お礼ができる
フィオナが第一魔術師団の一員となって一ヶ月が過ぎた。
今日は朝食後、団員は各自それぞれ団長室を訪れていた。フィオナも来るように言われていたので、ニナに連れられてやってきた。
「フィオナ、これがあなたの今月の給与よ。あなたは任務をこなしていないから皆よりは少ないけれど、団員の魔術力の向上に貢献してくれて、ホームの掃除を頑張ってくれた分の給与よ。お疲れさま」
団長であるレイラから茶色い封筒を受けとると、彼女は目を輝かせた。
「わぁ……初めての給与だ」
その言葉にニナはホロリとなる。帝国ではどれだけ働いても一切報酬がなかったことは聞いているのだ。
「フィオナさん良かったね……!」
「うん。嬉しい」
一緒に感動してくれたニナにぎゅっと抱きしめられた後は、ほくほくとした気持ちで自室へと戻った。
ベッド横の椅子に腰かけて初給与を眺め、マティアスの顔を思い浮かべる。
これで少しだけ恩返しできるかな。彼が任務から帰って来るのを心待ちにした。
夕食前にマティアスはフィオナの部屋を訪れた。彼は任務の帰りに寄った店で買ったハンドクリームを手渡す。
「最近手が少し荒れてきたようだからな。掃除の後は特にしっかりと塗っておくんだぞ。風呂上がりもだ。乾燥したまま放っておいたら酷くなるからダメだぞ」
「ありがとう。ちゃんと塗るね」
手荒れにまで気を遣ってくれるなんて、本当に素敵なお母さんぶりだ。そんな彼に今日受け取った茶色い封筒を見せた。
「見て、初めての給与なの。今日もらったんだよ」
「そうか。良かったな」
そう言ってフィオナの頭を撫でる。彼女が喜ぶと知ってからは、事あるごとに撫でるようになったのだ。
「いつでもいいから今度一緒に町に行きたいの。これでマティアスに何かお礼がしたいから」
「お礼など必要ないぞ。それは君が頑張って稼いだ金だろう。君自身のために使うべきだ」
マティアスはやんわりと拒否する。気持ちはとてつもなく嬉しいが、自分のために使わせるのは勿体ない。人生で初めての給与なら尚更だ。
フィオナのためを思って断った。しかしその言葉で彼女はあからさまに肩を落として俯いた。
「……そっか。初めての給与はマティアスのために使いたかったのに……ダメなんだ」
「ぐっ……」
しょぼんと眉を下げ紫色の瞳には涙が浮かんできた。彼は泣かせてしまったことを瞬時に後悔し、彼女の申し出を受け入れることにした。
「ダメな訳ないぞ。そう思ってくれて嬉しいに決まっている」
そっと頭を撫でて優しく語りかけると、フィオナは瞳を潤ませたまま彼の顔を上目遣いで覗き込む。
「それじゃ何か受け取ってくれる?」
「あぁ、もちろん」
その言葉でぱあっと顔を綻ばせて喜びを満面に表す。マティアスはお礼の品ではなく彼女をそっくりそのまま受け取りたい気持ちをぐっと堪えた。
それから三日経ち、さっそく出かける日がやってきた。フィオナはこの日は休みではなかったのだが、団員の一人と休日を交代することになり急遽休みになった。
そうなるようマティアスが仕組んだことなど彼女はもちろん知らない。
朝食後、フィオナはミュリエルとニナを部屋に招き入れた。ミュリエルに『少しは着飾るのよ!』と言われたけれど、彼女はそういうことには疎い。なので二人に見繕ってもらうことにした。
チェストから服をいくつか取り出すと、二人は迷うことなく清楚な白いフレアワンピースを選んだ。袖と裾部分はふんわりとシフォンになっている。
汚してしまいそうだと、フィオナは一度も袖を通していないものだ。
襟ぐりが大きく開いているのでコロンとした青い石のネックレスを着ける。髪は耳の前を少し下ろして、残りはふんわりと編み込み後ろで丸く纏め、花の形をした宝石が付いた髪留めを添える。
