それは恥ずかしい
「フィオナ、今いい?」
任務後、ホームに戻って自室で着替えを済ませ、ソファーに座って一休みしていると、ミュリエルが訪ねてきた。
部屋の中に招き入れて、テーブルを挟んで対面に座る。
「あのさ、同じこと何回も言ってるけどさ、マティ兄はフィオナのことすっごく好きだと思うよ。だからどうやったら好かれるかなんて考えなくていいって」
「……ありがとう。皆そう言って励ましてくれてすごく嬉しい。だけどね、そこまで好きになってもらえる理由なんてないよ」
フィオナにはマティアスに好かれることをした覚えが一つもない。
世話になってばかりで、迷惑なんて数え切れない程かけている。嫌われていないことが奇跡な程だ。
そして彼にとっては五歳下の自分なんて妹みたいなものだろう。いや、妹どころか娘のように思われているだろう。
美女だったら恋愛対象として見てもらえるかもしれないが、自分はそうではない。
自分の容姿は恵まれている方だと思っているが、特別美しい訳ではない。
美女というのは、皇子が侍らせていた女性たちのことを言うのだと知っている。
彫りの深い顔立ちにバサバサの長い睫毛、ぷるんぷるんの唇に、出るところがこれでもかと出ているメリハリのある体。
彼女たちと比べれば、自分はなんて色気がないのだろうと思い知らされる。
「いや、あんた美人だしスタイルもいいでしょ。一目惚れされてもおかしくない見た目だから。自信もちなって」
「ありがとう。ミュリエルはすっごく可愛いよね。そのうちレイラさんみたいに色っぽくなるのかな……色気と可愛さを併せ持ったら最強だね。良いなぁ……アランとも最近すっごく仲良しだよね。二人はもう恋人同士なの?」
「んなっ、何でそこでアランが出てくるのよ!?」
なぜ急に自分の話になってしまったのだ。ミュリエルは恥ずかしくて顔を赤くしながら声を荒げた。
フィオナはきょとんとしながら淡々と答える。
「何でって、ニナが言ってたよ。ミュリエルはアランのことが好きなんだよって。違った?」
「っっ違っ……わない、けどっ……! もう、ニナったら……!」
ミュリエルは湯気が出そうな程真っ赤になった。だけど否定はしない。自分の気持ちに嘘はつきたくないから。
フィオナとマティアスに苛立つことをやめてからというもの、いつの間にかアランが気になって仕方がないのは事実なのだ。
第一魔術師団の中でムードメーカー的な存在であるアランは、ミュリエルが入団した時に一番最初に仲良くなった人物。
最年少である自分を特別気にかけてくれて、人との距離の縮め方が下手な自分が他の団員と早く打ち解けられるようにと気を遣ってくれた。
最近になってようやくその優しさに気付き、彼を好きな気持ちが日に日に大きくなっている。
ミュリエルはそんな気持ちをフィオナに漏らしてみた。恋する気持ちを誰かに話すのは初めてのこと。何とも言えないこそばゆい感覚。
一度話し始めると胸の内をさらけ出したくなる。たまらなく楽しくて、しばらく二人で恋の話に花を咲かせた。
話の流れで色気を出したいと相談したフィオナは、ミュリエルに手を引かれて彼女の部屋にやってきた。
ミュリエルはチェストから服を何着か取り出すと、そのうちの一着をフィオナにずいっと差し出した。
「それじゃ、まずコレ着てみよっか」
胸元にぐいぐい押し付けられて受け取らざるを得ない。言われるがまま着替えたのは、袖口と裾に白いラインが入り、白い襟のついた黒い長袖ワンピース。
ミュリエルが着ると膝上10cm程の丈だが、フィオナが着るともっと短くなってしまった。
「それ似合ってるよ。他の服試さなくても、もうそれで良いんじゃない」
「……これ短すぎるよ」
普段膝より短いスカートをはかないフィオナは、膝が出ているだけで少し恥ずかしい。それなのに膝どころか太ももまで出ているなんて完全に許容範囲を超えている。
フィオナは呪印を確認するためにマティアスの目の前で腹部を露わにしたことがある。
あの時は、呪印による痛みが襲ってこないのはなぜだろうという疑問でいっぱいだった。そもそも彼のことを意識していなかったし、どうせ処刑されると達観していた。
