慶喜公の警護
鳥羽伏見から帰った後の慶喜公は、会津藩の松平容保公と、桑名藩の松平定敬公が江戸城へ来るのを禁じた。
そして、自分の側近たちを薩摩を倒そうと考えている人たちから、薩摩をはじめとする政府軍に恭順して、何とかこの危機を乗り切ろうという人たちに変わった。
フランスの外交官の人から、
「政府軍と戦うなら、力を貸すよ」
という申し出も拒否した。
もともと、慶喜公は戦う意思はなく、薩摩藩邸焼き討ち事件があってから薩摩を倒すという周りの思いを止めることが出来ず、仕方なく戦をしたみたいなところがあった。
しかし、薩摩の西郷吉之助のちの西郷隆盛が、大久保一蔵のちの大久保利通に、
「慶喜を処分するときには、厳しくしないといけないな」
という手紙を送っていた。
慶喜公の意思は全然伝わっていないわけで。
そして、恭順派の幕臣たちを集めて会議をし、それから上野の寛永寺へ自ら閉じこもって謹慎をする。
「大将がこんなことをしてどうするんだっ!」
それを知った永倉さんが怒っていた。
「新八が怒っても仕方ないだろう」
原田さんがそう言ってなだめていた。
「でもよ、江戸で戦えば、俺たちが勝つに決まってんだろう。ここで一気に薩摩を倒さないでどこで倒すんだ?」
ますます興奮する永倉さん。
「まず落ち着け。お前が興奮したところで、慶喜公は出てこないだろう」
原田さんの言う通りだと思う。
「ま、新八が寛永寺の前で踊ったら出てくるかもしれないぞ」
は、原田さん、それは岩戸隠れの伝説か?
ものすごく簡単に言うと、悪いことをする人がいて、それに怒ったえらい神様が岩戸に閉じこもってしまうと言うものだ。
岩戸の外で楽しく踊ったり歌ったりしていたら、様子を見に出てくるかもしれないと言う事で、他の神様たちが岩戸の前で踊ったり歌ったりする。
えらい神様は様子を見に来て岩戸を開けたから、そこからその神様を出したという伝説だ。
「お酒も出したらさらに出てくるかもしれないですね」
お酒もあったら、きっと楽しいぞ。
「それは蒼良が飲みたいだけだろう」
と、永倉さんに言われてしまった。
あ、ばれた。
「蒼良だって、毎日飲み歩いている新八には言われたくないよな」
原田さんが、私の頭をなでながらそう言った。
うん、そう言われるとあまり言われたくないよな。
「俺から見るとどっちもどっちだがな」
土方さんの声が聞こえてきた。
みんなで声のした方を見ると、土方さんが難しい顔をしてこちらに来るところだった。
「どうしたんだ? 鬼副長の顔がさらに怖くなっているぞ」
原田さんが土方さんにそう言った。
「広間に集まれ」
一言そう言った。
何かあるのかな?
「あ、そうだ。新八、近藤さんが何を言っても文句は言うなよ」
最後に一言そう言ってから土方さんは去っていった。
最後の一言がすごく気になるが、何なんだ?
「寛永寺で謹慎している慶喜公の警護をすることになった」
近藤さんがそう言うと、
「はあっ?」
と、永倉さんが立ちあがった。
「おい新八、さっき言っただろう」
近藤さんの横で、難しい顔をして座っている土方さんがそう言った。
あ、だからさっきそう言っていたのか。
「ちっ」
永倉さんはそう舌打ちをして座った。
「明日から交代で寛永寺を警護する。解散」
近藤さんがそう言うと、広間に集まった隊士たちは方々へ散っていった。
近藤さんも広間を出ようとしたけど、ふと永倉さんと所へ戻ってきた。
そして、永倉さんの肩にポンッと手を置いた。
「新八、お前の気持ちはわかる。わしだって、江戸で戦えば味方もたくさんいるから勝てると思う。慶喜公を引きずり出してここで戦がしたいさ。だが、その前にわしらは武士だ。武士は何があっても大将の言う事を聞くもんだ。そうだろう?」
近藤さんはにこやかにそう話した。
そこまで言われちゃうと永倉さんも何も言えなくなっていた。
「今回は黙って従ってくれ」
近藤さんはそう言うと広間を出て行った。
「新八、今回は仕方ないな」
原田さんにそう言われ、永倉さんも
「今回だけは言う事を聞いてやる」
と言って広間を出て行った。
それから交代で寛永寺を警護することになった。
その寛永寺は上野にあるんだけど、現代の寛永寺より広かった。
どれぐらい広いかというと、上野公園が二つは言ってしまうぐらいの広さ。
と言う事は、上野動物園も寛永寺の中にすっぽりと入ってしまうのだ。
そんな広いところを警護するのも大変だ。
この寛永寺には歴代の徳川将軍十五人のうち六人が埋葬されている。
徳川に縁があるお寺だから、慶喜公が謹慎の地に選んだのかな?
