2966. 一週間 ~シュンディーンより・ルオロフの地図
一日ダルナと過ごしたイーアンと同じく―――
朝からいなかったシャンガマックたちは、と言うと。
どれくらい経ったかを、騎士は考える。
「もう夕方くらいかな」
「かもな」
ファニバスクワンの絵のある場所まで移動したシャンガマックとヨーマイテスは、ヨライデ沖の魔物がいない海の底に座る。底にいるのだが、水は透き通って海面の光が揺れながら落ちてくる砂地。明るいし、穏やかに群れ成して泳ぐ魚たちもよく通り、見ていて飽きはしないが。
海面の色を見つめるシャンガマックは、『ティヤーは海ばかり見ていたから、この光の色が夕方近いと覚えた』と呟き、横にいるカワウソも首を上に向ける。
二人は水底から立ち上がる透明な壁に寄り掛かって座っており、カワウソが背後を振り向き、シャンガマックもつられて見た。壁の隔つ奥には、シュンディーンとファニバスクワンが薄っすらと見える。彼らはずーっと話していて、まだ終わらない(※要は待ってる)。
「勝手に帰ったら、何を言われるやらだな。どれだけ待たせるんだ」
「帰らないよ。俺たちが彼を訪ねたんだし」
面倒くさがりのヨーマイテスに苦笑し、シャンガマックはカワウソの長い胴体を引っ張って、腿の上に乗せる。抱っこは嫌なヨーマイテスだが、息子が撫でるのを好むので好きにさせる。
「シュンディーンの気持ちが、ああまで塞いでいたとはな。てっきり、彼は用事で戻れないと思っていたが、実際は」
「傷が癒えるまでと言やぁ、聞こえは同情も誘うんだろうな。だが、ただの逃げだ」
またそう言う、と困った顔で見下ろす息子をチラ見して、カワウソは壁の奥を小さい手で指差す。
「シュンディーンは、そもそも『片付け役』で生まれてきた話だ。魔物が終わったら、拗れたまま放置されている『精霊の淀み』を片付けるのが、あいつの仕事と聞く。手始め、初っ端もいいところだ。ティヤーで悪人を沈めただけで、ああも」
「ヨーマイテス」
辛らつな父を止め、ピタッと黙った機嫌の悪いカワウソのつやつや背中を撫でる騎士。待たされているから、いつもより辛口なだけ・・・
「あんまり時間が掛かるようなら、一旦帰ると伝えるから」
漆黒の目はもう一度、壁の奥・・・濃い青に染まる二人を見る。精霊の子が、親のファニバスクワンに顔を上げず項垂れる様子は、数時間前と変わっていなかった。
―――ティヤー戦のあの日。シュンディーンは親の命じで、悪人の始末を行った。
精霊の檻を回るのは誰かと思っていたら、シュンディーンが抜擢されたと知り、シャンガマックも意外だった。ファニバスクワンは我が子にすべき役割を少しずつ与え、シュンディーンは従うのだが。
自分たちと旅をし、行く先々で新しい力を発揮したり、衝撃的な場面に遭遇したり、シュンディーンも心は鍛えられていた。それでも、自らの手で誰かの命を奪うことに対し、覚悟は難しかったと見える。
体験はあまりにも辛くて、心の処理、消化がついて行かず・・・ 一度は船に戻ったものの、平常心を保てなくて水中へ戻ったのが、留守の事情だった。
今日。ヨーマイテスが『気になるからシュンディーンの状態を知りたい』と(※本音は違う)頼んだことで、ファニバスクワンは少し考えた後、彼と引き合わせ、彼の口から事情を伝えさせた。
ヨーマイテスはシュンディーンの吐露を聞いた途端、『お前がどうこうで、ミレイオが馬車を下りたんだぞ』と呆れ、びっくりしたシュンディーンは初めて・・・自分の影響を自覚した。
ミレイオが旅を抜けた状態。それは少々問題、と捉えたファニバスクワン。シュンディーンに今後の話をし始め、まだ終わらない―――
