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幕末へ タイムスリップ  作者: 英 亜莉子
慶応3年9月
366/506

あわただしい京

 九月になってからあわただしい日々が続いていた。

「薩摩が、兵を率いて京に来るらしいよ」

 伊東さんがある日突然そう言ってきた。

「どこからの情報なのですか?」

 そんな話、毎日のように入ってくる。

 薩摩が四候会議で自分の思い通りにできなかったから、兵力に物言わせようとしているらしいという噂がある。

「斎藤君、御陵衛士の後ろには薩摩藩がついているんだよ。だから、この情報は確実なものだよ」

 伊東さんが少し胸を張ってそう言った。

 御陵衛士の後ろに薩摩がいることは、前から気がついていた。

 表向きには、若年寄であり、墓などを管理する仕事もしていた戸田忠至とだただゆきと言う幕府の人間が御陵衛士を配下に置いているというものだった。

 しかし実際は、食費や給金などは薩摩藩から出ていた。

 尊皇派の薩摩藩からしてみれば、会津藩の配下にある新選組のような、京の町を自由に動き回れる隊がほしかったらしい。

 伊東さんは、朝廷のために働きたい。

 その思惑が一致したのだろう。

 薩摩藩が後ろについていることは伊東さんも承知のことなんだろう。

 他の御陵衛士の人間も、それに対して文句を言う人間はいなかった。

「薩摩が兵を率いて何しに来るのですか? また脅しに来るのですか?」

 前回は、長州の減刑を求めていたのにもかかわらず、慶喜公に兵庫港開港問題にすり替えられてしまった。

 完全に幕府に負けた薩摩だったが、今度は何をたくらんでいるんだ?

「大政奉還だよ」

 伊東さんは、どうだ、驚いたか?という感じで言ってきた。

 大政奉還?

 もしかして、あれか?

 御陵衛士の中でも大政奉還について話し合ったことがある。

 今は幕府が政治の権力を握っている。

 それを全部朝廷に返し、天皇を中心とした政治を行う事。

 それを薩摩が目指して動いている。

 そんな世の中が来るのか?