そんなことを思いながら、広い寛永寺の外を斎藤さんと回った。
「慶喜公はこの広いところのどこにいるのですか?」
もしかしたら、こんな広いところにこもっていたら、敵が攻めてきてもわからないとでも思ったから入ったのか?
いや、それはないだろう。
でも、その周りをグルグル回っていると、そう思ってしまう。
「大慈院という子院に入っているらしい」
斎藤さんはボソッとそう言った。
あ、そうなんだ。
「それにしても、このお寺、広いですね」
斎藤さんと一緒に警護がてらあるいているけど、まだ一周していない。
でも、現代はこの敷地より小さくなっているから、この幕末の混乱で焼けたり亡くなったりするのかな?
この後、ここを舞台に上野戦争と言うものがあるみたいだし。
「ここを歩いているだけじゃ警護にならんがな」
斎藤さんが歩きながらそう言った。
え、そうなのか?
「考えてみろ。こんなに広いんだぞ。人が一人入ったって分かりはしないだろう」
そ、それはそうなんだろうけど……。
「でも一応、警護しろと言われたから、警護をしないとだめですよ」
そう、ちゃんと警護しないと、
たとえ広すぎてすきがたくさんあっても、警護はちゃんとしないと。
「お前、試しに入ってみるか?」
えっ?
「どこにですか?」
嫌な予感をしつつ聞いてみた。
「ここに決まってんだろう」
ニヤリと笑って、親指で寛永寺を指さす斎藤さん。
やっぱり、そう来るのか?
入って中にいる慶喜公がどう過ごしているのか、今後の歴史の参考として見て見たいという気持ちはあるが……。
「入って見つかったらどうなりますか?」
そう、問題はそこなのだ。
見つかったら、絶対になんかあるよね?
だから、こうやっておとなしく警護をしているんだけど。
「斬る」
一言、斎藤さんはそう言った。
やっぱりそうなるんじゃないかっ!
「わ、私はまだ斬られたくないので、遠慮します。さ、斎藤さんこそ中に入ってみたらどうでしょうか?」
人に入ってみろって言っておいて、自分はどうなのさ?
そんな思いで聞いてみた。
「なんで俺が入らなければならない?」
えっ、そうなるのか?
「斎藤さんだって、慶喜公がどうしているのか気になりませんか?」
「全然」
あ、そうなのか?
「俺は、警護しろと言われているから、こうやって警護をしているだけで、中に誰がいるとかそんなこと気にしていない」
そうなんだ。
そこまで言われちゃうと、何も言えないなぁ。
黙り込んでいると、ポンッと頭に斎藤さんの手がのってきた。
「お前らしくていいな」
ん?それはどういう意味だ?
「お前らしくていい」
意味が分からないでいると、もう一回、斎藤さんは自分に言い聞かすように言った。
「あの……。その言葉に意味はあるのでしょうか……」
思わず聞いてしまった。
何か裏があるのか?
「特に意味はない」
えっ、そうなのか?
「そんなことを気にしている暇があるなら、ちゃんと警護をしろ」
と、少し微笑んだような感じで斎藤さんに言われてしまった。
もしかして、私は斎藤さんに遊ばれているのか?
広い寛永寺を何周か回ったら、夕方になり交代になった。
「異常なし」
斎藤さんはそう一言、交代する原田さんにそう言った。
「わかった。夜も何事も無ければいいがな」
「大丈夫ですよ。何事もないですよ」
歴史では、この時期何かあったと言う事はない。
彰義隊が結成されるのも、上野戦争もこのもう少し後の話だ。
「なんでお前はそんなことを言えるんだ?」
斎藤さんはそう言ってきた。
斎藤さんは、私が未来から来たことを知らない。
「勘ですよ、勘」
「蒼良は勘が鋭いからな」
原田さんも私のごまかしに同調するように言ってくれた。
「その勘を別な所に生かせばな」
ニヤリと笑って斎藤さんが言った。
そ、そりゃどういう意味だっ!