「夕方だな。日が暮れ始めると早い」
束縛を何より嫌がるヨーマイテスは、恨めしそうに水面の橙色に目を上げてぼやき、シャンガマックも考える。
「総長たちに・・・ここだと連絡も付かないしな。ちょっと、話し込んでいて邪魔するのも気が引けるが、ファニバスクワンに言おう」
邪魔じゃないだろと、ぶつくさが止まらないカワウソを片腕に抱え、騎士は立ち上がって壁をトントンと叩いた。
壁向こうに、ふ~っと伝わる波状の振動。奥にいる二つの顔がこちらを向き、長い銀色の胴体を揺らした精霊が近くへ来た。と思ったら、シュンディーンも一緒。
もしかして!とシャンガマックが思うや壁は消え、ファニバスクワンは子供を振り返る。
『今日はまだ行かないが。近い内に、子は馬車へ行くだろう』
「あ。そうなんですか?シュンディーン、戻るのか」
「うん・・・ええと」
青い瞳は不安を浮かべ、乗り気じゃない返事。話し合いではなく、説得中だったのかと気づいたシャンガマックは、気を利かせて『迎えに来ようか?』と申し出る。
「一人で戻るのは気持ちが難しそうだ。俺が迎えに来ても」
「そんなことはないよ。大丈夫だけど。でも。ミレイオは?どこにいる?」
「・・・今、一時的に馬車へ来てくれたが。馬車を直すからで、終わったらまた出ていくと思う。行先はイーアンが知っている。ミレイオはそこでお前を待つと話していた」
シャンガマックの返事に、シュンディーンは胸に手を当てて視線を外す。横にいる精霊の親は表情が硬く、早く行けと目で威圧するが、精霊の子は戸惑いで親を見れず、良い返事が出てこない。
「じゃ。ミレイオに伝言を持って行くか?今なら、馬車にいるし」
気持ちを汲む褐色の騎士は、仕方なさそうにちょっと笑って、精霊の子の顔を覗き込む。
シュンディーンはミレイオを心配し、会いに行けば丸く収まるのが分かっている。でも会ってしまったら、まだ不安定な心なのに逃げることが出来ない。
そう、まだ彼は『逃げていたい』のだ。
自分の恐れや嫌悪に向き合うには、ちょっとずつ、時間を掛けて消化しないとならず、場慣れした百戦錬磨の仲間の中では無理があるから・・・
分からないでもない。シャンガマックは好戦的な性格でも、人を殺すに覚悟は必要だった。魔物は良くても、人間相手は抵抗が拭えない。それでも腹を決めたのは、ここまでの経験とヨーマイテスのおかげ。シュンディーンに経験はない。
シュンディーンは十秒くらい考えて、ヨーマイテスの嫌味な溜息にハッとし、シャンガマックがカワウソを注意したので、待たせてはいけないと思って伝えた。
「ミレイオに。僕は必ず帰ると言ってくれ。その、あの、早く。頑張るから」
「分かった」
ニコッと笑って、騎士は精霊の子の肩をポンと叩く。一つ乗り越えたぞ、と励まし、シュンディーンは恥ずかしそうに微笑んだ。
*****
「また、近い内に会えることを願う!」
「とっとと、戻ればいい話だろ!」
ヨーマイテス!とシャンガマックが注意し、波打ち際に出たカワウソが獅子に変わり、水際を逃げるように走ってゆく姿を見送り・・・ 夕焼けの海の煌めきに佇む、精霊の子。
「僕がいない時間。地上では何日過ぎたんだろう。ミレイオ、僕はまだ弱い。こんな弱い僕なのに、あなたは僕を待つからと、旅を下りたのか」
責任を感じる。人間を殺した時とは、全然違う責任を。
愛されていること。愛してくれる思いへの責任がある。
乗せられた責任ではなく、愛されているから応えたい、自分も愛しているから向き合うべきだと感じる責任。
それは、精霊の子の胸を熱くし、新しい勇気を生む。
*****
夕暮れ―――