だけど今は違う。意識しまくりである。こんなに太ももを見せるなんて恥ずかしい。
「これくらいなら短い内に入らないって。何ならもっと出す?」
ミュリエルはそう言ってニヤリと笑いながら、肩と胸元が大きく開いたシャツと更に短いスカートを手に持って見せてくる。とんでもないものを着せられそうだ。フィオナは慌てて阻止をする。
「だっ、出さない。これで良いよ」
「あ、良いって言ったね! それじゃ今日は夜までその服で過ごすこと。約束だからねっ!」
「うぅ……分かった」
なぜか約束することになってしまった。気が乗らないが、ミュリエルの圧に負けてしまい了承した。
フィオナは最初に着ていた自分の服を抱えながら、とぼとぼと自室に戻る。
膝がスースーして何だか落ち着かない。気を紛らわせようと夕食の時間まで本を読むことにする。
本棚から一冊選び、取り出したところで部屋にノックの音が響いた。
「フィオナ、いるか?」
「っっ」
心を落ち着けようとしていた矢先に、マティアスが来てしまった。狼狽えたフィオナは手に持っていた分厚い本を落とした。
「〜〜っっ!!」
本の角が右足の甲を直撃した。室内用スリッパを履いているといえどもとてつもなく痛い。痛すぎて涙目になり、両手で足の甲を押さえながら床の上をのたうち回る。
ガンッ ガタガタッ
膝を椅子にぶつけ、椅子は大きな音をたてて倒れた。
室内から聞こえてくるけたたましい物音。何事かとマティアスは勢いよく扉を開けた。
「フィオナ! どうした?」
マティアスは床に転がっているフィオナに慌てて駆け寄った。肩と後頭部に手を添えて上半身を起こし、心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫か? 何があった?」
「うぅ……大丈夫……足の上に本を落としただけなの」
「足か。靴下脱がすぞ」
スリッパはのたうち回っているうちに脱げて床に散らばった。
マティアスは右手でフィオナの頭を支えたまま、左手で彼女の右足の靴下を脱がした。足を下からそっと持ち上げて怪我の具合をしっかり確認する。
「血は出ていないようだな。見たところ治癒が必要な程ではなさそうだが……痛いか?」
「ううん。もう痛みは引いてきたから大丈夫だよ」
「そうか。それなら良かった」
先程まで苦痛に歪んでいた顔は、汗をにじませながらも軽く微笑んでいる。
大事ないようで良かった。マティアスはホッとし、そしてはたと気付く。
目の前にあるそれは見るからにすべすべで柔らかそう。思わず手を伸ばしそうになり、いやいやダメだと理性が働く。少し危なかったがギリギリセーフだ。
どこまでも丸見えになっているのはフィオナの足。太ももどころか足の付け根まで見えてしまいそうな程、際どいところまで露になっていた。
「あっ」
本人もそれに気付いた。慌てて乱れていたスカートを直し、グイグイとめいっぱい伸ばす。
だけどどう頑張っても膝上数センチは隠れない。元々長さが足りていないので当たり前だ。
「……立てるか?」
マティアスは見なかったことにした。つい今しがたのことには一切触れず、先に立ち上がって手を差し出す。
フィオナは恥ずかしすぎて下を向いたまま差し出された手を取った。
マティアスの顔が見れない。見れないけれど見られている。膝あたりにひしひしと視線を感じる。
自分が普段着ている服と違うから気になるのだろう。何も聞かれていないけど説明することにした。
「あのね、これはミュリエルに借りた服なの。だからいつもより短いんだ」
「……そうか」
フィオナの部屋のチェストには、服がみっちりと入っている。王国に連れてきた時は彼女の服の好みが分からなかったため、いろいろなテイストのものを揃えてあった。
彼女が普段選んで着ている服から好みが割り出されてからは、彼女好みの服ばかりが取り揃えられている。
給与をもらうようになり、これからは自分で購入すると彼女は宣言したが、この先しばらくは新たに買い足す必要がないほどの量が存在する。