「行くぞ」
斎藤さんはそう言うと、寛永寺の警護を後にした。
「じゃあ、お先に失礼します」
原田さんに挨拶をしてから斎藤さんの後について行った。
しばらく二人で歩いていると、
「そばでも食べていくか?」
と、斎藤さんが私の方を見て言った。
おそばかぁ。
ふと見ると、おそばの屋台があった。
江戸時代と言ったら、おそばと屋台なのかな。
よく見かける。
「いいですね。食べましょう」
と言う事で、近くのおそばの屋台へ入った。
メニューの一番端っこに、御膳大蒸篭と書いてあるのが気になった。
「あれって何ですか?」
思わず指さして斎藤さんに聞いた。
「土方さんが文字が読めないって言っていたが、本当だな」
いや、読めるから。
土方さんの文字が読めないだけだ。
「読めます。おぜんだいむしかごって書いてあるのですよね」
「だいむしかご……」
とつぶやいた後、プッと吹き出した。
何かおかしいことを言ったか?
「あれは、ごぜんおおせいろと読む」
そ、そうだったのか?
「大盛りの蒸そばだ」
むしそば……。
想像ができない。
「酒を飲むなら安いやつにしておけ。うまい酒が飲めなくなるぞ」
確かに。
このなんだかせいろというそばは一番高い。
そんな高いそばを食べたら、お酒代まで払えなくなるよね。
「わかりました。安いやつにします」
と言う事で、一番安い普通のおそばにした。
今で言うかけそばかな?
しばらく待っていると、お酒が先に出てきた。
「さ、飲むぞ」
そう言って、斎藤さんは徳利を出してきた。
お猪口を出したら、
「そんなものいらんだろう」
と言われてしまった。
確かにそうなんだけど……。
ここはちゃんとお猪口で飲みますと言うべきなんだけど……。
ついつい徳利で飲んでしまう自分がいる。
「お前も好きだな」
斎藤さんはニヤリと笑って徳利でお酒を飲んだ。
お前も好きだなぁなんていうけど、斎藤さんもお酒が好きなんだから。
「お前と飲むと気が楽だ」
斎藤さんはそう言いながらお酒を飲んだ。
そ、そうなのか?
「でも、大酒のみの女ってどうなんですかね?」
思わず聞いてしまった。
土方さんは私がお酒を飲むのを嫌がっているみたいだし。
「嫁のもらい手がなくなるってやつか?」
そこまでは考えていませんが……。
「安心しろ。もうその年でもらい手が無ければ無理だろう」
そ、そこまで言うか?
確かに、この時代の23歳は行き遅れらしいけど、現代ではそんなこと全然ないんだからねっ!
「その時は俺がもらってやる。お前なら酒飲みでも何でも関係ない」
えっ、そうなるのか?
「お前が嫁になったら、毎日うまい酒が飲めそうだしな」
そう言って、斎藤さんはニヤリと笑った。
もしかして、酔っているのか?
そうだ、酔っているからこんな変なことを言いだしたんだ。
「斎藤さん、もう酔ってしまったのですね。酔いつぶれないうちに帰りますよ」
ここで酔いつぶれられたら、私が一人で斎藤さんを運んで帰らなければいけないじゃないか。
「俺は別に酔ってないが……」
「酔っ払いはいつもそう言うのですよ」
酔っているという酔っ払いは見たことないんだからね。
私は、斎藤さんの徳利を取り上げて、全部飲んだ。
おそばも食べたし。
「帰りますよ」
私は立ち上がってそう言った。
「おい、俺の酒飲んで……」
「斎藤さんが酔っ払っているから、私が飲んだのですよ。さ、帰りますよ」
斎藤さんの手を引いて立ち上がらせた。
「俺はまだ飲み足りないが……」
「飲み足りないぐらいがちょうどいいのですよ」
もうちょっと飲みたいぐらいでやめるのがちょうどいいのだ。
私は、斎藤さんの手を引いておそばの屋台を後にしたのだった。
斎藤さんが酔いつぶれないうちに屯所に帰ってくることが出来てよかった。




