14.待ち時間
(※部屋で待つイーアンの視点です)
扉が閉じたので、言われたとおりにすぐ鍵を下ろした。
廊下でドルドレンの声が響いたのが分かった。誰かに注意しているのだろう。
扉から離れて、椅子に座る。
目の前には木製の家具。丸い机が一つ。椅子は2脚。
大きめのベッドがポンと置かれている外、衣服をかけるクローゼットと、壁付けのフックがある。窓際には小さい棚が置いてあって、そこに水の入っていない水差しと洗面器がある。壁に備え付けの棚が何段かあるのは、本や小物を置くためなのか。
木の床に木の壁。窓にはガラスみたいなものがあるけれど、少し透明度が低いので、また違う物質かもしれない。カーテンはもともとない様子。
どこなのだろう。
立ち止まるとそればかりが、頭の中に浮かんでくる。
濡れた衣服に目を向ける。服は午後中着ていたのもあって生乾きになった。脱いだ時、水が滴る状態ではないと思ってベッドのフットボードにかけた。明日洗ってもよいか、聞いてみよう。
「水の中だったのよね・・・・・ 」
生乾きの服をぼんやり見ながら、眩暈の次が水の中だったことを思い出す。その水が、見慣れた湖の水ではなかったことから、あの眩暈と同時に変化があった、と。
そこまで考えて俯いた。理由を考えてもどうになるものでもなさそうだ、と分かっていた。
状況を細切れにして、整理する。こういう時は、主観的に見ると時間を無駄遣いするものだ。
現在、ある程度はっきりしていることを並べて客観的に状況を把握するに越したことはない。
ここがどこかは分からないけれど、多分地球上ではない、と考えて良さそう。これが一つめ。
言葉が通じているのは日本語を話しているからではない。恐らく私が、どうしてか、彼らの言葉を話していると捉える方が良い。文化や風景がずいぶんとファンタジックなのは、別の世界の姿なのかもしれない。
人間・自然・生物・発展の仕方は、私たちのいた場所の西暦1200年~1500年とか、何となくだけどその辺りに思える。雰囲気は、ヨーロッパもしくはその影響を受けた近隣地域、という解釈で済ます。
そして、現時点での私の境遇は危険ではない、ということ。これが二つめ。 この状態にあって、幸運とも思う。
水に濡れた上、右も左も分からない場所で、親切で礼儀のある人に発見されて保護された。
ここは軍のようだけど、内容が騎士というからか構えるほど恐ろしい感じはない。映画で観た軍の内部の荒くれ状態を思い出すと、ここは紳士的なほうなのだ。ドルドレンが一喝しただけで統率が取れることに感心した。
――そう、ドルドレン。彼は総長と呼ばれている・・・・・ 上の立場の人なのね。総長ってどのくらいの位置なのかしら。
ドルドレンには結構驚いてしまうことが多いが、彼は大真面目にそれが良かろうと判断してくれていると思う。
腰を掴んだこと(しつこいか)から始まって、馬二人乗りはあの状態では必須だからありだとしても、肩に手を回して引き寄せる回数の多さは、これは女性側が枯れていないと相当な誤解レベル。40過ぎていて良かった。
クロークを羽織らせてくれただけでもビックリした。 ・・・・でもあれは、目の前でずぶ濡れの人がいたら誰でも同じ行動を取るかもしれないし、親切を踏みにじるような不純な好奇心を育ててはいけない。
それに初めて会ったのに、女の人が困っているからと保護したり空き部屋を用意する提案も、とんでもなく紳士。馬房の人が話していた『時々、老人や子供を保護して』いたことを思えば、ドルドレンは誰にでも分け隔てなく、心優しい対応をする人なのだ。
・・・でもここ、そんなに誰かを保護しないといけない状況なのかしら。これについては後で聞いてみよう。
執務室でのやり取りは、私が困った。いくら空き部屋が満足な環境ではないといえ、自分の部屋に寝台を分けて休ませようとは、どれだけ責任感が強いのか。執務担当の人が困惑するのも当然だと思ったが、本人は真面目に心配してくれての発言だろうから・・・・・ だけど枯れてないと、この辺も誤解しかねないかも。
とにかく。ドルドレンは紳士で思いやりのある人で、運よくその人と出会えたことは、私にとって大変幸運なのだ。会えていなかったら、と想像すると、もう心細いどころの騒ぎではないのだ。
しばらく過ごすことになったとしても、これまでの環境と大きな差はないような。山脈が常に見える範囲にあるからか、地下水脈も多そうで、だからなのか水周りが不衛生といった印象がないのも心底安心した。
生活の基本は大事よ。動いたら洗うし、食べたら出すんですもの。書いて字の如く、『衛生』を管理できれば体調を保てる率がうんと増える。
洗ってる清潔な着替えもそう。白いチュニックとズボン、革の靴を見下ろして嬉しく思う。ざっくりした生地は多分手織り。 そうそう、服と靴の作りを見て、この場所で一般的な大方の技術がはっきりした。思うにここは、何もかもが手作業で作られているのだと思う。
話を戻す。 こんな大人数の男所帯で、ちゃんと清潔への意識があることは大事なこと。掃除した空き部屋に急に誰かが来ても良いように、きちんと洗った着替えや寝具が備わっていることに、本当に素晴らしいと感動した。
ふと、白いチュニックから見える自分のタトゥーに目が留まった。
私のタトゥー、ドルドレンが嫌がらなくて良かった。これまで会った人たちには、タトゥーを見るだけで顔をしかめる人もいたから、ここが過敏な場所ではないと分かって安心した。
『この国ではあまり聞かないだけで』と、ドルドレンが言っていた。他の国にはあるのだろう。
私の絵は、私が若い頃にどうしても入れたくて入れた絵。神話の花と神話の動物をデフォルメしてタトゥーにした。お守りとして、生涯を一緒に過ごしたかったからだ。
そこで、置かれた環境と状況の整理について考えるのが止まった。
ドルドレンは私の絵を静かに眺めた後、私の両肩に手を置いて、その手を私の頬に移したのを思い出した。顔を包むように大きな手のぬくもりが伝わった途端、 腹が鳴った・・・・・
ここから戻れば『結婚前提』の同棲男性がいる私は、あらぬ期待をすることもないのだが。
絹の光沢を持つ灰色の瞳が、何度も私の目を覗き込んだこと。言葉からも態度からも、安心して良いことが伝わること。護られている、と疑いもなく信じられること。絵に描いたような素敵な微笑。細やかに気遣う優しさ。責任感の強いてきぱきした決定力。
――独り者だったら。若かったら。 そんなことを過ぎらせる自分に気がついて、笑ってしまった。
あまりに非現実的な一日。これまで見たことのない魅力ある男性。 私の現状はまだ先が見えるものではないのに、会ったばかりのドルドレンの存在にすっかり助けられている。私の能天気さにもほどがあるな、と笑ってしまうのだ。
一しきり笑った後、はぁ、と溜息をついて笑うのをやめて思う。
どれくらい、ここにいるのだろう。
・・・・・それが分からないにしても、この世界に存在している間は出来る限り前向きに考えよう。どこで生きるにしても、もらった時間を大事に生きないと。
とりあえずは、ドルドレンが確保してくれたこの仮の住まいで、自分が役立てそうなことを探して頑張ろうと決めた。
蝋燭の明かりがゆらりと揺れたのが見えた時。扉をノックする音がした。
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