2804. イーアンの一日とあの人と、祝福と
テイワグナの粘土板を集めるイーアンは、本当に早く終わりそうだと地図を広げて感じる。
「私が行くと粘土板から呼んでくれるから、手間なしったらありませんよ。さすが始祖の龍の子供たち(※粘土板反応=彼女の鱗説)」
ハイザンジェルが呆気なく終わった分、獅子に国三つ担当を押し付けられたとはいえ、実際はテイワグナとティヤー中心。
テイワグナは首都に集まった分が館長の持ち物と思うので、そこ以外を回った。海岸線が多いのは当然で、内陸もたまにある。内陸で標高がある台地は、海が遠方に見えるからだろう。ここもそう。
地図から目を上げた景色は、立っている位置から下方を広大な森林が埋め、森林の先は段差を挟んでベージュの地面に変わり、その色も薄れる続きは水平線がある。来る時に見たが、段差は谷で、谷向こうのベージュは草の少ない地面だった。『檻』発動地点は、隆起したテーブル状の台地。
台地の、草のない明るい黄土色の地に、遺跡の石が等間隔に円を組む。
いろんなタイプの遺跡があって、ここは部族的な雰囲気だが手が込んでいる遺跡もあり、目的の粘土板が探す必要もなく見つかるのもあって、興味深い遺跡を見るのも楽しい。
「余裕はないのですが、つい見てしまう。在りし日の姿は、さぞ素晴らしかったでしょう」
遺跡に微笑み、『テイワグナを回り終わったら』を考える。再び地図に目を戻して、今日中には終わるかも知れないので、そうするとティヤーなのだが。
昨晩は、ティヤーで粘土板を探した。夜じゃないと、人目に付く。夜は夜で私の角が光るから、それも気をつけたいのだが、僻地だったので人がいなくて良かったのだ。だけど僻地以外も『檻』の発動地が地図にあって。
ピンレーレー列島の一ヶ所・・・ つい、この前までいた島の近くにもある。
白い角が光るのを多くの人が見ているだけに、女龍は行く時間に悩むが、今はとりあえず、テイワグナの粘土板を集めに飛び、回りながら考えることにした。
テイワグナの懐かしい風景を過ぎる度に、地域の思い出が蘇る。会いたい人や精霊がたくさんいる。誰も彼もが印象的だったけれど、中でも混合種のヴィメテカ(※1469話参照)は。彼の守る荒野を遠目に、イーアンはまた会いましょうと心で挨拶。
そしてふと、気づく。『意外と会うの、早いかも』そうだった、と次の目的地へ滑空しながら、自分の仕事で混合種を頼るつもりであることを思い出す。
「場所が全然離れているし、ヴィメテカに関係ないのだけど。でも治癒場に人々を導く見守りを、混合種に頼みたいと思っていたから」
こじつけでヴィメテカに会おう、と決める。混合種が他にいるか、一緒に探してもらえたら心強い。ヴィメテカに迷惑が掛からない範囲で――
「きっと大丈夫なはず。だって、お友達です」
友達と言ってくれた混合種の精霊の言葉に、イーアンは嬉しく頷く。私のタトゥーを彼も胸に写した。グィードのようだと言っていた(※1473話参照)。ヴィメテカなら、彼に無理のない範囲で私に協力してくれる。
『檻』発動の遺構に着いて、イーアンを呼ぶ光に向かって歩く。粘土板を集め終えたら、『灯台』の設置もしつつ、ヴィメテカに相談しよう・・・そう思うと、悩んでいた心も晴れた。ティヤー巡りの懸念も『急いで済ませたら良いのです』と気持ちは早々に切り替わる。
旧友ヴィメテカを懐かしみ、心も軽くなったイーアンは、居場所を告げる粘土板を袋に入れて――― 夕方前には、テイワグナ粘土板回収完了し、明るい時間のティヤーへ出発した。
戻って来たティヤーで、僻地ではなく、『そそくさ済ませれば良い』と思ったピンレーレーの島の一つに降りた。気になることから終わらせる。早めに片付けられることは後回しにしない。イーアンの業務方針。