それなのにわざわざミュリエルに服を借りたという言葉だけで、マティアスはおおよその経緯を把握した。
──くっそ可愛すぎる。
ここ最近のフィオナは、以前とは考えられない程に自分を意識してくれている。
そして好意を抱いてもらうために何だかんだと頑張っているようだと、ミュリエルから聞いている。
マティアスはそんな彼女が可愛くて仕方がない。
さっさと好きだと告げて堂々と触れ合いたい。だけど今のじれったい状態をもう少し味わいたい。そんな邪な思いの狭間で彼は揺れていた。
それはさておき、さすがにフィオナが今着ているスカートは足が出すぎではなかろうか。他の女性ならどれだけ露出していようとも少しも気にならないが、フィオナが肌を出すことは気になって仕方がない。
そして本人はあまり乗り気ではなさそうだ。表情から容易に窺える。
「君はそういう服も似合うが、いつもと違いすぎて恥ずかしいのではないか? すごく似合っているが無理はしなくて良いと思うぞ。本当によく似合っているがな」
似合うというのは大事なことなので三回言っておいた。
きちんと伝わったようで、フィオナはほんのりと頬を染めて口元を緩ませた。
「似合う? そっか、似合うんだ……えへへ、ありがとう。えっとね、夜までこの服で過ごすってミュリエルと約束しちゃったの。だから恥ずかしいけど着替えないでおくよ」
フィオナは仲間を裏切るようなことはしたくない。どんなくだらないことだろうと、ささやかなことだろうと、約束事はきちんと守りたい。
「なるほど。つまり、その服をきちんと着ていればそれで良いんだな」
「え? うん、そうだよ」
それなら話は簡単だと、マティアスはフィオナにスパッツをはかせ、ワンピースの上から膝より丈の長いカーディガンを羽織らせることにした。
そう、脱げないのなら着れば良いだけ。
「ありがとうマティアス。これなら恥ずかしくないよ。何で気付かなかったんだろ」
恥ずかしかった気持ちが落ち着いて、フィオナの表情は穏やかになった。
お礼を言われたが、マティアスはほぼ自分のために助言したに過ぎない。
(他の男どもに生足を拝ませてたまるか)
そう、生足はもちろんのこと、たとえスパッツだろうとぴっちりと太もものラインが分かるものを見せてなるものか。
そんなムッツリで独占欲丸出しの気持ちはもちろん隠す。
「どういたしまして。お役に立てたようで何よりだ。……ああそうだ、クッキーを持ってきているのだった。食べるか?」
マティアスは部屋の外に放置したままのワゴンの存在を思い出した。
「うん、食べたい。いつもありがとう。マティアスからは色々と貰ってばっかりだね。何かお返しがしたいんだけど……」
「俺が勝手にしていることだから気にする必要はない。感謝の言葉だけで十分だ」
「そっか。本当にいつもありがとう。クッキーはもちろん嬉しいし、大好きなマティアスとこうやって一緒に過ごせることが嬉しいの」
「……そうか」
あらためて感謝の気持ちを伝えるだけでなく、さらっと大好きと言われた。
マティアスはひっそりと喜びを噛み締めながらワゴンを押してテーブル横につけた。
「わぁ……可愛い」
フィオナは瞳を輝かせる。カゴには猫の絵柄のクッキーがいくつも入っていた。
てきぱきと紅茶を二人分淹れて、自分とマティアスの前に置く。
彼は甘いものを好んで食べないが焼き菓子は多少食べられる。カゴはテーブルの真ん中に置いて、取り皿を二つ並べた。
「いただきます」
フィオナはクッキーを一枚取って取り皿に置き、紅茶を一口飲んで、皿の上をじっと見つめ、また紅茶を一口飲む。
じーーっ……
フィオナはひたすら皿の上を見つめ続ける。
マティアスはその様子を眺めながらクッキーを一枚食べ、二枚食べ、三枚目を手に取ろうとしたところで堪えきれなくなり体を震わせた。
「くっ、くくく……食べられないのなら、カゴの下の方に絵柄のないものが入っているぞ」
「え、そうなんだ……そっか……えっと、これ食べてもらっても良いかな?」
