2837. ヨーマイテス・エサイ VS 『その手』・精霊と獅子と余談『狼男の移動範囲』
夜の始まり―― ヨーマイテスは、立ち去りかけて、祠の呪いに襲われる(※2832話参照)。
他の者たちがそれぞれの役割に奔走した一日は、獅子も『ティヤーの呪い巡り・檻探し』をこなしたが、ティヤーに7つある呪いの地で、思いも寄らぬ足止めを食らった。
とはいえ、足止めも使いよう。相手が誰か、分かっている。
噴き出して獅子を包んだ砂は、その体に触れられず霧散した。獅子の金の刺青が発揮する力は、この程度ものともしない。
ヨーマイテスは思いついたことを実行するに、もう一人いた方が有利と、手甲の着いた右腕を揺らした。祠が砂を再び噴出する前に、灰色の煙がシュッと出る。
「呼んだ?」
「手を貸せ」
手を貸せと言いながら、獅子は降りかかる砂の山に口を開け、砂は呆気なく黒い塵になる。
それを横目に土砂降りで呼び出された狼男は、目の前の問題―― 祠に鼻を鳴らした。『異時空か』と呟き、エサイは獅子と関係ない方を見て『あんたはどっちだ』と一言。ヨーマイテスの碧の目が『俺は奥』と祠の鈍い光を見る。
その返答を理解したように、出かけた砂がぴたっと止まり、祠後ろの岩壁が急に真っ赤な溶岩を噴いた。獅子は、熱に燃え崩れる祠を飛び越え、縦に裂けて広がる溶岩口へ飛び込んだ。
残されたエサイが、溶岩の垂れ出る岩壁からパッと離れると、自在に動く砂もついてくる。エサイはこの砂が実体半分幻半分であるくらいは感じているが、それよりも気になること、あり。
―――これは、あの黒い精霊じゃないのか。
そう思うや、ザーッと動いた砂は視界を覆い、エサイが消えるより早く、別の風景に彼を引き込む。身構えたエサイは、風景に変わったことで異時空へ移ったと理解。浮いた体で目だけ動かし、上下も重力もない『360℃地獄絵図』に敵を探す。
黒い精霊相手・・・やめてくれよと苦笑した狼に、生温い風が吹いた。
上も下も四方八方、人間同士が殺し合う・叫ぶ・泣く・奪う・犯すの立体映像の中心で、血の臭いが風に乗るとリアリティを増す。
『お前も尽きると言うのに、笑う余裕か?』
聞いたことがあるような無いような声が聞こえ、エサイは声と気配の感覚を手繰る。この異時空の出口はどこか。返答しないエサイに、血生臭い風がまた吹いた。
『お前は死んで久しいだろう。サブパメントゥでもない。この世の何者でもない』
「そうみたいだ」
『恐れ知らずが命を落とした理由。お前のように種族もなくあぶれた者の行き先は、一つ』
「ここじゃないね」
ふざけた調子で返した答えに、地獄絵図を作るおびただしい人間が一斉にエサイを見た。塗りつぶされた顔、貼りつく無数の目の中で、一つだけ白目のない突き刺す眼光。
エサイがそれを捉えると同時に、血濡れた人間たちがエサイに腕を伸ばし、狼男の頭から足まで掴む。
引き千切る勢い、求める食い込み。幻と現実の合いの子に集られたエサイは、あっという間に見えなくなったが、毛の一本すら動く隙間がなくなった時―――
ぐわッと赤黒い世界が揺れて砂に戻った。砂は土砂降りの雨に叩き落とされ、エサイは異時空脱出成功。出口は、あの世界の要素が一つにまとまった時、と見抜いて包ませた。
嵐の周囲、元の場所に戻ったと分かり、終わっていない相手の視線に顔を向ける。
白目のない、あの目が二つ。嵐の夜に紛れることなき、迫力。降りしきる豪雨を透かすように空中から見下ろした精霊の目は、エサイに告げる。
『出られるもんだな』
「やっぱりあんただな?」
『誰と思うか』
精霊の目が瞬きし、エサイはそれを待たず。俺は余計なことをしない、この鉄則を守って・・・ 『原初の悪』より早く、狼男は別の異時空へ紛れ込んだ。
狼男に逃げられた精霊は、『赤い狼と同じ。だがお前の方が生意気で動きが良い』と笑い、これはここで放っておく。捕まえても逃がしても、どちらでも良かった。元々、狙ったのは獅子の方で―――