「考えてみたら、夜の方が目立つかもしれないんだし。この時間ならうまく飛べば、私の影だって鳥くらいにしか思わない」
私ったら気にし過ぎだと頭振り振り、イーアンはピンレーレーのアリータックから手前に、ちょこんとある小さな島の入り江を歩き出した。こんな狭いところに発動地があるのも意外だったが、地図はここを示すので合っているのだろう。
地震は降りた側から足を伝う。大きくはないけれど、昨日の夜から続いている地震に、急ごうと気を引き締め、細い浜を進む。幅はせいぜい2~3m。地震の影響か、それとも元からこうなのか。
本当に小さい入り江ですよ、磯がないから小舟は寄せやすそう、とか・・・あれこれ独り喋りながら歩く女龍は気配に疎く・・・ まさかの相手に出くわす。
ジャバジャバと波被る音が背後から聞こえていたが、それは風も強いし、狭い砂浜に張り出す、壁のような岩へ寄せる水、と気にしていなかった。
湾曲を細い浜に沿って歩いた先、不可思議な遺跡発見。
ちょっとだけ残っている遺跡に足を踏み入れ、岩壁に開いた穴の向こうで光が上がり、粘土板だ!と足をそちらへ浮かせた、すぐ。
砂を踏む音が後ろに聞こえ、ハッとして振り返った。
「やっぱりお前か」
「ハクラマン・タニーラニ。なぜここに」
目を丸くする女龍に、大柄な海運局長が近づく。どうしよう、と一歩下がったイーアンの顔に戸惑いが浮かび、髭のある男の太い眉がぎゅっと寄った。
「俺を前に、そんな顔かよ」
「いえ、それは。怒っていらっしゃると」
「久しぶりに会って、俺が怒る理由があるのか?」
「だって。聞きました。機構の製品を使わないと。私たちは憎しみの対象になりました」
粘土板があるのでかわすわけにもいかず、イーアンは粘土板の光が見えないよう、そちらの穴に背を向けて動かずに局長を見上げ、嫌われた事情を口にする。自分から言うのも辛い。言ってからぎこちなく目を逸らすと、局長が背を屈め、膝に両手を置いて同じ高さに顔を下げた。
「俺は、憎しみなんか思っていない」
唇を噛んだ龍の女を哀しそうに見つめ、静かに局長は伝える。そうは言われても、イーアンは黙ったまま。局長は大きな手を女龍の肩に乗せて、『そう思うような男か。俺の印象は』と逆に尋ね、イーアンは首だけ横に振った。
「お前の影は、目に焼き付いている。今後一生会えなくても、お前が空を飛ぶ姿に伝説と希望を見た日から、いつでも記憶を呼び起せる。6枚の長い翼、毛の生えた長い尾、角のある頭。お前が飛ぶと白い流れ星のようだ。真昼間でも、空で一番輝く、龍。
夕方の巡視船で、空にお前を見つけた。四の五の言わずに、俺だけ小舟で来た。部下には他言するなと命令して返した。俺たちのウィハニが戻ってきたと思ったからだ」
言い聞かせようとするみたいに・・・局長は癖の強い共通語を使い、イーアンに敬意を伝え、イーアンも目を伏せる。『ウィハニは私じゃありません』とそこだけ訂正したが、局長は繰り返した。
「俺にとっては、お前がウィハニだ。イーアン。ティヤーの海を守り続けた偉大なウィハニもいるが、空を自在に飛ぶ龍、黒い龍を知る海神の女がウィハニなんだよ」
夕方が始まった入江の砂浜で、局長は自分が信じていることを直線で伝えるが、イーアンはその真っ直ぐさが苦しくて呟いた。
「・・・私たちは。人型の動力に」
「分かってる。もう、人間に戻れないと聞いてる」
「だけど。警備隊も海運局も、海賊の皆さんも。私たちが無差別に」
「言わなくて良い。受け容れられない奴もいる。一度にその声が上がった。過半数がそうなれば、仲間割れしている事態じゃないから、俺も聞き入れた。アネィヨーハンは今、アマウィコロィア・チョリア島にあるんだろ?あっちは大丈夫だと報告は入ってるが、見に行けない。扱いはどうだ」
「理解して下さっています。事情も説明しました」