軽くファンデーションを塗って頬に淡くチークをぽんぽんとし、唇にほんのりと赤いリップを塗った。
あとは歩きやすいようストラップのついた藍色の靴に白い手提げバッグを添える。『羽織るものは持ったか』と必ず聞かれるはずなので、靴と同色のストールを準備しておく。
「ねぇニナ……どう思う?」
「完璧だね」
「だよね……」
完成したお出かけスタイルに二人は大満足だ。フィオナも姿見で確認し、いつもより華やかな装いに気分が上がる。
右へ左へくるりくるりと回って白いスカートがふわりと揺れた。
「ありがとう二人とも。何だかおしゃれですごく好き」
二人にお礼を言って見送った。部屋で迎えを待つ時間は何だかドキドキして、新鮮な気持ちがくすぐったくなる。
「フィオナ、もう行けそうか?」
数分後、マティアスが部屋を訪れた。フィオナは扉を開けてひょっこりと顔を出す。
「うん。準備はできてるよ」
扉の隙間からは顔しか出ていないが、明らかにいつもより華やかで、彼はおや? となる。そして部屋から出てきた姿に衝撃が走った。
ふんわりと美しく着飾った姿に言葉が出てこず、彼は呆然と立ち尽くす。
「ミュリエルとニナがおしゃれにしてくれたんだけど……どうかな?」
フィオナはスカートの裾を軽く持ち上げ少し恥ずかしそうに彼の顔を覗き込んだ。
──くっそ可愛いな、おい。
マティアスは良くやってくれたと心の中で二人を称賛しまくった。
「よく似合ってる。可愛く仕上げてもらえて良かったな」
「ありがとう。二人のおかげなの」
ようやくお褒めの言葉をもらえて、えへへとはにかんだ。
マティアスと並んで歩いていくと、廊下ですれ違う人たちから温かい視線を感じた。第一魔術師団の仲間や掃除係の女性にも出会って可愛いと褒めてもらい、ずっとくすぐったい気持ちでいっぱいになる。
ふわふわした気持ちと足取りで町までやって来た。
「マティアス、どこに行きたい? 何が欲しい?」
彼女の今日の目的は、初給与でマティアスをおもてなしすること、何かプレゼントすることだ。
「そうだな。ちょうどハンカチを新調したいと思っていたところだ。選んでもらえるか」
「うんっ、まかせて」
もちろんマティアスはハンカチを新調したいなどと思っていなかったのだが、さほど高価でなくプレゼントしやすい物は何かと考え、ハンカチが手頃で良いという結論に至った。
何もいらないと遠慮すると悲しい顔をさせてしまうのは明らかなので、とにかく何か受け取らなくてはいけないのだ。
フィオナに貰ったハンカチなど、後生大事に箱にしまって保管するのは決定事項。何だかんだで彼も楽しみだったりする。
そうして町で一番品揃えの豊富なハンカチ店へとやってきた。既製品からオーダーメイドまで承る店だ。
マティアスが店の中をゆっくり歩きながら商品を見ていく後ろをフィオナはずっと付いていく。
『選んでもらえるか』と言われたが、男性が使うハンカチはどのようなものが良いかなど分からない。マティアスが商品を見る姿をじいっと見ながら後を付いていく。
「くくっ……選んでくれるのではなかったのか」
意気揚々と任せてと言った割に選ぼうとしないフィオナに、彼は少し意地悪に尋ねた。
「どんなのが良いのか分からないの。マティアスはどんなのが好き?」
素直にそう告げられ、マティアスは『そうだな……』と考える。彼はハンカチには手を拭くものとしての機能以外は求めておらず、色やデザイン、手触りなど気にしたことはない。
今回は使う予定はなく保管しておくものだしなと、色味が気になったものを手に取った。白と水色と青色が混じった、空を描いた水彩画のようなもの。淡くぼんやりと柔らかな色彩が誰かさんを彷彿とさせる。
