヨーマイテスも、念憑きの意図は理解に難しいが。
中部と南部の海側を上下した半日。夕方近くに切り上げ、『イーアンに文字も教えないと』と勉強の再開も相談しながら帰る。
工房に戻り、労いの挨拶からすぐ報告したシャンガマックは、こちらでも似た出来事があったと知って驚いた。
「レムネアクが対処したんですか?」
「対応は彼だが、イーアンが戻って消し去った」
「あ・・・そうなのか。でも、善人の可能性だったら消さない方向も。いや、でもイーアンが決めたなら、もう無理だったということか」
シャンガマックは間一髪で救い出した、今日の被害者。だがイーアンが全く動じず消したとなれば、テイワグナの魔族・ティヤーの人型動力と同じで、『戻れない』判断だったと理解するのみ。とはいえ。
「ふー、何とも。イーアンの決定に文句はないですが、魔族やサブパメントゥとは違い、人間の用意した道具で狂わされたとすれば、戻れる術もありそうに思います」
褐色の騎士の残念そうな言葉に、ドルドレンも分からないでもないが。それについては何とも言えない。イーアンは多くを話さず、奇妙な小道具を持って出かけた後。調べなければいけない現場が思い当たるらしかった・・・ 彼女が目星をつけている時点で、奥は深く危険に思う。
うーむ、と唸りが落ちた総長に、シャンガマックも『すみません。ちょっと思っただけ』と謝り、イーアンを責めていないと言い直す。それから、報告続きで疑問も話した。
「何がしたいんでしょうね、悪漢は考えることも分からない。ほんの少ししかいない人間を洗脳した後、何が出来ると思っているんだろう。発想から理解できません」
「同じように思うが、答えは俺に分かろうものではない。とりあえず夕食まで休んでいると良い」
部下の報告と疑問を労い、ドルドレンは一旦彼を休ませる。お父さんも馬房へ行っているので(※仔牛)シャンガマックは食事まで休憩。
今日はロゼールとミレイオが夕食を作っていて、レムネアクは水路図の仕上げに時間を使う。
外は雨がしとしと降り、静かで、少し湿っぽい夜。
イーアンは、あの道具を調べるために北部の施設へ飛んで、その後―――
お読みいただき有難うございます。
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Ichen.