 そのために薩摩は色々な藩と盟約を結んだりしているらしい。

 代表的なのが、四候会議の後に結ばれた薩土盟約だろう。

 同じころに密約も結ばれたらしいが。

「いよいよ、我々の方も動き始めたと言う事か」

 伊東さんは嬉しそうにそう言った。

「伊東先生、私たちは何をすればいいのですか?」

 藤堂がそう言ってきた。

 こいつと俺は同じ年らしい。

 新選組からも一緒に抜けてきたから、御陵衛士や新選組の中には仲がいいと思っている奴もいるらしいが、こいつとはあまり話したことはない。

 藤堂の方も、俺のことはあまり好きではないのだろう。

 伊東さんに質問する前に、横目でチラッと俺を見ただけだった。

「特に何もすることはない。まだ薩摩の方からは何も言ってこないからね」

 薩摩次第と言う事か。

 報告する時間もありそうだな。

 俺は伊東さんと藤堂の話を聞きながら、土方さんに書いた文を今日は誰経由で渡せばいいかとか考えていた。

 せっかく潜入が成功したのに、ここであっさり間者だとばれるわけにはいかないのだ。

 だから、まっすぐに土方さんに文を送らず、あっちこっち経由して土方さんにつくようになっている。

 それも毎回違う送り方で送っている。

 よし、今回はこっちの方法で行こう。


 土方さんに薩摩の件を報告した文を送った。

 あっちこっち経由していくので、同じ京にいても文が新選組に着くのは数日後になるだろう。

「あ、斎藤君」

 文を出した帰り道、一緒に新選組を抜けて御陵衛士になっている篠原に声をかけられた。

「どこに出かけてた?」

 ニヤリと笑ってそう聞いてきた。

「聞かなくてもわかるだろう」

 俺もニヤリと笑って返した。

「昼間っから酒か」

 篠原が俺の息の匂いをかいでそう言った。

「そうだ、いいだろう?」

 ただ文を出すだけだとあやしまれる。

 だから毎回、文を出すときは酒を飲んでくる。

 それである程度ごまかせると言う事もあるが、俺が酒好きだって言う事もある。

「斎藤君は強いからなぁ。俺なんか昼間から飲んだら、よろよろと千鳥足になってしまうよ」

 嘘つけ。

 篠原だって相当強い。

 だから、乱暴に背中を叩いた。

 篠原はさりげなくよけた。

 御陵衛士の中では、篠原と一番よく話す。

 一番気が合うからなのか、話しやすいからなのか、そこら辺はよくわからない。

「斎藤君、聞いたか?」

 周りを見回してから俺に話しかけてきた。

 こういう態度で話しかけてきたと言う事は、他の人間に知られたくないものなのだろう。

「なんだ?」

「薩土盟約が解消されたらしいぞ」

 それは本当か?

「なんでだ?」

「藩主の山内容堂が兵を出さなくてもいいだろうって考えだったらしいぞ」

 そもそも、山内容堂はどちらかと言えば幕府派だろう。

「詳しい話は、伊東さんからあると思うぞ」

 篠原はそう言うと、高台寺にある屯所の方へかけて行った。

 しまった、文を出したばかりだ。

 訂正の文を出したほうがいいか?

 いや、しばらく様子を見たほうがいいだろう。

 あまり頻繁に文を出すのも、間者だとばれるおそれがある。

 今は様子を見よう。

 俺も篠原を追いかけるように屯所へと向かった。


「心配はいらないよ。薩摩が出兵を急ぐことになったから、断ったらしい」

 伊東さんはいつもの笑顔でそう言った。

 薩土盟約が解消された背景には色々ありそうだ。

 山内容堂は土佐に帰った後、土佐藩の人間である後藤象二郎が京で色々動いていたらしい。

 盟約を結んだのも後藤だった。

 後藤は、土佐藩の兵を率いて京へ来る予定になっていた。

 しかし実際は、藩主の山内容堂が兵は出さなくてもいいと言う考えだったことと、長崎で異国の船の乗組員が殺され、その犯人が土佐藩士だという疑いがあったため、その処理などで兵を出すことが出来なかった。

 ちなみに、異国の船の乗組員が殺された事件の犯人は、土佐藩士じゃなかった。

 どちらにしろ、薩摩の方は土佐の兵力をあてにはしていなかったのだろう。

 薩摩が千名ほどの兵を率いて京へやってきたからだ。


 その千名ほどの兵を見て喜んでいたのは、伊東さんだった。

「薩摩の兵力はさすがだな」

 千名ほどの兵で京の町を隊列を組んで歩く兵を見て、伊東さんは満足そうにそう言った。

 驚くほどの軽装、しかも洋装で、最新鋭の銃をもって歩いている薩摩藩兵を見ると、不安になってきた。

 幕府はいまだに鎧を使っている。

 戦国時代のものとまではいかないが、鎖帷子くさりかたびらと言う鉄でできた重いものを装備する。

 軽い装備の者と重い装備の者が戦ったら、軽い装備の者の方が動きがいいだろう。

 幕府は薩摩と戦う気なのか?

 戦ったら、これは負けるかもしれない。

 そう思わせるものが、薩摩藩兵にはあった。


 それから数日すると、伊東さんがまたご機嫌な様子で話しかけてきた。

「薩摩は長州と芸州と一緒に出兵計画をたてているらしい。さすが薩摩だ。これで幕府は朝廷に政権を返すしかないだろう」

 薩摩の大久保利通と言う人間が、長州と芸州に行き、出兵案を出したらしい。

 それを了解した両藩は、薩摩の出す船に乗って大坂に入港するらしい。

 これはすごいことになってきたぞ。

 伊東さんは、

「王政復古だっ!」

 とはしゃいでいたが。

 水面下で、王政復古に向けて動き始めていた。


 王政復古がひそかに動き始めたのと同時に、御陵衛士の中で始まったものがある。

 それは異国の言葉の学習だった。

 攘夷をするのなら、相手の国の言葉を理解しないとできないだろう。

 伊東さんがそう考え、どこからか異国人を連れてきた。

「Hello!」

 その異国人がそう言った後、

「へろー」

 と、俺たちが真似をして言う。

 そんなことがもう何回も続いていた。

 うんざりだ。

 しかし、御陵衛士の人間は、楽しそうだった。

 篠原にいたっては、

「好きな女に言う言葉はなんだ?」

 なんて聞く始末だ。

「そんなこと聞いてどうするんだ?」

 攘夷をするのに、そんな言葉を使うのか?

