2931. 聖域『ピンレイミ・モアミュー島』・馬の体調より
女龍は、午前の海に呼びかける。まだ朝の内。水面に反射する陽光の美しさ、少し波が高い風の多さ。船の帆が似合う海だろうに、誰も船を出すことのない大海原・・・ぐるりと見回し―――
「ティエメンカダ」
始祖の龍と友達になり、遥かな時を経て三代目とも友達になってくれた、水の大精霊の名を呼ぶ。
イーアンは龍気を少し上げて体を包み、直下し、海に飛び込んだ。水流と無数の泡が女龍の後ろに帯を引き、海中で精霊に呼びかける。
ティエメンカダ、イーアンです・・・ 何度もを繰り返し、光の差し込む海面から離れないよう緩やかに進んでいると、温かな波が水を揺らした。波のうねりが水中を揺する。
来た、と気づいたイーアンが龍気を引っ込めると、数多の青にちりばめられた煌めき、ティエメンカダの微笑みが現れた。
『ティエメンカダ、来て下さった』
『イーアン、待たせ過ぎだ』
向かい合って、互いに笑う挨拶。
ティエメンカダは女龍に大きな鰭を伸ばし、一緒にと底へ連れて行こうとしたが、イーアンは『すぐそこの島のことで』と上を指差した。何の用事かと止まった大精霊は、そこの島で~と頼まれて、砂地へ移動してやる。
女龍を連れ、大きなティエメンカダは、ピンレイミ・モアミューの側面にある細長い砂浜へ上がり、イーアンと波打ち際に並んだ。
『この島に何かあったか』
幅が2mもない狭さの砂浜で、大きな大精霊は長い長い海蛇の体に変わり、顔と上半身の途中は空気に触れ、残りは海に入れたまま尋ねる。扇子に似た前鰭をぺたっと砂に付け、背もたれのように高く上がる焦げ茶の崖を見上げて『人間がいるのか』と呟いた。
「はい。ちょっと困ったことになりました。ここに住む人は、私がおうちを保護していますが」
『お前が?その人間の住まいを守って、何が困るのだ。龍が守るなど、どれほど重い人間やら』
「それでも、彼に危険を齎そうとする者が来るのです」
ふむ、とティエメンカダが頷いて、イーアンは事情を話した。いろいろ聞いて精霊は『常世の郷(※ヂクチホス)』が関係しているのも理解し、フーンと大きな頭を縦に動かす。
『その者は大きな存在に守られているのに、まだしつこいサブパメントゥが』
「死霊も。こっちは人間が関わりを持っていそうですけれど」
『それでお前は、島ごと龍の護りに入れたいと言うのか』
「私もしょっちゅう見に来るのは難しいので、出来ればその方が楽です」
本音のイーアンにティエメンカダは笑い、砂に置いた鰭をずずっとずらす。広い鰭に寄せられどかされた砂の下に岩が見え、精霊は岩に顔を寄せた女龍に言う。
『ここにお前の印を持て。空の龍はここへ降りる、とな』
「印。降りる。それは」
『私の友の龍がしたと同じにするのだ。お前の印を描くと良い。いたずら書きを(※2660話参照)』
あ、と笑顔が明るくなったイーアン。ニコーっとしたまま頷くティエメンカダ。
南の治癒場に、気に入ったと言って、いたずら書きの許可を求めた始祖の龍・・・あれと同じにせよと大精霊は許し、イーアンは三つ指ついて頭を下げた(※正座)。
さっと分けた、砂の下。岩の多い島の一部、その僅かな一片に、イーアンは『粘土板』を思い出しながら、指を龍の爪に変え、カリカリと硬い下地に記号を刻んだ。一つ、二つ、三つ。
カキッと終わりの払いを、白い爪が撥ね上げた。キィン、と甲高く細い音が宙に震え、刻んだ溝に白い龍気が一瞬浮かび、青空を映して吸い込まれ、記号に消える。
龍に許されない者が来た時。例え、宙に現れようが、地下を這おうが。
一に弾かれ、二に襲われて、三に滅する―――