「これが良いな。これを貰えるか」
そう言って手に取ったハンカチをフィオナに渡す。フィオナは一瞬硬直した後、少しぎこちなく手を出して受けとった。
「うん、分かった」
そう言って会計を済ませに行った。店を出てハンカチの入った紙袋をどうぞと手渡すその表情は何か言いたげだ。
「ありがとう、大切にさせてもらう。ところで何か気になることでもあるのか?」
分かっているくせに知らないふりをし、しれっと尋ねるマティアス。
「……何もないよ」
目を逸らして小さく返事をするその頬はほんのりと染まっていて、マティアスはほくそ笑んだ。確実に意識している姿を見られて大満足である。
プレゼントを貰うという目的は達成したので、あとは町を自由に散策しようと彼は思ったが、フィオナの方はそうではなかった。
「マティアス、他には何が欲しい? 食べたいものは?」
「君は俺にどれだけプレゼントするつもりでいるんだ?」
「前に町に連れてきてもらった時にいろいろ買ってもらったのと同じくらいだよ」
それは両手に大量の紙袋を抱える程ということだ。フィオナの中ではハンカチなど序の口だったようで、マティアスはどうしようかと考える。
「プレゼントは先ほど貰ったもので十分だ。俺はあまり物は持たない主義だし土産物も必要ない。だから食事をご馳走してもらえるか。それでもう十分すぎる程だ」
「え……でもそれじゃ全然足りないよ……」
「貰う立場である俺は足りている。量や金額の問題ではなく気持ち的に足りているんだ。それではダメか?」
「……ダメじゃない」
フィオナは渋々納得した。お礼なのに無理強いをして困らせては意味がないのだ。
「昼食まで時間はまだまだあるからな、町を歩こう。腹を空かせて沢山ご馳走してもらうつもりだからな。覚悟するんだぞ」
冗談めかしてそう言うと、フィオナの表情は明るくなった。
「うんっ、いっぱい食べて」
二人で町を散策する。楽しげに歩くたびふわりふわりと白いワンピースが揺れて、マティアスの視覚は歓喜に震えている。これこそが一番のプレゼントだと本気で思った。
昼食の時間が近付くと、マティアスはこの店が良いと大衆食堂へ入った。安くて旨くてボリュームがあるのが売りの店、ここならどれだけ食べようと程々な値段に抑えられるはず。
帝国では外食の経験が皆無だったフィオナはそんな思惑には気づかず、活気があって厳つくてゴツい人が多い店だなくらいにしか思わなかった。
「マティアス、いっぱい頼んでいっぱい食べて」
キリッとした真剣な顔で両手でメニュー表を渡してくるので、思わずフッと笑みがこぼれる。
「あぁ、何を食べようか。一緒に選んでもらえるか?」
「うんっ、まかせて」
マティアスは彼女に自分の食べたいものを選んでいるように錯覚させながら、彼女が食べたいものを選んでいった。
注文の品がテーブルに並ぶと小皿に取り分けながら一緒に食べる。この店の味付けはフィオナ好みだったようで、美味しそうに食べる様子をしっかりと目に焼き付けた。
食事を終え店を出ると、大通りを歩きながら彼女はマティアスに相談を持ちかける。
「ルークにも何かお礼がしたいんだけど、何が良いかな?」
「予算はいくらだ?」
「えっとね、あと十万G残ってるよ」
「……今後のためにきちんと残しておかないとダメだぞ。一万以内で探すか」
「そうなの? うん、分かった」
マティアスは彼女に貯金というものを教えながら横道に入り、裏通りの更に裏へと歩き進めていく。
古びた建物ばかりが並ぶ路地の突き当りに構えている小さな黒い店へと入った。
店内の棚には一見するだけでは何に使うものなのか分からないようなものが所狭しと並んでいる。