「島原で使おうと思ってな。女の受けがよくなるかもしれないぞ」

 そんなことあるわけないだろう。

「I love you 」

 異国人は流暢にそう言った。

「あいらぶきゆうか」

 篠原は嬉しそうに異国人の後に続いてそう言った。

「違うだろう」

 あいらぶようじゃないのか?

 そう聞こえたような気がするが。

 そもそも、異国の言葉なんてわかるわけないだろう。

 しかも、唇をかんだり下を歯にはさんで言ったり、つばが飛ぶ。

 いちいちつば飛ばしてしゃべってられるか。

「あれ、斎藤君、どこに行くんだ?」

 こんなことやってられないと思い、立ち上がったら篠原が聞いてきた。

「一杯ひっかけてくる」

 こんなこと、酒なしでやってられない。

「やれやれ、お気に召さなかったらしい」

 篠原がそう言って異国人に困ったような笑顔を向けていた。

 篠原の言葉は聞こえていたが、面倒だったから、聞こえないふりをして部屋を出たのだった。


 イライラする。

 異国の言葉を話さなくても攘夷なんてできるだろう。

 何があいらぶきゆうだっ!

 篠原は島原の女に使うと言っていたが、言われた方だってわからんだろう。

 もしかして、あいつならわかるだろうか?

 ふと、あいつのことを思い出してしまった。

「何言っているのですか、斎藤さん」

 と言うだろうか?

 いや、案外、異国の言葉を知っているかもしれない。

 あいつは、みんなが普通に知っていることを知らないが、知らないことを知っていることが多い。

 篠原じゃないが、俺もあいつに使ってみたくなってきた。

 そう考えると、異国の言葉の勉強もつまらないものではないな。

「斎藤さん」

 下の方から声が聞こえてきた。

 俺の下にいるのは、物乞いの乞食が座り込んでいるだけだった。

 こいつが話しかけてきたのか?

 乞食の顔を見てやろうと思い、下にかがもうとしたら、

「かがまないでそのまま聞いてください」

 この声は、山崎か?

 山崎が、緊急の伝言か何かあってそれでここにいるのだろう。

 俺は、かがみこむのをやめて、そのまま汚いものを見る目で乞食を見下ろした。

「副長は、隊士募集の為江戸に旅立ちました。大事な時に申し訳ないが、よろしく頼むと言ってました」

 なんだ、そんなことを言いにわざわざ来たのか?

「それだけのためにご苦労だな」

 ふところに手を入れて財布を探した。

「いや、今日は薩摩の動向を探るためにここにいるのです。動きがあやしいですからね」

 俺への伝言はついでと言う事だな。

 山崎の前にふちのかけた汚らしい茶碗が置いてあったから、そこに銭を入れた。

「土方さんは、誰を連れて行ったんだ?」

 一人で行くってことはないだろう。

 小姓なり誰か連れて行っただろう。

「井上さんと蒼良さんが一緒に行きました」

 なんだと?

 あいつも江戸へ行ったのか?

 いつまでも山崎の前に立っていたらあやしまれるから、銭を入れたら立ち去った。

 なんだ、あいつも行ったのか。

 同じ京の空の下にいると思っていたんだけどな。

 空を見上げると、雲ひとつない秋の空が広がっていた。

 なんだ、異国の言葉を披露するどころじゃないな。

 そう思ったら、気が抜けてしまった。

 江戸へ行ったなら、帰ってくるのはだいぶ先になりそうだな。

 それなら、帰って来た時にでも披露してやろうか。

 今頃どこを歩いているのだろう。

 空を見てあいつのことをしばらく思っていた。

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