西洋車
正月早々という言葉をよく耳にするけど、こちらも正月早々ということがあった。
「家茂公が上洛することになり、大坂から京まで警護することになった」
近藤さんからこの話を聞いたのは、年末も押し迫った昨年の話。
12月中旬ごろに決まった話らしいのだけど、現代のように通信が発達しているわけではないので、京にその話が着いたのが年末。
そして、警護するために京を出て大坂に行くことになったのは、2日のこと。
まさに、正月早々なのだ。
前の日に早々と寝てしまった土方さんは早々に起きた。
「おいっ! なんで俺の俳句が出ているんだっ!」
まだ日が昇っていない時間だ。
いくら冬で日が明けるのが遅いとしても、土方さんが起きた時間は明らかに真夜中だった。
「まだ真夜中ですよ」
「そんなの関係ねぇっ! なんで俺の作った俳句が出てるんだ?」
覚えていないのか?
「昨日、土方さんが自分で作ったのですよ」
「なんでだ?」
なんでだ?って、私に聞かれても……
「昨日、酔っ払って布団に寝かしたら、わざわざ起き上がって俳句を作ったのですよ。覚えていないのですか?」
「全然記憶がない」
お酒3杯で記憶がなくなるものなのか?
「お前、もしかして、この俳句を見たのか?」
土方さんは、自分が作った例の俳句を見ながら言った。
「はい。原田さんに読んでもらいました」
「左之か。総司じゃなくてよかった」
確かに。沖田さん土方さんの俳句が見れたって喜びそうだし、みんなに見せるだろう。
「この俳句はだな、あまり出来は良くないから、忘れろ」
いや、あまりに印象深くて忘れられないのですが……
「いいか、これ以上は言わん。忘れろ。わかったか?」
人に頼み事をしているような感じがするけど、なんかえらそうな言い方なのは、気のせいか?
「わかったか?」
やっぱり、偉そうだ。
「わからんのか?」
声がだんだん怖くなってきた。
「わかりました。綺麗さっぱり忘れますから、安心してください」
「そうか。ありがとな」
土方さんは一言そういうと寝てしまった。
まだ酔っぱらっているのか?いや、もういい加減酔いはさめているだろう。
っていうか、真夜中に勝手に起されて、目が覚めてしまった私は、朝までどう過ごせというのだ?
案の定、ウトウトと眠くなってきたら、朝だった。
「もう朝だぞ。いつまで寝てんだ」
「夜中に起こされたので、眠れなかったのですよ」
わざとらしくそう言ったら、
「なんで起こされたんだ? 起こされるようなことをしたのか?」
えっ?
「土方さんに起こされたのですが……」
もしかして、記憶がないとか……
「俺は起こした覚えはない」
やっぱり覚えていなかった。恐るべし、酔っ払いっ!
「俳句がどうのこうのって、起こしたのですよ。本当に覚えていないのですか?」
「何バカなことを言っているんだ。早く起きやがれっ!」
掛け布団をはがされたので、冬の冷気に体をさらされ、完全に目が覚めた。
「何するんですかっ! 寒いじゃないですかっ!」
「いつまでも寝ていると、おいていくぞ」
そうだった。今日は大坂に行く日だった。
大坂は、まだお正月だった。当たり前だ。現代だって2日はまだお正月だ。
大坂に行くと必ず泊まる京屋に到着した。
「おい、暇か?」
荷物を整理していると、土方さんに呼ばれた。
「何ですか?」
「鴻池さんのところに行くぞ」
鴻池さんはものすごいお金持ちで、新選組のスポンサーになっている。
大坂に来た時は、必ず顔を出して挨拶をしている。
「私は眠いので、土方さん一人で行ってきてください」
「何言ってんだ。鴻池さんが、お前も連れて来いって言っているんだぞ」
なぜか私は気に入られてしまったらしい。
「わかりました。行きますよ」
ご機嫌を損ねるようなことをして、スポンサーから降りるようなことがあっては大変だ。
鴻池さんの家に行くと、笑顔で迎えられた。
「明けましておめでとうございます」
新年のあいさつをすると、
「見せたいものがあるんや。今回は蒼良はんも絶対わからんと思うで」
ご機嫌な鴻池さんに連れられて、広い庭に出た。
庭に置いてあったものは、自転車だった。
現代の自転車と比べると、後輪が少し大きいなぁと思うぐらいで、そんなに相違点はなかった。
「自転車ですね」
私がそういうと、鴻池さんは笑顔になった。
「ちゃうで」
違う?どこからどう見ても、自転車以外の物には見えないけど。
「乗り物ですか?」
土方さんが、自転車に触りながら言った。
「そうや、乗り物や」
「自転車じゃなければ、何ですか?」
私が聞くと、
「西洋車や」
ちょっと自慢げに鴻池さんが言った。
「せいようぐるま?」
土方さんと声をそろえて聞き返してしまった。
「そうや、西洋車や」
この時代は、自転車のことを西洋車と言っていたのか?