始祖の龍の攻撃の仕方。最初から手加減はしないが、弾いて逃げるなら追わない。襲われて離れるなら警告。次に来たら全てを失う覚悟と見做す。三回目は相手が消滅する時。
『それは、何とあるのだ』
「はい。始祖の龍が、民に作ったお守りで・・・ 」
尋ねられて意味を教えたイーアンの手元と顔を交互に見ながら、大精霊はそうかそうかとかつての友を重ね、小さな人間に思い遣る女龍を褒めた。
『これで、ここは龍の遊び場だ。私は許可されているな?』
「当たり前じゃないですか!」
笑い出したイーアンに、大きな海蛇も笑う。サブパメントゥでも、善良なコルステインたちが来ないとも限らないからそこも考慮した。とはいえ、コルステインにこれを伝えたら、多分コルステインは警戒して来ないだろう。
「私が寄せ付けたくない相手限定です。他の誰かへ危害を加えるものではありません」
『都合が悪くなったら言いなさい。私が見てあげよう』
「有難うございます。もし、この方法で難しいことが生じたら、その時は相談させて下さい」
『よろしい。では、これでお前の用事は終わりだな。海へ来なさい』
じゃなくてと、イーアンが真顔に戻り、ティエメンカダはニコニコしながら女龍を引っ張る。私まだやることがありましてと言い訳し、それでは次はいつ来るのだと確約を求められ、イーアンは悩みながら早めに来ると約束(※曖昧)。
今でも変わらんだろうにと大精霊がぼやき、真っ先に思い出した最初の用事『テイワグナへ食べ物を買いに行かないといけない』ことを口にしたら、テイワグナまで一緒に行くことになった。
えー、と思うも・・・ティエメンカダと最後に会った日から結構間が開き、次はいつだと迫られるのも日程が難しく即答出来ないし(※常に急用が入る)で、イーアンは大精霊と一緒にテイワグナへ向かう―――
*****
サンキーさんに、『対処しました報告』をする暇もなかったなー・・・
うっかりティエメンカダとそのまま出かけたイーアンは、大精霊のお腹の上に座らせて頂いて、大海原の暖かな風を受けながら、仕事半端の状態に悩む。でも、報告は後でも出来るにせよ。
―――お金。持ってきてないじゃん(※金が要る事態ではなかった)。
どうやって買おう。バイラに借りるか。でもバイラだってそんな急に、お金貸せないはず。お店屋さんにツケにしてもらう相談も、龍の女の立場利用しているみたいでイヤ(※俗物的)。
ぼんやり、買い出しどうしよう?一度戻ろうか、と考えていたら、知らない間にテイワグナ沖へ着いていた。
『あれがそうだな。お前の目的の国』
「はい・・・でも。どこだろう、ここ。広いから海岸線を見ても、すぐどこかは分からないです」
『では私は、ここまで。お前は飛ぶと良い。空から見たら済む』
思いがけず解放され、ちょっと驚く。行く道だけでも一緒にいようとしてくれた、それだけだったのかと分かって、乗せてくれた精霊にお礼を言うと、ティエメンカダは『近い内に来なさい』と女龍に命じて海中に去った。
「あっさりしています。粘る時は粘るけど。近い内、それきっと、数日以内の意味だろうな」
気に入ってもらっているし、許可もすぐくれたので、イーアンは大精霊のお呼びに早く答えようと決め・・・ほとんどお金を持っていない腰袋をちらと見てから、南端イナディ地区へ飛んだ。
じゃっと乾いた砂混じりの土を踏んだ、イーアンの足。何時だか知らないが、きっとバイラはもう仕事だろうな、と思いつつ、国境治安部のお玄関をノック。三回ほど叩いて、扉が開いた。
「あ。龍の女じゃありませんか」
「おはようございます。バイラはいますか」