シュンディーンの伝言を受けたミレイオは、聞いた瞬間、涙が溢れかけ、急いで顔を逸らし『元気で良かった』の一言で終わらせた。シャンガマックはミレイオの涙を見て微笑み、伝言だけで話を終えた。
夕食には全員揃う。イーアンもロゼールも戻って、イーアンは『明日も出かけますが、内容は精霊絡みで言えません』と報告お断り、ロゼールは機構の資料漁りの結果を話した。
イーアンはイデュの調子を見てから、イデュも連れて外へ出ようと考える。閉じ込めっぱなしはイデュには厳しいのかもしれない・・・レイカルシは寛容なのか、女龍の強大な力を恐れはするが、こちらの対応にはすぐ理解を示してくれる。でもイデュに同じ理解を求めるのは違うので、こちらが寄り添う必要を感じた。
それと。馬車はミレイオが手伝ってくれているので安心。
この間に、ティエメンカダにも会いに行かねば。数日どころか、結構経っている・・・ 呼び出されないとはいえ、多分何度もやったら怒られかねないので、明日の午後はティエメンカダ。
ロゼールの報告を聞いた分では、まだ倉庫を探しに行く段階ではない。機構本部の在庫から見るつもりで、明日は鍵を開けて倉庫に入ると言う。倉庫内に出荷表もあるらしいので、ロゼールの準備が済んだら一緒に回れば良い。
イーアンが黙々と食事をする間、ミレイオは静かで何か思い耽ている。
ドルドレンはタンクラッドから馬車の作業状態を聞き、今後の相談。両替したので、今回の修理で使用した材料代・場所代など含め、どれくらいが妥当か、レムネアクも呼んで話し合っていた。
シャンガマックは獅子の分の食事を持って行き、ルオロフは。
「ルオロフを見かけませんが」
気付いたイーアンが、ふと呟く。横に座っていたミレイオが顔を上げて『考え事、とか言ってたわ』と教える。朝食時はいたのだが、その後はずっと馬車に籠っていると聞いて、体調を心配したら。
「違う違う。彼って何かあってもすぐ言わないから、推測だけどさ。アイエラダハッドのことかも」
「アイエラダハッド」
「私もお昼の時、声掛けに行ったのよ。『本当は具合が悪い』とかじゃ、困るでしょう?ルオロフは見栄張るし(※プライド)。そしたら」
寝台馬車修理中。ルオロフは無事な荷馬車の荷台で『考え事』をし、彼の前に母国の地図があった。地図の数ヶ所に、重しの金属塊が置かれ・・・
「デネヴォーグ(※複都政:東の首都)ですか?」
「多分。あの位置はそうだと思う。ルオロフってデネヴォーグで仕事していた話だから、なんかあるのかもしれないわね」
「・・・そうですか。故郷と言いますか、出身は南のヒューネリンガですよね」
故郷に家があるのかどうかも、そう言えばちゃんと聞いていないかもと、イーアンは呟く。家があるなら帰郷する用事など、そういうことかな?と思うけれど、仕事をしていた東の都市に何かあるのだろうか。
「誰か、探すのかしらね」
ミレイオの一言で、イーアンは視線を重ねる。アイエラダハッドにも残っている『善人』。その誰かを仕事先の都市で、今・・・探す。何となくミレイオの言葉が正しい気がして、イーアンは頷いた。
「ねぇ。もし、ルオロフが母国に出かけるって言ったら。行かせる?」
「行かせますよ。彼は同行だし束縛は」
「あんたはそうよね。尊重して止めない。でも、頭数が足りなくなるわ」
ミレイオも臨時。イーアンは空になった容器に目を落とし『そうですが』と躊躇い、先が続かず黙った。
「ルオロフが抜けたら、言いなさい。私がまた戻る」
女龍の俯いた顔が上がり、ミレイオはニコッと笑って『二度目の臨時だわね』と冗談めかした。
お読みいただき有難うございます。