「わてが一番に仕入れたんや。日本にまだここしかないんやで」
日本で最初の自転車ということか。
「どうや、初めて見たやろう?」
残念ながら見たことがあります。
「初めて見た。異国には、面白い乗り物があるんだな」
土方さんは、自転車を触りまくっていた。
「ただ、問題があるんや」
どんな問題なんだ?
「乗るのが難しいのか、誰も乗れる人がおらんのや」
えっ、誰も乗れないのか?見た目自転車とそう変わりないから、乗れそうな感じもするけど。
「私、乗ってみましょうか?」
「何や、蒼良はんは乗れるんか?」
「はい、乗れると思います」
「お前、無理はするなよ」
「無理じゃないですよ。これで学校に行ってますから」
「えっ、乗ったことがあるん?」
鴻池さんに驚かれてしまった。
そうだ、日本にここしかない自転車だった。変なことを言ってしまった。
「い、いや、乗れそうだなぁなんて思ったので」
「これは、乗るのが難しいで。うちの人間もみんな試しに乗ってみたけど、誰も乗れんかったんや」
「そんな難しいものに、お前が乗れるわけないだろう」
「そんなに難しいものですかね」
そういいながら、自転車のハンドルをもって、またいだ。
いつものように、足で地面を蹴り、自転車に乗った。
現代とそんなに変わりがないので、最初はフラフラしたけど、すぐ慣れて庭を一周した。
「乗れた人初めて見たわ」
鴻池さんは驚いていた。
「人によって、乗れるまで時間がかかりますが、乗れるようになると、簡単だし、便利ですよ」
「うちには、そんな便利なもんには見えんけどな」
「お前、降りろ」
鴻池さんと話していると、土方さんから言われた。
「何をするのですか?」
「決まってんだろ。お前が乗れて、俺が乗れねぇわけがねぇ。西洋車に乗るんだよ」
「乗れるのですか?」
「お前が乗れるなら、俺も乗れる」
いや、無理だと思うけど……
自転車を土方さんに譲った。
土方さんも私と同じように自転車に乗って、足を蹴った。
しかし、すぐに横に倒れてしまった。
土方さんは、反射神経がいいのか、自転車が横に倒れる前に飛び降りていた。
「みんな、そうやって乗れんかったんや」
「お前が乗れるんだ。絶対に乗ってやるぞ」
土方さんは、相当悔しいらしい。
再び自転車に乗るも、また倒れてしまった。
「くそっ、絶対に乗るぞっ!」
誰もが小さい時にやった、補助なし自転車に乗る練習。それを思い出すような光景になっていた。
「せいぜい頑張ってや。うちは用事があるさかい向こうへ行くけど、自由につこうてかまわんから」
鴻池さんは家の中に入ってしまった。
「土方さん、頑張ってください。これに乗るのに、誰もが乗り越える山ですから」
「ちょっと待て。お前まで行くのか?」
「寒いので、家の中で待ってます」
「お前は、俺が乗ろうとしているのに、見捨てていくのか?」
見捨てるって、ずいぶん大げさな。
「よし、わかった。今後、俺の目の前でお前が浪士などに襲われることがあっても、見捨てていくからな」
えっ、そうなるのですか?
「ここで、俺に付き合えば、俺も助けてやるが、どうする?」
わかりました、付き合いますよ。
数時間が過ぎたと思う。
最初は自転車のサドルを使わず、両足で地面を蹴ってバランスをとりながら自転車を進ませていた。
「こんなことをして、これに乗れるのか?」
「最初は、みんなこうやって練習をしていたのですよ」
大体の人が小学生になるかならないかの時に経験するのだけど。
「いつまでこんなことをしていればいいんだ?」
そうだなぁ。そろそろサドルで自転車に乗っても大丈夫かも。
「じゃぁ、運転してみますか?」
ということで、土方さんはサドルに足をのせて自転車に乗った。
しかし、すぐに倒れてしまった。
「乗れんじゃないかっ!」
「そんなすぐには乗れませんよ。みんなそれなりに練習をして乗れるようになるのですよ」
「お前は乗れたじゃないか」
「私だって、たくさん練習したのですよ。転んでひざがすり傷だらけだったのですよ」
「そうか」
土方さんはそうつぶやくと、再び自転車に乗った。
「転ばないように後ろを支えましょうか? 乗る感覚がつかめれば、乗れるようになると思いますよ」
「ああ、頼む」
これも、自転車の練習でよくあること。
最初は後ろで支えているけど、途中で離す。
しかし、土方さんの場合、離したとたんに倒れてしまった。
「お前っ! 嘘をついたなっ! 支えてないじゃないかっ!」
「いつまでも支えていたら、乗れるようにならないじゃないですか」
「いいか、ずっと支えてろっ!」
そういわれたけど、大丈夫そうだと思って離したら、再び横に倒れる。
「おっ、お前っ! 次離したら、切腹だぞっ!」
「そんなことで切腹だって言っていたら、隊士が誰もいなくなるじゃないですかっ!」
「俺が切腹だと言ったら、切腹だっ!」
こんなことで切腹なんて、冗談じゃない。
「じゃあ、私は切腹したくないので、土方さん、一人で頑張ってください」
私が行こうとすると、
「ちょっと待てっ!」
と呼び止められた。
「わかった。切腹は取り消すから、手伝ってくれ」
やった。初めて勝ったような感じがして嬉しかった。
そしてまた数時間たった。
だいぶ安定して乗れるようになった。
ただ、支えを離したとたんに倒れてしまう。
「土方さん、もう日も暮れてきましたし、鴻池さんにも迷惑をかけるので、そろそろ終わりにしませんか?」
「まだまだっ!」
当分終わりそうにない。
何回も転んだので、土方さんの膝もすり傷だらけになっていた。
それもなんか痛々しい。
「乗れるようになるまで終わらせないぞ」
そんなっ!いつ乗れるようになるんだ?