最初に会った団員のおじさんで、バイラは馬房にいると教えてもらう。彼の馬が調子悪く、今日は出かけられないかも知れない話だったので、イーアンは馬房を見に行った。バイラより早く馬が気付き、イーアンを見る。馬の足元に座って作業中のバイラは気づかず、イーアンは馬に微笑んで・・・ そーっと龍気を流した。
白く、淡く、温かい、空の息吹。銀河を吸い寄せたような静かな瞬きが腕を伝い、馬の顔に届く。龍気は馬の首を流れ、絡みついて肩から胴、胴から足へ。ハッとしたバイラが顔を上げ『どうした!』と異変に立ち上がったところで、イーアンと目が合った。
「イーアン、どうしました・・・あ、もしや」
「馬は?大丈夫ですか」
今のは治して下さったのですか、と目を丸くしたバイラに微笑み、お馬がイーアンに顔を寄せたので撫でた。
「大丈夫かな。どこか具合が悪いと困りますね」
「ああ~、すみません!私の馬はここ数日、食事を避けていたんですよ。水は飲むんだけれど、食べなくて。今、食事に薬草を混ぜていました」
バイラの馬は、タフな馬だけど。何が理由で体調を崩すかなど分からない。そうでしたかと、馬を撫でながらイーアンはもうちょっと龍気を注いであげる。
白い光の帯は、馬の丸い腹を探るように包み、数秒して突然排便。わ!と後ずさったイーアンをバイラが支える。ドサドサ落とす落とし物(?)は水分が多めに見られ、あれ?とイーアンは違和感を持つ。
でもバイラは、『良かった。便も心配だった』と言う。ちょっと話を聞いて、イーアンはピンと来た。
「お馬でヨライデに入る調査ですが、土や水が危険なところもあります」
「え・・・でも、え?そうなのですか?もし魔物などの影響なら、この程度ですまないですよね?」
「この仔は運が良かったかもですよ。ヨライデの魔物は―― 」
ヨライデ情報を教えるイーアンに、バイラはどんどん深刻な顔になり、馬を何度か見て『悪いことした』と後悔する。道々、休ませて草を食べさせる・水を飲ませるなど、なにも気にしていなかったことが、体調の悪さの原因と気づいた。
「もしかすると、お馬はどこかでおかしな水か草を口にし、それでもう、食べるのを止めたのかも知れません」
「あり得ます、イーアン。馬は、馬房に戻るまで食べず飲まずになっていました。それで今日は朝から薬草を与えるつもりで・・・ あー、ヨライデに連れて行ったばかりに」
こればかりは仕方ないし、それを言ったらここに連れてきたイーアンに最初の責任がある。
イーアンは落ち込むバイラを慰めて、私が頼んで来てもらったために起きたことだと詫び、馬の体調を最大限に整えた。
龍気はもうもうと小さな馬房を包み、他のお馬(※二頭いる)もリフレッシュ。
バイラの馬はゆっくり大きく息をして、首を揺らし、自分の糞から少し離れて壁に寄った。これも触れてはまずいものとし、イーアンは龍の首に変えて糞を消した。これにて、一件落着―――
凝視するバイラに、人の頭に戻したイーアンは頷いて『完了』と一言。バイラは女龍の手を両手で握り、心から感謝した。
ということで。
小さな馬房は龍の祝福を受け、バイラの馬は体調を回復し、馬房掃除も必要なく(※消した)、イーアンがバイラを頼った理由を改めて話すと、バイラは二つ返事で『全く問題ない、行きましょう』と力強く答え、拳で自分の胸を叩いた。
「バイラに一緒に行ってもらえると助かりますが、私はお金をそんなに」
「あります。ルオロフさんからお預かりしました」
「ルオロフ」
なぜ、と止まる女龍に、あの朝かくかくしかじかと話すバイラは、話しながら女龍を治安部の屋内に通し、自分の部屋へ行って金袋を持って戻った。
「大金です」
前に出された金の袋。底の沈み具合でイーアンも、相当あるなと頷いた。
お読み頂き有難うございます。