*****
二手に分かれたら、どちらかに本性を出すだろうし、そうなれば目的の片鱗でも探れそうだと考え、エサイを出したヨーマイテスは。
「こんな面倒な手を使ってまで」
回りくどいと吐き捨てる獅子は、すうっと伸びる長い蔓を避け、急角度で突き刺してくる蔓の先を消す。先の砂と同様、幻だけでもなく現実だけでもない不完全な異時空の産物。
要らないものを混ぜて溜め込んでいるような、そんな異時空に感じる。
入ったここは、奥へ伸びる大きな筒の中で、炎と溶岩が筒を作っていた。飛び込んだら背後の入り口は失せ、燃える壁から槍のように動く蔓の大群が襲う。
炎に近づくと一丁前に引火するので、火が移ると消し、方向問わずに襲ってくる蔓を足場に、ヨーマイテスは適度にかわして消してを繰り返し、否応なしに奥へ奥へと進んでいた。
熱は感じる。引火も燃える現象を伴う。だが、これは半分以上が実際の状態に影響しない。とはいえ、半分は影響するのも体感で分かるので、面倒だが火の壁に触れないよう気を付けるのみ・・・ なのだが。
正直な所、ヨーマイテスはここから出られる。奥へ追い込まれるが、蔓が消え失せたら足場は消えてしまうので、そうなれば即脱出するだけ。
こんな面倒を通して俺を引き込む理由は怪訝だが、機会の利用を思いついた獅子も目的のために顔合わせまで粘る。
―――二度目の旅路にいた俺を知っていても、当時は何の接触もなかった(※2676話参照)。三度目の旅路でこうも絡んでくるのは、やつの都合に欲しいからか。
呪う地霊の敷地は、『原初の悪』による出来事の影響で人間とこじれて因縁づいた場所。
地霊が直接に『原初の悪』に従ったのではないが、影響が濃く滲んで、関係なかった呪いの形まで、こんな時に好き勝手使われる。
それにしても。たかが地霊がここまで攻撃的な異時空を使うなど、俺が信じ込むと思ったのか。こんなものを使った時点で、正体に気づかれると―――
飛び出す本数が減ってきた蔓に気づいていた獅子は、最後に蹴った蔓から先がなく、重力だけはある筒の炎に落ちる。現れなかったなと無意味を過らせ、時空移動を使った途端、次の場所で向かい合った。
「まだるっこしいだろう」
『おお。今日はお前から口を利くか。そうだな、時間をかけてやった』
「コルステインに言え」
初っ端からコルステインを出した獅子に、精霊は顔を横に倒す。薄暗い濡れた床の上に、大きな白い顔だけが仮面のようにあり、その顔が右に傾いて口端を吊り上げた。
『獅子。力の差がある』
「承知している」
『お前を使ってやろうと思う。断るとお前は終わる』
「俺が終わると何が起きるんだ」
『さぁ』
白い大きな顔と、数m先の獅子は、少し沈黙を挟む。あっさりと自分の世界に招くなら、最初からそうすればいいものをと、ヨーマイテスは思う余裕あり。
「何で俺なんだ。俺で足りるようなことは、他の連中で」
『勝手が良さそうだからだ。お前が道連れにした狼でも良いと思ったが、やはりお前の方が使いやすい。あちこち行ける上に判断も早い。サブパメントゥが終結する時、コルステインは消えるだろうが、お前は残れる可能性もあるぞ。俺が』
「俺をここへよこしたのは、ファニバスクワンだと知っているのか」
白い顔の表情が止まる。
この前からサブパメントゥ存続をだしに強請るこの精霊が、三度目の旅路で執拗に絡んでくるのも、ファニバスクワンがこいつ絡みを調べさせているのも、共通点が見えた。
そうじゃないかと踏んでいたが、精霊の考えることなどこちらの思惑を外れる方が多いため、確信を得るまで決めこまなかったけれど。
獅子は相手が黙ったままの状態も、見越した通りと感じる。俺を使うのは混乱の取っ掛かり、その一つで、最終的には世界の種族基盤を根っこからひっくり返す気・・・と分かれば。