しかし、その瞬間はすぐにやってきた。
そろっと支えを離すと、すいすいと土方さんははしって行った。
「土方さん、乗れてますよっ!」
「お前が支えてるんじゃないのか?」
「私は、支えていませんよ。ほら」
両手を広げて見せた。
「乗れたぞっ!」
「やりましたねっ!」
「ところで、どうやって止めるんだ?」
しまった。止め方を教えてなかった。
自転車に乗れるようになった土方さん。
それを見ていた鴻池さんは、
「うちに置いておいても、役に立たんさかい、持って帰ってもええよ」
と言ったので、遠慮なく自転車をもらった。
「乗れるようになると、便利なものだな」
土方さんが一人ですいすいと自転車に乗って行ってしまった。
最初は走ってついて行ってたけど、疲れたので歩いて追いかけた。
ある程度距離が開くと、自転車でUターンして戻ってきた。その様子がとっても嬉しそうだった。
なんか、子供みたいだな。
京屋の前につくと、斎藤さんがいた。
「ずいぶんと変わったもののようですが、なんですか?」
斎藤さんが、土方さんに聞いた。
「西洋車と言って、異国の乗り物らしい。鴻池さんのところでもらってきた」
土方さんは、嬉しそうに自転車から降りた。
「まだ日本にこれしかないから、乗れる人間がいないらしいぞ」
ちょっと自慢げだ。
「なんなら、斎藤も試しに乗ってみるか?」
自転車を斎藤さんに渡した。
斎藤さんは自転車にまたがると、すいすいと乗って行ってしまった。
「もしかして斎藤、お前はこれに乗ったことがあるのか?」
「いや、初めてです。見るのも、乗るのも」
自転車って、まれに練習しなくても乗れる人がいるんだよね。斎藤さんはそのタイプだったらしい。
「なんで乗れたんだ?」
「土方さんと同じようにしたら乗れたんですが」
「……」
土方さんは、無言になってしまった。
気まずい沈黙が流れる。
「異国の物に乗れたからって、どうだってぇんだっ!」
土方さんは、自転車を置いて中に入ってしまった。
「おい、どうなってるんだ?」
斎藤さんに聞かれてしまった。
「土方さん、あれに乗るのに一生懸命練習したのですよ。それを練習もしないで斎藤さんが乗れたので、すねてしまったとか……」
「そんなこと言われても、乗れたものは乗れたんだ。仕方ないだろう」
まぁ、そうなんだけど……
「せめて、乗れないふりでもしてくれれば……」
土方さんもいじけなくて済んだと思うのだけど……
「わけがわからないものを持ってきて、そんなことができるわけがないだろう」
そりゃそうだけど……
「おい、あれに乗れたからって、何が変わるかって、何も変わらねぇよな」
京屋の部屋に戻ると、土方さんに言われた。
確かに、現代では車の免許がない人たちの貴重な足になっているけど、そんなものがないこの時代には、まだいらないのかも。
「そうですよ、何も変わりませんよ」
私は慰めるように言った。
「そうだよな。あんなものに乗れるからって、どうだってぇんだ」
斎藤さんが一回で乗れたのが相当ショックらしい。
「見る景色が変わるかもしれないですけど、どうってことないですよ」
「そうなんだよな……。あれから見える景色が意外とよかったな。風を切って走るのもなかなか楽しかったしな」
余計落ち込ませてしまったらしい。
「だ、大丈夫ですよ」
何が大丈夫なんだかと、自分で言っていて、自分で突っ込んでしまった。
その後、その自転車はしばらくは京屋さんの隅っこに置いてあったけど、気が付いた時にはなくなっていた。