フィオナは皿に載せた猫の絵柄入りのクッキーを申し訳なさそうに差し出した。そう、可愛すぎて食べられないのだ。
マティアスは笑いながら手に取り、一旦自分の皿に置いた。
フィオナはカゴの下の方から取り出したクッキーをようやく食べ始める。
「おいしい……」
ようやく口にすることができ、しみじみと呟いた。バターの風味とサクサクとした食感を堪能する。
「ほら、付いてるぞ」
マティアスはフィオナの口の端に付いたクッキーの粉をハンカチで拭う。
「ん、ありが……」
お礼を言いかけてハッとなる。これではいけない。フィオナは右手でハンカチをぐいっと押しのけて、左手で口を隠した。
「ダメ。マティアスはもうこういうことしちゃダメなの」
「こういうこと? こういうこととは何だ?」
「えっとね、こうやって小さい子の世話を焼くようなことだよ。これからはきちんと自分でするから手を出さないでほしいの」
今のままではいつまで経っても娘のようにしか思ってもらえない。脱、世話の焼ける娘。それが大人の女性として意識してもらうための大切な一歩。
フィオナは両手を強く握りしめて意気込む。決意のこもった瞳をマティアスに向けると、彼はなぜか呆然としていた。
「世話を……焼いてはいけない……だと?」
マティアスは虚無を見つめる。フィオナの世話を焼くこと、それ即ち日々の楽しみ。生きがいとも言える。それを拒絶されてしまうなんてあんまりだ。
「フィオナ、それは却下だ。断固として拒否する」
「え……」
なぜだ。なぜ却下されてしまったのだろう。フィオナはしばし考えた。
(……そっか。マティアスは責任感が強いから途中で急に止めるのは嫌なのかな)
王国に連れてきた張本人として責任を持って世話を焼いてくれていたのかもしれない。それをいきなり止めるだなんて彼の沽券に関わる程のことなのだろう。
そうとは知らず失礼なことを言ってしまった。
「ごめんね。私の世話を焼くことがそんなに重要なことだと思っていなかったよ。やっぱりまだ暫くはお願いしても良いかな?」
先程押しのけてしまったことに謝罪する気持ちを込めて、マティアスの手をぎゅっと握りしめる。
俯き加減に上目でじっと見つめられ、マティアスは『ぐっ……』と唸った。
「……分かってくれたのならそれで良い」
「良かった。これからもよろしくね」
「もちろんだ」
気持ちが通じ合ったようでズレていることにマティアスはもちろん気付いているが、フィオナは納得したようなので余計なことは言わないでおく。
努力しようとする気持ちはしっかり受け取って、だけどまだ暫くは今のままでいたい。後ろめたい想いを抱きながら、再びクッキーを食べ始めたフィオナを見つめていた。
しばらく二人でのんびりお茶の時間を楽しんだ後、食堂へ向かった。
「あーっ! それズルイっ!」
フィオナは食堂の入口で早速ミュリエルに捕まってしまった。
「ずるくないもん。ちゃんと着てるから約束は守ってるもん」
「そうだけど違くない? 意味ないじゃん」
確かに意味は全くない。だけど恥ずかしかったのだから仕方ない。
フィオナは反論できずにマティアスの袖を掴みながら、すすすと後ろに隠れた。
見かねたマティアスはミュリエルの耳元でこそっと告げる。
「許してやれ。俺に見せるのが目的だったのだろう? 見たのだから問題ないだろう」
「え? マティ兄見たんだ?……どうだった?」
「控え目に言って最高だった。よくやったミュリエル」
「そっか……えへへ」
ミュリエルは吊り上げていた眉を下げて頬を緩ませた。喜んでもらえたならそれで良い。
マティアスに意識してもらいたいというフィオナの目標は端から達成しているから、努力する意味はこれっぽっちもない。だからとりあえず彼が喜べばそれで良いと思って着せたものだったから。
それにしても、この二人はなぜまだ付き合っていないのだろう。数ヶ月前からすでに恋人同士にしか見えないのに。
まだお互いの気持ちすら伝えていない関係だなんて、じれったいにも程がある。
マティアスにぴったりとくっついているフィオナを見ながら、何だかなぁと溜め息を吐いた。