どれも年季が入ったものに見えるが、埃はかぶっておらずしっかりと手入れされていて、フィオナは興味深そうに目を移していった。
「おや、マティアス様ではありませんか。お久しぶりですね。いかがなさいましたか」
褐色の肌をしたふくよかな男性店主が店の奥から出てきた。
「この子がルークに贈り物をしたいと言うのでな。見繕ってほしい」
「そうでしたか。なんとも素晴らしいタイミングで来てくださいました。とっておきの品を入手したばかりでございますよ」
男性はマティアスの要望を受けてすぐに店の裏手へと消え、両手に収まる大きさの箱を持って戻ってきた。
「こちらでしたら、ルーク様は間違いなくお喜びになるかと」
男性はカウンターの上に箱をコトリと置いた。
フィオナは興味深そうにじいっと見た。男性が置いた真っ赤な箱には白い帯が何重にも巻かれていて、そこには黒い紋様がびっしりと描かれている。
男性の説明によると、この箱は遠い西の国から仕入れた曰く付きの品で、どれだけ優れた呪印士にも封印を解くことができなかったものだと言う。
マティアスは男性と金額交渉を始めた。最後の方はフィオナに聞こえないようコソコソと内緒話をしていたので、彼女は仲が良いんだなぁと思いながら眺めていた。
「フィオナ、一万Gで売ってくれるそうだ」
「ほんと? やった」
予算きっちりで買えると知りフィオナは喜んだ。しかし果たして本当にこの得体の知れない箱がプレゼントに相応しいのかと疑問が湧いてくる。
「……これ貰ってルーク喜ぶのかな?」
「ああ、それは保証する。大丈夫だ」
「そっか。それじゃこれにするね」
マティアスがそう言うのなら間違いないだろうと、彼女は購入を決めた。
店を出ると裏通りを散策し、途中で出会った猫の跡をつけたり、屋台でフルーツ飴を購入して食べたりと、町歩きを存分に楽しんでから二人はホームへ戻った。
夕食後、フィオナはお礼の品を持ってルークの部屋を訪ねた。
「あのね、これ受け取ってほしいの。呪印を解いてもらったりいろいろとお世話になったお礼だよ」
そう言って曰く付きの赤い箱を差し出す。マティアスの保証付きだとはいえ、本当に喜んでもらえるのだろうかと少し不安そうに手渡した。
「……っっは」
受け取ったルークは大きく目を見開きキラキラと輝かせる。彼のテンションは上がりに上がっていった。
「なんすかこれ、めちゃめちゃ呪われてるっすね! やばいっすよ、たまんないっす」
箱を両手に掲げて子供のようにはしゃぎ回っている。
「フィオナさんありがとうっす。めちゃめちゃ嬉しいっす」
「どういたしまして」
ルークにすごく喜んでもらえたことにホッとし、フィオナはほくほくとした気持ちで自室に戻り、ソファーに腰掛けた。
ソファーの上にはクマのぬいぐるみの他に、手のひらサイズの白と黒の猫のぬいぐるみが置いてある。マティアスと初めて町に出掛けた時に彼から手渡された紙袋に入っていたものだ。
二つをぎゅっと抱きしめながら、お礼ができたことに心がホッコリとなる。
自分を救ってくれた二人にはまだまだお礼をし足りないけれど、一先ずほんの少しだけ返せて良かった。
次の給与を貰ったらまた何かお礼をするのだと意気込む。
そして今日のマティアスを思い浮かべた。
ハンカチをプレゼントできたことは良かったが、彼があのような色を選ぶとはフィオナは思わなかった。
彼は黒や灰色の衣服を纏っていることが多いので、落ち着いた色を好んでいると思う。それなのに選んだ色はまるで自分を思わせるような色で、それがどうしようもなく恥ずかしくなった。
あれは自分のことを思って選んだのだとしたら良いな。
ほんの少しだけでも自分を好きに思ってくれていると良いな。
フィオナは淡い期待を抱かずにはいられなかった。