ならいい、と局長は屈めた背を起こし、イーアンの肩に手を置いたまま、自分を見上げた鳶色の目に念を押す。
「誤解するな。俺は前言撤回しない。祈ったお前が、例え俺に牙をむこうが、それは人間の俺が理由を問うもんじゃないくらい解ってる。・・・サーンは、まだあるか?」
急にサーン(※お米)の話に変わって瞬きしたイーアンは、うん、と頷く。
じっと見つめ合った、数秒の沈黙。金橙の斜陽が波打ち際を彩り、二人の影を強い黒に染め、白茶の砂浜が宝石の欠片みたいに煌めく。
イーアンはまだ不安も悲しさも消えない。それを払拭しようと試みる局長の目が見下ろす。彼は『龍は、俺たちに構わなくて良いくらい、手の届かない存在だ』と呟いた。
「それでもお前は、俺たちに嫌われたことで、心底哀しそうに俯く」
「悲しいです。辛かったです。でも、やらねばならない。私はそれをしないといけない」
「人間上がりの龍。俺は警備隊でも公民館でも、お前の話を聞けて嬉しかった(※2611話、2632話参照)。信じている人間がいることを、忘れるな」
俯いた顔でグッと引き結んだイーアンの唇。ぎゅっと瞑った目からポタッと涙が一滴落ちて、吹いた風にそれは散った。泣きそうなのを堪える女龍の肩が震え、局長はそっと抱き寄せてやり、『信じているやつはいるんだ』としっかり教えた。
さめざめと泣く女龍の畳まれた翼を撫でる。『龍の翼を撫でて慰めた男なんて貴重だろうな』と、ぼそっと呟かれて、イーアンは泣いている最中にちょっと笑った。手が止まったので、顔を上げると、海の男が優しい表情で見下ろす。
「今は・・・何しにここに来たんだ。誰もいない島だ。手伝えることはあるか」
「あの。言えなくて」
「そうか」
理由は言えないイーアンだけれど、誤解のない相手に会えたことは嬉しかった。心から感謝して、局長のお腹に両手を当て、抱き寄せられていたのを離す。
―――言えない。粘土板が、この人たちを導くことも。導かれる意味は、連れて行かれるという事態であることも。それが淘汰で、もう避けられないことも。
どうか、この深い理解者が無事でありますように。ゆっくり押して離した腕が伸び切った時、イーアンの想いは龍気に変わって、白い粒子が指を伝う。白い雲のような龍気は局長の胴体に巻き付き、驚く局長の目が見開いた。
「これは?なんだ、体が浮く」
「浮いていません・・・あ。祝福が。あなたに」
自然体で祝福をしたイーアンは、うっかり龍気が流れてしまい、これが良かったかどうか喜べずに口ごもる。だが、局長は何を察したか、解けた白い雲の一部を名残惜しそうに見送って、女龍に笑った。
「お前は俺を認めた。そういうことか」
「そう。ですね。でも、その。迷惑だったかも」
言い難いのに、戸惑う感情がまた余計なことを口走らせ、イーアンは唸る。局長は無理に聞こうと思わなかったが、女龍に直に『祝福』と伝えられたのもあり、黄金色の空を見上げた。
「戻る前に。言えることだけでも教えてくれないか。何が起きるんだ。イーアンが俺たちに気を遣う。遣い続けて苦しんでいる。ウィハニの荷を少しで良いから、俺の甲板に降ろせないか」
親切の申し出に、うぐっと呻く女龍は、気づいていなかったが。
局長は、彼女の腰袋から只ならぬ強い気配と光を発する何かが気になっていたし、砂浜を穴の開いた崖が隔てた向こう、ずっと何かが光っているのも・・・気づいていた。
「言い難いところ、悪いがな。俺が先に言うか。この島は、誰も住まない。ここは立ち入り禁止だからだ」
女龍が固まり、そろりと視線を合わせる。ハクラマン・タニーラニは頷いて、彼女の後ろを指差した。
「あれが、禁止の場所だ」
夕方はどんどん鮮やかに、赤と黄金と黒の景色に塗り替えてゆく―――
お読み頂き有難うございます。