ファニバスクワンは最後の最後で、この精霊の度が過ぎた全てを突きつけて守るつもりかもしれない。『原初の悪』は他の精霊に知られたくないのだろう。これまでの突発的な支離滅裂な動きを笠に、関心を引かず物事を運びたいのだ。
『ファニバスクワンと繋がっているから強気、か?あの程度の精霊が、お前の安心とは』
白い顔から薄笑いが消え、生意気な獅子を挑発する。倒れた仮面が起き上がり、しゅーっと紺色の湯気が包むや、紺色の僧服姿で獅子の前に一歩踏み出した。濡れた床の水が撥ねる。獅子の碧の目は、床に張る浸す水を見て、一歩ずつ近づく精霊に視線を上げる。
「ファニバスクワンも古くからの精霊だ」
『まぁ、そうだ。だがあれと俺では桁違いくらい、お前には分かりそうなもんだがなぁ。精霊同士、いがみ合う可能性でも期待していそうだ。そんなこともない。互いを尊重するのが精霊だぞ』
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ・・・・・ ほんの数mを、じれったく近づいて足を止めた青鈍色の精霊は、金茶の獅子のど真ん前で腕組みし、大きな獣の顔を覗き込んだ。
『お前がここに居ても。ファニバスクワンがお前をよこしたとしても。お前は、独りぼっちなんだぜ?』
獅子は、自分の思考遮断がこんな大物にも効果があることに、この時は若干感謝する―――
断ると死んじまうだけだ、と精霊の片手が獅子に伸びる。その間、二秒。一、二、で青鈍色の指先が鬣を触れ・・・る直前、床を浸す水が弾けた。
バッと消えた『原初の悪』と同時、ヨーマイテスも床に広がった薄緑の魔法陣に吸い込まれる。
『ファニバスクワンの絵』
俺の領域だぞ!と怒鳴った精霊の声だけが、薄暗い異時空に響いたが、魔法陣は獅子を連れて即消え去った。
*****
危機一髪を逃れた獅子は、遥か遠く、ティヤーとアイエラダハッド境目の海に移され、ファニバスクワンに迎えられた。お前は、と精霊に困った顔を向けられるが、獅子は『俺が悪いわけじゃないだろ』と返し、何が起きたか説明を求められ、感じたことも全て、洗いざらい話した。
エサイはどうしたかを聞かれ、エサイを探しに行くと獅子は答え、さっきの今ということもあり、ファニバスクワン付き添いで現地へ戻る。
ここで『原初の悪』とやり合うと面倒極まりないので、ファニバスクワンも警戒はしたが、それは杞憂で済み、現地から続く異時空にいたエサイを無事に回収。
狼男は『狼歩面』がないと、持ち前の能力で許された範囲しか移動できないと、この時、本人も獅子も初めて知った。
ティヤーは決戦が始まった当日で、そこかしこが魔物と死霊、地震と『念』と歪だらけの不安定な時空を帯びているが、ファニバスクワンは予定外(※『原初の悪』アタック)が生じたことにより、獅子を連れ帰った。
もちろん、こうなると獅子の心配は愛息子にすぐ向けられる。
「バニザットもだ。あいつはハイザンジェルで」
面倒でも。ファニバスクワンは、然もありなんと頼みを聞き入れた。
シャンガマックが出かけた地・ハイザンジェルに呼びかけて なぜ、先ほど『原初の悪』が現れなかったかを理解する。
*****
下でこんなことが起きているなど、全く関係ない、空の上では―――
「ビルガメス。そろそろどうだ」
「良いだろう。イーアンも知り合いに連絡が済んだ」
白い筒を打ち上げる気満々の男龍が、頷き合う。イーアンに知らせておかないと、後で何を言われるか分からないからなと、ビルガメスが呟き、ニヌルタも『さっきまで忘れていたが』と暢気に笑った。
「コルステインを逃がしたい、と。それを待ってやる俺たちも随分、親切になった」
「じゃ、イーアンから連絡が戻ったし、出すか」
空に顔を向けたビルガメスに、ニヌルタも合わせる。
「ザハージャングだな」
お読み頂きありがとうございます。




